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HomoSapiens のバックアップ(No.1)


ヒト

Homo SapiensRedList:LCGlobal Invasive Species Database:Not listed


CONTENTS


はじめに

ヒト(ホモ・サピエンス)という異端のサルは、他の動物とは異なる認知方略と生存戦略、すなわち、「幻想の共有」と「予見と計画」をもって、あらゆるモノ・コトをデザインします。ヒトについて知ることは、デザインの原点を知ることにつながります。

生物学上のポジション

哺乳綱(Mammalia)> 霊長目(Primate)> ヒト科(Hominidae)> ヒト族(Hominini)> ヒト属(Homo)> ヒト(種名)( H. sapiens)

私たち ホモ・サピエンス は、ホモ属(ヒト属)の最後の生き残りです。

類人猿(ヒト上科のサルの総称)

ホモ属

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人類の拡散




地質時代区分

地質時代は、大量絶滅など生物の様相の大きな変化を境に区分されています。

先カンブリア時代:地球誕生から 5億4100万年前まで

注1)冥王代、太古代、原生代、顕生代という4区分もあり、その区分では最後の顕生代は、先カンブリア時代以後の古生代、中生代、新生代 をまとめた時代を意味する。
注2)全球凍結イベント:約22億年前、7億年前、6億年前の少なくとも3回

ー ー ー V-C境界 ー ー ー

古生代:生物が多様化。魚類、両生類の進化と生物の陸上進出

ー ー ー P-T境界 ー ー ー
超大陸パンゲア直下に達したスーパープルームにより、大量のマグマが発生、爆発的噴火による塵の影響で、地球全域が急激に寒冷化 > 大量絶滅

中生代:爬虫類の時代

ー ー ー K-Pg境界(K/T 境界)ー ー ー
現在のメキシコのユカタン半島に、直径10~15キロメートルの小惑星が衝突して急激な環境変化 > 大量絶滅

新生代:鳥類・哺乳類の時代

人類略史

垂直軸(時間軸)におけるヒトの理解

以下、ヒト上科の分岐から最近までの人類の歴史を概観したものです。個人的な趣味に基づく項目が多分に含まれていますので、あくまでも「ヒトについて考えるヒント」・・という程度で眺めて下さい。

私たち個体が生きている時間はわずかです。長いスパンで歴史を振り返ると、人類は、進化の過程で何度も絶滅の危機に遭遇してきたことがわかります。
 氷期の到来、火山の破局的噴火、新種のウイルスとの遭遇・・持続可能な未来のデザインには、もっと長大なスケールで物事を考える必要があります。

遺伝的なターニングポイント

近親種(デニソワ, ネアンデルターレンシス)との違い?

デニソワ, ネアンデルターレンシスなどは、現生人類と各所で交雑があったことがわかっていて、例えば、ネアンデルターレンシスとサピエンスのDNAから現代ヨーロッパ、アジア人の遺伝子には約2%の痕跡あると言われます。

また、衣服、装飾、埋葬、ストーンサークル等の存在も共通、骨格等の状況から会話能力もあったと考えられています(FOXP2遺伝子は共通)。現時点で、両者の差異をあえて強調すれば、以下のような事項がホモ・サピエンスの特徴と考えられます(完全な線引きができるものではありません)。

世界中で行われている遺跡の発掘と、DNA解析技術の向上(2006年ごろから)によって、「人類史」は日々更新されています。

逆ホメオスタシス

一般に生物は、環境に適応して体の状態を維持することができます。これをホメオスタシス(恒常性:内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向)と言います。しかし、人類は個体レベルで環境に適応することから、個体を取り巻く環境を調整することへと生存戦略を逆転させました。服を着る、ストーブを焚いて室温を上げる。特定の場所に定住し、周囲のものを作りかえていく(デザインする)。つまり内部と外部を隔てる「膜」の位置を「個体表面」から「衣服」>「住居」>「都市」>「社会」へと拡大していったのです。結果として、個体として他の生物のように自然界に適応する能力は退化しています。

この逆ホメオスタシス現象こそ<過剰なる文化>がもつ両刃の剣であった。
外界の対象を迂回させることは、自らが迂回する能力の退化を並行する、
外なる自然の征服は内なる自然の破綻を呼ぶ。
文化は本能が退化したためにこれを補填すべく作り出されたものではなく、
その逆に、人間は文化をもったが故に、本能の歯車を狂わせたのである。

丸山圭三郎, 生命と過剰,1987





ヒトとチンパンジー

水平軸(空間軸)におけるヒトの理解

視線を垂直に時間軸を遡って過去から現在を眺めたあとは、視線を水平にして、現在の地球上で共存する他の生物との比較をしてみたいと思います。比較の相手は、進化の隣人であるチンパンジーです。

ニホンザルもチンパンジーも含めて「サル」と一括されることがありますが、実はそれは非常に乱暴な区分で、ニホンザルとチンパンジーでは大きな差があります。逆に、人とチンパンジーでは遺伝子レベルで98.4%程度一致していて、わずかな差しかありません。

遺伝子レベルの差異と、表現型の差異とはまったく別です。表現型は人間の視覚がとらえた差異にすぎません。私たちホモ・サピエンスは、コモンチンパンジー、ピグミーチンパンジー(ボノボ)と並ぶ、第3のチンパンジーなのです。

ヒトはどう生きるべきか。ヒトという生物が採用した戦略の特性を、そこまで遡って考えることが重要です。

直立二足歩行

これには、当然のごとく諸説あります。石や棒を持つのに都合がよい(実際、ヒト以外の猿も、何かを持った状態ではふつうに2足歩行します)、直立は日光に当たる面積を多くする(体温調節)、大きく見える(威嚇)、採集行動に都合がいい、樹間の移動に効率がいい、水中生活に合う・・などなど。有力なのは「物を運ぶため」というものですが、「水辺」での生活・・というのも興味深い話です。
 魚貝類の採集生活・・これは確かにヒトの特徴かもしれません。アフリカに住むチンパンジーで、魚を食べたという報告はないようですし、一般に、チンパンジーは泳ぐことができず、水を避ける傾向があります。そもそもチンパンジーの体脂肪率では水に浮くことができません。
 ヒトは進化の過程で水にもぐったのではないか・・。映画「ACRI」(石井竜也監督)に登場するホモ・アクアレリウスというのは、「人魚」のお話ですが、確かに「体毛が無い」というのは 水棲哺乳類(カバ、ジュゴン、クジラなど)の特徴です。

食物

果物、野菜、肉・・雑食であることは同じですが、決定的な違いは当然ですが「加熱したものを食べているかどうか」です(非加熱のデンプンと、加熱後のデンプンの違いで、虫歯の悪玉菌繁殖力がかわります。野生のチンパンジーに虫歯はありません。)。

肉食という点については、先述した魚介類を食べるか否かのちがい、またヒトの狩猟対象が有蹄類(偶蹄:牛、奇蹄:馬、長鼻:象)であるのに対し、チンパンジーの狩猟対象は霊長類が多いという違いがあるようです。

移動と定住

ヒトもチンパンジーも大型動物であり、基本的には「移動」生活が前提です。しかし、人類は約1万年前に「定住する」という戦略を採用しました。
 巣をつくって定住する小さな動物は、排泄のコントロールが上手ですが、移動する大型動物は所構わず・・という状況。犬・猫・うさぎなどのトイレの躾は簡単ですが、チンパンジーにはおむつが必要・・と同様に、ヒトの赤ちゃんのトイレットトレーニングには長い時間を要します。ヒトも基本的には「移動生活」をする生き物であることがわかります。
 定住の歴史はわずか1万年。人類の歴史からみると、現在の我々の日常は異常な状況にある・・という認識は重要です。

短期記憶

目の前のパターンを瞬時に記憶するということについて、ヒトはチンパンジーよりも能力が劣るといわれます。ヒトはその能力を犠牲にして、他の能力(長期記憶? 言語?)の開発に脳を使うことを選んだと考えられます。

京都大学霊長類研究所 動画DB

イメージ認知能力

チンパンジーなどの大型類人猿は、鏡による自己確認や写真の認知が可能で、またペンを使った落書き行為もします(ニホンザルなど旧世界ザルは落書きはしません)。人間の描く絵との違いは何か? 以下参考例です。


音楽を認知する能力

チンパンジーも「音のリズムに自分の動きを合わせる」ということを自然にします。音程を分けてコントロールできるか(音痴でないか)は不明ですが、時間軸上の秩序を認知するリズム感については、ヒトとチンパンジーに共通に備わった能力と言えそうです。

道具活用能力

智恵というレベルでは、チンパンジーも意外に優秀です。「パイプの底に落ちたピーナツを取る」という課題に対しては、子供のチンパンジーでも「水を流し込んで浮かせて取る」ということをやります。人間の場合は8歳以上でないと正解できません。
しかし、道具を使って道具を作ること(二次製作、例えば石斧を使って弓矢を作る)となると、難しくなりますし、もちろんコンピュータのような「形式的な知識」を要する機器操作は人間に軍配が上がります。

付記:道具の起源
道具には「武器」としての起源があります。素手では無理でも、武器を持てば、体格的弱者が強者に勝つこともできる。これは、生物一般の社会秩序と人間の社会秩序の違いを生んだひとつの要因といえます。

凶暴性

一般に動物のオス同士の戦いでは、相手が腹を見せるなりの降参の姿勢を見せると、それ以上の攻撃はしませんが、霊長類は凶暴です。チンパンジーの子殺しは頻繁に観察されているものですし(親近感のあるキャラクターですがチンパンジーは「猛獣」です)、またインドに生息する多妻型のハヌマンラングールの雄の場合、ハーレムを勝ち取る際に、雄に攻撃を仕掛けるだけでなく、その群れの雌が抱えている乳児を全て食い殺すという現象も観察されています。

ヒトの場合はどうでしょうか? 全体をおしなべてみれば「共生戦略」をとることで平和的に繁栄した生物のようにも見えますが、1万年変わらぬ暮らしをしているアマゾンのヤノマミ族では、民族内部の戦争状態が断続的に続いているし、先進国といわれる国々でも、戦争も含め、殺人は横行しています。

凶暴な性質を持つという点について、ヒトと類人猿を分ける境界は明瞭ではないのかもしれませんが、ヒトが行う「殺し」は「食べる」という行為とは一般に結びつかないこと、また、自身の肉体が傷つけられることよりも「自尊心」という「幻想」を傷つけられたときの方が怒り狂って凶暴になることなど、類人猿とは凶暴性のメカニズムが異なっているといえます。

計画性

ゴリラは、餌場へ向かう際に、餌をとるための道具を持参するという計画的行動をします。ただし14時間以内。長期的な先読みはできないようです。

協力

ヒトは幼児でも無条件に人に協力しますが(たとえば大人が落としたものをサッと拾って渡してくれます)、チンパンジーは見返りがなければ協力しません(自分に利益があることが必要条件です)。「見返りのない協力」「共通の目標に向かって協力」・・これはチンパンジーにはない、ヒトの特徴です。

…ところが、最近の研究で「見返りのない協力」も行うことがわかりました(ただし、相手から要求があった場合であり、ヒトのように自ら進んで協力することはありません)。

 
ちなみにイヌは協力する社会をつくります。またその協力関係は、種をこえて、ヒトとイヌの間にも成立しています。


シンボル操作

チンパンジーは、死体を埋葬する(墓づくり)のような、高度なシンボル操作に関わることはありません。また下の例でもそうですが、指差し、つまり指という記号が指し示すもの、を理解・活用することは難しいようです。以下のような実験事例があります。

2つのカップのいずれかに、中身が見えないように、また臭いで気付かれないように餌をいれ、実験者がヒントを与えるかたちで、どちらのカップを選択するかを試したところ、二択実験では・・

つまり、チンパンジーは「指差し」を理解しない。実験者が餌の位置を教えているとは想像しない・・ということです。

ただ、こんなこと(指示出し)をするキツネザルもいます。
https://www.youtube.com/watch?v=WXM8tUnSJ3o
 
ちなみにイヌは、指差しや、アイコンタクトを理解します。ヒトとイヌに共通しているのは、白目があること、すなわち「私が何を見ているか」をオープンにして「協力する」戦略をとっているということで、その協力関係は種を超えて成立しています*1


言語

音声によるコミュニケーションは、もちろんチンパンジーも行います。しかし、ヒトが用いる音声言語の最も重要な特徴は「二重分節」つまり、音素という音の単位の組合せで単語という意味の単位が構成されているという点です。

ユニット単体には意味はなく、その組合せで情報ができる。これは5音階、7音階といった音階を用いてメロディーをつくる音楽も同じです。この「二重分節」が、取り扱える情報量を無限大にしたという事実が、最も大きな差であると考えられます。

奴隷体質

子供たちを集め、目標を定めて「よーいドン」。みな無邪気に競争に参加します。かけっこ、クラスマッチ、数値目標。なぜ競争しなければならないのか。一番になって何が偉いのか・・ヒトはそんな疑問を抱くことなく「競争」する生き物だといえます。

最大の報酬は金でも名誉でもなく、脳が感じる快感。ヒトは脳活動のほんの数パーセントしか意識化することができません。目標達成の快感を知った脳は、「なぜ」という問いを意識化させることなく、ヒトをあらゆる競争に積極的に参加させる。

積極的に奴隷になる(自己家畜化する)生き物はヒトだけです。

学習方略の違い

箱の中から飴(報酬)を取る・・その手順をどう学習するかについて、人(子供)とチンパンジーとを比較した実験事例があります。

ブラックボックス(内部の仕組みが見えない箱)と、ホワイトボックス(内部の仕組みが見える箱)の2つのケースで、いずれも、実験者が「飴を取り出し方についてのお手本」しめします。その際、実験者は 「箱の上を1回たたいて、次に横を2回たたく。次に蓋を開けて飴を取り出す」といったような無意味な手順を踏んで飴を取り出すこととします。
実際には、蓋を開けるだけで飴は取り出すことができます。

つまり、ヒトは「形式を学ぶ」という学習方法をとるのです。なぜそんな無駄なことをするのか不思議になりますが、この学習方法のちがいが文明の発展に寄与したと考えると、「形式を重んじる」ということも、決して無意味なことではないと推察されます。現代人は、宗教儀式や祈りの行為を「形式的なもの、無駄な行為」と考えがちですが、人間だけがそういう行為をする、その差がヒトとチンパンジーの差を生んだのだと考えると、そこには大切な何かがある・・・とも考えられます。

チンパンジーは運動能力と短期記憶において人間よりも優位です。一方、ヒトは、言葉・複雑な道具(二次製作)、協力、そして「形式」「関係」の重視という特性をもちます。ヒトが捨てた戦略を訓練する試み(例えば短期記憶能力を訓練する)は、ヒトの進化のベクトルから考えれば、成功するとは考えにくいでしょう。チンパンジーから枝分かれしたときに、何を捨て、何を選んだのか…ヒトの未来のデザインを考えるときには、その再確認が必要です。

余談ですが

「形式(ルール)を提案し、それを全員が共有する」ということは、資源の節約にもつながります。例えば、「会議室の中に王様と家来の席をつくる」という場合、単純にこれをモノのデザインで実現しようとすれば、豪華な王様用の椅子と質素な家来用の椅子をつくるということになります。一人の王様のために一つの椅子を作るというのは、エネルギー効率の悪い仕事です。しかし、椅子など作らなくともいいのです。「入り口から最も遠い場所が王の座で、入り口に近くなるほど格が下がる」というふうに形式(ルール)を決め、それをその国の全員が共有する・・という「情報デザイン」をすれば、王様も含めて誰も不快に感じることはありません。この場合はコストゼロです。

日本人は、客人を迎えるときに、座布団をひっくり返して差出します。このルールは非常に形式的なものです。しかし、形式的な慣習を主人と客人が共有する・・・ということで、「普段使うことのないお客様用の座布団をわざわざ用意する」などという資源の無駄使いをせずに済んでいるのです。
座布団、風呂敷、折り紙・・・、日本人は、モノを特定の機能に特化させてデザインするのではなく、モノの使い手を訓練しそれを情報として共有する、というデザインの能力に長けています。これからデザインを学ぶ皆さんにとって、日本人のこの特性は、是非学んで欲しいことのひとつです。

もうひとつ。多くの人を楽しませるエンターテイメントにはそれなりのお金がかかる・・・というのが常識ですが(お金が動くということはそれだけエネルギー資源を消費するということを意味します)、例えば、野球というゲームを思い出して下さい。極端に言えばこれはボール1個あれば成立します。ボール1個をめぐって数万人の観客が楽しんでいます。同じ数の人間が大型の設備を持つテーマパークで遊ぶのと比べると、消費するエネルギーには極端に少ないでしょう。何がそれを可能にするのか? それは「全員が野球のルールを共有している」からです。ルールを知らない人が野球を見ても何が起こっているのか、何が面白いのかまったくわかりません。つまり「一個のボールと形式(ルール)の共有」が「省エネエンターテイメント」を可能にしているのです。
「ものをつくること、エネルギーを使って事を起こすことだけデザインではない。形式をつくって提案するだけでも、人と社会を快適にするデザインはできる」・・・という一つの例え話です。



ヒトとイヌ

ヒトとイヌの関係

イヌは東南アジアの高原でオオカミと分岐、5万年前〜1万5千年前(諸説あり)に、ヒトとのパートナー化が成立したと言われています(ホモ・サピエンス以外の人類は、イヌをパートナーとしていないようです)。最初の家畜動物とも言われますが、いわゆる食用としての「家畜」とは役割が異なります。

日本では・・

現在、多様な品種に分類される「イエイヌ」は、人間の手によって作り出された動物群です。同一亜種としては他に例を見ないほどに形態的な多様性が大きくなっていますが、イヌの品種(犬種)というのは、すべてイエイヌ亜種のさらに下位分類階層における変種に過ぎません。

いくつかの共通点・・・


ヒトとイヌの協働

ヒトとイヌはともに「白目」があることで、その視線が相手にもわかります。「何を見ているか」を他者に対してオープンにしているのです。オオカミにも白目があって視線のコミュニケーションができるようですが、それは種内のコミュニケーションにとどまるようで、イエイヌだけが種を超えてヒトとコミュニケーションできるように進化したようです。

また、イヌはヒトの視線のみならず「指差し」も理解できます(これは近親であるチンパンジーとも異なる特徴です)。結果、狩猟犬、牧羊犬、救助犬、盲導犬など、様々な分野で「ヒトとの協働」ができるのだと考えられます。

オオカミは「遠吠え」しかしませんが、犬は「ワンワン」吠えて人と関わります。簡単な「命令文」の構成からはじまった異種間コミュニケーションが人間の言語(犬の吠え)の発達に寄与した可能性があります。

違う種でも、同じ環境で生活していると、同様の形態(もぐらとオケラ)や性質を身につけていくことがある。これを「収斂進化」といいます。遺伝的に近親種であるという事実だけが「似る」ことの条件だとは言えません。


オキシトシン

最近の研究で、ヒトとイヌが見つめあうと双方にオキシトシンが増える・・ということがわかってきました。見つめ合い > オキシトシン > 幸福感・・これをポジティブループといいます。これは一般にヒトの毋子の間でおこりますが、ヒトとイヌの間でも生じるようです。見つめあう回数が多い飼い主とイヌ、双方にオキシトシンの分泌量が増えることが確認されています。ちなみにオキシトシンは、仲間内に対しては親愛、他所者に対してより攻撃的になる・・という効果をもたらします。

見つめ合うという行為は、一般に恋愛関係・親と幼児、あるいはヒトとイヌ・ネコ(?)でしかできません。見つめ合うことから得られる幸福感。ヒトは視線を交わすことのできる動物を選択的に選んできたのかもしれません。見つめ合いの体験時間が少ない現代人にとって、イヌは貴重な存在であると言えます。

参考:ATR1 ATR2 :ヒトになつきやすい遺伝子 (マウスの研究から発見)


イヌがヒトの自我を安定させる

犯罪者の更生プログラムに「イヌと共同生活させる」というものがあります。これはイヌとの関係構築によって「安定した自我を構築させる」という効果を狙ったものです。

ヒト同士は「言葉」を使ってコミュニケーションするので、その関係構築には「誤解や裏切り」といった不安要素が付き纏いますが(つまり他者との関係を前提とする自我というものは一般に不安定になりますが)、ヒトとイヌとの関係では命令文以上の言語コミュニケーションは行わないので、そうした問題が生じることはありません。ヒトとイヌとの関係を前提とした自我は、ヒトとヒトとの関係を前提とした自我よりも安定している・・ということができます。

人類が全滅し自分一人が残ったとする。ヒトはそんな孤独に耐えられるのか。映画「I Am Legend」で、ウィル・スミスが演じる科学者のロバート・ネビルが、愛犬サムを伴っていることは象徴的です。




MEMO

いくつかの文献と、個人の感想。

第三のチンパンジー

ジャレド ダイアモンド, 2017,草思社文庫

ヒト―異端のサルの1億年

島 泰三,2016, 中公新書

高等言語の発生にイヌの存在が関わっていた
空気と食物がいっしょになるという不利益な構造の突然変異によって、咽頭が上昇したホモサピエンスは、結果、音声コントロールの幅を広げた。しかし、それだけで現在のような高等言語が突然生まれたとは考えにくい。4万年前ごろまでは、呼びかけ+修飾語(近い・遠いといった程度)であったようだが、イヌとの出会い、異種間コミュニケーションに飛躍への契機があった。それが1万5千年前であると考えられている。


内部集団における利他性と、外部に対する攻撃性

NHKスペシャル取材班 ヒューマン

「集団内の利他的互恵性(オキシトシン)」と「外部に対する利己的攻撃性(テストステロン)」はセットで生まれます。これが人類の生存戦略であったと考えられます(利他性と利己性を内外と組み合わせたシミュレーションでは「内部に利他的、外部に攻撃的な集団が最もサスティナブルな存在である」という結果が出たようです)。

以下のような現象は、ヒトのこのような戦略の現れであると考えられます。

人類全体が内部互恵性を維持するために発明されたのが「邪悪なモノ」であると考えられます。イジメの対象を異質な知人>隣村>外国>と拡大した末に見出された「架空の存在」。これを外敵と措定することは最も賢明な発明だと言えるでしょう。

同様に「宇宙に敵がいる」ということにすれば、人類は世界規模で利他的に協力することができそうです(映画 Independence Day など、宇宙からの侵略がテーマとなった映画では、世界中の軍が協力しています)。

神という究極の外部を措定して、それに制御権を渡すアイデア = 「宗教」というもの、世界中の人々が内部互恵性を育むことを想定していると言えます。

1万数千年前、狩猟採集と移動の限界に至った(グレートジャーニーを終えた)人類が、その持続可能性のために最初に見出したのが「神」「宗教」であり、それが「定住」の起源なのかもしれません。農耕は、ヒトが自分たちの暮らしを豊かにするためにはじめたものではなく、神に捧げるための供物をつくる目的ではじまった・・という説もあります。神 > 定住 > 農耕 の順という発想です。

直接互恵性と間接互恵性

NHKスペシャル取材班 ヒューマン

ホモサピエンスにおいて進化したものの代表が「協力」です。前者は直接的な相互の協力で、後者は社会の中で遠隔にいる他者の「評判」をふまえた間接的な協力です。この2つの互恵性を発揮するには、「記憶」と「言葉」の進化が必要であったと考えられます。

集団で生きる生物は多いが、その中で「顔」を見分けて対応する必要がある集団組織をもつのは「霊長類」です。顔を見分ける能力の限界と脳のサイズは比例していて、猿の集団は 30頭程度。ホモサピエンスの場合は 150頭程度。これが人間の集団サイズの限界を決めている・・という説があります。

ホモサピエンスが他の人類と異なるのは、規模を大きくして情報を共有したこと。遠方からの物資の調達など、コミュニケーション能力の発達が、気候変動などの環境の変化に対応した「拡散」の原動力となったのではないでしょうか。

情報を共有して相互に助け合うこと・・「経済」の本来の意味はそこにあります。> 経世済民(Wikipedia)

霊長類


その他

参考

文献

LINKS