LogoMark.png

視聴覚情報論/2020/0617

第8回 認知心理学+

視聴覚情報論/2020 2020.06.17

前回の講義:視聴覚情報論/2020/0610

はじめに、レポート提出について|2020.06.17

初回の事前連絡でお知らせしたとおり、この授業は学期末筆記試験はありません。毎回のみなさんのコメントと学期末レポートをもって単位を認定します。つきましては、学期末レポートについて、以下をご確認下さい。

第8回目の展開と要件


以下、目次を見て本日の講義の全体像を把握してから、順に読み進めて下さい。



本日のメニュー


はじめに

今回は、視覚と聴覚に関する講義を総合する観点から、認知心理学についてお話します。認知心理学(cognitive psychology)とは、知覚・理解・記憶・思考・学習・推論・問題解決など、人間の高次の認知機能を扱う学問で、情報科学や脳科学とも相互に関連しつつ、現在の心理学の主幹を成しています。

尚、記事の後半では、議論の幅を広げる意味で、視覚・聴覚といった既知のセンサー以外のもの、すなわち「超心理学」についてもお話しています。

==第8回 認知心理学+|2020.06.17==
===文脈効果の事例===
* ◯◯◯◯◯◯、◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯、◯◯◯◯◯◯◯◯◯。
* ◯◯◯◯◯◯◯◯◯、◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯。
<br>
===私の不思議体験===
◯◯◯◯◯◯、◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯、◯◯◯◯◯◯◯◯◯、
◯◯◯◯◯◯◯◯◯、◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯。
<br>
<br>




1. 感覚・知覚・認知

はじめに、感覚(Sensation)・知覚(Perception)・認知(Cognition)の3つの段階について概説します。

1.1. 感覚

「感覚」とは、外部(あるいは体内)からの刺激に対する対象性のはっきりしない「感じ」のことです。聴覚で言うと音の大きさ・高さなど、視覚で言うと明るさ・色などがそれにあたります。この感覚については一般に、1次元刺激(音の大きさ・明るさなど)について、7±2 段階程度の弁別能力があるといわれ、また感覚の大きさは刺激の物理強度の対数に比例する(R = C log S)ということが知られています。

このような、物事を物理量で捉えるレベルの問題では、「機械の視聴覚」であるセンサーは非常に優秀です。我々は通常、「明るさ」を測ったり、「音の大きさ」を測ったりするときに、測定機器に頼ります。1次元刺激の弁別・評価に関して、正確さを必要とする場面では、人間は常にそれを機械に委ねています。

1.2. 知覚

「知覚」とは、受けつけた感覚刺激により構成される対象性のはっきりした経験です。聴覚でいうと時間的な刺激の配列関係である「旋律」や「リズム」が、視覚でいうと空間的な刺激の配列関係である「形」がその対象です。知覚は、刺激の関係性によって対象化されるので、物理量に変化があったとしても関係が同じならば同一のものとみなされます。例えば「キーが変わっても同じ曲に聞こえる」とか「長方形は斜めから見ても長方形とわかる」とか「明るさが変わっても一つの部屋を見間違うことはない」といったことなどが、それにあたります。

1.3. 認知

「認知」というのは、受けつけた知覚対象を記憶に照合して、自分の世界像における位置づけを行う、つまり「意味を付与する」段階です。感覚・知覚までは、他の生物でも見られる比較的低次のプロセスですが、認知のレベルは、「言語」や「文化」といった知識ベースも関与する人間特有の非常に高度なプロセスです。このレベルの処理は、他の生物や人工知能を持たない通常の機械には難しいものとなります。



2. ノイズ ・ かたち・ことば

私たちをとりまく刺激あるいは情報は、この感覚・知覚・認知という3段階の概念をもちいて分類することができます。まず、単なる感覚刺激に止まるものの例として「ノイズ(雑音)」、次にかたちの知覚に止まるものとして「リズム」・「旋律」・「図形」・「外国語」、そして最後に言語的な意味の認識にまで到達する「具体的な画像」・「映像」・「母国語」など。

2.1. 感覚レベルの刺激

まず感覚レベルまでの刺激情報について。一般に私たちは「純粋な感覚」というものを得ることがめったにありません。なぜなら大半の刺激はすぐに秩序化されて「形」として知覚され、またそれはすぐに言語的に認識されてしまうからです。したがって、このレベルの対象となり得るのは「ノイズ」のような対象化されない刺激か、あるいは「実験的芸術」に見られる「人間の自動的な『読み』を遅延させる」ようなものに出会った場合だけです。人にとって「秩序化して把握しにくいもの」、「言語化不可能な生々しさをもつもの」は、不快であると同時に新鮮であるという両義性をもっています。

2.2. 知覚レベルのカタチ

次に、知覚のレベルまでのものについてですが、例えば「外国語(その内容が理解できない場合)」は、「パターンをもつ音」として聴覚に、あるいは「規則性のある図形の並び」として視覚に与えられるもので、知覚レベルまでの対象となります。外国語による歌(Voice)は、他の楽器と同様に、純粋に声という楽器が奏でるメロディー(形)として聞こえてくるし、また例えば「英字新聞」は、英語を母国語としない人には、細かな図形が並んだテクスチュア模様に見えます(だから、包装紙としても違和感なく使えるのです)。秩序あるかたちとしては捉えられるのですが、言語的に何かを意味するわけではない(言い替えれば意味を求めようという欲求を生じさせない)純粋な「形」、そのようなものが知覚レベルまでの対象です。抽象的絵画や建築は、よく音楽に例えられますが、それも、それらを知覚レベルで捉えた場合の話です。

2.3. 認知レベルの意味

意味の了解にいたるレベルの情報の代表は「母国語」による文字や音声です。それらは見る・聞くと同時に、言語的な意味の付与にまで情報処理が進みます。私たちの脳は、処理効率・記憶効率を上げるために、その感覚・知覚レベルの情報を破棄(意識のレベルから除外)して、言語的な意味内容のみを意識し記憶します。内容は覚えていても、誰の声であったか、どんなフォントで書かれてあったかは覚えていない・・というのは、多くの場合にあてはまるのではないでしょうか。

さて、意味が付与されるレベルの情報として、やっかいな存在が「具体的な画像」や「映像」です。「像」はそれ自体では言葉や文字を含んでいないにもかかわらず、私たちはそれを言語的に了解しようとします。たしかに、そこに映しだされるものは、私たちの現実世界に存在するものであって「名付けられるもの」であるから、言語的に認識できるのですが、しかしスクリーンに映し出される「鳩」は、私たちが街で見かける「鳩」以上(以外)の何かを意味する場合があるし、同じ「鳩」のカットでも前後のカットとの関係でその意味する内容が変わってきます。「映像」は単なる現実のコピーとは違うのです。さらに、知覚される「形」が同じでも、その解釈すなわち認識のされかたが、見る人によって様々であることを考えれば、「映像」という情報は、それを受け取る場面で意味が生成するという性質のものだといえるのです。これは、記号の「形」や「配列規則」が同じであれば、一般的にその意味が一義的に定まる(と考えられている)「言語」とは大きな違いです。

2.4. 意識されにくい感覚・知覚情報

デザインを学んだ人であれば、ビジュアルデザインにおけるフォントの重要性を知っています。しかし、一般の多くの人はそのことに気づいてはいません。それは、フォントのカタチというものが、感覚・知覚レベルの情報であって、通常のコミュニケーションでは、意識に上ってこない(すり抜ける)からです。
 
多くの刺激情報に対して、私たちの脳は、感覚>知覚>認知と自動的に処理を進めており、最終的に意識されるのは「言語的意味」ということになります。しかし、意識に上ることのない感覚・知覚レベルの情報が、ヒトのコミュニケーションには大きく影響しています。情報を担っている搬送体(メディア)の色彩、音色、カタチ、手触り、・・あらゆる感覚・知覚情報が意識下においてコミュニケーションに大きく影響していることを忘れてはいけません。

3. 情報への「構え」

3.1. ボトムアップとトップダウン

情報処理に際し、刺激情報が目から脳へと上がっていくプロセスをボトムアッププロセス(データ駆動型処理)といい、逆に脳の知識ベースを利用して刺激を待ち受ける、つまり、上から下へ降りてくるプロセスをトップダウンプロセス(概念駆動型処理)といいます。

私たち「人」が情報の読み取りを行う場合は、ボトムアップがすべてではなく、自分の知識ベースを手がかりに「こちらから予測をつけながら情報を迎えにいく」というトップダウンが大きく関わっていると考えられます。

例えば、多義的に解釈可能な図形(ルビンの壷など)でも、人は「情報への構え」のありかたしだいで、無意識的に一つの「読み」を選択し、他の解釈を捨てます。また例えば、話を聞くという場合も、風景を見るという場合も、私たちは日常的な経験から、時間的に次にくる「音」や、空間的にその周囲に見えるはずの「形」を事前に予測できるのが普通であり、送られてくる情報を「こちらから迎えにいく」というかたちでスムーズに(ある意味では惰性的に)処理することができるのです。

カクテルパーティー効果という言葉があります。多くの人が会話する中でも、意識を向けた特定の人の声を聞き取ることができる・・というものです。これにもトップダウンプロセスが強く効いています。

さらに、遠くで会話する2人を双眼鏡でクローズアップして見ると、声まで聞こえる(正確には聞こえやすくなる)という例があります。視覚からの情報がトップダウン的に聴覚に作用して、話者の音声が分離しやすくなった結果と考えられます。

幼少期の知覚や、新しい環境での知覚では、ボトムアップ処理が必要になりますが、我々大人の日常生活においてはトップダウン処理が効くことによって、世界とのスムーズな関わりが実現されています(ちなみにトップダウン処理に大きく寄与しているのは「言語」)。足元をほとんど確認することなく、階段を登り降りできるのは、階段の段差への対応をトップダウン的に行っているからです。

3.2. 視聴覚の惰性化と日常性

私たちの世界は、日常的で予測可能な出来事のくりかえしであり、「予期せぬ出来事」というのはその言葉どおり非常に小さな確率でしかおこりません。たとえば、電車を待つホームにセスナ機がすべりこんでくるとか、机の引き出しを開けたら魚が泳いでいるなどということは、まずあり得ないことであって、もし日常がそうした予測のつかない事態の連続であれば、私たちのトップダウンは効力を失い、すべてを視聴覚のボトムアップに依存せざるをえなくなります。おそらく人はそのような状況に長くは耐えられないでしょう。

私たちはこの世界の日常性(予測可能性)ゆえに、情報の読み取りに際して部分的なボトムアップだけで状況を理解し、スムーズに世界に適応することができるのです。私たちの生活環境はトップダウンが機能しやすくなるように(つまり情報処理負荷が小さくなるように)デザインされています。一般にすぐれたデザインに対しては、私たちはその存在を意識することがありません。

しかし一方で、この日常性は、人とモノとの関わり、人と情報との関わりを惰性化させてしまうものでもあります。そのせいで私たちは、はじめて何かに出会った時の新鮮な感覚を失いつつあります。大人になるにつれ、物のもつ物質的・具体的な存在感は意識下にすりぬけ、それそのものの存在感を感じることがなくなってしまう。新鮮な感動を取り戻すには、その惰性化した認知プロセスをゆさぶるものが必要です。アートと呼ばれるものの中には、「おや?」と思わせるような非日常的状況を作り出すことによって、私たちの惰性化した認知プロセスを中断させ、ゆさぶりをかけてくるものがあります。

付記:Typoglycemia

以下の文章を(すばやく)読んでみて下さい。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の 
けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき 
その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は 
めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。

多分、意味は理解できたのではないかと思いますが、よく見て下さい。間違いだらけの文章です。私たちの脳は、視覚情報を正確に処理していません(ボトムアップ処理に関して手を抜いています)。トップダウン処理を機能させることで、全体を「惰性的」に読んでいるのです。

単語の語中の文字をバラバラにしたものは、文章を理解できる読者の
読解能力にほとんど、あるいは全く影響を及ぼさない。
実際に速読が可能な読者は、単語中の文字位置をバラバラにした文章を
A4サイズ1ページ提示されたとしても、4,5個の間違いにしか気づかない

G.Rawlinson,1976, The significance of letter position in word recognition
単語認識における文字の位置の重要性

文章を惰性的に読む大人はこの誤字に気づきにくく、逆に、文字を覚えたての子供たちは、すぐに間違いに気づきます。

芸術学部の学生さんの中には、誤字にすぐ気づいた方も多いのでは・・
常に新鮮な目で、現実を注意深く見ているということです。

MEMO:かごめかごめ
誰もが知っているこの歌。書き留めてみるとわかりますが、意味不明な言葉の羅列になっています。「夜明けの晩」、「鶴と亀がすべる」、「うしろの正面」・・そもそも「かごめ」とは? 私たちは、言語的意味の了解を阻むこの歌詞を「音のカタチ」すなわち知覚レベルの情報として意識・記憶しています。感覚>知覚>認識。意味が付与される手前で止まる音のカタチ(知覚像)。意味がわからない、トップダウンが効かない・・そこには純粋な造形行為としての「詩」が存在します。


3.3. フレーム・オブ・リファレンス

言葉・音楽・映像、私たちが様々な刺激情報を処理する際にトップダウン的に機能している意識の構えのことをフレーム・オブ・リファレンスといいます。日本語では「準拠枠」、「参照枠」あるいは「関係づけの枠」などと訳されます。

注)すでに「視覚の心理」、「聴覚の心理」の回で概説済みです。


3.4. 文脈効果

文脈効果とは「刺激の知覚過程いおいて、前後の刺激の影響で、対象となる刺激の知覚が変化する現象のこと」をいいます。人間は刺激の認知において、情報量が小さく、認知的負荷が少なくなる解釈を選択します。


3.5. 視聴覚の相互作用

人の視聴覚では、聴覚中枢と視覚中枢の区別はあるものの、音と映像の独立性は完全ではなく、感覚のレベルでの色聴現象をはじめ、優位なモダリティーへの統合、読み取り支援、干渉による異次元の感覚情報の生成など、様々な相互作用があります。私たちは、視覚と聴覚のこのような相互作用を、「あたりまえ」と感じていたり、あるいは気付いていなかったりするのですが、音楽や映像の制作においては無視できない問題です。

4. 記憶のモデル

人間の記憶には複数の領域・段階があり、それぞれ以下のように呼ばれます。

4.1. 感覚登録器

感覚登録器は、視覚で1秒以下、聴覚で数秒の記憶で、聴覚刺激・視覚刺激などの感覚刺激をそのままのパターンですべて記録するといわれます。瞬間的に目を見開いて閉じたときに「目の前の情景が焼き付いている」という感じがするのがそれです。しかしこの情報は次々に捨てられる運命にあります。

4.2. 短期記憶(作動記憶)

短期記憶は、感覚登録器の内容から知覚された意味のある情報を数分という短い時間の間記憶する領域です(同時に記憶できる項目数は7±2程度)。

短期記憶を発展させた概念に「作動記憶(ワーキングメモリ)」があります。これは短期的な情報の保存と処理をまとめた概念で、中央実行系、音韻ループ視空間スケッチパッドがあります。

余談ですが、コンピュータにおけるキャッシュメモリはこのワーキングメモリに例えることができます。今、関心のあることを、高速でアクセスできるメモリに置いておく・・というのは情報処理効率を上げるのに効果的な手法です。
机は大きい方がいい、デスクトップは大きい方がいい、スマホの画面では仕事はできない・・すべて同じことです。
参考:小さなワークスペースで作られたもの > 携帯小説

4.3. 中期記憶

中期記憶は、脳内の「海馬」に1時間から最大1ヶ月程度保持される(大半は9時間ほどで消滅する)記憶で、この間に複数回のアクセスを受けたものが重要なものとして「側頭葉」に送られ、それが最終的に長期記憶になると考えられています。

4.4. 長期記憶

長期記憶にはさらに、宣言的記憶(言葉で記述できる事実に関する記憶)と手続記憶(クルマの発進のしかたなどの手続きに関する記憶)との区別があり、宣言的記憶は、またさらに意味記憶エピソード記憶に分けられます。意味記憶は反復学習による体系的な知識ベースで徴標(どこで覚えたかという情報)のないもの、エピソード記憶は特定の時間・空間に関する具体的な体験の記憶です。ちなみに「記憶を失う」という場合は、大半がこのエピソード記憶の喪失です。

4.5. 記憶は「ホログラム」方式

人間の記憶は、コンピュータのメモリーのような「引き出し」に知識項目が一つずつ入っているというイメージでは捉えられません*1。詳細を後にして、先に一般的な事柄を述べると、「人」の記憶は、細胞イコール一つの記憶単位と考えるより、神経細胞同士の結合の「関係」が記憶の「構造」をかたちづくっていると考える方が、あらゆる点で説明がつきやすいのです。人間の記憶は、「複数の神経細胞が複数の事象についての情報を重層的に担う」という意味で、「ホログラム式の記憶である」ともいわれます*2

人間の脳の記憶は引き出し式ではなく、複数の細胞が複数の記憶に同時に関わっています。よって「思い出」のイメージも絶対とは言い切れず、時間とともに変質していると考えられます。

4.6. 記憶とは「関係」の記憶である

さて、こうした知見によれば、物事は一つ一つの項目としてではなく、「関係」として一挙に構造化されて記憶されているということになります(構造主義言語学のF・ソシュール(1916)も同じことを言っていました)。例をあげてみると、私たちは新しい言葉を覚える際に、反対の意味の言葉や、対になる言葉とともに「二項対立」的に記憶する方法をよくとります。これは単独の項目よりも二つの対立項目で記憶するほうがその関係の問題として記憶に位置付けやすいことを意味しています。さらに言えば、私たちの日常的な用語には単独では用をなさない「上」とか「左」とかいう概念があって、辞書の「左」の項には「右の反対」、「右」の項には「左の反対」と記されており、要するに関係の問題でしかない概念も多いのです。

4.7. 記憶の容量

コンピュータのような機械の記憶の場合、記憶が「引き出し式」であることから、容量というものが定まるのですが、人の「ホログラム」式記憶の場合は、どこまでが限界というものではなく、知識の構造化が能率的であればあるほど、より多くのことを記憶できます。人の脳細胞の数はほぼ同じで、実際にはその数%しか働いていないという報告とあわせれば、「頭のよい人」というのも「容量」の問題ではなく、知識の構造化がうまいかどうかの問題であるといえるでしょう。例えば、ある社会現象を説明するモデルが、過去に学んだ物理現象を説明する数式モデルと似通っていると気付いた場合、その知識はパラレルに重ねあわせながら記憶(既存の神経細胞の結合関係が流用)されるわけで、この場合の記憶は能率的です(実際、学問に興味をもった場合、このような学習の転移がおこることは多い)。ある分野について学習すると、異なる分野の知識の飲み込みも早くなるのはそのためです。

4.8. 記憶の正確さ

次に「記憶の正確さ」についてですが、「機械の記憶」は当然与えられた精度の範囲で正確に再現されるもので、なんらかの障害によって間違う場合は、もとの情報は見る影もないというのが普通です。一方、人間の記憶は、基本的な言葉の意味や日々の生活に関わる範囲では正確ですが、そうでない部分については、あいまいであるか、欠落しているか、まちがった記憶になっているかのいずれかです。これも結局は、記憶の構造が「ホログラム」式であることに由来するもので、新しい情報が記憶を再構造化する過程で、言い替えれば、神経細胞同士の結合関係があちこちで強まったり弱まったりする過程で、古い記憶に関する結合が弱まって薄れたり、あるいは別の記憶に関わる部分の結合関係を変えてしまったりするということで説明がつきます。

付記:進歩という幻想

最後に「進歩」という観念について。上述したことの繰り返しになりますが、新しいことを覚えるということは、過去の記憶の「関係」を修正することで、これはすなわち「何かを覚えるとき、気付かぬうちに何かを忘れている」ということを意味します。人は成長する過程で確かに新たな知識を蓄えていくように思えますが、これは「知識を確実なものにしていく」というということで、神経細胞のレベルで言えば「頻繁に駆動する一部の知識・思考回路に関してはその結合が強化されて、その他の結合は断ち切られていく」、簡単に言えば「頭が固くなる」・「思考がワンパターン」になるということなのです。

なにも知らない子供が、ユニークな発想で大人を笑わせたり、すぐれた想像力を発揮したりするのは、このことの裏返しといえるでしょう。その意味では「進歩」は幻想であり、人の社会化(大人になること)とは、あらゆる可能性の放棄の上に成り立っていると言うこともできます。一面的な見方で、人の脳に優劣をつけることはできません。




付録:超心理学
センサー(ESP)とアクチュエーター(PK)について





ESP  Extra-Sensory Perception

そんなものあるの?

日本語では「超感覚的知覚」。現状の結論から先にいうと、実験の結果は再現性に乏しく、実用的なレベルではないようです。しかし、多くの科学的実験が、実験群と対照群の間に統計的に有意な差が生じることを認めている*3・・というのもまた事実です。

かつて米国陸軍が本気で研究をしていましたが、実際のスパイ活動等を考えた場合、その正答率が実用性に欠けること、また冷戦が終結して、多額の予算を投じる政治的必要性がなくなったために、その研究は終了を余儀なくされたといわれています。

人間は視覚と聴覚に頼り切っているがゆえに、視聴覚的に捉えられる世界がすべてであると思い込んでしまいがちですが、他のセンサーの存在も否定できません(無いことを証明するのは難しい)。

例えば、魚の内耳は頭に埋まっていて外見には現れません。センサーは必ずしも、目に見える場所にあるとは限らないのです。

鯨はカバと同様の哺乳類(鯨偶蹄目)であるし、タラバガニはカニではなくヤドカリです。視覚的な「表現型」だけにたよっていると世界の本質は見えません。DNAという新たな概念の誕生が、生物の見え方を変えたのと同様、また別の概念の誕生が、世界の見え方を変える可能性は十分にあります。

五感では捉えられないものの存在

近代になって電磁力の存在が発見されました。それは物理的な世界の分析や制御に使えます。しかし、私たちには可視光線以外の電磁波を検知するセンサーを持ちません。その理由は、電磁波が食料の検知にさほど有効ではなかった、また、それを使って私たちを捕食する生物もいなかった、言い換えれば、視覚・聴覚・触覚などがあれば、生存には十分であったため・・と言えます。

つまり、生物のセンサーは、実用的なレベルで進化したのであって、その他の「力」が存在しないことを意味するものではないということです。

電磁力の発見は「人間のセンサーでは捉えられない力」の存在を証明したという点で非常に画期的なことであったと言えます。

外部センサーと内部センサー

生物のセンサーは、体外からの刺激を検知するものと、体内に生じていることを検知するためのものに分けることができます。

私たち人間についていえば、体外からの刺激を検知するのが、いわゆる5感。いずれも意識することができます。一般に外部へ向けられたセンサーは、捕食、天敵の検知、異性の検知といった目的から進化したものですが、ESPは5感を超えるものとして、やはり体外からやってくる(と思われる)刺激に対応するものとして考えられています。

一方、体内現象を検知するためのセンサーの存在については、それを「意識」することはありません。呼吸、血液の循環、消化活動・・いずれも煩雑な現象のセンシングが物理・化学的に行なわれていて、私たちはそれを意識することはないのですが、我々が今日まで生き延びたのには、その貢献度は偉大です。

ESPを無意識的なセンサー、体内的なセンサーに位置付けるという視点をもつと、何か新しい知見が得られるのかもしれません。



PK  Psychokinesis

そんなものあるの?

日本語では「念力」。事例としては存在を否定できないものも多いようですが、実験における再現性は低く、科学的に実証できないのが現状です。ユリ・ゲラーのスプーン曲げも、結局手品であったというのが通説ですが、ESPの能力が科学論文で公開された事実があるなど、真偽は定かではありません。

明治大学の石川幹人氏によると、PKの存在を仮定した場合、それを考えるキーワードは「無意識」と「社会性」であるといいます。

例えば、ポルターガイスト現象は、霊の力というより、その現場に関わる「人物(子供が多いそうです)」によるPK現象と考えることもできる。その人物が無意識的に抱えている問題が解消されると同時に、現象も無くなる(本人には自覚はなく、それを怖がっていた)・・という事例があるようです。

こっくりさんも同様、3人のうちの誰かの無意識が働いているのではないかと考えられています。本人には自覚がなく、場合によっては集団ヒステリー状態に陥る可能性がある点で「危険な遊び」なので、試さないのが賢明です。

TVや雑誌を賑わすポルターガイストの正体

現象の大半は、説明がついています。もちろん多くは報告者の自作自演、イタズラです。そうでない場合も、例えばラップ音などは、建物・配管の熱膨張・収縮、またガタガタ揺れる現象などは、人間の耳には音として聞こえない7Hz程度の低周波による共振現象として説明がついています。風もなく、音もないのに物が揺れるので、住人は不安になるのですが、低周波は発生源が様々あるのに対し、人間にはそれが感知できないため、物が共振を起こしてはじめて気づく・・多くの場合は、その振動の発生源が特定されています。

鉄筋コンクリートの集合住宅は意外に振動が伝わりやすいようで、1階の住人の洗濯機の回転振動が上層階の特定の部屋にのみ伝わるようなことも起こります。その際、周波数によってフィルタリングが起これば、元の音とは似て非なる振動音となります。

公益社団法人 日本騒音制御工学会には、そうした「不思議音」を解明し、住民の不安を解消すべく「不思議音分科会 」があり、建物で生じる様々な異音の解明に取り組んでいます。建物は基本的に音を発しないと思われがちですが、様々な要因でいくらでも異音は生じ得る・・と考えて生活することが賢明です。



Synchronicity

日本語では「共時性」「同期現象」。1950年代に深層心理学者のユングが提唱した概念で、「集合的無意識」という概念とも関係があります。それは複数の出来事を離れた場所で、同時期に生起させる原理で、従来の「因果性」とは異なる何かであると考えられます。

私たちは、現象というものを、個の意思・能力や、物事の因果関係に基軸をおいて考えがちですが、集団において起こることは、そうした個の「理由」とは無関係なのかもしれません。一個人の能力によるものではなく、心理的・社会的な関係において生じる同期的な現象。ユリゲラー個人の意思・能力がスプーンを曲げたのではなく、TVを見ていてそれが起こることを期待した集団の無意識が、各所でスプーンが曲がる現象を出現させた(これは科学的には実証できていませんが)・・そのように考えることも可能です。

感覚や運動能力というものについて、私たちはそれが個人(個体)に属するものとして考える思考に慣れていますが、未知のセンサーやアクチュエーターは集団に属するものかもしれない。こっくりさんも、3人の(うちの誰かの)無意識にある情報(本人たちも自覚していない)が集団的な同期において出現する・・そう考えると不可思議な現象も説明しやすくなるのかもしれません。

無意識の世界

超心理現象には、人間の無意識が大きく関わっていると考えられています。人間の脳活動のうち「意識」は氷山の一角にすぎず、意識下ではもっと大きな情報処理が行われていると考えられます。例えば体を動かす(走る、自転車に乗る、楽器を弾く)ことは、初期学習を終えるとほぼ自動化され、無意識に委ねられます。また例えば、催眠術というのも、まさにその意識下に働きかけるものです。

リアルな夢、夢の中で問題が解ける・・など、無意識領域には膨大なスケールのデータと処理機構があると思われます。それを司る器官は「脳」ですが、これだけ脳科学が進んでも、未知の領域の方が圧倒的に大きいのです。




Creativity

日本語で「創造性」。これは普通の現象のようにも思えますが、人間に特有の能力で、同種の生物であるチンパンジーから見れば「超能力」です。

アイデアが生まれる場所=3B。Bed、Bath、Bus。いずれも意識から無意識へと脳活動がバトンタッチされやすい場所です。再現が難しい超常現象はともかく、創造性の発揮という観点では、無意識領域の研究には十分な意義と実用性があるといえるでしょう。

科学的な発見は常識を疑うことから・・とはよく言われます。「意識」を解放して、無意識に耳を傾けるには、例えば「文法を無視した言葉の接続を行う」などの方法があります。アイデアを出す・・ということについて、無意識の存在を措定することは非常に重要です。

私の意識にはわからなくとも、私の無意識がすでに知っていることがある。
そういえば、ブルース・リーの有名なセリフに「考えるな、感じろ」というのがありました。



思考実験

PKが実用レベルで可能だとしたら社会はどうなる?

手を触れずに物を動かす・・これが個人の意識によってできるとしたら、世の中は激しく混乱するでしょう。極端な例でいえば「証拠を残さずに殺人が実行できる」ことになり、その捜査や裁判は混迷を極めることになります。

PKは、多くの人の前ではできないが、一人になれば、あるいは非公開の場であればできる・・という事例が多いようです(だから疑われるのですが)。「このような能力が公衆の面前で実行できるとなると人間社会が混乱する」ということから、ホモサピエンスという種の保存のために、何らかのブレーキが効いているのではないか・・とも考えられます(完全に個人の感想です)。

進化の観点からいえること

もし、私たちの感覚では察知できない能力(PK)を使うことができる生物(スペックホルダー)がいたとすれば、私たちはすでに淘汰され、それを察知できるセンサー(ESP)を持つ生物だけが生存競争を生き残っていたはずです。そして、生き残った生物はそうしたセンサーの存在を視覚や聴覚のように、自身の感覚のひとつに数えていたでしょう。しかし、一部の「見える」と主張する人を除き、私たちの多くは、そのようセンサーの存在を自覚できていません。ということは、それを使う天敵あるいは社会的な敵は存在していなかったか、ごく少数であったのだと考えられます*4

ESPにしてもPKにしても、それが他の生物との生存競争に大きく影響するほどの「目に見える」実用的な効果は持っていなかった・・と言えそうです。

ただ、センサーは「意識」的に現象を捉えるとは限りません。典型的なのは、体内に向けられた内部センサーです。捕食者は我々よりも大きいとは限らず、体内に侵入するタイプのものもあります。私たちの体内センサーは、これらに無意識レベルで対処しています。

私たちは、生命現象の一部しか知り得ていません。無意識の世界、体内で自律的に行われていること、それらについて創造的な思考をめぐらすには

など、「意識」がつくった様々な先入観を捨てる必要があります。
否定できないのであれば、可能性を考える。
超心理学には、そんな面白さがあります。




特設サイトにコメント

以下の2つの項目について、特設サイトにコメントをお願いします。


留意事項

参考

参考書籍 等


関連リンク


以上、第8回目の授業、これにて終了とします。
次回は、脳科学と人工知能についてお話します。




PAGES

GUIDE

DATA


*1 ひとつの細胞がひとつの記憶の単位になっているという例もあります。「顔細胞」や「手細胞」といわれるもので、「顔(目が必須)」や「手」という視覚刺激に対して特異的に反応するニューロンがあることがサルの実験で明らかにされました。「顔」と「手」は特別な存在なのかもしれません。
*2 ホログラムとは、3次元の空間情報を2次元の板に記録するものです。空間領域の情報を周波数領域の情報に変換して記録するため、板そのものには形は見えませんが、参照光をあてると像が再生します。板の一部(特定の周波数領域)が欠落してもボケる程度で情報が完全に消滅するわけではありません。あらゆるものが重層的に記録されるという意味で脳の記憶に例えられることがあります。
*3 覚醒時よりも睡眠時あるいは夢見に近い状態(無意識領域の活性が高い)の方が正答率が上がるようです。
*4 幽霊や呪いに人が殺せる・・それが実用レベルで起こるのだとすれば、我々はすでに滅んでいたか、あるいは、我々にそれに対処すべきセンサーが備わっていたはずです
*5 REM睡眠状態、つまり夢を見ている状態では、覚醒時と同様に活発な脳活動がありますが、運動能力の方はそれが機能しないようにスイッチが切られています。夢見の状態で体を動かせば怪我をする危険があるからでしょう。そのあたりは個体の生命を維持するための自然なプログラムであるといえます。
Last-modified: 2020-06-17 (水) 16:00:49