エントロピー
地球のホメオスタシスについて考える
地表のエネルギー問題は、実はよく考えるとエネルギーの問題ではなくエントロピーの問題であることに気がつかざるを得ない。周知の通りエントロピーとは、その物質の持つ「熱量/絶対温度」のことで、要するに物質の組成上の汚れの指標である。
栗本慎一郎「幻想としての経済」
デザイン行為における「いかに削ぎ落とすか」の重要性は、様々な言説に見られます。デザイン行為によって新たな秩序が作られる(エネルギーが使用されるとき)とき、それ以上に大きな無秩序が生み出されてしまいます(エントロピー が増大します)。つまり、重要なのは「何を作るか」よりも「何を捨てるか」であり、さらに言えば、それ以前の問題として「余計なものは作らない」という発想が必要になるのです。
エントロピー概論
エントロピーの法則
外部とエネルギーや物質の交換がない孤立系ではエントロピーは増大する
エントロピーとは、エネルギーと物質に関わる拡散の度合を示す指標で、熱量を絶対温度で割ったもの( Q / T )として算出されます。世の中には「エントロピー測定器」というものはなく、温度計で温度を測るようにそれを計測することはできません。つかみどころのない概念なのですが、これが結構重要なのです。
熱エネルギーは、高温の物体から低温の物体へ自然に移動しますが、低温から高温へ移動することはありません(それをするには外部からエネルギーを与える必要があります)。物質も同様、高濃度の場所から低濃度の場所へ自然に拡散しますが、逆方向へ濃縮することありません。このように、自然界における変化は「拡散する方向」に生じるのです。これを エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)と言います。
有名な「エネルギー保存則」は、時間が経過しても「エネルギーの総量は変わらない」というものです。では「エネルギーを大切に!」とはどういうことか。保存されるのであれば、永久に使えるのではないか。
ここで気づかねばならないことは、エネルギーの総量(全体の熱量)が一定だとしても、エネルギーの取り出しを可能にする「温度差」は、時間とともに拡散して消失する(エネルギーが散逸する)という事実です。エネルギーは「使える状態(エクセルギー*1)」から「使えない状態」へと不可逆的に変化するのです。 大切なのはエネルギーの「量」ではなく、エネルギーの「質」なのです。
エネルギーや物質は、使用可能なものから使用不可能なものへ、 秩序のある状態から、無秩序な状態へと変化する(覆水盆に返らず)
さて、これを地球環境の持続可能性に関係づけて考えてみましょう。
地球は、太陽からエネルギーの供給を受けて熱を宇宙へ放射しつつ定常性を保つ系であって孤立系ではないので、エントロピーが一方的に溜まり続けているわけではありません。しかし、人類が地下から掘り出した化石燃料を地表でエネルギーとして使うことは、地表面で生じている自然なエネルギーの循環バランスを破壊しています。さらに、重力に捕捉された物質に関しては、地球は「閉ざされた系」とみなされるので、物質のエントロピー は増大しつづけています。
つまり問題は、エネルギー資源が足りないということよりも、エネルギーの使用にともなう自然の熱循環の歪みと、物質のエントロピーが増え続けているということなのです。人類の持続可能性について私たちが考えなければならないのは、地球の熱循環を乱すような過剰な活動をどう抑制するかということ、そして、地球上に溜まり続ける物質のエントロピーをどう抑制するかということなのです。部分的にはエントロピーは減らせますが、それにはエネルギーが必要なので、その過程で結果としてより大きなエントロピーが発生します。これは不可避なことなので「抑制」しか手はないのです。「資源・エネルギーを大切に!」というのは、「地球の動的秩序を保つべく、エントロピーの大量発生を引き起こす資源・エネルギーの大量消費を抑制しましょう!」という意味で理解すべきなのです。
エネルギーに注目していても問題は解決しない エントロピーの増大に注目して、それを抑制する議論が必要なのだ
エントロピーとエネルギー
- 0・エントロピー
- 力学エネルギー
- 電気エネルギー
- 低・エントロピー
- 化学エネルギー(高品位)
- 高温熱エネルギー
- 高・エントロピー
- 化学エネルギー(低品位)
- 低温熱エネルギー
時間の門番としてのエントロピー
自然界の多くは対称性をもっているのに、なぜ時間は一方向にしか流れないのでしょうか。物理学における「時間の不可逆性」という前提が信じられているのは、エントロピー増大の法則があるからです。
以下、様々な観点から、上記の説明を繰り返しお話します。
CONTENTS
エネルギーについて
エントロピーをよりよく理解するために、エネルギーの概念を確認しましょう。
エネルギー保存の法則
力学的エネルギーである位置エネルギーと運動エネルギーについて「振り子の振動」を例に考えてみましょう。振り子が揺れるとき、位置のエネルギーと運動のエネルギーは相互に転換し、入れ換わっています。エネルギー保存の法則によれば、このときの「位置のエネルギーと運動のエネルギーの和」すなわち力学的エネルギーは一定であるはずですが、実際は、完全に元の位置まで戻ることはなく、やがて位置は最低に、そして運動も止まってしまいます。
なぜそうなるのか。それは、振り子の支点における摩擦や、振動子と空気との摩擦によって、力学的エネルギーが熱エネルギーに変わったことが原因です*2。つまり、エネルギー保存というのは、力学エネルギーだけではなく、熱エネルギーも含めて「全エネルギー」と考えることで成立する法則なのです。
さて、エネルギーが保存されるのであれば、熱エネルギーを力学エネルギーに戻すことで振り子は再び動くはずですが、残念ながらそれが自然におこることはありません。拡散した熱自体はエネルギーを持っていますが、そこから有用なエネルギーを取り出すことはできません(温度差があれば取り出し可能ですが、それには「系の外部」の存在が必要です)。
つまり、エネルギーの「量」は不変でも、エネルギーの「質」は落ちるのです。
可逆過程と非可逆過程
エネルギーの質を考えるには、変化が自然に元に戻る性質のものか否かを考えねばなりません。
- 可逆過程:理想振り子における位置エネルギーと運動のエネルギーの移動
- 非可逆過程:振り子における力学的エネルギーから熱エネルギーへの変化
可逆過程では時間の方向性はみられませんが(理想的な振り子は動画を逆再生しても違和感ありません)、非可逆過程では時間の方向性が存在します(というか時間という概念はそれによって生じています)。それは、エネルギーが散逸して、その質が下がるという方向です。
非可逆過程にある系では、時間の経過とともにエネルギーが熱となって拡散し、この状態を「熱平衡」と言います。私たちが生きている世界も、時間の方向性があるという点で、非可逆過程にありますが、自然界は「閉鎖系(孤立系)」ではなく、外部とエネルギーや物質を交換する「開放系」なので、熱平衡にいたることはなく、定常性を維持することができています(非平衡開放系)。
地球環境について
地球
エントロピーの増大則は、基本的には「孤立系」における法則で、地球のように外部とエネルギー交換する系にそのままあてはまるものではありません。
地球は、太陽から得たエネルギーを大気水循環を通して、再び大気上空から宇宙放射することによってエントロピーを処分する「熱機関」と言えます。大気を対流させ、雨を降らせ、あるいは、その水を標高に応じた位置エネルギーとして蓄えることで、定常生を保っています。
太陽光の大部分は、地表付近にある「平均15℃(288K)の熱だまり」に熱エネルギーを供給します。暖められた水蒸気を含んだ空気は対流によって上昇し、圧力低下(断熱膨張)しつつ、上空 5,000m 程度にある「-23℃(250K)の熱だまり」から熱エネルギーを宇宙空間に放射します。熱を失った水蒸気は雲となり、雨となって再び地表に戻ります。
地表の熱だまり(Ta = 288K)が受け取る熱エントロピーをS1とすると、
S1 = Q / Ta
上空の熱だまり(Tb = 250K)が宇宙に廃棄する熱エントロピーをS2とすると
S2 = Q / Tb
地球上の様々な活動で発生した熱エントロピーは・・
ΔS = S2 - S1
の分だけが宇宙空間に捨て去られることになります。
地球上の諸活動から発生する熱エントロピーが ΔS とバランスしていれば問題ありませんが、人類の活動が、地中の蓄えとしての地下資源を地表面でどんどん燃やす行為が地球上のエネルギー循環を破壊しつつあることは問題です。
さらに、忘れてはいけないことがあります。宇宙に廃棄できるのは「熱」だけで、重力に捕らえられている「物質のエントロピー 」は廃棄することができません。これを増やさないようにするためには、ゴミを増やさない>余計なモノは作らない・・という発想が必要になります。
物質の循環
エントロピーは、物質と熱とともに移動します。というか、そもそもそれは概念的「指標」なので、単独で移動することはありません。熱は高温から低温へと移動して循環することがないので、エントロピーの廃棄には「物質の循環」が必要になります。
地球上でその役割を担っているのが「大気」と「水」という物質の循環で、また、物質のエントロピーを処理するのが生態系の循環です。生態系の循環では、発生した余分な物質的エントロピーを以下のように処理する過程でそれを熱に変えています。
- 動物が植物を食べて解体する。
- 微生物が植物と動物の死体を分解して養分を土に戻す。
- 土からの養分で光合成により植物が育つ。
すなわり、太陽光・水・二酸化炭素・酸素を資源として、熱と廃棄物質を放出する循環系のなかで熱が発生している。このようなに、動物・微生物・植物の循環によって、物質のエントロピーは熱エントロピーに転化しているのです。
このような自然の循環過程においては、廃棄物問題は存在しません。人の糞尿などの生物系のごみであれば、農地に撒かれれば自然界の物質循環に組み込まれ、完全焼却されれば二酸化炭素と水蒸気として大気循環に組み込まれます。江戸時代までは、大半の廃棄物が循環して、また資源となっていたのです。
しかし今日、人類の活動にともなう物質は、自然界の循環過程には組み込まれていません。産業革命以後の人類の活動が作り出した廃棄物は、地表面における自然の循環過程には受け入れられないものが多く、処理できない廃棄物がどんどん蓄積されつづけています。
私たちの目に直接入るのは、身近な環境を外部とした「取り込みと廃棄」に関わる現象だけですが、その身近な環境自体も、その外側にある外部環境との交換が必要です。一般に「内側の環境」よりも「外側の環境」の方が大きく、その変化も遅いため、私たち個々の生命体はエントロピー増大の危機に対して鈍感ですが、「過剰」な生産と消費による内部エントロピーの増大スピードが大きくなると、外部環境への負荷は大きくなります。
いま、私たちが直面している危機はすべて、地表(バイオスフィア)における自然な循環システムを破綻させる「人類の過剰な活動」によるものだと言っても過言ではありません。環境問題は、私が置かれている半径3メートルのところから、解決していかねばなりません。
生命体
生命体も同様、それ自体にエントロピーの増大則はあてはまりません。生命体においては、エントロピーは増大することなく一定の状態を保っています(生きている間はその「秩序」が保たれています)。「生」とは、その「恒常性(ホメオスタシス)」が維持さてている状態で、逆に「死」とは、身体の秩序が保てなくなってエントロピーの増大に逆らえなくなることを意味します。
生命体が恒常的に存在できる理由は、それが外部とエントロピーを交換しているからです。環境が閉じていると、環境内のエントロピーは増大して「熱的死」を迎えてしまいますが、生命体はその外部に「環境」をもつ「開放系」の中にあることによって定常性を保つことができているのです(地球と同じです)。
エネルギーの概念も含めてお話しましょう。生命体は、外部からエネルギーを取り入れて暮らしています。しかし、生命体が内包するエネルギーはほぼ一定なので、外部から取り入れた分と同じエネルギーを外部に廃棄しているはずです。では、生命体が外部から取り入れているのは何か。答えは「低いエントロピー」です。生命体は低エントロピーのエネルギーや物質を取り入れて、高いエントロピーのエネルギーや物質を廃棄することで常態を保っているのです。具体的に言うと、生命体は、低エントロピーの良質なエネルギー(炭水化物など)を取り入れて、系の内部で化学反応を生じさせ、系に取り入れたものと同量の物質(二酸化炭素や水)と高エントロピーの劣化したエネルギー(熱)を廃棄している・・ということです。
水
地球にとって、生命体にとって、「水」は非常に重要な役割を担っています。
すでにお話したとおり、人類の存続を支えている循環するしくみは、太陽からの低エントロピーのエネルギーの取り込みと、宇宙空間への高エントロピーのエネルギーの廃棄であると説明できます。
植物は、低エントロピーのエネルギーを高エネルギーの低エントロピー物質(炭水化物)に変え、動物に提供します。そして動物は、高エネルギー・低エントロピーの物質と酸素を消費して、植物が利用できる形に戻します。
そして、その過程で発生するエントロピーを生命系外に廃棄すること、またそれを宇宙空間に熱放射することに貢献しているのが「水」という「低エネルギー・低エントロピー」の物質なのです。
生命体も定常開放系(散逸構造系)である点で同じ。外部から物質・エネルギーを取り入れて生理的な活動(消費)を行えば、高いエントロピーが発生します(もちろんその代表格は熱)。そして、そのエントロピーを体外に廃棄するのに必要なのが「水」なのです。ここまでの文脈に従えば、栄養を摂ることよりも、エントロピーを体外へ排出することの方が重要だと言えるでしょう。人は水なしでは生きていけない・・とは、そういうことです。
定常開放系においては、系内の「水」が循環することで、エントロピーの廃棄が行われ、動的な秩序が保たれているということは、非常に重要な知見です。生きている・・ということが(福岡伸一流に)「動的平衡」と同義であるとすれば、資源・エネルギーそのものよりも、その「流れ」が持続できているかということが重要なのだと言えるでしょう。
「水に流す」という言葉があります。科学的知識がなかった時代にも、賢者は「水の効用」について気づいていたのだと思います。
足りないのは「自然の浄化能力」
私たちの生産活動は、使用可能なエネルギー(エクセルギー)を使ってエントロピーを増大させています。狩猟採集の時代の暮らしであれば、発生したエントロピーは自然の浄化作用(自然界の循環過程)によって処理されていますが、産業革命以後のエネルギー消費は、その能力をはるかに超えた廃棄を伴うものです。つまり、現在の人類社会を維持するのに不足しているのは「自然の浄化能力」だと言っても過言ではありません。
それを一種の資源と見立てて「CO2排出量取引制度」や「環境税」なるものが商品のようにカネで取引されていますが、化石燃料のような「器に入れて所有できる」エネルギーと違って「自然の浄化能力」というものは「排他的所有」ができません。つまりそれは、排他的所有を前提とする市場の経済には馴染まない存在なのです。「自然の浄化能力」は「社会的共通資本」として、市場経済のしくみとは異なる方法で、守られる必要があります。
人間の活動について
経済活動
物理学の文脈と経済学の文脈では、エネルギーという言葉の意味に違いがあります。物理学で用いるエネルギーは、エネルギー保存の法則(第一法則)のとおり、変化の前後で保存され、決して無くなることはありませんが、私たちが経済活動に関して言うエネルギーとは、「使用可能」なエネルギーの意味で、それは「使えば無くなる」というイメージのものです。
では、経済活動において無くなっているのは何なのでしょうか。これを正確に言えば、エネルギーの「量が減っている」のではなく、エネルギーの「質が劣化している」ということです。経済活動におけるエネルギーとは電気や化石燃料のような「価値のあるエネルギー(エクセルギー)」であって、エネルギーを消費するとは、それを熱や廃棄物のような「価値のないエネルギー」に変えることを意味しているのです。消費されるのはエネルギーではなく「価値」です。そして、その「価値」こそが「低いエントロピー(秩序立った差異)」なのです。
経済活動も、生命体や地球と同じく、低エントロピーのエネルギーや物質を取り入れて、高エントロピーのエネルギーや物質を捨てています。
生産活動
生産活動は、資源・エネルギーを用いて、人類にとって有益な「製品」、すなわち「低エントロピーの秩序」を作り出していますが、しかし同時に、高エントロピーの廃物も作り出してしまいます。この過程においてもエントロピーの増大則を避けることはできないので、廃棄物を元に戻す(逆工場)とか、ゼロ・エミッション(ゴミ0)といった発想は原理的に不可能と言わざるをえません。
もともと地球の表面にはなかった(地球表面で循環しているものではない)化石燃料を掘り出して使用すれば、高・エントロピーの廃棄物が自然な物質の循環系を破壊し、生態系を傷つけてしまいます。拡散した高・エントロピーの物質(排気ガス)を回収するのは極めて困難であることは言うまでもありません。
日本は地下資源を大量に消費しています。地下資源の利用は最小限に留めるための技術の開発・・というか、そもそもモノを作らずに楽しむ・・という方向へと生き方を改める必要性を感じます。
リサイクル
環境問題対策として「リサイクル」が声高に叫ばれていますが、これも特効薬とは言えません。ガラスや金属などのリサイクルに適した材料であればまだしも、プラスチックのように様々な元素が合成されたもの、また、製造過程で様々な物が複合した製品は、リサイクルには適しません。リサイクルの過程における物理的・化学的な分離には(低エントロピーの)エネルギーが必要になるからです。
大量生産・大量消費は大量の廃棄物(高エントロピー)を生み出します。直接廃棄せずにリサイクルしたとしても、その過程でもエントロピーを増大させるし、最終的には結局廃棄物になります。
再利用しやすい材料、自然に土に帰る材料を使うこと、再使用を前提として製品の長寿命化をはかること、そして、もっと極端に言えば「製品=未来のゴミ」という視点に立って、モノを作ること自体を抑制することが必要です。
循環型社会形成推進基本法(2000)では、廃棄物に関する責任の所在を「排出者」のみならず「生産者」にも負わせていますが、それも「技術的に可能ならば・・」という努力義務的なもので、結果的には「埋め立て廃棄」のような問題の先送りができてしまう状況です。
つまるところ、廃棄を減らすには、「発生抑制(循環型社会形成推進基本法の用語)」しかないのではないでしょうか。大量生産・大量消費・大量リサイクルという20世紀的な経済活動を卒業し、生物としてのヒトの身の丈にあった「小さな循環」へと移行する必要を感じます。
ちなみに、モノを処理することなくそのまま使い回す「リユース(再使用)」は、生産抑制に寄与するという点では、歓迎されるべきです。
テクノロジーの外部費用
何かを作り出す際、その生産に直接関わる材料費や人件費以外に、それがもたらす副作用の処理に必要となる費用を外部費用といいます。一般に、テクノロジーの発展に伴って生じる外部費用は、テクノロジーによって生み出される利益よりも小さいと想定されているので、例えばそれが公害をもたらしたとしても、その処理にかかる費用は吸収できる・・と考えられています。しかし現実はそうではありません。
テクノロジー(+資源・エネルギー)によって新たな製品や仕組みが作り出されるときには、それによって得られる秩序(低・エントロピー)よりも大きな無秩序(高・エントロピー)がもたらされます。
新たなメディアが登場すれば、それがもたらす社会的な問題を解決するために、新たな法律とその番人が必要になる・・その負担は、メディアの収益が社会にもたらす利益よりも大きいのです。
特殊なテクノロジーによって、副次的に惹き起こされた無秩序な状態は 別のテクノロジーを応用すれば一時的に解決がつくことはつく。 ところが、解決を得たのはいいとしても、それに必ず伴うのは 以前にもまして大きな無秩序の出現である。 再び、ジャック・エリュールの言葉を借りよう。 「技術が連続して生まれるのは、それ以前の技術が、 必然的に次の技術を生まざるを得ないように仕向けているからだ」 ・・これこそ、(熱力学)の第2法則であり、それ以外の何ものでもない。
ジェレミー・リフキン, 1982, エントロピーの法則 p.110
薪(バイオマス)では足りなくなり、石炭を活用する。それでも足りなくて石油を掘り出す。そして原子力。古い燃料よりも新しい燃料の方が、エネルギーの取り出しにかかる手間とエネルギーは大きく、それに伴う外部費用も大きくなります。人類が農耕をはじめて、その環境収容力を拡大しはじめたことが間違いのはじまりでした。テクノロジーは未来を開いている・・と思われていますが、テクノロジーは、自らが生み出す無秩序(高エントロピー)を処理するために、さらに新しいテクノロジーを生み出さざるを得ないのです。つまり文明は負のスパイラルの中にある・・という認識が必要です。
分散型の社会へ
大量の資源を使い、大量に生産し、大量に消費する。モノを地球規模で移動させることは、生産地・消費地、そして廃棄地の環境に大きな負荷を与えています。
エントロピーの増大を抑制するには、物質循環を崩壊させるグローバリゼーションでなく、地域におけるモノの循環を基本に考えることが必要です。
地域社会の停滞には、政治・経済的な問題もありますが、すべてがグローバルに日常化したこと、すなわち、ポテンシャルの差異が消失し(エントロピーが増え)たことにも原因があるのかもしれません。
農・林・漁業など、太陽と水と土を使った自然の循環による小さな経済活動、すなわち地域社会をベースに暮らしをデザインすることが必要です。
> SocialDesign
APPENDIX
エントロピーの物理的定義
エントロピーという言葉は、クラウジウス(1865)が命名したもので、ギリシャ語の「変化容量」を意味する言葉に由来する「状態量」の1つです。
絶対温度Tでの準静的等温変化で微小熱量dQを吸収したときの 系のエントロピーの増加dSは dS=dQ/T で与えられる。
高温の物体 A と低温の物体 B を接触させた場合の熱拡散の場面で、エントロピーの変化について説明すると・・
- 熱が高温から低温に流れる際、熱Qの移動にともなって、S=Q/T で表わされるエントロピーも移動します。高温の物体 A は、熱Qとともに、Q/Ta のエントロピーを失います。
- 一方で低温の物体Ty は、熱Qを得ると同時にQ/Tb のエントロピーを得ます。
- 物体AとBを全体として考えると、移動した熱は同じでも、エントロピーという指標は増大しています。
開放系について
熱力学では、外界とのエネルギー移動の観点から以下のように系を分類します。生物は熱力学的には「開放系」で、ホメオスタシスはこれを基礎としています。
- 開放系(Open system)
外界との間で物質の移動、及び仕事や熱によるエネルギーの移動を許す系。
- 閉鎖系(Closed system)
物質の移動は許さないが、仕事や熱によるエネルギーの移動を許す系。質量保存の法則が成り立ちます。
- 断熱系(Adiabatic system)
物質の移動、及び熱によるエネルギーの移動を許さないが、仕事によるエネルギーの移動を許す系。
- 孤立系(Isolated system)
物質の移動や熱、仕事、つまり、あらゆるエネルギーの移動を許さない系。質量保存の法則に加えて、エネルギー保存の法則、エントロピー増大則が成り立ちます。
閉じた系のエントロピーは増大し続けて、最終的にエントロピー最大の無秩序状態になってしまいます。一方で、物質やエネルギーの出入りが可能な系では、秩序形成、時間振動、カオス、乱流など、様々な運動現象がみられます。生命現象のような「活気」・「自発的な秩序形成」は、それが「開放系」であることが前提です。
REM睡眠
精神活動においても、情報を溜め込む(知識を体系化する)過程で発生するエントロピーを廃棄する必要があります。REM睡眠時に生じている「記憶の整理」は、夢という宇宙空間にエントロピーを廃棄する作業・・と例えられます。
参考文献
- エントロピーの法則, 1982 ジェレミー・リフキン(竹内 均 訳),祥伝社
- 栗本慎一郎, 幻想としての経済, 1984, 角川文庫
- 宇沢弘文, 自動車の社会的費用, 1974, 岩波新書