情報学
Informatics
情報の概念
情報科学的定義と社会科学的定義
情報とは何か?を語る際は、それが工学的な文脈なのか、社会学的な文脈なのかによって、話は大きく変わります。
- 情報科学における情報
物質=エネルギー・情報といった文脈で、情報量を数学的に定義したもので、コンピュータやネットワーク技術の基盤概念となっています。
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- 社会科学における情報
私たちが社会的な意味で「情報」という言葉を使うときは、数学的な情報量というより、その意味内容が問題になります。以下、詳しく考えてみます。
情報の4つのレベル
社会学者の吉田民人氏は、「情報・情報処理・情報化社会」の中で、情報というものに4つのレベルを設定しています。
- 1. 最広義の情報:物質=エネルギーがつくりだすパターン(風紋)
- 2. 広義の情報:生命現象に関わるパターン(DNA、動物の足跡・・)
- 3. 狭義の情報:人間社会における恣意的記号(言語)がもたらす意味
このレベルの情報は、認知・指令・評価などの機能を持ちます。 - 4. 最狭義の情報:伝達・記憶される記号の形式・内容(データ)
社会科学的な意味での「情報」は、3.の「狭義の情報」に該当します。
情報科学が扱う「情報」は、4.「最狭義の情報」に該当します。
パターン
「情報とは何か」を語ろうとすると大変ですが、「情報とは何ではないか」という問いに変えれば、それは「物質=エネルギーではない」と答えることができます。その意味で、物質=エネルギーの差異がつくりだす「パターン」とは、物質=エネルギーそのものではないという点で、広義の「情報」と言えそうです。ちなみに、物質=エネルギーの流れが作り出す「散逸構造」は生命の起源でもあり、この広義の情報は、生命以前の存在?と言える最広義のものです。
生命現象に関わるパターン
物質=エネルギーの流れが作り出すパターンが当該生物にとって知覚可能あるいはその代謝や生殖に影響を及ぼすパターンである場合、それは「当該生物において」何らかの意味・価値をもつ情報となります。自然界に様々なパターンが存在すると仮定しても、それをパターンとして、意味ある情報として捉えるか否かは、生物種あるいは個体によって、さらにその状態によっても異なるので、この「広義の情報」は、基本的には「観測者において成立するもの」と言えるでしょう。観測者に先立って情報が存在するわけではない・・ということです。
生命・生物現象においては、以下の情報が原初的に重要なものとなります。
- 1. 遺伝情報:生物をかたちづくる設計図
- 2. 代謝情報:生物の体内にあって生体維持に関わるホルモン
- 3. 神経情報:神経回路を伝わる電気的パルス
ちなみに、私たちの「心=心的なシステム」は、代謝情報(身体的な気分)の影響を受けつつ、神経情報によって動的に秩序化されたもの・・。心的システムは、物質=エネルギーの移動をともなう状態の変化そのものと言えるでしょう。
社会情報
社会性のある(ように見える)生物は、スキンシップのみならず、音声を用いたコミュニケーションで群れを秩序を維持しています。環境世界を分節し、意味・価値を喚起する方法は集団ごとに異なりますが、この「言語」に代表されるものが、狭義の情報であり、社会的存在としての生物にとって非常に重要なものとなります。
特に人間の場合は、単語を並べるだけでなく、人称や時制といった文法ルールを発達させたことで、言葉だけで「架空の物語(神話)」を作ることができるようになりました。「今ココ」という文脈が明確な場面では、文法なきカタコトの単語羅列でも、何がしたいのか、何をして欲しいのかが通じますが(類人猿との会話や、ピジン語はこのレベル)、「昔々あるところに・・」的な話になると、聞き手の脳内に喚起される対象の位置、時間経過、因果関係などを明確にするために、高度な文法ルールが必要になります。
音声は時間とともに流れるので、絶えず何らかのズレが生じます。音声コミュニケーションは、その意味で常にシステムがアップデートされていきますが、小集団が統合されて国家のような大きな規模になり、安定的な富の「管理」が必要になると、規範を安定的に維持する仕組みが必要になります。言語を外部に固定する「文字」の登場です。文字を定め、社会のルールを教育を通して組織の構成員に浸透させる・・。「語り」によってゆるやかに維持されていた共同幻想は、文字(成文法)の登場によって、強固な制度として立ちはだかることになります。
私たち人類は、生の自然からの刺激を情報源としてこれに適応しているのではなく、母国語というフィルター越しの情報環境を生きる存在になったのです。見事な「お話」に洗脳されてしまう人が多いのはそのためです。この仕組みに気づけば、大人に騙される事案はかなり減るのでしょうが、「考えるな・覚えろ」的な教育を受け続けた現代人がこの呪縛から逃れることができるのかどうか・・。
機械情報
記号から意味を捨象して、記号それ自体の伝達や記録を扱うのが「機械情報」の世界です。コンピュータにとっては、文字が担う意味や価値は関係なく、アルファベット1文字は8ビット・・というように等価で計算可能な対象としてそれを扱います。AIによる自然言語処理 も、意味を理解して文章を作っているのではなく、大量の文章データを機械的に学習した確率モデルによって、確率的に頻度の高い、それらしい文字列を生成している・・というものです。
現代社会では「情報は安定・不変なものとして扱える」・「情報は多ければ多いほど良い」・「情報は媒体とともに排他的に所有できる」といった、機械情報的な感覚が強く効いているように思います。
しかし、我々人間にとって重要なのはそれが担う意味・価値の部分で、情報量と単純に相関するものではありません。情報のデザインや、情報環境のデザインを考える場合は、単にコンピュータが扱う情報という狭い捉え方ではなく、社会の中で「動的に共有されるもの」としてそれを捉える必要があると思います。
参考文献
- 吉田民人, 自己組織性の情報科学, 1990, 新曜社
- 西垣通, こころの情報学, 1999, ちくま新書
- 川野洋, 芸術・記号・情報, 1982, 勁草書房