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ArtificialIntelligence のバックアップ(No.1)


人工知能

Artificial Intelligence

人工知能(Artificial Intelligence:A.I. ) という言葉は、1956年に開催された世界初の人工知能の国際会議「ダートマス会議(ジョン・マッカーシー主催)」にその起源があるといわれていますが、そもそも何をもって A.I.というのか。 これには明確な定義はなく、話の文脈によってその姿は異なります。

A.I. と呼べるか否か、1950年にアラン・チューリングが提唱した Turing Test はわかりやすいアイデアのひとつです。それは「人がテレタイプを介して対話したときに、相手が人間か機械か区別できないものであれば、それを A.I. とみなす」というものです。

一方で、知能というものを広い意味での「情報処理能力」と考えれば、コンピュータによる知的な情報処理システムの実現とともにそれは誕生したということもできます。現在の人工知能は、基本的には「電子計算機」であって、人間の脳のように意味を理解したり、意志をもって動くということはありませんが、90年代のA.I. ブームから20年以上経過した現在、コンピュータが扱うメモリ空間の規模の増大と、処理速度の向上によって、膨大な計算量を必要とするニューラルネットワークが実用レベルになりました。機械学習のひとつであるディープラーニングという言葉の登場で、近年再び話題性が高まっています。

いつの時代も、A.I. とは近未来にイメージされる存在で、明確な定義は存在しません。それが実現してしまえば、単なる先端技術のひとつとして認知されるようなものだと言えます。音声認識や自動翻訳、自動運転は、かつては夢の A.I. でしたが、現在ではこれを A.I. と呼ぶことには違和感が・・・。

私が考える A.I. とは

同時代の情報通信技術(ICT)x データサイエンスのその先に
ぼんやりとした輪郭で見えている陽炎のようなもので、
そこに到達すれば日常化して見えなくなる一方で、
またその先の未来に浮かび上がってくる知的な情報体のイメージ。


CONTENTS


はじめに

私たちの世界は、A.I. を含む ICTによって大きく変わろうとしています。製品の仕分け、画像診断、自動運転、音声認識など、いわゆる「パターン認識」は、現在のA.I. が得意とするところで、この類の仕事はやがてA.I.に代替されていくでしょう。誰もが A.I. を使う時代になり、既成のA.I. ツールを使ったソリューションの活用も身近なものになります(これにはさほど高度な技術は要りません)。

A.I. に仕事を奪われることを悲観するよりも、A.I.との協働を考える方が賢明です。そのためには、A.I. にできることとできないことの見極めが必要です。また、「 A.I. とは何か」と同時に「人間とは何か」を改めて問う必要があります。



概要|現代における A.I. の分類

現在(第三次AIブーム)話題になっている A.I. は、その大半が「機械学習」ベースの「パターン認識マシン」ですが、広く A.I. に期待される能力には主に、認識・ 探索・推論などがあって、その分類の仕方にも様々な軸があります。以下にいくつかの分類基準を紹介します。

汎用型AI と 特化型AI

汎用型 AIとは、人間と同様に様々な問題に対応できる能力を持つもので、現時点では実現していない未来の AI と言えます。一方、特化型 AIは、自動運転、画像認識、音声認識、自然言語処理など、機能が限定されたもので、私たちの身近にある AI の大半は、特化型 AIと言えます。

強いAI と 弱いAI

強いAI弱いAIという分け方もあります。強いAIとは、人のように物事を認識して仕事をこなすもので、SF映画に登場するロボットのように、意味を理解すること*1、自意識を備えていることを想定しています。一方弱いAIは、人間のような自意識を備えたものではなく、人間の情報処理機能の一部を代替する機械的な存在です。汎用型・特化型とほぼ同様の区分になると言えるでしょう。

記号処理的人工知能 と 非記号処理的人工知能

これは、AI テクノロジーを区分するのに重要な区分です。以下、箇条書きで、その違いを紹介します。




人工知能の限界

シンギュラリティが到来して「人間を超える」というのは、あくまでも「機械」の能力が人間の様々な情報処理能力を超える(ちなみに、計算スピードや記憶の正確さにおいては、とうの昔に人間を超えています)・・という話であって、人間(生命)を超える「超人」が登場するわけではない・・と個人的には思います。以下、よく話題になる「AI の限界」に関するキーワードです。

フレーム問題

AIは、問題の枠組み(フレーム)が有限であれば、その範囲で最適解を導くことができますが、現実世界には様々な事象があって、それら関連しそうなデータをすべて考慮しつつ動くとなると、お手上げになってしまう・・というのがフレーム問題です。

例えば「机の上の書類を取って来い」という命令を例にとると、その書類の上にカップに入ったコーヒーがあった場合、人間であればそれをどかしてから書類を取りますが、ロボットは指示通りに書類を取ろうとして、コーヒーをこぼしてしまう可能性があります。

問題解決のためには、直接的には関係のない事象であっても、その問題を先に解決しないと次には進めないことがあります。関係のあるデータと関係の無いデータとの間に機械的な線引きをするためには、世の中の全データにあたる必要があるわけで、計算時間は無限大になってしまいます。

人間の認知・想像力にも限界があって、物事の周辺にはその関係に気づくことができない問題が潜んでいる場合もありますが、実際にはそれをある程度のところで「エイヤ!」と割り切ることも必要で、そのようなことは、身体的な「主観」を持つ生命的な存在にしかできないのかもしれません。

記号接地問題

実世界にある事物と、コンピューター内部で扱われている記号との関連づけに関する問題です。例えば、給与計算を行なっているときでも、コンピュータはそれが貨幣価値を意味することは考えていないし、外国語翻訳をするAIも、意味内容を考えて訳しているわけではありません。人間(生命)は、生きる目的や欲望を基礎として、世界を意味づけたり、価値を見出したりしますが、機械である AI には、それは起こりえない・・と言えるでしょう。


デザインの上流(創発)には向かない?

A.I.は、基本的に既存のデータに基づく判定や予測を行っています。したがって、A.I.が正しく機能するのは、最適化すべき対象が既存のニーズの枠組みを出ない場合に限られます。人間はそもそも「未だ見たこともないもの」に欲望を抱くことができません。革命的な新商品というものは、そもそも「過去のニーズ」から生まれたものではなく、それが世に登場することによって「新たなニーズを生み出す」ものと言えます。過去のデータや既存のニーズに注力しても、イノベーションは起きません。A.I. をデザインの上流に活用できるとすれば、未だ言語化されていない生の現実からデータをボトムアップ的に吸い上げて仮説が形成できる場合に限られます。A.I.にも「先人の話は聞くな(既存のデータを使うな)」、「生の現実をデータ化することからはじめよ」という指示が必要です。




人工知能の歴史

人工知能は、コンピュータという機械の進化にともなって、過去2回の「ブーム」と「冬の時代」を経て、現在は「第三次ブーム」の時代を迎えています。ブームというものはやがて去るものですが、AI のそれは、利用者が減って市場から消えていく・・という話ではなく、様々な AI が日常化・コモディティー化(同質化)して、私たちの社会にとって「あたりまえの存在」になっていく・・というものです。人工知能は、IT革命の大きな流れの中にあるひとつの技術として、ますます無視できない存在になっています。

AI 黎明期 1940年代〜

ダートマス会議以前という意味でのこの黎明期、 AI のアイデアとそれを実現するコンピュータが 登場しています。

第一次ブーム 1960年代〜

第二次ブーム 1980年代〜

コンピュータの性能向上と低価格化が進み、AI ワークステーション、ナレッジエンジニアが登場 したこの時期、IT ベンダーは続々とエキスパー トシステムを導入し、実績を PR しました。専用言語 LISP から 汎用言語 C への移行期でもあります。

第三次ブーム 1990年代後半〜

パワーを要するアルゴリズムを実装できるだけの処理速度と記憶容量の向上、クラウドコンピューティング環境の充実、また、様々な分野で「機械が人間に勝利する」という現象がおこり、シンギュラリティーへの危機感とともにその話題性が高まっているのが現在、第三次ブームの時代です。

KeyWords

データサイエンス

機械学習

ニューラルネットワーク


AI+ロボットが変える「仕事の現場」

人間の仕事が置き換わる順序*2

足 > 脳 > 腕 > 顔(表情)>手の指

チャットボット

人間の代わりにコミュニケーションを自動で行ってくれるプログラム。24時間365日問い合わせ対応可能、自動化による人件費の削減、ユーザーのインサイトの引き出しが容易、クレーマーも激昂しようがない・・など、企業側にとってのメリットが大きな技術。現状では以下の2タイプ。後者が AI。

参考:Dialogflow
音声およびテキストベースの自然言語での会話型インターフェイスを構築するためのサービスです。Googleのアカウントで利用可 https://dialogflow.com/


自動運転

人間の運転操作を必要としない自動で走行できる車。直感的な予想よりも実現が早く、AIが人の職業を奪う、その筆頭にあるのが車の運転です。自動運転車は、レーダー、LIDAR、GPS、カメラなど、自身が備えたセンサーで周囲の環境を認識し、目的地まで自律的(擬似自律的)に走行します。


医療システム

CT画像等を用いた診断において、人工知能は現状ではトップクラスの医師には勝てないが、医師平均を上回る性能出している・・というところまできています。さまざまな症例を経験した医師に匹敵するかそれ以上の「経験」を、膨大なデータの読み込みによってAIが獲得している・・ということです。

司法関係

AIは人間よりも膨大な量の条文や先例の知識を読み込んで記憶することができます。またその検索も瞬時。知識のある専門家が AI を使えば、これまで自身や助手がおこなっていた「時間のかかる調べもの」などは簡単にできてしまう状況にあります。

すべてではないにせよ「経験に基づいてパターンにあてはめれば処理ができる」タイプの仕事は、人間からAIへ・・ということになるでしょう。

医療診断同様、これまで人によって差がつくと思われていた「経験の有無」ですが、「パターンを認識して判断する」タイプの仕事については、AI が読み込む膨大な量の「経験知」にはかなわない・・ということになりそうです。

研究

AI は、医療診断、判例収集など、知的なパターン認識作業を代行できます。また、形式に添えば完成させられる科学論文も書けるレベルにあります。
(目的)>先行研究収集>仮説>データ収集>統計処理>結論(考察)
データがデジタル化されていれば(あるいはデジタル化可能であれば)、先行研究の収集から、仮説を立てることも可能でしょう。現にビッグデータ処理は、人間には処理しきれない膨大なデータから、人が気づかない新たな相関関係を発見する可能性があります。特に、パターン認知的な情報処理については、人の能力を上回っています。

では、人間にしかできない研究は・・
> とりあえずは、一次資料が「生」のもの。体育学、生物学、考古学・・・

クリエイティブ

AI は見事に作曲する、絵も描ける、ペン画に彩色もできます。時間単位の量産力は人間に勝る能力を発揮しています。創造行為に重要なのは「アブダクション(仮説形成)」で、これは AI には難しそうにも思えますが、分析技術の発展によって「答え」ではなく「仮説」が自動的に生成されるという AH(Automated Hypothesis:自動仮説)という言葉も囁かれるようになっています。

ヒトは、バーチャルなアーティスト(キズナアイ、初音ミク)に対しても「共感」し、ライブでは熱狂します。では、人間のアーティストはどうすればいいのか、クリエイティブと言われる分野でも、AI との関係を再構築する必要に迫られていると言えるでしょう。

教育

AIはすでに上位20%の大学に合格できるだけの問題処理能力を持っています。現行タイプの大学受験のために多くの時間を割いたとしても、その勝負では8割の人間が負けるということです。

TOEIC も800点以上。教師データが不足するケースではとんでもない誤訳をする可能性がありますが、標準的な表現についてはほぼ実用レベルです。

マニュアルを覚えれば済むこと、すなわち大半の「職業教育」はロボットに対して行う方が低コスト。結果、AIに置き換え可能な能力しか持たない場合、そのヒトは企業にとって必要のない存在となります。

現行スタイルの教育は、もともとは国益のため、工業社会における生産活動の担い手を育成する目的で始まった経緯があります。AIがその大半を担うということはどういうことか・・? 

しかし、だからといって、現行の受験・職業訓練に必要な能力の大半が不要になるということは考えられません。ヒトがこの社会で生きていくには、それに対応する能力が必要であると同時に、AIとの棲み分けを前提に、AIにはできない仕事で生活の糧(現金とは限りません)を得る必要があります。

教育は何を目的に行われるのか? 教育の本質を問い直す必要があります。


囲碁・将棋

囲碁・将棋など、ルールの決まったゲームに「強化学習」で対応する・・という分野では、AIが人間を超えたことが周知され、人間は敗北宣言しています。 ちなみに、藤井棋士は、AIの差す手を見て経験値を上げています。AIネイティブと言われる世代の棋士です。


兵器

人間の介入なしに標的を選び攻撃することができる自律的*3な兵器、すなわち、殺人ロボットの登場が間近に迫っています。

戦争のありかたを根本から変える事態が進行中で、AI技術者からも、様々な警告が発せられています。映画『ターミネーター』のお話が現実のものとなつつあるといえます。

AI・ロボットの最大の特徴は「自分の身を守ることよりも攻撃することを優先できてしまう」ということです。

かつて技術開発というものには大きな予算が必要でした。したがって、まず軍事目的として開発されたものが、民間へ応用されるという流れが一般的だったのです。世界初のコンピュータ ENIAC も、その目的は弾道計算でした。しかし、今は逆です。低予算で民間が開発した技術が、軍事へ応用されるようになっているのです(ドローン、ロボット・・)。まさに、『ターミネーター』の世界です。

一方で、近年その危機感が高まっているのが「社会を混乱させて体力を奪う」タイプのAIの活用です。ディープフェイクなどの技術で、偽のニュース映像などを流すことで、社会をパニックに陥れる・・これは今、最も安価な攻撃手段であると想定して、対策の検討をはじめなければならない問題です。

AI + ロボット が変える社会

ビジネスのあり方

AIの技術(ソフト)そのものはオープンソースが基調で、有料にしたとしても価格破壊はあっという間に起きることが予想されます。よって、ソフトで収益を得るという発想は難しいでしょう。現に「アルファ碁」のソフトも、それ自体では金儲けはできていません。

しかし、AIがフィジカルな部分に出てくると(例えば自動運転車)、それなりに収益に結びつきます。ハードは無料でコピーできませんから、確実にお金が動きます。

むしろ、大きな価値を持つのは「良質のデータ」です。現在大手ITは、ソフトウエアサービスを無料で提供するのと引き換えに、膨大な顧客データを収集して、AIに「食わせて(育てて)」います。大手ITのこれまでのふるまいの狙いは、実はここにあったとも言われます。


資本主義社会のありかた

資本主義に必要なのは、土地・資本(工場)・労働者 の3つ。AI、ロボットの時代には、労働者がいなくなります。すると資本主義の根幹が破綻します。一見、資本家だけが儲かる・・という状況に見えますが、労働者にお金がいかないと商品も売れなくなります。再分配の問題を考えなければ、社会は持続可能ではなくなってしまいます。

そこで、登場するのが、ベーシックインカムという発想です。要は、ロボットが稼いだ分を国民全員にばらまく・・というものです。すでにいくつかの国で社会実験の事例があります

ただし、ベーシックインカムには大きな前提があります。それを賄えるだけのものを、自分たちの AI + ロボット で稼ぎ出せるか・・ということです。

現在の日本は、この分野では周回遅れの位置にあるともいわれます。ロボットの稼ぎの大半が外国に流れる・・という場合は、ベーシックインカムの財源は確保できません。国家という社会の境界は簡単にはなくならない。またこの国から逃げ出すという発想は採らない・・という前提での話ですが、だとすれば、日本も自分たちの力でその競争に勝つためのAI+ロボット開発の技術力を身につけなくてはなりません。かなり厳しい現実であることは確かです。

近代資本主義から250年

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5700

AIがもたらす大量失業?

これは未来の話ではなく、すでにおこっている現実です。AI を持ち出すまでもなく、IT 技術がもたらした定型業務の自動化は、職場からどんどんヒトを追い出しています。パターン認識ベースの仕事は AI に置き換わります。マニュアルを覚えて対応する仕事は AI + ロボットに置き換わります。高度に専門的と言われる仕事でも、それがディープラーニングが得意とする「パターン認識」業務であれば、ヒトからAI へと代替されるのは時間の問題です。これによって多くの人の「現在の職場」が無くなるでしょう。その意味での大量失業は間違いなくおこると考えられます。

しかし一方で新しい職業も生まれてきます。パターンに対応するだけの「つまらない仕事」から解放される分、新たな価値を創造する仕事が増える・・と考えて、早期に未来を見据えた能力の開発を行うことが必要だといえるでしょう。

ここで不安になるのは、それができる人がどれくらいいるのか・・ということです。現在のところ AI は自然言語処理が苦手です。しかし残念なことに、現代の子どもたちに圧倒的に欠けているのが、この文章理解力です。教育が今のままでは、大半の人間が AI に職を奪われるだけで、AI にできないことをできるようにはなりません。教育の改革が急務です。

産業革命以降、近・現代に求められたのは「組織において奴隷のように働くスキル」でした。そしてその能力を証明するために「持っていた方が有利」と言われるのが「資格」でした。しかし、現在の AI は TOEIC で 900点以上。大学入試問題でも、上位20%の大学に合格できるだけの問題処理能力を持っています。要するに、パターン認識的なスキル(試験でいい点数を取る能力)では AI には勝ち目がない、日本の教育現場で行われている従来型の「お勉強」の大半は、未来への投資にはならないということです。

MEMO:プロイセン型教育
日本の義務教育制度は、19世紀ドイツの「プロイセン」教育の影響をかなり強く受けた背景があります。それは、従順な兵士を育成するため、そして工場で歯車のように働く労働者を育成するために開発された教育手法です。
 現在この国では 40万人が不登校になっていると言われますが、これは子供達の側の問題なのでしょうか。むしろ、現在の日本の学校教育が、すでに時代に合わないものになっていると考えるべきでしょう。2020年に発生したCOVID-19のパンデミックで、多くの人が「教室に長時間拘束されなくても学習はできる」ということに気づきました。教育のスタイルは大きな変革期を迎えています。

「失業」か「解放」か

仕事を奪われるのが怖いというのは、収入が得られなくなるからでしょう。しかし、ロボットが働いて得たものが「ベーシックインカム」というかたちで配分されるのであれば話は変わります。ベーシックインカムは金である必要はなく、「衣食住に必要なもの+α」の現物支給でも可能です。

ほぼ無尽蔵にあるといっていい太陽光エネルギーで、食料や生活必需品、建築物、そしてロボット自身を増産する。頼めば必要なものをどんどん作って提供してくれるのであれば、食べるために働く必要はない。「働く」は収入を得るためではなく「傍を楽にすること」、「新たな価値を創造すること」を目的にすることができます。

生物としての人類が必要としているのは「金」ではありません。生きるのに必要な物資です(近代社会では、それを効率的に得るために、資源としてのエネルギーをめぐって武力戦争や経済戦争が行われてきました)。それが太陽エネルギーを起源として、勝手につくられるのであれば、我々はもはや経済奴隷として仕事をする必要はありません。「失業」を「解放」と考えれば、未来の見え方は変わってきます。

そもそも労働の対価として賃金を得て生活するというのは、ここ数百年の話に過ぎません。チケットとしての現金を回すという現代社会の常識を離れれば、AI+ロボットが活躍してくれる未来は明るいのかもしれません。なぜなら大元となるエネルギーは太陽光というかたちでほぼ無尽蔵にあるのですから・・

古代ローマでは、奴隷が働いて、ローマ人は議論に明け暮れる自由な暮らしをしていた…?。未来では AI+ロボットがセッセと働いて、人間は自由に暮らせるようになる・・というのが究極の楽観論といえるでしょう。

ただしもちろんそれは、AI+ロボット によって生産された富が、格差なく世界に公平に分配される・・ということが前提です。現在多くの国が、その勝ち組になろうとして開発競争に勤しんでいます(日本はかなり出遅れています)。AI がもたらす富がまわってこない・・となると「破綻」です。これが究極の悲観論といえるでしょう。

いずれにしても、この先 2〜30年で、AI+ロボットが 20世紀型の世界を大きく変えることは必至です。状況は待った無し。社会の仕組みを変える準備をはじめる必要を感じます。


「情報」の観点からみた世界史

情報にはインフォメーションとインテリジェンスの2つの側面がありますが、AIが台頭する今後は後者の方が重要になります。

情報からみた世界史は「平等化」への道のりでした。グーテンベルクの活版印刷は、すべての人に聖書をとどけ、インターネットは世界に均質な情報空間を作りました。モノは金持ちにしか手に入れられませんが、情報は基本的にすべての人に平等に届きます。

しかし、AIの時代はどうでしょうか? 情報の平等性や公開性はかわらないにしても、大量の情報を保有したり、解析したりといったことは、「機械」というモノに偏在します。それを持てるものだけが有利になるという非対称性が生じる可能性があります。

参考:AI 2045(日本経済新聞社)



機械と人間に共通すること

自己複製

自己複製は、生物一般のみならず、生物と無生物の中間にあるウイルスにも、コンピュータウイルスにも共通に見られる現象です。一般に自己複製は「情報体」というものに共通する現象で、複製されない情報には情報としての価値はない・・といっても過言ではないでしょう。

代謝・生体維持

自身の体を守れ・・これは、生物に限らず機械にも可能です。それはすでに自己充電管理(食料確保)と武装(防衛)によって実現しています。AIを支えるハードは、生物のような分子レベルの代謝はしませんが、状態の悪くなった部品を自ら判断して除外・交換することや、自らエネルギー補給(充電)することができるのです。

AI には「身体性」が無い・・と言われますが、「自身のハードを守れ」という防御プログラムが動くロボットは、側から見れば自我をもった生き物のように見えます。ハードウエアのセンシングに基づく、「今・ここ」の情報が加味されて動くのであれば、見た目は人間と変わりません。



機械 / 人間

他律系(Heteronomous System) / 自律系(Autonomous System)

機械は他律的で、生命は自律的です。AI に関して「自律システム」という言葉がよく用いられますが、その行動原理(メタレベルのルール)はプログラマーによって書かれるので、厳密に言えば、それはどこまで行っても「他律システム」です。自ら充電スポットへ移動するロボットを見ると「自律的」にふるまっているように見えますが、「バッテリー残量がある値を下回ったら充電スイッチをON」というのは、プログラマーが書いたシナリオどおりで、他律的なものなのです。
 一方、生命は、自らその行動のルールを定めることもできる点で「自律系」と言えます。もちろん「遺伝子決定論」や「脳決定論」など、自然法則がすべてを決定するのであって、人間にも「自由意志」は無い・・といった考え方もありますが、「プログラムされない限りは自分で勝手に充電を始めることのない機械」と「教えられなくとも自発的に食料をあさる生命」との差は歴然としているのではないでしょうか。

絶対情報の把握・・ できる / できない

機械が持つセンサーは、物理的な「絶対値」を得ることができます。例えば、重さや、長さの計測はもちろん、 GPSを使って地球上における自身の絶対座標を得ることができます。

一方人間は、重さや長さを正確に把握することはできないし、また、目隠しで放り出されると迷子になります。

自己修復・・ できる / できる

AI は、自身のハードの問題を検知し、自身で問題部分を破棄、修復することができます。またウイルスに対しても、ワクチンプログラムがあれば、それによってウイルスの除去が可能です。さらに、そしてその情報を自身でアーカイブすることができます。

一方生命は・・

静的保存 / 動的状態(流れ)・・ できる / できない

機械の脳は電源を入れたり切ったりできます。ハードを静的なモノとして、またソフトも01の並ぶ「状態」として静的に記録することができます。

一方、生物の知能は、その動きを止めることができません。眠っている間も脳は活動しています。

ハードとソフトの分離・・ できる / できない

機械の脳では、ハードとソフトの分離・再構成が可能。一方で、生物の脳の神経系は全身につながっていて(つまり記憶も結線情報つまりハードウエアと連動していて)、ユニットの交換のような操作は不可能です。記憶はハードのカタチにも現れるのです。記憶だけを取り出して移動させることはできません。

学習に必要なデータ ・・大量 / 少量 ?

機械学習には大量のデータが必要だが人間は少ない情報で学習する・・というのはよく聞く話ですが、本当にそうでしょうか。これには疑問があります。

確かに幼児が「犬と猫」を見分けるのに、それほど情報を要しないように感じますが、実際にそれと接する体験的場面では「上下左右あらゆる角度から時間をかけて」見ています。結果、動きの特徴も含めた多次元のデータを無限大とも言える量で取得していると言えるでしょう。機械学習には大量のデータが要る・・というのは、それが時間軸を持たない2次元の画像を前提としているために、そのような印象を持ちやすい・・ということかと思います。

余談となりますが、その意味で「百聞は一見に如かず」という言葉は非常に的を射ています。犬と猫を図鑑(2次元のデータ)で見ても、極めて貧困なデータ入力にしかなりません。2次元の画像というのは、機械学習に与えられるデータと同じで、学習するには大量の画像が必要になる・・ということが容易に想像できます。ヒトの学習にとって「現物に接する」、「実体験する」ということがいかに大切であるか、「百聞は一見に如かず」はそのことを言っているのだと思います。昔の人もそれなりに十分賢い。

決断・・ できないことがある / ある

計算結果・評価が拮抗した場合、極端な例でイコールになった場合、コンピュータは判断停止します(実際には停止させるわけにはいかないので「イコールの場合は前者を選択」などとプログラミングすることになりますが、これは要するに人間が判断して決めています)。わからなくても、どちらかを選んで動く。良いか悪いか、好きか嫌いか、最終的な決断は人間の特権かもしれません。

アブダクション(仮説形成)・・できる / できる

19世紀の論理学者C.S.パースは、帰納法演繹法に次ぐ第三の推論形式として「アブダクション」を提唱しました。そのプロセスは以下のようなものです。

1)「驚く」べき事実が観察される(リンゴが落下するのを見る)
2) ある仮説を構築すれば、その事実は説明可能になる(万有引力の法則)
3) 仮説が正しいことを検証する

AI がこうした仮説形成(AH:Automated Hypothesis:自動仮説)をするようになると、データの分析>仮説>検証といったクリエイティブな研究のすべてを AI が実行できることになります。デザイナーや研究者のような職業も、AIに代替される可能性が出てきました。

ただ、最初の項目の「驚く」こととか「そもそも何で?」という「問い」は人間にしか出来ないのかもしれません。データから、新たな関係を見出すことは AI にできたとしても(しかもそれはおそらく我々が想像する以上に膨大な数になる)、「なぜ?」という問いや、「それが何かに使えそう」と感じる意識がなければ、次のステップである仮説の構築にはいたりません。

ちなみに、驚くべき報道「AIが物理法則を発見」は以下です。

コンピュータが、揺れる振り子の動きから、運動の法則を導出
Michael Schmidt, Hod Lipson, 
Distilling Free-Form Natural Laws from Experimental Data, 
2009, Science Vol.324 

https://www.wired.com/2009/04/newtonai/

文脈を読む能力・・部分的にある / ある

文脈を見て、そこに最適な言葉を入れる・・といったことは、統計的な処理によって可能です。すでに、漢字変換等はその仕組みを使っています。

自然言語処理能力・・ 今のところない / ある

自然言語処理には「意味」の理解ができていることが必要です。しかしAIの本質はコンピュータ、つまり加算・乗算しかできない電子計算機であり、そこでできることは論理的手法か、あるいは確率・統計的な手法に限られます。現段階では AI は「意味」というものを扱うことはできません*4。あくまで「現時点では」です。しかし、おそらくそれも時間の問題で、やがては人間のように意味を理解する「強いAI」の登場が予想されています。

付記:意味とは
「意味」とは何か。これは「言語」にとっての最大のテーマ言っても過言ではなく、私にそれを語る能力はありませんが、いくつか手がかりはあります。


身体性・・ ない / ある

現在のAI 、ニューラルネットワークは、人間の脳をモデルにしていますが、言いかたを変えると、「脳だけ」をモデル化したものであって、そこには身体との連携が含まれてはいません。

機械は、外部との物質交換のない「閉鎖系」で、また、ハード(デバイス)とソフト(OS・アプリケーション)の分離・再構成も可能です。一方、生物の身体は外部との交換を遮断できない「開放系」であるとともに、ハード(身体)とソフト(思考・記憶)が切り離せない関係になっています。脳という神経細胞のセットから思考回路や記憶だけを取り出して、他の個体に移植するといったことができない点で、AIとは大きく異なります。

生物の脳は、身体から切り離すことはできず、自律分散的に協調する複数の細胞と関わっています。身体が発する痛み、消化器のはたらき、血液の循環状態、さらに言えば、身体を出入りする物質やエネルギーの作用も受けるのです。

生命・・ ない / ある

AI は生命と言えません。理由は簡単。「死」が想定されていないからです。
「生」という言葉は「死」と対峙するかたちでその意味を担っています。

意識・・ない / ある

そもそも「意識とは何か」ということ自体が「謎」なので、なんとも言えないのですが、AI が意識を持つか・・という点については個人的には懐疑的です。

AI に「意識があるかのような」振る舞いをさせることは可能で、それと対話する人間の側が「AIには意識がある」と感じることはあると思います。

非生命は、孤立系の中で静的に存在することが可能ですが、生命は定常開放系において動的に維持される身体をもつものであり、その意味で、意識も時間の流れの中においてのみ、動的な存在として立ち現れるものではないかと・・・

AI が人間と同じように意識を持つと仮定すると・・・

「いま・ここ」という身体性から切り離され、「死」のない世界(無時間的な世界)で動作する知能を「意識」とは呼ぶには違和感があります。


*意識と無意識の役割分担・・ない / ある

AI に人間と同様の意識があると仮定すると、意識化されなかった刺激が無意識が沈んで、これが様々なかたちで表面化する・・ということになりますが、AI は基本的にすべてのデータを同様に扱うので、意識と無意識といった概念は成立しないのではないかと思います。

睡眠(Sleep)中に、記憶の整理をする(デフラグ)というような部分は、人間と似ていますが・・

自我・・ ない / ある

身体を持たないAIは、自己意識(セルフイメージ)という幻想を持ちません。確かに AI は、作文・作画・作曲ができるし、バーチャルな AI キャラクターに対して人間が共感するケースがあることも確かです。しかし、自分を意識していない存在が、データに基づいて作り出すものに、人は「創造性」を感じるのでしょうか? この見極めが重要であると思います。

「忘れる」という戦略・・ ない / ある

生物の脳は、その生体維持に不要な情報を忘却します。自我を不安的にするような情報を積極的に忘却するのも、明日を生きるための戦略です。

驚き・好奇心・問題意識・・ ない / ある

聞かれなければ答えません。与えられた条件を満たさない限り、自ら問題を感じて、勝手に動き出すことはありません。好き嫌いや、面白いかどうかといったことも、統計的にどうかという判断しかできません。

上でアブダクションについて触れましたが、「驚く」こと、「問い」を立てること、「面白い」と思うこと、これらは、人間の持つ「身体感覚」や「潜在意識」のような、ハードとソフトが切り離せない生物にしかできないことであるように思います。ここに人間の価値を見出すことが必要であると思います。

「面白い!」の創造(新奇性)・・多分できない / できる

多くの人が「AIはスゴい!」と言います。でも人間が求めているのは「スゴい」の先にある「面白い!」です。お笑いタレントの過去の発言を収集して、受けそうなフレーズを作るといったレベルの「面白い!」であれば AI でも可能ですが、誰もやったことがない「新奇性」のあるコンテンツを作るのは難しい・・

AI は、過去のデータからニーズを汲み取る能力には長けていますが、未だかつて誰も見たことがないものは、ニーズを探っても出てきません。

顧客のニーズを探り、売上を向上させることが求められるビジネスの現場では、AI の活躍が期待できますが、こんなものがあったら面白いのではないか・・というヒラメキには、人間に特有の「おバカな思考回路」が必要です。

Stay Hungry. Stay Foolish.    Steven Paul Jobs 1955-2011


価値生成 ・・多分できない / できる

意味・価値、この人間の意識に特有の「共同幻想(Y.N.ハラリ流に言えばフィクション)」を扱わない限り、人の脳と同様のものはできないでしょう。AI は 「区分ける」こと(パターン識別)は得意ですが、「名付ける」ということはできません。つまり、De + Sign はできません。AI には「価値」を生成することはできない・・と考えます。

付記:人間と機械のハイブリッド化

私たちはすでに、機械的なものによって身体を拡張しています。

AI は神になるのか?

はじめに議論の前提を確認します。私は人間という存在を「本能が壊れた生き物」であり、本能に替わるものとして「言語によって構造化された擬似現実(共同幻想)」を共有することで、自然界に適応している・・と考えています*5

神々の物語(フィクション)は、世界各地で同時多発的に進化した言語ととにあるもので、人間が、異なる言語(文化)で分断されている以上、その世界認識の違いや価値観の違いがもたらす揉め事を 0 にすることはできません。

重要なことは、一つの言語、一つの共同幻想で世界を統一することではなく、異なる言語、異なる共同幻想、異なる価値観の存在を、お互いに認めあうということ。「わかりあえるはずだ」という前提に立つのではなく、「わかりあえない」ことを前提に、言葉を交わしながら共有部分を広げるとともに、お互いの価値観の違いを認め合うしかありません。世界中のみんなが、自らを相対化し、多様性を認めるというメタレベルの思考ができるようになることが、重要であると考えています。

神は人類最初の発明

神々の物語というフィクションをみんなが信じるという「認知革命」以後、人類は「神の言葉」に従って物事を判断していました。

神の存在を措定して、神の教えに従って社会を統治することは、法を整備するよりもシンプルかつ効率的です。

悪いことすると罰があたりますよ。天国に行けませんよ。

神を信仰すること自体には問題はなく、神を共有する集団内部の秩序維持にはコストパフォーマンスのよいアイデアとなるかもしれません。

しかし異なる神を崇拝する集団間が対峙したばあい、一方の神が他方の悪魔とみなされる場合があります。歴史を見れば明らかなとおり、宗教と戦争とは無関係ではなく、神と悪魔は同時に誕生します*6

神のようにふるまう AI

現代社会では、サイエンス、テクノロジーという名のグローバルな「原理」が、私たちの思考を洗脳しています。

私たちは、大量のデータ(根拠)にもとづく、収益の最大化や、効率アップを目指して、AI の判断を仰ぐようになっています。

AI の提案にもとづく経営判断、AIの提案にもとづく採用人事、AIの提案にもとづく医療行為、AIの提案にもとづく教育(学習)・・、より具体的には「AIの提案にもとづいて犯罪が起こりそうな場所をパトロールする」などの仕組みが、すでに運用されています。

あらゆる商品の宣伝文句として「AI搭載」がまかりとおる状況は、すでに人類が「自分で考えるよりAIに任せた方がいい」という思考停止状態になっていることを示しています。

例えそれが科学によって裏打ちされたテクノロジーであっても、「それを無条件に信用する」社会は、「宗教」に支えられた社会と同じ問題を孕むことになります。異なる「神」を崇拝する者同志が争うのと同様、異なるシステムに依存する者同士は争うことになります。つまり AI を「神」として無条件に受け入れる社会には、同時に「悪魔」の AI が誕生します*7

居眠りする人間よりも AI 自動運転の方が事故は少ない。AI よりも「ヤバイ人間」の方がよほどタチが悪い・・だから AI を人間のコントロー下には置かず、AI を神として位置付ける方が安全だ・・という議論もありますが、私は「神と悪魔は同時に誕生する」と考えるので、AI の起動・停止だけは、人間のコントロール下に置くべきであるという立場をとります。

AI が自分自身をアップデートしはじめる(シンギュラリティーの一種)前に、AI が暴走する前に、生じうる様々な問題を想像して、それに備える必要があるでしょう(生命倫理の問題と同様、利害が衝突することは容易に想像できるので、実際にはかなり困難なことだと思われますが・・・)。



AI をどのような存在として、この社会に組み入れるか・・技術の進歩の方が早過ぎて、社会的な合意形成ができていない状況を重く受け止めて、みんなが知見を深める場を設けていくことが必要です(この授業もその一環です)。




AIに関する覚書

AI の弱点

デザイナーが気をつけるべきこと

例えば空間デザインの分野では、通信インフラへの配慮が重要な課題となります。私たちの住む世界には送電網、通信網、無線基地局などがあって、これがAIの成立基盤となっていることを忘れてはなりません。AIの多くはクラウドベースで動作するもので、ネットワークインフラがなければそれはただの箱と化します。自然災害、事故、テロ。それらを想定して、インフラを柔軟に維持する空間のデザインが必要です。

また例えばプロダクトデザインの分野では、IoT機器の開発にAIの時代特有の配慮が必要になります。スマートスピーカー、テレビ、掃除機、調理器、エアコン、照明・・すでにあらゆる家電製品にセンサーとアクチュエータを備えたAI技術が導入されていて、大半はインターネットとの接続を前提としています。ここで用いられているプロトコルには脆弱性が指摘されていて、情報の漏洩、不正な監視や盗聴、さらには乗っ取りによる破壊的行為などの危険性が指摘されています。自動運転やロボットの開発と同様、ユーザの意志に逆らって暴走するようなことがないよう、デザイナーが想像力を働かせる必要があります。

AIを学ぶ環境

AI 技術の多くはオープンソースです*8。現行制度の大学や研究機関といったクローズドな環境では(今だに知的財産がどうのこうのといった話も多く)事がはかどりません。AI はクラウド・インターネットと相性が良い技術で、インターネット文化の代名詞ともいえる「オープン」な環境で学習する方が効果的です。GitHub のようなオープンな開発環境への参加の検討をおすすめします。



APPENDIX

参考文献

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