ソーシャルデザインの原点
「移動」と「定住」についての 一考察
芸術工学会誌68号 / エッセイ 平成27年5月
生きのびるためのデザイン
ソーシャルデザインという言葉を最近よく耳にするようになった。Web上の様々な情報共有サイトはもちろん、書店にも新たにソーシャルデザインの棚が設けられ、そこでは「生きのびるためのデザイン」(V.パパネック,1974)が再び注目を集めている。
ソーシャルデザインとは何か。唯一その記載のある辞書「デジタル大辞泉」には「どのような社会を築いていくかという計画。社会制度から生活基盤の整備に至るまで非常に幅が広い」とある。補足すれば、資源・エネルギー・人口・食料・自然災害といった地球規模の問題から職場・学校・地域・家庭の問題に至るまで、我々を取り巻く様々な課題に対して、製品の形や広告のビジュアルといった狭義のデザインも含めつつ総合的に計画するのがソーシャルデザインである。
大学で芸術工学を学んだ私は、もともとデザインとはそういうものだ、と考えていた。「生きのびるためのデザイン」は当時の教授陣に強く推奨された書籍であり、その冒頭に書かれてあるとおり、「人は誰でもデザイナーである。ほとんどどんなときでも、われわれのすることはすべてデザインだ。デザインは人間の活動の基礎だからである。ある行為を、望ましい予知できる目標へ向けて計画し、整えるということが、デザインのプロセスの本質である」と考えている。
「問題」の発端は何か?
我々の社会は、なぜこれほど多くの問題を抱えているのか。芸術工学は「哲学」であるから「そもそも問題の発端は何なのか」を考えてみる必要がある。すなわち、社会の基本的な枠組みやその秩序の前提に踏み込むことが必要である。
例えば、とても身近にある「嫁姑問題」。日常的であるがゆえに軽視されがちであるが、介護や育児といった他の社会問題にまで影響を及ぼす大問題である。建築デザインの観点からは、ニ世帯住宅という提案があるが、抜本的な問題の解決には至らないようである。しかし私は思う。そもそも嫁と姑が一緒に暮らすことを標準的なものとすること自体が問題なのではないか。サザエさんの一家のように「婿取り婚」(に近い形態)を標準と考えれば済む話である。万葉集に多く詠まれているように、かつては、男が女のもとに通う「通い婚」すなわち、女性を中心に婚姻が成立する母系社会が常態であり、それは縄文時代にまで遡る。縄文の一万年に対し、「嫁取り婚」と「嫁姑問題」は、たかだか千年程度の歴史しかないのだ。
歴史は破綻と再構築の繰り返しであり、今日の社会制度は、それらの残滓が絡み合った複雑怪奇なものである。要するに、我々現代人は人と社会の「自然なかたち」を見失っている。
ソーシャルイノベーションを起こすには、今の常識を根本から疑う必要がある。人がもっと自然体で暮らしていた時代に、あるいは、例えば南米アマゾンの奥地に住む「ヤノマミ」(国分拓,2010)のように、一万年変わらぬ暮らしを続けている人たちの社会に、何か新たなヒントを見いだすことはできないだろうか。
「移動」と「定住」
さてここで人類の歴史をふりかえって「移動」と「定住」というキーワードで問題を考えてみたい。
霊長類を含む大型動物の大半は巣を作らずに移動生活をする。人類も同様、過去数百万年の暮らしの大半は移動生活であり、定住を常態とするは直近の一万年に過ぎない。我々はすでに「定住」を前提とした社会にどっぷりと浸かっているので、そこで成立した諸々のルールを「常識」として疑うことがないが、「移動」が自然体なのだという観点に立つと問題の見え方も変わってくる。
土地に境界線を引いて所有すること、神聖な場所に「神」あるいは「霊的な存在」を置くこと、イネ科の穀物(米、小麦、トウモロコシ)を「主食」と称して食べること、文字を使うこと、お金を使うこと。それらは人類史の上ではごく最近のことである。ホモ・サピエンスに限っても十数万年、生物学的な変化が無いにも関わらず、生活様式が突然変化した。これは他の動物ではありえない。大きな脳を使ってモノ・コトを過剰に生み出す人類にのみ生じた現象である。「移動」から「定住」への移行は生物としては異常なことであると言わざるを得ない。
筧裕介氏の「ソーシャルデザイン実践ガイド」によれば、課題の解決は「森を知る・声を聞く・地図を描く・立地を選ぶ・仲間をつくる・道を構想する・道をつくる」という7つのステップで実現される。「森に道をつくる」。それはまさに移動生活の基本であろう。「きれいな橋をデザインする」のが定住生活者の関心事だとすると、「河の渡り方をデザインする」というのが移動生活者の関心事である。「定住」が常識であることを疑う。そこから何かが見えてくるのではないか。
「定住」が抱える問題
パパネックのいうように、デザインに重要なことは「問題を解決することだけではなく、解決しなければならない諸問題を捜し出し、それをはっきりとつかまえること」である。しかし、定住社会の我々にはそれが難しい。移動しないからひっかかることがない。自分で作る以前に与えられているので考えない。本当の問題が見えない。
例えば自然災害が起きると人はなぜこんなに困るのか。水、食料、住居、排泄物処理…。同じ土地に生息する他の動物を見れば明らかだが、彼らはさっさと逃げて新しい土地で生活をはじめる。一方、土地に呪縛された定住者は「そこから逃げる」という発想がない。なぜかヒトだけが特定の範囲の土地を自分のものだと思っているから、それを手放すことができずに苦しい思いをすることになる。
また例えば、朝の満員電車。体重50kgの大型動物が狭い檻の中にひしめく様子は、傍から見ると異様である。息苦しいに決まっている。なのに定住社会の住人は平気なふりをしてそれを我慢している。奴隷の最大の特徴は、自分自身が奴隷であることに気づかないことだ。「社会に適応できないのがダメなのではなく、平気でいられる方がおかしい」という説明がなされるだけで、社会復帰に苦しむ多くの人たちが救われるだろう。
さて、仮に問題の発端が「定住」にあるとすれば、その解消には2つの方法があると思う。ひとつは「移動」の可能性を探ること。もうひとつは人類が「移動」を放棄した理由を探り、その転換点に立ち返って「定住」社会のエッセンスを見いだすことである。
「移動」の可能性を探る
例えば、移動生活者は、津波や土砂災害といった自然災害に対して「逃げる」という簡単な戦略を採る。人はなぜ土地という不動産にこだわるのだろうか。「夢のマイホーム」という言い方があるが、それは誰の夢なのか。また移動生活では、家そのものが動く。住宅はなぜコンクリートの基礎に固定しなければならないのか。インフラに束縛されずとも、電気は太陽光、通信は無線でもいける。水の確保と排泄物の処理が難題だが、これも国土の70%を占める森林の存在を考えれば、自然を活用したシステムの構築も不可能ではない。そう、スモール・ハウスや「0円ハウス」(坂口恭平,2004)は、ソーシャルデザインの重要な検討項目のひとつになる。
「定住」への転換点にあるもの
一万年前というのは、地球が間氷期に入り人類が中緯度帯に進出した時期である。食料の貯蔵、「火」の安定管理、道具類の増加、そして気候がかつてない安定期に入ったこと(奇跡の一万年)による計画的農耕など、人類特有の様々な事情が複合して徐々に定住への移行が進んだと考えるのが自然であろう。
教科書的には「農耕のはじまり」がそれを決定づけたのかもしれない。しかし人類の定住は農耕以前に遡る。順序が逆だ。しかも農耕は「貯め込み」と「成長」という、過剰な行動と幻想をもたらした遠因であり、その先にあるのは文明の破綻であった。持続可能な未来への選択肢としては弱い。そして、現在でも移動生活をする人たちがいることを視野に入れると、移動の放棄には、何かもっと特別な「出来事」があったとしか思えない。
急に奇異なことを言い出すと思われるかもしれないが、私は「祖霊」や「神」の「居場所を発明」したことが、定住を決定づけたのではないかと考えている。
「神」の居場所
人の脳(前頭葉)の最大の発明品は「神」であり(瀬名秀明,佐倉統,2000)、そして縄文人の家は人の住まいではなく「神の住まい」であった(上田篤,2013)。先に定住したのは「ヒト」ではなく「神」だったのではないだろうか。そう思えば、神様不在のまま定住のルールだけが幅を利かす現代社会に根源的な違和感があるのも不思議ではない。
縄文の環状集落の中央広場には「墓地」がある。移動生活では置き去りにされていた「死者→祖霊」が、この頃から特別な存在として社会の中心に置かれたのだ。
大型動物の定住という不自然な暮らしにはストレスが多い。生活圏の争奪は、「道具=武器」による殺し合いに発展する。秩序を維持するには、超越的な存在を措定して、その手に社会の制御権を渡すのが賢明だ。言葉を使う人類は、「祖霊」や「神」の概念とともに、その「居場所」を用意したのではないだろうか。
それはもちろん、今日の宗教的なものとは少し異なる。布教活動を行うそれは「拡大・成長」を前提とする点で、農耕以後の発想の産物に見える。私が考えているのは、火の神、山の神、あるいは祖霊、精霊といった、もっと原初的な人々の畏れの対象のことである。
神社の起源は古く、その起源は森(杜)である。しかし現代の都市には「神」の住まう場所がない。私がまだ子供だったころ、神社は最も楽しい遊び場だったし、雑木林には精霊が住んでいた。子どもたちのモラル、社会の秩序を維持するのに複雑怪奇な法律は不要である。「お天道様が見てますよ」、「悪いこをとしたら罰が当たりますよ」。人知を超えた何者かが我々の世界を見ている。そんな感覚があることで、社会のモラルは保たれていたように思う。
もちろん、サイエンスとしては「神」などいない。しかし「神」の存在を措定する方が、社会は穏やかに持続できるのではないだろうか。日本人は「神」という言葉を好んで使うようである。学生の会話を聞いているとネット上にもたくさんの「神」と呼ばれる人たちがいるようだ。ソーシャルデザインは「神様と一緒」の方が楽しいのだ。
意外な事実だが、神社の数はコンビニの数より多い。さらに言えば、沿岸部の神社は津波の到達点の高さに点在して、災害を逃れるための指標にもなっている。すなわち、定住の拠点なのである。
定住以後の一万年。移動を忘れたこと、あるいは、神の居場所を忘れたことに問題の発端があると考えれば、新たなソーシャルデザインの可能性が見えてくる。
Small is beautiful、Less is more、Let it be。賢者の言葉が胸に響いてくるのは、それが「移動」の可能性を示唆すること、あるいは「神の居場所」を暗示するからではないだろうか。
参考文献
V.パパネック,生きのびるためのデザイン,1974,晶文社
国分拓,ヤノマミ,2010,NHK出版
筧裕介,ソーシャルデザイン実践ガイド,2013,英治出版
坂口恭平,0円ハウス,2004,リトルモア
西田正規,人類史の中の定住革命,1986,講談社学術文庫
瀬名秀明監修,神に迫るサイエンス,2000,角川文庫
上田篤,縄文人に学ぶ,2013,新潮新書