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総合講座B

九州産業大学の歴史と現状

福岡女子大連携講座|2020.09.01

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書きかけです。

CONTENTS


はじめに

本講座に関わるURL

講師 自己紹介

講義にあたって

歴史を学ぶ意義は、過去と現在を比較することで、現在を相対化する視点を得ることにあります。みなさんが「あたりまえ」だと思っている「現在」は、過去から見れば「異常な状態」であり、来るべき未来にとっては「更新する必要のある状態」です。

本講義では、九州産業大学の歴史を辿りつつ、過去60年間の間に、大学をとりまく環境がどのように変化し、「学び」というものがどのように変化したのか、そして未来はどうあるべきなのか、私自身の大学教員としての体験をふまえながらお話ししたいと思います。

私が常日頃学生さんに訴えていることは、「常識を疑え」「大人に騙されるな」ということです。私の講義には、当然私自身の「個人の感想」が多く含まれます。私の話を決して鵜呑みにすることなく、批判的な姿勢で聞いていただけると幸いです。




九産大の歴史

1960年代|時代背景


1970年代|時代背景

1980年代|時代背景


1990年代|時代背景

2000年代|時代背景


2010年代|時代背景


和暦・西暦




大学の歴史

中世大学の誕生

学問の起源は古代ギリシャにあり、その後イスラム世界に一旦保存。その後再びヨーロッパの人々によって翻訳されて学ばれるようになりました(12世紀ルネサンス)。この時代、イスラム世界の古代ギリシャ・ローマの知識を学ぶ中で結成された「組合」組織が大学の起源となりました。

こうして生まれたのが、ボローニャ大学(1158年設立)やパリ大学(1231年)で、後に多くの大学がこれらをモデルとして、ヨーロッパで生まれました。ただし、現在のようなキャンパスで多くの学生が教授に教えを乞うというものではなく、教師と生徒は家族的な関係、直接的な契約関係において組合的組織でした。

この時代に大学が生まれた背景には

初期大学の学部

自由七科は教科書化されて中世の教養教育へ。15世紀に入ると、キリスト教的な世界観から脱した古典古代の文化(ギリシャ・ローマの文化)の復興、「人文主義」という思想的特徴を持った「ルネサンス」がヨーロッパ世界を変えました。

ルネサンス期の人文主義は、人文学(人文科学)の源流

アカデミーの誕生

16世紀以降、職人的技術や伝統に関心を持って研究する、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンといった知識人が登場し、「自然は数学的に解明できる」という観念とともに、自然科学を中心とした近代科学が展開します。

しかし、この時代の大学はキリスト教の影響が強く、神学や哲学を中心的に行う場であり、いわゆる「理系」の学問は重視されていませんでした。自然科学的な観察・実験研究を行う現在の「科学」や「工学」は、職人的領域として、大学とは関連のないものとして、その研究の場は、大学の外に形成されていきました。アカデミー(学会)と雑誌論文、学会誌の誕生です。


近代的大学の誕生

現代の大学の直接の起源となったのは、19世紀初期にドイツで生まれたフンボルト理念に立脚した大学です。

その背景には・・


アメリカにおける研究大学の誕生

1876年、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学で、大学のさらに上位に研究を目的とした教育機関「大学院(Graduate School)」が設置されました。この大学院の設立によって、教育と研究は分離され、研究に重きを置いた「研究大学(Research university)」が誕生します。以後、世界の大学は研究の成果を競うようになります。

文系、理系が区別されるようになり、人間形成に重きを置く文系よりも、経済発展と国家の繁栄に寄与する理系重視の傾向が高まります。こうした動きは、近代国家の建設を目指す明治維新以降の日本に大きな影響を与えました。

日本における西洋知識の輸入のための機関設立

日本における大学の誕生は、近代国家建設を目的としたものでした。19世紀の日本では、列強に対抗するための「文明開化」「富国強兵」、近代国家の建設を目指して、西洋の知識の輸入のための機関が設立されます(東京大学の前身)。

また、「適塾」「五月塾」といった蘭学を学ぶ私塾が複数開かれ、私塾の一部は後の私立大学に繋がります。

この時期の学問は、近代化のために実用的な科学技術を支える「理系」分野が重視されました。

官立専門学校

明治時代の日本の高等教育には、東京大学だけではなく、明治政府の各省庁(官僚)や軍部が人材育成を目的に設立した官立専門学校がありました。後の北海道大学である「札幌農学校」、東京大学工学部になる「工部大学校」などです。

特に「工部大学校」ではイギリスの影響を受けた実学的な工業教育が行われ、これが日本の実学・理系重視の傾向をもたらしました。

帝国大学の誕生

1886年に「帝国大学令」が出され、国家のエリート育成機関として、東京大学が帝国大学に、また官立専門学校が帝国大学に統合されました。「国家のための大学」の誕生です。

その後、既存の様々な教育機関を統合して、1897年には京都帝国大学、1907年に東北帝国大学、1911年には九州帝国大学が設立されました。

明治中期以降の帝国大学の中心部(東京帝大)では社会の「管理」を目指す法科系ゼネラリストへの重心移動が起き、一方周縁部の地方帝大では社会の「開発」を目指す理工系テクノクラート養成への重心移動が起きています。


高等教育機関の統合

戦前は「帝国大学」以外にも「大学」「師範学校」「専門学校」「旧制高校」など多様な教育機関がありましたが、戦後の占領期には、こうした高等教育を「大学」に統合する動きが進みました。高度経済成長と共に私立大学が急増し、大学進学率も上昇します(60年代:20%台 〜 現在:53%)。

大学設置基準の大綱化

1991年、文部省による大学設置基準の改正。

国立大学法人化

2004年、国立大学が法人化しました(小泉政権下)。これによって国立大学はより競争的な環境にさらされることになりました。

認証評価制度

2003年の学校教育法の改正により2004年4月に認証評価制度が制定され、大学の教育研究の質保証は、原則として「大学自らの自己点検・評価(内部質保証)」と「認証評価機関による認証評価(外部質保証)」によることになっており、以下2つの制度の下で関係機関が連携して行うことになりました。

大学基準協会|大学評価ハンドブック


教育の内部質保証とPDCA

大学基準協会|点検評価項目の2項目めに「内部質保証」に関する記載があります。教育の質保証に関して、以下のような取り組みが求められています。

GoogleImage:内部質保証


「3つのポリシー」について

大学は、その教育理念を踏まえ、3つのポリシーを策定しています。学生の学修成果を向上させ、学位授与にふさわしい人材を育成し、社会へと送り出すために、3つのポリシーに基づく体系的で組織的な大学教育を − 不断の改善に取り組みつつ − 実施することとなっています。
三つのポリシーの策定と運用に係るガイドライン(文科省)

参考図書

本学の教育について




教育プログラムの特色


KSUプロジェクト型教育

本学では、文系・理系・芸術系を揃えた総合大学の特徴を生かし、学部学科の枠を越えて、地域・企業とのプロジェクトに取り組んでいます。
https://www.kyusan-u.ac.jp/faculty/kyoiku/project/


KSU基盤教育

KSU基盤教育は、全学共通の「教養科目」、「外国語科目」、および学部ごとに展開される「専門基礎科目」で構成された学びの枠組みです。
https://www.kyusan-u.ac.jp/faculty/kyoiku/


100分(50+50)授業 その他の教育改革

九州産業大学では、学生の自発性と計画性の促進を目的に、様々な教育システムの改革に取り組んでいます。


キャリア教育

平成23年に始まった九産大独自のキャリア教育。就職のハウツーだけを学ぶだけではなく、過去30年間にわたる社会の変化を理解するとともに、未来を生き抜く力を育成します。
http://www.kyusan-u.ac.jp/guide/kyoiku/career/




九産大と芸術学部




なぜプロジェクト型教育か




価値は所与のものではない




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添付ファイル: file総合講座B.pdf 7件 [詳細]
Last-modified: 2020-08-03 (月) 13:46:56