脳科学
Brain Science
脳科学(brain science)とは、脳の構造と機能について研究する学問分野です。視覚認知、聴覚認知といった感覚情報処理に関するものと、記憶、学習、予測、思考、言語、問題解決など高次の認知機能、さらに情動に関するものなどを対象とします。認知心理学が「認知の法則」を明らかにしようとしているのに対し、脳科学は「脳の構造と機能」を明らかにしようとする点が違うのですが、脳科学の急速な発展により、認知の法則が脳の構造と機能から説明できる・・というふうに、両者は相互に協働する関係にあります。
CONTENTS
脳科学の概要
脳とは
脳(brain)とは、動物(狭義には脊椎動物)の神経中枢のことで、感情・思考・生命維持その他神経活動の中心的な役割を担う器官です。人の脳は、一般に大脳、小脳、間脳、脳幹(中脳、橋、延髄)の4種類(6種類)の領域に分類されます。 また大脳は、大脳新皮質、大脳旧皮質(大脳辺縁系など)、大脳基底核の3つの構造から成っていて、大脳皮質と言う表現では、大脳新皮質を指す場合と旧皮質を含めて指す場合があります(右図参照)。
画像出典:wikipedia.org/ Brain_diagram_ja.svg
脳の機能領域
脳(大脳皮質)は部分ごとに違う機能を担っていると考えられています。脳機能局在論が注目されはじめたのは、19世紀後半に失語症と脳損傷の関係から「言語中枢」の推定が行われて以降。ブロードマンの脳地図によって「脳機能局在論」は一般に知られるものとなりました。1990年代以降、MRI(核磁気共鳴画像法) や PET(ポジトロン断層法) による血流観測など、脳活動をリアルタイムに観測する技術(脳機能イメージング)が発達したことで、脳機能の局在性に関する研究は精緻化しています。
以下、図解へのリンクです。
- GoogleImage:brodmann brain areas / Korbinian Brodmann 1868 – 1918
- GoogleImage:penfield Homunculus Wilder Penfield 1891 – 1976
- https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Cortical_homunculus
右脳と左脳
我々の体は対側制御、すなわち体の左半分を右脳、右半分を左脳が制御しています(左視野は右脳、右視野は左脳に入る)。また、あまり正確な根拠はないようですが、一般に、感覚的・空間的・音楽的な情報処理を右脳、論理的・言語的な情報処理を左脳、というふうに、右脳と左脳ではそれぞれタイプの異なる処理がなされていると言われます。
右脳が活発に動く人と左脳が活発に動く人では、情報の受け止め方や、発想の仕方が異なることが予想されるのです。もちろん左右の脳は連携しているのですが、言葉・音楽・映像の受取り方には「右からささやかれたか、左からささやかれたか‥」と同様の問題が無関係ではありません。
ちなみに、子音+母音の音声(『か』=K+A)を用いる日本人は、子音中心の言語を用いる西洋人と比較して、左脳(言語脳)で処理される音声の種類が多く、このことが「虫の音(母音と構造が似ている)をも文学的な素材とする」日本人特有の文化を作り出したとも言われています(角田忠信「右脳と左脳」)。
日本人の聴覚の特殊性
世界中の言葉は、共通祖先のような原始言語から派生していますが、日本語は 主たる系統からは遠く離れた末端に位置します。「脳レベルでも日本語の特殊性 が現れていて、たとえば、漢字用の脳領域とカナ用の脳領域が別々に作られたりする。こんなことは他の言語ではない」(澤口) 。 さらに角田(1981)によれば、日本語は母音の頻度が高く(欧米の言語は子音 中心)、母音と質を同じくする楽器の音や虫の声など、多種多様な音声が左脳 で処理されているといいます。音楽も自然の音も言語と渾然一体となって処理されているという点で特殊な状況にあると言えるでしょう。
神経細胞
人の脳には、大脳だけで160億、脳全体で860億もの神経細胞があります。一つの神経細胞からは、長い「軸索」とともに枝状に分岐した短い「樹状突起」が伸びていて、別の神経細胞とつながって複雑な神経回路網を形成しています。神経細胞は、細胞体と軸索と樹状突起で一つの単位として考えられて、「ニューロン(Neuron)」とも呼ばれます。ちなみに、哺乳類にのみ存在する大脳新皮質、人間の場合の神経細胞の平均数は約20億と言われます。
一般に樹状突起と軸索には、以下の役割が想定されています。
- 樹状突起: 入力の場。他の神経細胞、感覚器官などから情報を受け取る
- 軸索: 出力の場。他の神経細胞、筋肉、腺などの効果器へ情報を伝える。
樹状突起には神経細胞1個あたり1万個にも及ぶ「つなぎ目(Synapse)」があって、細胞同士の興奮の伝達は、そのシナプスの結合の具合によって統制されています。シナプスの数、すなわちニューロンの接続の数は150兆。
マッカロとピッツ(1943)が提唱した神経細胞のモデルによると、細胞のそれぞれは、静状態と興奮状態の2状態があって、興奮状態においては電気パルス列が出力されるのですが、この場合、ひとつの細胞の出力は、それにに結び付くシナプス(約1万個)からの興奮信号の重み付きの総和が、あるしきい値を超えるか超えないかで「1 or 0」に決まります。
したがって結合の強い(重みの大きい)細胞間では興奮状態が一斉に伝わり、結合の弱い細胞は静状態という、脳全体でみれば一つのパターンが生じます。この興奮パターンが、ある一つの概念なりイメージなりに相当すると考えられるのです。
また、興奮パターンが、自己組織化する、すなわち「人」がある事象を記憶するというプロセスをうまく説明する仮説として、ヘッブ(1949)の「シナプス強化法則」があります。その仮説によると、神経細胞が興奮する際、その細胞に刺激を伝えたシナプス結合部については、その結合がより強化され、結果としてその後の刺激は以前に増して伝わりやすくなるというのです。
この考えをふまえると、私たちの思考も記憶も、複数の神経細胞の同時興奮パターンという「結合関係」が重要で、脳内でその興奮パターンが繰り返されるたびに(反復学習にあたる)、その「関係」がひとつの思考回路あるいは記憶単位として組織化していくと考えられます。
ただしこの場合は、記憶単位といっても、その同時興奮する細胞群のひとつひとつは、それ以外の刺激に対しても他の細胞との関係で興奮することがあるわけで、その意味では一つの神経細胞が複数の事象の記憶に関わっているといえます。これは、ある部分の細胞が欠落しても、一つの事象の記憶がすっぽり抜け落ちるのではなく、その部位に関わる記憶全体がぼやけるということをも意味するもので、人の記憶が「ホログラム」的であると言われるゆえんです。
ちなみに、神経細胞は、体内の細胞の中でも非常に長寿の部類に入ります。一般的に一度分化するとほとんど分裂しないため、個体の一生にほぼ近い寿命を持つと考えられています(脳の特定の部位では、新しい神経細胞が生まれてくる神経新生という現象も確認されています)。
- 参考:脳内のニューロンの働きを実際に体験することで理解できるサイト
Neurotic Neurons:http://ncase.me/neurons/
神経伝達物質
記事を独立させました。> Neurotransmitter
参考
- K.プリブラム・甘利 俊一・浅田 彰, 脳を考える脳, 朝日出版社
- 酒井 邦嘉, 言語の脳科学, 中公新書
- 澤口 俊之, 脳科学講座, KKロングセラーズ
- 角田 忠信, 右脳と左脳, 小学館
- 松岡正剛・茂木健一郎, 脳と日本人, 文藝春秋
- 養老 孟司, 唯脳論, ちくま学芸文庫
脳科学とAI
神経細胞の接続をモデルにした機械学習タイプのプログラムを2つ紹介します。ひとつは、学習認識装置パーセプトロン(F.Rosenblatt,1960)、もうひとつは連想記憶装置「アソシアトロン」(Nakano,1969)です。マッカロ・ピッツの神経細胞モデルとヘッブの法則を応用したモデルです。
パーセプトロン
パーセプトロンは一般に小脳の記憶モデルとして知られますが、その仕組みは、神経細胞群にあたる複数の素子の興奮パターンを入力として、その刺激が何であるかを識別し、結果を出力細胞に相当する一つの素子の興奮の有無によって得る、というものです。
出力素子には複数の素子からの「シナプス」が結合していて、それらからの入力の重み付き総和が出力を決めます。学習はこの結合の各々の重みを修正していくことで行われるのですが、具体的には、あるパターンを入力させて、その識別結果が正しければなにもしないが、間違えた場合はそれに関与したシナプス結合の重みと出力素子の判定のしきい値を「間違った判定をおこしにくい方向へ」修正します。これを繰り返す(反復学習)うちに、同じ間違いをしなくなる、すなわち正しい識別ができるようになるというものです。
その際、入力のパターンの与えかたと判定の修正が上手であれば、すなわち「良い教師」につけば、短時間で識別能力がつきます。この人工知能は「人」の記憶システムのモデルであるから、間違うこともあるし、教え方の上手下手も関係することになります。
- GoogleImage:パーセプトロン ← ニューラルネットワークと同じです。
- Google:パーセプトロン サンプルプログラム JavaScript
アソシアトロン
アソシアトロンは、入力が複数の素子の興奮パターンで与えられる点はパーセプトロンと同じですが、すべての素子についての相互の結合強度が、同時に興奮している細胞間で正の方向へ、興奮している細胞としていない細胞の間では負の方向へ(排他的に)修正されるという点がその特徴です。刺激パターンの入力の度にこの操作(記銘)を行うとすると、入力パターンごとにそれに関与する(そのとき興奮状態にある)素子同士の結合が強化されることになります。
こうして出来上がった「結合強度情報をもった細胞群」に対して、「ある細胞が興奮すると、それと強く結合している細胞が同時に興奮する」ように動作させると、一部の興奮から記憶されている興奮パターンが再現されることになります。これが「なにかをきっかけに全体を思い出す」ことであり、「ある事象の記憶から、それに近い事象の記憶が想起される」ということです(連想記憶モデルと言われるのはこのためです)。
このモデルでは、複数の神経細胞群が全体として複数の事象を重層的に記憶しており、きっかけとなる部分的な興奮の与え方で、うまく全体のパターンが想起されたり、よけいなものまで同時に想起したり、あるいは異なるパターンがあざやかに浮かび上がったりします。そのふるまいはまさに「人」の「記憶の呼びだしかた」そのものです。
APPENDIX
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