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Copyright

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Copyright とは知的財産権の一つで「著作権」と同義です。美術、音楽、文芸、学術など作者の思想や感情が表現された著作物を対象とした権利で、無断コピー、無断転載を防止する権利を主張します。

分類

著作権の効力の発生について

詳細は以下で・・

以下、よくある質問とその回答です。

Q. 雑誌・Webの写真等のスキャン・加工利用は?
元の写真が判別できない程度まで創作性が付加されたものであればOKですが、そうでなければ不可です。人物の場合も同様、元の被写体が特定できるものは不可。つまり、写真素材は自分で撮りましょう・・・ということです。

Q. コラージュ作品の素材に他者の著作物を利用は?
扱い方によっては、著作者人格権の一種である同一性保持権を侵害することになります。コラージュの素材には、著作権の消滅した古い画像のみに限って利用するのが賢明です。

Q. 「コカコーラ」などの商品が写り込んだ写真の利用は?
フリーライド(タダ乗り)といって、商品のイメージを利用して、ポスター全体を好印象にするような使い方は問題になります。有名ブランドの製品等は、写り込まないようにするのが賢明です。
補足:プロダクトプレイスメント
映画やTVの映像中に商品をわざと写り込ませる広告手法があります。この場合お金の流れは逆で、メーカー側が制作側に広告費を支払っています。

Q. 街並みや建築物などを自分で撮った写真の利用は?
屋外に恒常的に設置されているものの外観撮影利用は認められていますが(46条)、もの(有体物)には「所有権」という別の権利があります。所有権を理由に使用料の支払いを請求されるなどのトラブルもあるようなので、明らかにそれとわかる使い方をする場合は、所有者に確認をとることをお薦めします。
補足:エリアプレイスメント - 地域振興に活用する発想
アニメや映画では、その土地の景観・施設を舞台とすることが、地域の活性化(聖地化)に貢献することがあり、その場合、地域とのタイアップも可能です。本格的な映像制作の際は地域のフィルムコミッション等に問い合わせることになります。

Q. 非営利、無料の展覧会等で市販のCDで音楽を流すなどの行為は?
以下の条件を満たせば可能です。
・営利を目的としたものでない
・聴衆や観衆から上演に関する一切の料金を徴収しない
・実演家や口述者に報酬を支払わない
※結果的に集客につながる行為は営業目的とみなされます。したがって、商業施設のようなところでは問題になると考えた方がいいでしょう。

Q. 「モナリザ」など著作権が消滅している絵画の利用は?
使う画像が絵画の「複製写真」であれば問題ありません。原画を忠実に再現した複製物には創作性が付加されたとは評価されず、したがって、「複製写真」そのものは著作物とはなりません。ただ、もとの作品が彫刻等の立体物の場合は、撮影の際に様々な工夫がなされるため、彫刻そのものが古いものであっても、写真の方に著作権が生じます。

Q. ピクトグラムなど、簡単なグラフィックの利用は?
原則として、アイコンやピクトグラムは著作権法で保護されるものではないので、そのまま、あるいはアレンジして利用することが可能ですが、
商標登録されたアイコン等は商標法に抵触します。また、道路標識等も扱い方によっては、「誤解を招く」「事故につながる」など軽犯罪法に抵触することがありますので、注意が必要です。また同様に、平易な言葉の組み合わせでできるキャッチコピーも、著作権法上は保護の対象ではありませんが、不正競争防止法などに抵触する可能性があるので、やはり注意が必要です。

複製という行為について

著作者の不利益となるようなこと(権利を脅かすこと)はよくありません。ただ、「情報の複製」そのものは悪いことではありません。複製や伝達ができない孤立した「情報」には事実上「価値」がありません。生物の遺伝子のしくみを見れば明らかなように、情報は複製・伝達が行われる関係性の中において価値が見出されるのです。
 すぐれた著作物を活用することは文化の発展につながるもので、著作権法の趣旨にも反しません。「保護期間を過ぎたもの」や「複製と共有」を主旨とする著作物については、共有財産として積極的に活用すべきでしょう。

偶然か盗作か

著作権侵害に関するニュースでは「偶然」か「盗作」かということが問題になります。しかしそこには偶然でも盗作でもない「必然」がありうるという視点が欠けていることがありす。
 音楽に接していたら直感的にわかると思いますが、同じ音階・スケール・リズムをベースに作曲すれば、気持ちのいいフレーズというものは必然的に一定のパターンに収斂します。要素の組み合わせ自体が有限なので、過去のどの楽曲ともカブらないように作るというのはもはや無理な話です(ポピュラー音楽も、コード進行という「大枠」で考えれば、そのパターンは数えるほどしかありません)。西洋音階自体を再構築しなければ新規性の高い楽曲は生まれ難く、リメイクが多くなるのも当然です(ただ西洋音階には各音の倍音が簡単な整数比になるという物理的根拠があるので、これを再構築するといっても限度があります)。
 音楽に限らず、素材の性質をうまく生かすための試行錯誤を繰り返せば、ある一定のかたちに収斂して、自然に同じものができるという可能性が十分にある。偶然でも盗作でもない、つきつめた結果の「必然」もあるのです。

ちなみに、私は自分の書く文章にオリジナリティーがあるとはまったく思っていません。おそらくどこかの本で読んで頭に入れたストックフレーズをアレンジして文章にしているに過ぎない。文章が綺麗に流れるときほど、それは日本語という言葉、文法構造を反映してうまく収斂しただけのことで、自分の創作であるとは思っていません。当サイトの記事全般に言えることですが、私は著作権というものを主張しない立場です。




付記

欧米の考え方が幅を利かす現代社会では、知的財産権というものを無視して生きるわけにはいきませんが、日本人はもともと「作品=作者の創造物」ということに強いこだわりは持っていなかったようです。
 例えば「本歌取り」というのは、有名な古歌の一句もしくは二句を自作に取り入れて歌を詠むものですし、多くの名所図絵は構図を踏襲してつくられた経緯があります。今では「パクリ」といわれるものが、かつての日本ではそれが堂々と行われていた・・というより、そうした情報の複製・継承が積極的に行われていたともいえます。今日でも「二次創作」というのは多くの人の楽しみとなっていて、オリジナルの作者もそれを容認(作家によっては応援)しています。
 ここには、作者が自身のオリジナリティーについて強く自己主張しないという日本人の意識の特徴が表れているように思えます。
 一神教が支配する欧米人の感覚では、人間は「神」が自然界の頂点につくった存在で、その「偉い人間様」が作るものについては、作者が独占できる(他人がそのアイデアを使う場合は、作者に報酬を支払うべき)と考えるようです。明確な視点(絵画における透視遠近法)、明確な主語・・「私」を強く意識する文化圏では、必然的に「知的財産とはその個人の創造物である」と考えるようになるのかもしれません。
 一方で、視点が流動する絵巻物や浮世絵、発すると同時に話者を離れて言葉が宙に舞い上がる「言霊」の思想、コミュニケーションというよりは「ひとりごと」のような和歌や俳句、主語がなくても成立する日本語の会話。ゆるやかな境界で区切られる内と外、「アイデアはみんなで共有するもの」という感覚は、日本文化に共通のものなのではないでしょうか。私は小学校時代に先生から教わりました。「『俺の真似すんな』とか『真似するなら金払え』みたいなこと言うのは、とても幼稚ですよ」と。

もちろん欧米にも、そうした権利の主張に懐疑的な意見を表明する人がいます。フランスの哲学者ロラン・バルトは「作品とはさまざまなものが引用された織物のような物であり、それを解くのは読者である」と言いました(「作者の死」)、また「生き延びるためのデザイン(Design for the Real World - Human Ecology and Social Change)」)*1の著者 V.パパネックは「特許権と著作権のいまのシステムには基本的に誤りがある」という見解を示しています。

真似をしたら(似てしまったら)訴えられる。そうなると誰もが自由にものづくりを楽しむことができません。著作権侵害で訴えられるのではないかという不安から、多くの人が「ものづくり」をあきらめ、結果、ただ買うだけの「消費者」と呼ばれる存在に成り下がってしまいました。
 本来、人は誰もがデザイナーであり、自由にものづくりを楽しんでいいはずです。しかし知的財産権が幅を利かす社会においては、一歩出遅れただけで、その楽しみが奪われてしまう・・。先人としての作者には敬意を払うべきですが、後人の楽しみまで奪ってしまうのは、文化的に豊かであるとは言えません。

アイデアというものは(競って先に発表した)個人が独占するものなのでしょうか。著作権法は現代人に必須の知識ではありますが、単にそれを学んで従うだけではなく、そもそもなぜこんな法律が生まれたのか・・その歴史的経緯を批判的に捉える思考も必要であると思います。

そもそも HomoSapiens は、情報をオープンに共有する戦略によって、地球上に生き残った種ではなかったか・・・。

紙媒体やテレビ等のメディアの世界は、様々な資源(ハード)を必要とするがゆえに、作ること自体にお金がかかります。その意味では知的財産権を主張するのは仕方がないことかと思います。
 一方で、情報(ソフト)のみを純粋に扱うIT分野では、作者の考え方次第でオープンにすることができる。20世紀末、インターネットを活用した情報共有が進む中で Copyright の逆をいくCopyleft の考え方が登場しました。以後、ソフトウエアの開発は、クローズドな企業からオープンなプラットフォームへと大きくその開発の場を変えています。スマートフォンやパソコンのOS、Webサーバー、データベース、家電組み込みなど、オープンソースのソフトウエアは私たちの日常生活に欠かせない存在となっています。もはや、オープンソースを抜きにして未来を語ることはできません。インターネットの普及によって、人類が再びオープンな思想を取り戻しつつある現状を喜ばしく思います。



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*1 その著書は書店でも売られていますが、PDFで全文公開されています。
Last-modified: 2019-08-20 (火) 11:33:43