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SocialInstitutions

社会制度

Social Institutions

社会制度とは広くは「人間がさまざまな個人的欲求、必要を充足させるために組織する社会機構およびそこから生じる社会的規範の全体」を意味するもので、支配・従属、協同・分業などの社会形式をはじめ、宗教・道徳・法律・言語・芸術といった文化的なものや、それらに関連する人間や事物をも含めたものが、社会制度であると考えられます。
 狭義には、確立された社会規範である規則・法律を意味するもので、それらは各集団の意向に沿ったかたち合意形成されています。選挙制度、婚姻制度、相続制度、免許制度・・
参考:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ここでは、狭義の社会制度として私たちを真綿でしめつけている「法律」というものについて、ソーシャルデザインの観点から疑問を呈したく、まずはざっくりと「法」関連の用語を概観した上で、次の節で「法の限界」と現状への違和感について述べたいと思います。
このサイトの記載内容すべて「個人の感想」であること、ご了承下さい。



法に関する基本概念

法源(Source of Law)

法源とは一般に「法の存在形式」を意味する言葉で、大別して成文法と不文法ととに分けられます。その他に、法の根拠となる力(神、君主、国民または国家)や、関連資料(法典、判例集、著書、論文)を意味することもあります。

Google: 法源

公法と私法

行政裁判所制度を有しない日本では、公法・私法の理論的区別は大きな意味をもたない・・とも言われますが、一般的に以下のように分類されます。

公法と私法の二分説は、欧州の裁判所が2種類あることに由来するもので、日本の明治憲法はその影響を受けて、公法事件は行政裁判所、私法事件は司法裁判所と分けていました。戦後の日本国憲法(76条)によって行政裁判所の設置を禁じられ、公法・私法の二元性の根拠が崩れたことで、公法関係と見られるものにも私法が適用されるケースもあります。以下のように区別されます(三分説)。

Google: 公法 私法

実定法と自然法

Google: 実定法 自然法

その他

法令(日本の制定法)

法令という言葉は、一般には「法律(国会が制定する法規範)」と「命令(国の行政機関が制定する法規範)」の総称です。言葉の使い手によっては、法律と命令のほかに、憲法や条例・規則などを含めて法令と呼ぶこともあるようです。

日本の法令には、種類ごとに優劣関係があって、上位の法令が優先され、上位の法令に反する下位の法令は効力を持たないことになっています。

憲法  >  条約  >  法律  >  命令 (政令 > 府省令) 

地方行政における条例等の効力の優劣関係は以下のようになっています。

国の法令  >  条例  >  規則


日本の現行法令

現在の日本の法律

以下をご覧いただくとわかりますが、山のように(3,000ぐらい?)あります。関係する問題に直面しない限り、多くのものは「そんな法律があるとは知りませんでした」という状況かと思います。つまり、法律というのは、問題の発生を防ぐことに貢献するものではないということかと・・・

法令全書
日本国政府が『官報』において公布または公示した事項を、法律や政令など法令の種別ごとに編集・掲載し、1か月ごとにまとめて発行される定期刊行物で、日本の独立行政法人国立印刷局から出版されています。ちなみに、憲法・刑法・民法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法という6つの主要な法典を六法と呼んで、これを中心に主要な法令を収録した書籍を「六法全書」、「六法」*1と呼びます。 その他「◯◯六法」等の法令集出版物は、『官報』や『法令全書』を原典として編集したもので、6という数字は慣習的なものです。

法律を発案・提出する手続(以下の三つ)

法の限界とデザイン

法は問題が生じてから作られる

自然災害が想定外のところからやってくるのと同様、新たなテクノロジーも予告なしにこの世界に登場します。テクノロジーに先行して法律が整備されることはありません。例えば、道路交通法は1960年(すでに車はバンバン走ってました)、個人情報保護法は 2003年(インターネット利用の急拡大 1995年〜)、ドローン規制法(改正航空法)は 2015年(消費者向けドローン 2010年〜)。

法律の量自体が災害級

新たなシステムの登場にともなって、法律が爆発的な勢いで増え続けていること自体も問題(情報災害の一種)です。条文を増やしたところで、社会の構成員がその量に追いつけなくなれば、「それダメって知りませんでした」ということが普通にあり得るし、現に世の中はそうなりつつあります。

社会が拡大・複雑化するとともに人々の生活様式が多様化するだけでなく、異なる社会制度・規範を背景にもつ外国人との共生も増えるなど、コンセンサスを得ること自体が難しい状況下で、関係当事者をとりまくマジョリティによって次々と法律がつくられていく・・。ある日突然「それ今年からダメになったんですよ」と言われても、そんな問題とは無縁の生活圏では「そんなこと規制する必要はないんですけど・・」と言いたくなること多々。マジョリティに最適化された法律によって、マイノリティの生活が無駄に息苦しくなる・・ということが多発しているように思えてなりません。法律の制定というのは、規範を一元化するという意味で、多様性の拡大と矛盾してしまうのです。

大半の法には「死」がプログラムされていない

増え続ける法律というものの存在様態は、生命(自然)の原理にも馴染みません。生命体にせよ地球環境にせよ、我々が依拠しているのは、物質とエネルギーの動的な流れの中で秩序を保つ「定常開放系」で、そこでは生成と破壊(取り込みと廃棄)による絶えざる更新が行われています。生命は、その潮流に動的な秩序を見出すべく、細胞死や個体の死をプログラムしています。時限立法のように「死」がプログラムされていればよいのですが、廃棄の目処が立たない状況で、新たな生産を行えば、結果的に多くの廃棄物を内部に抱え込む状況をつくってしまいます。

読みなおすたびに異なる意味・イメージを喚起する文学のテクストと異なり、法律の条文は物事をゆるぎなく固定(定義)するように記述されています(解釈の違いによるゆらぎは生じますが「判例」によって次第に収斂します)。それは、「絶え間なく動的な秩序を維持する生命」のありかたに馴染まないのです。

集団規模と法

法はもともと人間の集団規模が大きくなりすぎたことに起因する「必要悪」とも言えます。家族や友人との揉め事に法律を持ち出す必要がないことを考えれば明らかなように、小規模なBAND集団の秩序維持に法律は必要ありません(「掟」程度のものはありますが)。法というものは文明化にともなう集団規模の拡大による混乱を防ぐために、文明化の象徴とも言える「文字」を使って記述されるようになったものです。その時点ですでに「文字を読める人と読めない人の間に格差が生じる」という問題が生じています。

動的秩序を目指して

場当たり的な法律は増え続ける一方、時代に合わない法律も、それを廃止するには「法律を廃止する法律をつくる」ことが必要。六法全書は加速度的にその厚みを増し続け、もはや廃棄も改正も人の手に負えない状態にまで肥大化しています。生命体に例えれば、物質交換ができなくなって、体内に老廃物が蓄積しつづけている状態です。法のありかたそのものを動的なものにリ・デザインしなければ、もはや立ち行かない状況になっているのではないでしょうか。

人間の社会には、政治・宗教・経済・道徳・民族などの対立が絶えないもので、それを解消して社会を安定させるべく法が制定されるのですが(社会あるところ必ず法あり:ubisocietas,ibihis.)、問題はその目指すべき「安定」というものが「静的」か「動的」かで持続可能性も変わるのではないかと思います。今日の成文法は、文字で固定される、死がプログラムされていないなどの点で「静的」な秩序の成立を目指しているように見えます。人類学の視点から見れば、社会は「動的」な安定を目指すべきではないかと・・

人間の作り出す社会システムはすべて、
同一状態にとどまらないように構造化されている

クロード・レヴィ=ストロース

生成と破壊によるアップデートがスムーズに機能しないような存在に、サスティナブルな未来を築く希望を見出すことはできません。私が「法(マニュアル)よりもデザイン」、「生産完成品ではなく編集可能性」に希望を見出す理由はここにあります。



APPENDIX

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DATA


*1 現在『六法全書』と題する法令集を毎年発行しているのは有斐閣のみかと・・。
Last-modified: 2023-03-02 (木) 15:27:46