大学の歴史
欧米における大学の歴史
中世大学の誕生
学問は古代ギリシャで誕生し、その後イスラム世界に、そして再びヨーロッパの人々によって翻訳されて学ばれるようになりました(12世紀ルネサンス)。この時代、古代ギリシャやローマの知識を学ぶ過程で結成された「組合組織」のようなものが大学の起源となりました。ボローニャ大学(伊 1158)、オックスフォード大学(英 1167 (1096) )、ケンブリッジ大学(英 1209)、パリ大学(仏 1211 (1150) )、サマランカ大学(西 1218 (1130?))などの誕生です。後に多くの大学がこれらをモデルとして、ヨーロッパで生まれました。
この時代に大学が生まれた背景には以下のような状況があります。
- ヨーロッパ社会が広くキリスト教によって組織化されたこと
- 商業の発展によって都市が発達し、一部が自治権(権力からの自由)を獲得
- 十字軍の遠征によってイスラム世界との交流が拡大し、都市と都市の間を行き来する人々が増えた
ちなみに、ヨーロッパの有名大学は、ヨーロッパの「国」よりも古い歴史を持ちます。
初期の「学部」
- 上級学部:神学、医学、法学、(哲学)
- 下級学部:学芸学部 自由七科(Seven Liberal Arts)
当時の「哲学」は学芸学部で教えられるリベラル・アーツを意味します。- 三学(trivium トリウィウム):文法、修辞学、論理学
- 四科(quadrivium クワドリウィウム):算術、幾何学、天文学、音楽
自由七科は教科書化されて中世の教養教育へ。15世紀に入ると、キリスト教的な世界観から脱した古典文化(ギリシャ・ローマの文化)の復興を目指す「人文主義」という思想的な特徴を持った「ルネサンス」がおこります。
ルネサンス期の人文主義は、人文学(人文科学)の源流です。
- キリスト教的な世界観に対する人間中心主義
- 抽象的な神学、スコラ哲学、アリストテレス学への反発
- 人間性の育成を目指した「実践的知識」を重視
アカデミーの誕生
16世紀以降、職人的技術や伝統に関心を持って研究する、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンといった知識人が登場し、「自然は数学的に解明できる」という観念とともに、自然科学を中心とした近代科学が展開します。
しかし、この時代の大学はキリスト教の影響が強く、神学や哲学を中心的に行う場であり、いわゆる「理系」の学問は重視されていませんでした。自然科学的な観察・実験研究を行う現在の「科学」や「工学」は、職人的領域として、大学とは関連のないものとして、その研究の場は、大学の外に形成されていきました。アカデミー(学会)と雑誌論文、学会誌の誕生です。
- アカデミー(学会)
アカデミー・フランセーズ(フランス・1635)、ロイヤル・ソサエティ(イギリス・1662)を中心に、実験、観察などを主とする自然科学系の学会が誕生 - 学術雑誌と学会誌
グーテンベルク印刷革命がおこったこの時代、安価な出版が可能となったことで、学術雑誌、学会誌、雑誌論文などが続々登場し、知の共有に貢献
近代的大学の誕生
現在の大学の直接的なモデルとなったのは、1810年 フンボルトが自らの理念を実現すべく設立したベルリン大学にあると言われています。
[ フンボルトの理念 ] 大学は教育と研究を一体的に行う場であり、学生も研究に従事する 大学では、学問・研究による人間形成を行う
- 教育と研究を一体化させた機関として位置付け
- 講義、ゼミナール(演習)、ラボ(実験室)という構成
その背景には以下のような状況がありました。
- 19世紀初頭、ナポレオンに敗北したドイツ(プロイセン)は、ドイツを解放、近代国家の建設と国民統合を求めていた
- 近代国家の建設と共に人づくりをする必要から、大学改革が求められた
- 啓蒙思想を引き継いだ「文明」概念を掲げたフランスに対し、ドイツは「文化」の概念を掲げた大学を構想
アメリカにおける研究大学の誕生
1876年、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学で、大学のさらに上位に研究を目的とした教育機関「大学院(Graduate School)」が設置されました。この大学院の設立によって、教育と研究は分離され、研究に重きを置いた「研究大学(Research university)」が誕生します。以後、世界の大学は研究の成果を競うようになります。
文系、理系が区別されるようになり、人間形成に重きを置く文系よりも、経済発展と国家の繁栄に寄与する理系重視の傾向が高まります。こうした動きは、近代国家の建設を目指す明治維新以降の日本に大きな影響を与えました。
付記:科学と技術、科学者と学会
- Science という英語は、14世紀から15世紀ごろ、同じ綴りのフランス語から移入。語源はラテン語の scientia で、「知識」全般を意味する語。
- 科学(Science)と技術(Technorogy)の違いは、古代ギリシアの時代にその萌芽がありましたが、科学は純粋な知的好奇心によって真理を探究する学問(社会のニーズに対応するものではなく)、一方の技術は社会にニーズにこたえる実用的なもの・・として、今日よりもその境界は明確なものでした。
- Scientist(科学者)という言葉が最初に登場するのは 19世紀半ば。それ以前の著名人、コペルニクス(16c)、ケプラー、ガリレオ、ニュートン(17c)は「哲学者」という位置づけです。
- 今日的な「学会」が誕生して活発に動き始めるのは19世紀の後半から。ダーウインの「種の起源(1859)」も学会誌ではなく、一般書籍として発表。
日本における大学のはじまり
日本における西洋知識の輸入のための機関設立
日本における大学は、近代国家の建設を目的として誕生しました。19世紀の日本では、列強に対抗するための「文明開化」「富国強兵」、近代国家の建設を目指して、西洋の知識の輸入のための機関が設立されます(東京大学の前身)。当然、近代化のために実用的な科学技術を支える「理系」分野が重視されました。
- 西洋の知識を翻訳する「蕃書調所」(1856)
- 化学の研究を行う「精錬方」(1860)
また、「適塾」「五月塾」といった蘭学を学ぶ私塾が複数開かれ、私塾の一部は後の私立大学へと発展していきます。
官立専門学校の誕生
明治時代の日本の高等教育には、東京大学だけではなく、明治政府の各省庁(官僚)や軍部が人材育成を目的に設立した官立専門学校がありました。後に北海道大学になる「札幌農学校」や、後に東京大学工学部となる「工部大学校」などがそれにあたります。。
特に「工部大学校」ではイギリスの影響を受けた実学的な工業教育が行われ、これが日本の実学・理系重視の傾向をもたらしました。
帝国大学の誕生
1886年に「帝国大学令」が出され、国家のエリート育成機関として、東京大学が帝国大学に、また官立専門学校が帝国大学に統合されました。「国家のための大学」の誕生です。
その後、既存の様々な教育機関を統合して、1897年には京都帝国大学、1907年に東北帝国大学、1911年には九州帝国大学が設立されました。
明治中期以降の帝国大学の中心部(東京帝大)では社会の「管理」を目指す法科系ゼネラリストへ、一方で周縁部の地方帝大では社会の「開発」を目指す理工系テクノクラート養成へと教育の重心が移動していきます。
高等教育機関の統合
戦前は「帝国大学」以外にも「大学」「師範学校」「専門学校」「旧制高校」など多様な教育機関がありましたが、戦後の占領期には、こうした高等教育を「大学」に統合する動きが進みました。高度経済成長と共に私立大学が急増し、大学進学率も上昇します(60年代:20%台 〜 現在:53%)。
- 国立大学は統合されて縮小(全国で70大学に)
- 私立の専門学校は大学に昇格し、数の上では私立大学が多数に
- 私立大学の設立が規制緩和され設立しやすく
現代の日本の大学
大学設置基準の大綱化
1991年、文部省による大学設置基準の改正。
- 大学の科目区分が廃止され最低履修単位などの規制緩和を行う代わりに、アメリカのアクレディテーション・システムのような第三者機関による評価認証を促すとともに、自己評価システムの導入を努力義務化。
- 様々な名称の学際的な学部が新設。学部名称 500種類以上(1979年:69種類)。学位名称 700種類以上に増加。
- 従来の自然科学、社会科学、人文科学の各12単位、計36単位の履修義務がなくなり、多くの大学で一般教育科目が削減。担当教員が所属する教養部が改組。
- この大網化以降、各大学がシラバスの導入を始めた。 2008年4月に施行された「大学設置基準の改正」で事実上シラバス作成が義務化。
- 大学院生の数が急増(大学のポストは増えず)、高学歴ワーキングプア問題
国立大学法人化
2004年、国立大学が法人化しました(小泉政権下)。これによって国立大学は競争的な環境下に置かれることになります。
- 国立大学法人の基盤的予算は「運営費交付金」のみ
- 交付金が毎年1%減額
- 学部・研究科は定員削減を余儀無くされる
- 理系重視の傾向が顕著になる一方、文系の立場が危うく・・
認証評価制度
2003年の学校教育法の改正により2004年4月に認証評価制度が制定され、大学の教育研究の質保証は、原則として「大学自らの自己点検・評価(内部質保証)」と「認証評価機関による認証評価(外部質保証)」によることになっており、以下2つの制度の下で関係機関が連携して行うことになりました。
- 設置認可制度(学校教育法第4条)
- 認証評価制度(学校教育法第109条第2項)
教育の内部質保証とPDCA
大学基準協会|点検評価項目の2項目めに「内部質保証」に関する記載があります。教育の質保証に関して、以下のような取り組みが求められています。
- 1 教育の内部質保証に関する方針と体制
- 内部質保証の方針や体制を定める
- IR:Institutional Research(内部質保証のツール)
- 2 教育プログラムの点検・評価(モニタリングとレビュー)
- 定期的に教育プログラムの点検・評価を行う
- 3 教育プログラムの新設等の学内承認
- 教育プログラム設置に関する学内承認の仕組みを定める
- 4 教職員の能力の保証と開発
- FD:Faculty Development(組織的改善活動が義務化されています)
- SD:Staff Development
- 5 学修環境・学生支援の点検・評価
- 学修環境や学修状況の改善・向上のために、継続的な点検・評価を行う
- 6 大学や学部・研究科の教育研究活動の有効性の検証
- 大学の使命実現のための点検・評価結果の総合を行い、成果検証する
「3つのポリシー」について
現在の日本の大学は、その教育理念を踏まえ、3つのポリシーを策定することが求められています。学生の学修成果を向上させ、学位授与にふさわしい人材を育成し、社会へと送り出すために、3つのポリシーに基づく体系的で組織的な大学教育を − 不断の改善に取り組みつつ − 実施することとなっています。
三つのポリシーの策定と運用に係るガイドライン(文科省)
- DP (ディプロマ・ポ リシー):卒業認定・学位授与の方針
- CP (カリキュラム・ポリシー):教育課程編成・実施の方針
- AP(アドミッション・ポリシー):入学者受け入れの方針
プロイセン型教育からプロジェクト型教育へ
現行の教育方式、工場型教育(Factory Model of Education)の歴史は、今から200年ほど前の、プロイセンの教育制度(ドイツの軍隊教育:効率よく工場労働者・兵隊を育成する手法)に由来します。
あらかじめ決められたカリキュラムを時間割で管理し、個々人の習熟度を度外視して学年単位で教授する教育法はプロイセン・モデルと呼ばれ、アメリカをはじめとした諸国の教育に影響を与えました。
戦前と変わらないこの手法が「ポストインダストリアル」の現代に合わないことは明らかです。不登校40万人超という事実は、教育改革を求める子供達からの無言のメッセージだと言えるかもしれません。
プロイセン型教育 | プロジェクト型教育 |
教える | アドバイスする |
暗記型 | 探究型 |
教科書あり | 教科書なし |
科目別 | 科目融合 |
期末試験等(数値目標) | 成果報告プレゼンテーション |
成績表あり(評価) | 成績表なし |
完結・終了 | 問題がなくなるまで随時更新 |
参考図書
- Amazon:村上陽一郎 人間にとって科学とは何か 新潮選書
- Amazon:吉見俊哉 大学は何処へ 未来への設計 岩波新書
- Amazon:吉見俊哉 大学とは何か 岩波新書
- Amazon:吉見俊哉 文系学部廃止の衝撃 集英社新書
- Amazon:中山茂 パラダイムと科学革命の歴史 講談社学術文庫
- Amazon:竹内薫 わが子を AI の奴隷にしないために 新潮新書
- Amazon:佐藤郁哉 大学改革の迷走
大学での学び
note/九州産業大学略史 Login Required