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Parapsychology

超心理学

センサー(ESP)とアクチュエーター(PK)について

ESP  Extra-Sensory Perception

日本語では「超感覚的知覚」。現状の結論から先にいうと、実験の結果は再現性に乏しく、実用的なレベルではない。しかし、多くの科学的実験が、実験群と対照群の間に統計的に有意な差が生じることを認めている・・という状況です。
また、覚醒時よりも睡眠時あるいは夢見に近い状態(無意識領域の活性が高い)の方が正答率が上がるようです。

かつて米国陸軍が本気で研究をしていましたが、実際のスパイ活動等を考えた場合、その正答率が実用性に欠けること、また冷戦が終結して、多額の予算を投じる政治的必要性がなくなったために、その研究は終了を余儀なくされたといわれています。

人間は視覚と聴覚に頼り切っているがゆえに、視聴覚的に捉えられる世界がすべてであると思い込んでしまいがちですが、他のセンサーの存在も否定できません(無いことを証明するのは難しい)。

例えば、魚の内耳は頭に埋まっていて外見には現れません。センサーは必ずしも、目に見える場所にあるとは限らないのです。

鯨はカバと同様の哺乳類(鯨偶蹄目)であるし、タラバガニはカニではなくヤドカリです。視覚的な「表現型」だけにたよっていると世界の本質は見えません。DNAという新たな概念の誕生が、生物の見え方を変えたのと同様、また別の概念の誕生が、世界の見え方を変える可能性は十分にあります。

5感では捉えられないものの存在

近代になって電磁力の存在が発見されました。それは物理的な世界の分析や制御に使えます。しかし、私たちには可視光線以外の電磁波を検知するセンサーを持ちません。その理由は、電磁波が食料の検知にさほど有効ではなかった、また、それを使って私たちを捕食する生物もいなかった、言い換えれば、視覚・聴覚・触覚などがあれば、生存には十分であったため・・と言えます。
 つまり、生物のセンサーは、実用的なレベルで進化したのであって、その他の「力」が存在しないことを意味するものではないということです。
 電磁力の発見は「人間のセンサーでは捉えられない力」の存在を証明したという点で非常に画期的なことであったと言えます。

外部センサーと内部センサー

生物のセンサーは、体外からの刺激を検知するものと、体内に生じていることを検知するためのものに分けることができます。
 私たち人間についていえば、体外からの刺激を検知するのが、いわゆる5感。いずれも意識することができます。一般に外部へ向けられたセンサーは、捕食、天敵の検知、異性の検知といった目的から進化したものですが、ESPは5感を超えるものとして、やはり体外からやってくる(と思われる)刺激に対応するものとして考えられています。
 一方体内現象を検知するためのセンサーの存在については、それを「意識」することはありません。呼吸、血液の循環、消化活動・・いずれも煩雑な現象のセンシングが物理・化学的に行なわれていて、私たちはそれを意識することはないのですが、我々が今日まで生き延びたのには、その貢献度は偉大です。
 ESPを無意識的なセンサー、体内的なセンサーに位置付けるという視点をもつと、何か新しい知見が得られるのかもしれません。



PK  Psychokinesis

日本語では「念力」。事例としては存在を否定できないものも多いようですが、実験における再現性は低く、科学的に実証できないのが現状です。ユリ・ゲラーのスプーン曲げも、結局手品であったというのが通説ですが、ESPの能力が科学論文で公開された事実があるなど、真偽は定かではありません。

明治大学の石川幹人氏によると、PKの存在を仮定した場合、それを考えるキーワードは「無意識」と「社会性」であるといいます。

例えば、ポルターガイスト現象は、霊の力というより、その現場に関わる「人物(子供が多いそうです)」によるPK現象と考えることもできる。その人物が無意識的に抱えている問題が解消されると同時に、現象も無くなる(本人には自覚はなく、それを怖がっていた)・・という事例があるようです。

こっくりさんも同様、3人のうちの誰かの無意識が働いているのではないかと考えられています。本人には自覚がなく、場合によっては集団ヒステリー状態に陥る可能性がある点で「危険な遊び」なので、試さないのが賢明です。

TVや雑誌を賑わすポルターガイストの正体

現象の大半は、説明がついています。もちろん多くは報告者の自作自演、イタズラです。そうでない場合も、例えばラップ音などは、建物・配管の熱膨張・収縮、またガタガタ揺れる現象などは、人間の耳には音として聞こえない7Hz程度の低周波による共振現象として説明がついています。風もなく、音もないのに物が揺れるので、住人は不安になるのですが、低周波は発生源が様々あるのに対し、人間にはそれが感知できないため、物が共振を起こしてはじめて気づく・・多くの場合は、その振動の発生源が特定されています。
 鉄筋コンクリートの集合住宅は意外に振動が伝わりやすいようで、1F住人の洗濯機の回転振動が上層階の特定の部屋にのみ伝わるようなことも起こります。その際、周波数によってフィルタリングが起これば、元の音とは似て非なる振動音となります。
 公益社団法人 日本騒音制御工学会には、そうした「不思議音」を解明し、住民の不安を解消すべく「不思議音分科会 」があり、建物で生じる様々な異音の解明に取り組んでいます。
 建物は基本的に音を発しないと思われがちですが、様々な要因でいくらでも異音は生じ得る・・と考えて生活することが賢明です。



Synchronicity

日本語では「共時性」「同期現象」。1950年代に深層心理学者のユングが提唱した概念で、「集合的無意識」という概念とも関係があります。それは複数の出来事を離れた場所で、同時期に生起させる原理で、従来の「因果性」とは異なる何かであると考えられます。

私たちは、現象というものを、個の意思・能力や、物事の因果関係に基軸をおいて考えがちですが、集団において起こることは、そうした個の「理由」とは無関係なのかもしれません。一個人の能力によるものではなく、心理的・社会的な関係において生じる同期的な現象。ユリゲラー個人の意思・能力がスプーンを曲げたのではなく、TVを見ていてそれが起こることを期待した集団の無意識が、各所でスプーンが曲がる現象を出現させた(これは科学的には実証できていませんが)・・そのように考えることも可能です。

感覚や運動能力というものについて、私たちはそれが個人(個体)に属するものとして考える思考に慣れていますが、未知のセンサーやアクチュエーターは集団に属するものかもしれない。こっくりさんも、3人の(うちの誰かの)無意識にある情報(本人たちも自覚していない)が集団的な同期において出現する・・そう考えると不可思議な現象も説明しやすくなるのかもしれません。

無意識の世界

超心理現象には、人間の無意識が大きく関わっていると考えられています。人間の脳活動のうち「意識」は氷山の一角にすぎず、意識下ではもっと大きな情報処理が行われていると考えられます。例えば体を動かす(走る、自転車に乗る、楽器を弾く)ことは、初期学習を終えるとほぼ自動化され、無意識に委ねられます。また例えば、催眠術というのも、まさにその意識下に働きかけるものです。

リアルな夢、夢の中で問題が解ける・・など、無意識領域には膨大なスケールのデータと処理機構があると思われます。それを司る器官は「脳」ですが、これだけ脳科学が進んでも、未知の領域の方が圧倒的に大きいのです。




Creativity

日本語で「創造性」。これは普通の現象のようにも思えますが、人間に特有の能力で、同種の生物であるチンパンジーから見れば「超能力」です。
 アイデアが生まれる場所=3B。Bed、Bath、Bus。いずれも意識から無意識へと脳活動がバトンタッチされやすい場所です。再現が難しい超常現象はともかく、創造性の発揮という観点では、無意識領域の研究には十分な意義と実用性があるといえるでしょう。
 科学的な発見は常識を疑うことから・・とはよく言われます。「意識」を解放して、無意識に耳を傾けるには、例えば「文法を無視した言葉の接続を行う」などの方法があります。アイデアを出す・・ということについて、無意識の存在を措定することは非常に重要です。
 私の意識にはわからなくとも、私の無意識がすでに知っていることがある。
そういえば、ブルース・リーの有名なセリフに「考えるな、感じろ」というのがありました。



参考

関連キーワード

文献/リンク




付記

PKが実用レベルで可能だとしたら社会はどうなる?

手を触れずに物を動かす・・これが個人の意識によってできるとしたら、世の中は激しく混乱するでしょう。極端な例でいえば「証拠を残さずに殺人が実行できる」ことになり、その捜査や裁判は混迷を極めることになります。
 PKは、多くの人の前ではできないが、一人になれば、あるいは非公開の場であればできる・・という事例が多いようです(だから疑われるのですが)。「このような能力が公衆の面前で実行できるとなると人間社会が混乱する」ということから、ホモサピエンスという種の保存のために、何らかのブレーキが効いているのではないか・・とも考えられます(完全に個人の感想です)。

進化の観点からいえること

もし、私たちの感覚では察知できない能力(PK)を使うことができる生物(スペックホルダー)がいたとすれば、私たちはすでに淘汰され、それを察知できるセンサー(ESP)を持つ生物だけが生存競争を生き残っていたはずです。そして、生き残った生物はそうしたセンサーの存在を視覚や聴覚のように、自身の感覚のひとつに数えていたでしょう。しかし、一部の「見える」と主張する人を除き、私たちの多くは、そのようセンサーの存在を自覚できていません。ということは、それを使う天敵あるいは社会的な敵は存在していなかったか、ごく少数であったのだと考えられます*1

ESPにしてもPKにしても、それが他の生物との生存競争に大きく影響するほどの「目に見える」実用的な効果は持っていなかった・・と言えそうです。

ただ、センサーは「意識」的に現象を捉えるとは限りません。典型的なのは、体内に向けられた内部センサーです。捕食者は我々よりも大きいとは限らず、体内に侵入するタイプのものもあります。私たちの体内センサーは、これらに無意識レベルで対処しています。

私たちは、生命現象の一部しか知り得ていません。無意識の世界、体内で自律的に行われていること、それらについて創造的な思考をめぐらすには

など、「意識」がつくった様々な先入観を捨てる必要があります。
否定できないのであれば、可能性を考える。
超心理学には、そんな面白さがあります。




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*1 幽霊や呪いに人が殺せる・・それが実用レベルで起こるのだとすれば、我々はすでに滅んでいたか、あるいは、我々にそれに対処すべきセンサーが備わっていたはずです
Last-modified: 2019-07-05 (金) 20:51:17