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MovieEditing のバックアップ(No.1)


映像編集


はじめに

ここに記載している内容は、商業映画やTVドラマなどで「物語」をわかりやすく視聴者に伝える(つなぐ)ための一般的なセオリーです。

本来、映像の世界は広く深いものであり、実験映画、ビデオアート、ミュージックビデオなどの映像制作における「編集」においては単に「物語をつなぐ」というレベルを超えた思考が求められます。映像をそうした幅広い観点で考えれば、映像はつながらなくてもいいんです。

でも、とりあえず、ふつうにつなげてみたい…。というのが映像を学びはじめた学生さんの本音だと思います。ここでは、商業映画やTVドラマのように、ふつうに「つなぐ」ための、いくつかのヒントを提供します。




古典的ハリウッド

素人の映像作品とプロの映像作品が明らかに違って見えるのはなぜ?

それは、「高価な業務用カメラで撮影している」とか「役者がプロ」といったことが原因ではありません。最大の秘密は、素材の「編集」の仕方にあります。

映像制作には絶対的な原則はありませんが、我々が商業映画やテレビドラマで目にする大半の「物語映像」は、ハリウッド映画が培ってきた編集技法を基礎として制作されています。視聴者がスムーズに状況把握できるような空間説明、主人公の行動の動機の説明、原因と結果の関係を基礎にショットをつなぐこと。プロとアマチュアの映像の違いの大半は、このような視聴者への配慮の有無で生じています。

ここでは、一般的な物語映像の編集に関わる古典的ハリウッド映画のキーワードと関連する参考文献を紹介します。

古典的ハリウッド映画とは

Classical Hollywood cinemaとは、1917年から1960年代にかけてのアメリカ・ハリウッド映画が培った、映画制作における表現手法(の集成)を指す用語で、現在の映画や、TVドラマにおいては、映像表現上のいわば「慣習」として制作者と視聴者との間に共有されているものです。以下の文献はそれを解説した代表的な書籍です(残念ながら邦訳はありません)。
The Classical Hollywood Cinema.
Bordwell, David; Staiger, Janet; Thompson, Kristin (1985).
New York: Columbia University Press.


Shot / Scene / Sequence

Continuity Editing / Invisible Editing

物語映像では、視聴者を物語の世界に没入させるべく、編集行為自体を目立たなくすることが求められます。コンティニュイティー・エディティングとは、視聴者に編集点を感じさせない、滑らかな接続を目指す技法全般を指す言葉です。
ちなみに「絵コンテ」の「コンテ」は、コンティニュイティーのことです。


Action & Reaction / Question & Answer

物語映像の編集では、ショット間の接続は一般に「何らかのアクションと、それに対するリアクション」という関係でなされます。投げる>打つ、撃つ>倒れる、ボタンを押す>爆発する・・など、アクションとリアクションの関係が成立するようなショットを接続すると、本来は無関係の素材であっても、それらはつながって認識されます。

「疑問と謎解き」も同様で、最初のショットが疑問を呈するもので、次のショットがその解答となるようなものであれば、両者は関係があるものとして、つながって認識されます。

Parallel Editing / Cross Cutting

平行編集(クロスカッティング) とは、例えば、テロリストが爆弾を仕掛けていくシーンと、警官がその現場を探し歩くシーンを交互につなぐなど、異なる場所で同時に起きている複数の出来事それぞれのショットを交互につなぐ手法です。追うものと追われるものの関係を描く際などで、緊張感のある演出効果が得られます。


Match Cut

ショット間に「一致」する関係をつくる手法です。特に「視線の一致」を利用した「視線つなぎ」は、編集の大半を締めるといっても過言ではありません。

Jump Cut

ひとつながりのショットを、時間を飛ばすようにつなぐ編集。違和感を演出する場合には効果がありますが、一般的には避けられる編集方法です。

180°System ( Imaginary Line ) 

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180°ルールとは、例えば、二人の会話シーンを撮影する場合、二人の人物を結ぶ線のどちらか片側のエリア、つまり 180° の範囲を超えて撮影してはいけない・・という編集上の作法のことです。二人を結ぶ線のことを、イマジナリーラインと呼び、「イマジナリーラインを超えてはいけない」などと説明されます。これは、会話シーンを構成するすべてのショットにおいて、人物の左右の位置関係を保つため、またステレオ音声において話者の左右の関係を維持するため(視聴者の空間認知を混乱させないため)の配慮です。
画像出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:180_degree_rule.svg

Multi(-Angle) Camera / Multi Coverage

マルチカメラ / マルチカバレッジ とは、複数のカメラで同時に撮影して、最終的に各カメラの映像を、時間が連続するように編集する技法です。スタジオ収録におけるスイッチングと同じで、基本的に被写体の動きの連続性が担保されるため、自然につながって見えます。フィルムで撮影していた時代は、複数のカメラを同時に回すというのは非常に贅沢なことでしたが、現在では、低予算の映画でも可能な手法になりました。

Establishing Shot

エスタブリッシングショットとは、シーンの全体状況を説明するショットのことで、視聴者にとっては、個々のショットをスムーズに認知するための、重要な文脈情報となります。
YouTube:Establishing Shot
http://en.wikipedia.org/wiki/Establishing_shot

ちなみに「俳句」は、連歌 > 俳諧連歌 > その発句を独立させたものですが、それは、後の物語の場所と時間(季語)を概説するエスタブリッシングショットだとも言えます。

Size / Position / Angle

撮影時のカメラのコントロールに関するワードです。

補足
これらの用語は、映画の撮影現場で生まれ、各所へ伝播して利用されているもので、現場によって、また文献によって、同じ単語が異なる意味で使われていることもあります。厳密に定義された学術用語とは性質が異なります。



映像をつなぐ要因

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映像が「つながる」といっても、様々なケースがあって、ショットとショットの接続、シーンとシーンの接続、それぞれに、心理的なつながりのレベルを分けて考えることができます。以下、まずは分類上の用語を確認します。

以下、右の表の内容について順に概説します。



ショット間接続 | 要因

ショットとショットの接続は、視聴者の意識に「見えるもの以上の意味」を生み出します。例えば「人物の視線」→「事物」の順に構成すると、「人物が事物を見た」あるいはさらに「人物が事物を欲しがっている」など、実際には「人物の顔」と「事物」しか映し出されていない にも関わらず、見る人の意識にはそれ以上の関連づけが生じます。ショットをつなぐ場合には、それが「見る人にどう見えるか」を考えながらつなぐ必要があります。

継時的にショット間がつながる要因には、以下のようなものがあります。

1. 因果関係

人は様々な物事を「因果関係」として結びつけて理解したがる生き物です。2つの出来事をバラバラで記憶するより、「ああしたからこうなった」というかたちでまとめて理解する方が「経済的」に記憶できるからです。したがって、因果知覚が生じるようなショットの組み合わせであれば、別の場所で起こった、何の関係もない出来事同士であっても、見る人の意識の中には勝手に「つながり」が生じます。例えば「手を振る動作」と「爆発」をつなぐと、大半の視聴者は、「手を振る動作が原因となって爆発が引き起こされた」という解釈をします。ショット接続の大半がこの因果知覚を利用しています。

2. 空間性

3. 時間性

4. 予備知識・構え

個々のショット間の接続技法ではありませんが、以下の概念は、ショット間の接続をスムーズにする(スムーズな理解を促す)ことに大きく貢献します。

ショット間接続 |心理レベルによる分類

ショットとショットが「つながって見える」ためには、以下の3つの認知レベルについて、それぞれ配慮が必要となります。

1. 感覚レベル

刺激が脳に伝わって情報処理される、そのプロセスにおける最も初期の段階が「感覚」です。私たちは、ほとんどの刺激を瞬時に言語レベルで認識してしまうので、「感覚」のレベルを意識することはめったにありません。あえて言えば、「ノイズ」のようなもの・・これは、形として知覚されることもなく、したがって、意味が与えられることもない、純粋は「感覚刺激」として感じられます。

このような低次の心理レベルでも、以下のような「一致」がなければ、映像の「つながり」は阻害されます。低次であるがゆえに、絶対的な一致が必要であるとも言えます。TVドラマを見ていてCMになるとそれにすぐ気づくのは、画質、輝度、音質、音量といった感覚レベルの違和感があるからで、逆にいえば、感覚レベルの差異がないことが、つながりを維持するための必要条件となります。

2. 知覚レベル

感覚レベルの刺激から「形」や「メロディー」といった心理的なゲシュタルトが浮かび上がる段階が「知覚」です。大半の「知覚」現象は、言語的に意味を与えられてしまい(認識レベルへ上がってしまい)、それ自体を意識することは少ないのですが、例えば、言葉で表現しにくい図形や、音のシーケンスとしてのメロディなどは、純粋な知覚現象として把握されます。逆に「文字」のような視覚刺激は「形」が知覚されるとすぐ言語的に理解されてしまうので、その「形」を意識することはあまりありません。現に今、あなたも、この文章の内容(認識レベル)を読んでいるので、どんな形のフォントであるかということは、ほとんど意識していないでしょう。

このような知覚レベル、すなわり言語的理解以前のレベルでは、以下のような空間的な位置、方向や、時間的な動きの一致が、映像のつながりに影響します。映像編集における最も重要な部分です。

3. 認識レベル

言語的理解のレベルです。視覚刺激が言語的に理解されると、視聴者の脳はその知識ベースを働かせて、かってに様々な関係づけを行います。当然、関係づけしやすい被写体同士(例えば、男と女)であれば「つながり」は強く、関係づけしにくいもの(例えば、ジャンボジェットと豆腐)であれば「つながり」は弱くなります。関係づけしやすいか否かは、視聴者がどのような知識ベースを持っているかに依存するので、作り手にとっては、コントロールしにくい部分でもあります。

シーン間接続 | 要因

シーンは混乱しないように明確に分離する必要があります。視聴者から見れば、シーンには、「昼/夜」・「 屋外/室内」といった大まかな区別しかありません。したがって、昼の室内から昼の別の室内へとシーンを変えるような場合、視聴者が混乱しないよう工夫する必要があります。シーンとシーンは基本的に時間と場所が異なるので、様々なつなぎ方が可能です。

フェードイン・アウトなどの利用

フェード(ディゾルブ)というのは漸次的にショットが切り替わる処理なので、当然のことですがバラバラには見えず、何らかの「変化」としてつながりが感じられます。

「類似」や「因果関係」で関連づける

様々な「ブリッジ」を用いる

ブリッジとは、直接つなぐと混乱しそうな2つのシーンを、橋渡しのための映像を挿入することで、緩衝材にすることを意味します。

並行編集による複数シーンの同時進行

一般的な場面転換とは異なりますが、同時に起こる2つのシーンを交互に繰り出すもので、各シーンの時間省略にも有効です。



シーン間接続 |心理レベルによる分類

シーンとシーンが「つながって見える」ためには、ショット間場合と同様に3つの認知レベルについて、それぞれ配慮が必要となります。

1. 感覚レベル

2. 知覚レベル

3. 認識レベル

音について

映像は時間を伴うものであり、通常そこには音が付随します(あるいは音とともにあります)。映像に音楽を付けた経験のある方であれば、だれでも直感的にわかると思いますが、映像にとって音は非常に影響力の大きな存在で、それは、ショットとショット、シーンとシーンを滑らかにつなぐ効果を持ちます。

映像に関わる「音」の3つの区分

音と映像の関係

フレーム内の音(インの音)は、実際にはスピーカの位置から出力されていますが(つまり音源は画面の中にはありませんが)、私たちは「その場所から音が聞こえてこない」ということに違和感を感じません。人物の声は、映像に映し出されている人物の口の部分から出力されていなくても、視聴者は違和感を感じないのです。この事実は、普段は意識されませんが、視覚情報の優位性を物語るものとして認識しておくべきだと言えるでしょう。

アフレコ(アフターレコーディング)についても同じです。多くの音(セリフ、足音など)は、アフレコによって映像に後から付けられていますが、口の動きとのズレは、よほど大きくない限り、違和感を感じません。また、複数の人が階段を降りる足音などは、同じような状況で録音した音であれば、違和感を感じることはありません。つまり、そうした音は完璧に映像にシンクロさせて録音をする必要はなく、既製品の音源素材でも構わない・・ということです。

これらのことから、我々は、視覚像優位の情報処理を行っていることがわかります(つまり、音の発生源を視覚像の位置へと調整して映像を見ている)。

音楽と映像の関係

ミュージックビデオの例を持ち出すまでもなく、音楽の存在は映像にとって非常に大きな影響を与えます。BGMとして音楽が付くだけで、映像の見え方は大きく変わるし、極端な場合、映像だけでは「わけがわからない」状態のものであっても、音楽とセットになることによって、全体がなんとなくつながって見えてしまう・・音楽とはそれぐらい大きな存在です。




補足

他動詞と自動詞

アクションとリアクションは、他動詞(目的語を要する動詞)と自動詞(目的語を必要としない動詞)の関係で考えることができます。以下の例のように、言葉の上でも、他動詞→自動詞の順に接続された場合に、2つの動作につながり(因果関係)を感じます。


映像と小説

認識レベルの接続は「小説の書き方」にも通じます。

少女は見上げた。空には白い雲

と書けば、主述関係を明示しなくても「少女が白い雲を見た」と解釈されます。

一方、知覚レベルの接続の問題は「小説」では問題にならない映像特有のものです。例えば、2人の会話で、「どちらが右にいるか」や「何色の服を着ているか」は小説では問題になりませんが、映像では「一致」させる必要があります。

映像にはできない表現

映像には、そもそも「接続詞」がありません。「しかし」、「または」、「なぜなら」といった意味でショット間をつなぐのは不可能で、また、言語では可能な以下のような表現も、映像で表現することは不可能です。

そもそも「つながる」とはどういうことか?

プレグナンツの法則(情報をまとめようとする知覚の特性)を知れば明らかなように、人間はあらゆるものをつなげて(関係づけて)見ようとしています。おそらくあらゆる情報要素間において「つなぎ」は自然に生じてしまいます。むしろ「切る」ことの方が難しいのかもしれません。

物語映像制作の留意点

架空の空間構造を、見ている人にわからせる

映画やドラマでは、街の中に見える建物の位置関係や、建物の中の部屋どうしの位置関係がなんとなくわかるのではないかと思います。平面図を見たわけでもないのになんとなく位置関係がわかるのは、個々の映像断片と、それらをつなぐ人物の移動方向が、視聴者の頭の中に架空の空間イメージを形成するからです。しかし、これは送り手が、うまく考えて編集しないと、スムーズには形成されません。一般に素人の作品には、この部分への配慮がないために、見る人が空間構造を理解できずに、「結局どういう状況なのかよくわからない」ということになってしまうのです。

シーン冒頭にエスタブリッシングショット(被写体の位置関係を示す全体像)を入れたり、人物の位置関係が混乱しないように180度ルールを守るなど、ショットの編集について基本的な技術を知ることが必要になります。

作り手の頭の中にある世界の構造(空間スキーマ)は、見る側の頭の中にはありません。撮影しているあなたは、個々の被写体の位置関係を知っているけれど、 視聴者はそれをまったく知らないのです。

視聴者の頭の中に形成されるのは現実の空間構造ではなく、個々のショットから想像的につくりだされる架空の空間構造である・・ということをしっかりふまえておきましょう。

撮影現場を知っていると、それが架空の空間世界の編集の妨げになる場合があります。そういう理由もあって「編集者は撮影現場には立ち会わない」ということも一般的です(現場の苦労を知ってしまうと、フィルムを捨てられなくなるから・・という理由もありますが・・)。


疑問を持たせる

見ている人に「その先が見たい」と思わせる編集が必要です。あーして、こーして、つぎにこーなって、という事実の羅列では、それがどのような内容でも視聴者は飽きてしまいます。

「疑問を持たせて・答えを出 す」、「アクションに対するリアクションを見せる」、そしてその繰り返し(チェーンリアクション)でつなぐのが基本です。

話は変わりますが、例えば、

豆腐の上に朝顔の種を蒔いて1週間・・・さて芽は出たんでしょうか?

というような、どーでもいいような問題でも、答えが出るまでは視聴者をひきつけておくことができます。バラエティー番組などで見かけるクイズ的なコーナーを冷静に見てみて下さい。ほとんどの場合、「どーでもいいような疑問」が視聴者をひきつけているということに気づくはずです。視聴者が映像に注目しつづけるかどうかは、そんな「疑問」の有無にかかっているのです。
ちなみに豆腐の上の朝顔の種、結果は「カビが生えておわり」だったと記憶しています。

人間の脳は、内容の価値に関わらず疑問に対する答えが提示される瞬間に快感を感じます。だからバラエティー番組制作の可能性も無限に広がるのであって、結果として、人はどーでもいいような知識をたくさん持つことになるのです。知識が必要だったのではなく、「疑問が解決したときの快感」、逆に言えば、「疑問が解決しないことの不快感」が、人の行動を左右しているのです。

「あの棚の上のヘンな物は何だ?」というたった一つの台詞でも、主人公がその答えを見出すまでのプロセスで物語作品を1本つくることができます。そう考えれば「作品づくりのネタは無限にある」ということに気づくでしょう。

「失くしたものを探しに旅にでる」というタイプの、「欠損」に起因するモチベーションを利用する物語も同様の発想で考えることができます。

オープニングとエンディングについて

はじめの部分では「これから始まる」という緊張感、そして終わりの部分では「これで終った」という安定感(終止感)を演出することが重要です。特に、終止感は非常に重要です。「終った」感じが得られないと、記憶にも残りません。

何らかの「疑問」に始まり、その「答え」で終るというのが基本ですが、例えば、作品の冒頭のシーン(あるいはそれと対称の関係になるシーン)を最後にもう一度もってくるということでも、「一周した」という意味での終止感 は得られます。特にストーリーのない作品では、この方法は有効です。

一般に、非対称は緊張、対称は安定した構図になりますので、例えば、オープニングのタイトルは画面中央をはずして表示、エンドロールは画面中央に左右対称(中央揃え)で表示、といったことでも、それらしく見せることが可能です。

不要な素材は思えば思い切って捨てる

せっかく撮った素材、せっかく覚えた技術、あれも・これも使いたい、と思いがちですが、たとえ金と時間をかけたショットでも、それが物語展開のフォーカスをぼかしてしまう、あるいは見る人を混乱させるような場合は、思い切って捨てることが必要です。これは映像に限らず、すべての情報デザインに共通します。

音楽について

映像に音楽を付けてみればすぐにわかりますが、映像にとって「音楽」の与える影響は非常に大きなものです。極端に言えば、まったく支離滅裂な素材の羅列でも、音楽がつくとそれなりに見えてしまいます。音楽で「ごまかす」前に、まずサイレントで映像だけ再生してみましょう。完成度の高い作品は、サイレントで見てもカッコイイものです。

映像は切ってつないでも大丈夫ですが、音声・音楽は切ってつなぐとおかしくなります。つまり場合によっては、音を優先させなければなりません。後から適当に音をつけるという発想もありますが、一つの楽曲に合わせることが前提であれば、まず全体の尺を音楽に合わせること。そして曲のリズム と映像の動き・編集のタイミングを(シンクロする場合もあえてはずす場合も)調整することが必要です。楽曲の選択を後回しにしないようにしましょう。

動きについて

アニメーション作品で「動き」のスピードを思い通りに制御したい場合は、実際に自分の手足や物体の動きをビデオカメラで撮影して、背景にテンプレートとして配置するなどして調整してみると良いでしょう。フィルムの実写映像をトレースする(ロトスコープ)という方法は昔からよく用いられる方法です。ディズニーアニメのように音楽にあわせてアクションさせる場合も、まず音楽にあわせて自分で踊ってみましょう。それをビデオに撮ってテンプレートにすれば、音にぴったりと合うアニメが作れます。「現実にはない動き」が狙いである場合も同じ。「現実にはない動き」をつくるには、まずは現実の動きを知ることが必要です。

カメラについて

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ハリウッドスタイルの物語映像の制作では、一つのシーンを複数のカメラで同時に撮影する「マルチ・カバレッジ(マルチカメラ撮影)」が基本です。複数の視点から同時に撮影していれば、例えば対話シーンなどでは、同一の演技を全体、左から、右から…など同時に記録できるので、後の編集作業が楽になります(スタジオでの撮影などでは現場のスイッチングで処理することもできます)。カメラが一台しかない場合、3つの視点からの素材でシーンを構成しようとすると、役者さんに同じ演技を3回繰り返してもらう必要があり、これらはどうしてもスムーズにはつながりません。また同時録音の場合は音のズレが生じてしまいます。

カメラ・フィルムが高価であった時代には難しいことでしたが、現在では、カメラ・記録媒体ともに低価格で高画質なものなりました。iPhoneなどは周りを見渡せば同一の機種が簡単に借りられる状況です。「カメラは一台」という先入観を捨てて、贅沢に撮ってみましょう。



最後に

ここでは「情報デザイン」という観点から、不特定多数の視聴者に共通の理解をもたらす情報構造というものを理解するために、その技法(標準的なコード)を紹介してきました。

直接比較の対象になるものではありませんが、例えば音楽(映像と同じく時間軸上の秩序を構成する)の作曲(編集)技法では、和声法・旋律理論・コード進行理論なるものがあり、多くの鑑賞者の耳に快適な情報の流れを提供するためのセオリーとして、一般向けの書籍でも、その体系的な知見を得ることができます。ある意味ではひとつの文化(西洋の音階)が標準的なものとして世界に広まったものともいえますが、そこには「標準」になりうるだけの物理学的・心理学的な理由があります。

しかし、いわゆる「映像の編集技法」は制作現場の理論であり、規範文法的な技法論は,初心者の手引きにはなっても,真の創造活動には役立つものとはいえません。映像の編集進行は、音楽のような物理的必然性に制約を受けるものではなく、常に新たな秩序構成のコードを生成することが可能です。現在の常識を一旦ふまえた上で、さらに新たな編集の可能性を追求して下さい。



参考文献、サイト