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CivilizationAndCulture のバックアップ(No.9)


文化と文明


はじめに

異文化という言葉は一般的でが、異文明という言葉はあまり使いません。つまり、文化はその多様性を前提としていますが、文明はグローバルな拡大一元化(標準化)が前提となっている・・ということです。

文明社会というものを、定常開放系とみなして、そのホメオスタシス(恒常性)を考えた場合、それが基本的に外部に負荷を与えつつ内部を拡大することでしか生きながらえることができない存在であることは、歴史を見れば明らかです。

つまり、文明社会は、自然界における定常開放系(生命体、地球)とは異なり、その体をなしていないということです。

ヒトに特有の「過剰」

文化も文明も、無駄に発達した前頭葉がもたらすヒトの「過剰」が生み出したもので、これが他の動物にはない「虚構(フィクション)の構築」「生息域の拡大」「環境収容力の拡大」「個体数の爆発的増加」という現象を生んだのではないかと思います*1

自然(ピュシス)を支配・制御するために資源・エネルギーを使って環境を変えていく「文明の過剰」は地球を破滅に導いてしまいます。人類が農耕革命・産業革命によって拡大し続けた時代の常識に No! を突きつけるとともに、ピュシスに寄り添う「文化の過剰」をもって喜びとする(足るを知る)生き方を模索する必要があるのではないでしょうか。

時間

神話や経典が伝える内容には、世界はどんどん悪くなり、やがて終末を迎える・・というものが多くあります。初期人類にとっては、暮らしが成長するという感覚はなかったのではないでしょうか。

農耕をはじめると時間感覚は「循環」に変わります。テクノロジーの進化は目に見えないほどゆっくりだったので、成長というより、同じことの繰り返し・・というイメージだったのかもしれません。

産業革命以後、テクノロジーの進化が目に見えるようになり、やがて技術が問題を解決してくれる・・という感覚が日常的になりました。私たちは今、生活はどんどんよくなるはずだ・・という誤解の中で生きています。しかし残念ながら、文明社会はますます複雑怪奇で制御不能な状況に陥りつつあるのです。
 将来の技術が問題を解決してくれるだろう・・と、後先考えずに見切り発車するような技術の導入が、結果的に処理できないゴミを地球上に溜めつつあるのを見れば、それは明らかでしょう。


テクノロジーの外部費用

(要編集、以下 Entropy のページから複製)

何かを作り出す際、その生産に直接関わる材料費や人件費以外に、それがもたらす副作用の処理に必要となる費用を外部費用といいます。一般に、テクノロジーの発展に伴って生じる外部費用は、テクノロジーによって生み出される利益よりも小さいと想定されているので、例えばそれが公害をもたらしたとしても、その処理にかかる費用は吸収できる・・と考えられています。しかし現実はそうではありません。

テクノロジー(+資源・エネルギー)によって新たな製品や仕組みが作り出されるときには、それによって得られる秩序(低・エントロピー)よりも大きな無秩序(高・エントロピー)がもたらされます。

新たなメディアが登場すれば、それがもたらす社会的な問題を解決するために、新たな法律とその番人が必要になる・・その負担は、メディアの収益が社会にもたらす利益よりも大きいのです。

特殊なテクノロジーによって、副次的に惹き起こされた無秩序な状態は
別のテクノロジーを応用すれば一時的に解決がつくことはつく。
ところが、解決を得たのはいいとしても、それに必ず伴うのは
以前にもまして大きな無秩序の出現である。
再び、ジャック・エリュールの言葉を借りよう。
「技術が連続して生まれるのは、それ以前の技術が、
必然的に次の技術を生まざるを得ないように仕向けているからだ」
・・これこそ、(熱力学)の第2法則であり、それ以外の何ものでもない。

薪(バイオマス)では足りなくなり、石炭を活用する。それでも足りなくて石油を掘り出す。そして原子力。古い燃料よりも新しい燃料の方が、エネルギーの取り出しにかかる手間とエネルギーは大きく、それに伴う外部費用も大きくなります。人類が農耕をはじめて、その環境収容力を拡大しはじめたことが間違いのはじまりでした。テクノロジーは未来を開いている・・と思われていますが、テクノロジーは、自らが生み出す無秩序(高エントロピー)を処理するために、さらに新しいテクノロジーを生み出さざるを得ないのです。つまり文明は負のスパイラルの中にある・・という認識が必要です。




MEMO

対立概念

ハードとソフト

ハードにもソフトにも、文化の成熟と文明の成長に貢献する両面性がある


文字の2面性

文字の文化/文明については
CharactersCarryingCapacity へ転記

0 - 10 - 100

文化も文明も「過剰」の産物

狩猟採集民の争いと文明社会の戦争

狩猟採集社会にも争いはあったが、それは食料資源の獲得にともなうもので、必要以上に近づき過ぎた場合や、気候変動で食料不足になった場合、すなわり争う本人自身に争いの動機がある場合に限られていたと考えられる。一方で、農耕社会における争いは、支配者の「拡大欲望」にもとづく意思によって統率された集団同士の争いであり、兵士自身に相手を殺す意思はない。これは企業間競争でも同じである。



APPENDIX

交換

ポランニーによる「生産と分配に関する3類型」> Society に転記済

ポランニーは、非市場社会における互酬性に基づいた贈与交換が、再分配、市場交換と並んで、一つの経済統合の原理であることを示し、功利性、利潤追求の市場経済がかならずしも普遍的なものではないと主張。

ポランニーによれば,人間社会の歴史全体からみると,生産と分配の過程には、三つの類型の社会制度が存在。古代あるいは未開の社会から現代諸社会まで、それらが単一にあるいは複合しながら経済過程の機構をつくってきた。

個人間・集団間に交わされる財・サービス等の往復運動の3類型であり,それぞれの類型は社会構造と密接に連関をもって存在している。市は、この 3)の〈交換〉が成立する社会がつくり出した方式。