「傍白と独白が映像の世界観に与える影響に関する研究」の版間の差分
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− | 一般的に映像作家は、様々な映像の手法を使って視聴者に映像の世界観を提示したり暗示したりする。映像の世界観の構築とは、ストーリーの設定を視聴者に受け入れさせ、それを具現化することである。そのため、映像の始まりや転換点に傍白や独白を挿入し、映像の世界観を視聴者に説明する方法が、一部の映像作家によく使われる。「独白は映画の中でキャラクターが感情を表現したり、個人の願望を表現する場合は、俳優がこの時の状態や感情などを独自に読み上げる」「傍白は映画ならではの人間の声の使い方であり、画面外の人の声で映画のストーリーや人物心理を叙述したり、叙情や議論したりする」[注1]。たとえば、フランスの短編映画「The Piano Tuner」には、映像の初めに1分ぐらいの人物の心の独白があり、これにより観客は映像の世界に入っていくことができる。 傍白や独白は、映像のストーリー、キャラクターの心理を述べ、議論する役割がある。傍白や独白を通し、より多くの情報を伝え、特定の感情を表現し、視聴者の考えを引き起こすことができる。傍白や独白は、時間が限られている映像では、確かに視聴者に世界観を伝える非常に便利な手段と言える。<br/>しかし、一部の映像作家や映像研究者は、傍白や独白を使用する表現手法はあまりにも説明的であり、映像の全体的なリズムを損なうと考えている[注2]。映像を見る視聴者の体験に影響を与え、さらに 用い方によっては、視聴者を軽視した扱いになりかねない。<br>このように、映像に傍白や独白を使用することについては、映像作家において賛否意見が分かれている。画面で表現できるものはなるべく傍白や独白を使うべきではないという意見がある、もう一方では、傍白や独白を巧みに使用することは、世界観を説明し、また映像の質を高めることができると考えられる。<br> | + | 一般的に映像作家は、様々な映像の手法を使って視聴者に映像の世界観を提示したり暗示したりする。映像の世界観の構築とは、ストーリーの設定を視聴者に受け入れさせ、それを具現化することである。そのため、映像の始まりや転換点に傍白や独白を挿入し、映像の世界観を視聴者に説明する方法が、一部の映像作家によく使われる。「独白は映画の中でキャラクターが感情を表現したり、個人の願望を表現する場合は、俳優がこの時の状態や感情などを独自に読み上げる」「傍白は映画ならではの人間の声の使い方であり、画面外の人の声で映画のストーリーや人物心理を叙述したり、叙情や議論したりする」[注1]。たとえば、フランスの短編映画「The Piano Tuner」には、映像の初めに1分ぐらいの人物の心の独白があり、これにより観客は映像の世界に入っていくことができる。 傍白や独白は、映像のストーリー、キャラクターの心理を述べ、議論する役割がある。傍白や独白を通し、より多くの情報を伝え、特定の感情を表現し、視聴者の考えを引き起こすことができる。傍白や独白は、時間が限られている映像では、確かに視聴者に世界観を伝える非常に便利な手段と言える。<br/>しかし、一部の映像作家や映像研究者は、傍白や独白を使用する表現手法はあまりにも説明的であり、映像の全体的なリズムを損なうと考えている[注2]。映像を見る視聴者の体験に影響を与え、さらに 用い方によっては、視聴者を軽視した扱いになりかねない。<br/> |
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+ | 類似研究において、傍白と独白が映像の世界観に与える影響について具体的かつ弁証的に研究した例は今のところない。 | ||
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2019年11月7日 (木) 22:10時点における版
- Narration and monologue may play a role in the world view of the film
- 陶炫程 星野浩司
- Tao Xuancheng Hoshino Koshi
- 九州産業大学 芸術学部
- Abstract
- It is often used to make use of narration and monologue to transfer the setting and world view of the film to the audience. In Japanese, the narration and the monologue belong to the category of voice over, but in the expression of the film, the narration and the monologue are actually two completely different methods of expression. Nowadays, in the field of narrator and monologue, the two ways of expression have not been completely distinguished, and few studies have studied. This study will distinguish the two from the concept of the external sound by using the features of them in the film, and the effect of the two in the film can be studied separately. Making a series of short film by using monologue and narration as a variable, an empirical experiment of the proposition of "Narration and monologue may play a role in the world view of the film" is carried out.
- Key Word
- Narration; Monologue; Film world view; Film expression
研究の背景
一般的に映像作家は、様々な映像の手法を使って視聴者に映像の世界観を提示したり暗示したりする。映像の世界観の構築とは、ストーリーの設定を視聴者に受け入れさせ、それを具現化することである。そのため、映像の始まりや転換点に傍白や独白を挿入し、映像の世界観を視聴者に説明する方法が、一部の映像作家によく使われる。「独白は映画の中でキャラクターが感情を表現したり、個人の願望を表現する場合は、俳優がこの時の状態や感情などを独自に読み上げる」「傍白は映画ならではの人間の声の使い方であり、画面外の人の声で映画のストーリーや人物心理を叙述したり、叙情や議論したりする」[注1]。たとえば、フランスの短編映画「The Piano Tuner」には、映像の初めに1分ぐらいの人物の心の独白があり、これにより観客は映像の世界に入っていくことができる。 傍白や独白は、映像のストーリー、キャラクターの心理を述べ、議論する役割がある。傍白や独白を通し、より多くの情報を伝え、特定の感情を表現し、視聴者の考えを引き起こすことができる。傍白や独白は、時間が限られている映像では、確かに視聴者に世界観を伝える非常に便利な手段と言える。
しかし、一部の映像作家や映像研究者は、傍白や独白を使用する表現手法はあまりにも説明的であり、映像の全体的なリズムを損なうと考えている[注2]。映像を見る視聴者の体験に影響を与え、さらに 用い方によっては、視聴者を軽視した扱いになりかねない。
このように、映像に傍白や独白を使用することについては、映像作家において賛否意見が分かれている。画面で表現できるものはなるべく傍白や独白を使うべきではないという意見がある、もう一方では、傍白や独白を巧みに使用することは、世界観を説明し、また映像の質を高めることができると考えられる。
類似研究において、傍白と独白が映像の世界観に与える影響について具体的かつ弁証的に研究した例は今のところない。
研究の目的
本研究では映像作品における傍白と独白について、以下の点を調査研究する。
1)傍白や独白のタイプおよび所用時間などの要素がどのように映像の世界観に影響を与えるか 2)異なる傍白や独白が視聴者に与える印象の違い。 3)傍白や独白は説明的になりがちな問題をどのように引き起こすか 4)傍白や独白で映像のリズムを損わず自然に映像のリズムに取り入れることが可能か
研究方法
本研究における研究方法は以下の通り。
- ①論文、文献を通じて、傍白と独白が映像の世界観に対する影響に関する先行研究の調査。
- ②具体的な作品の分析。
- 映像作品の傍白と独白のシーンの映像データを収集する。例えば、傍白の話者と主人公の関係、一本の作品の中で傍白と独白の発生回数、傍白と独白の所用時間、タイムライン内の位置など。その中で、傍白と独白の長所と短所を分析する。傍白と独白がうまく機能している作品と、そうではない作品を比較し、それぞれが作品にどのように影響しているのかを整理分析する。
- ③作品制作
- ④実験
研究結果
現階段において、3.研究方法の①論文、文献を通じて、傍白と独白が映像の世界観に対する影響に関する先行研究の調査、②具体的な作品の分析についてすすめている。
①文献研究
先行研究において、竹内清人は「日本シナリオ作家協会 シナリオ通信講座 誌上講座 シナリオセミナー(Vol.350)ナレーションを使いこなすのは、高等テクニックである」の中にナレーションとは人物の感情を説明する手段ではなく、言葉にならない想い、言葉と裏腹の心などを伝える手段であると指摘している。金龍郎は「ドキュメンタリー番組におけるナレーションの演出的側面 : 「語りの主体」と作品の関係において、ドキュメンタリー番組作品の中でナレーションの概念を説明した。
②作品の分析
具体的な作品中「西郷どん」、「告白」、「SAYURI」三つ作品を事例に、調査研究を行った。[表1 引用作品リスト]
「西郷どん」(せごどん)は、2018年1月7日から同年12月16日まで放送されたNHK大河ドラマ第57作。明治維新の立役者・西郷隆盛を原作・林真理子と脚本・中園ミホの「女の視点」で、勇気と実行力で時代を切り開いた「愛に溢れたリーダー」として描く。[図1]
「告白」(こくはく)は、2010年の日本映画。湊かなえによる同名のベストセラー小説の映画化作品である。監督は中島哲也、主演は松たか子による。[図2]
「SAYURI」(Memoirs of a Geisha)は、2005年のアメリカ映画。1997年にアメリカ合衆国で出版されたアメリカ人作家のアーサー・ゴールデン(英語版)による小説『さゆり』を原作とした作品である。監督はロブ・マーシャル、主演はチャン・ツィイー。第二次世界大戦前後にかけて京都で活躍した芸者の話である。[図3]
まとめ
今までの先行研究では、傍白と独白の概念を細かく分類した研究はなく、ナレーションという一括りで扱われている。本研究では、傍白と独白と映像の関係を探究したいと考えている。さらに、先行研究中、傍白や独白のタイプおよび所用時間などの要素がどのように映像の世界観に影響を与えるかという研究はほとんどない。現代において、多くの小説や漫画から映画やドラマが世に溢れている。監督は自分の作品に観客を引き込むために、ナレーションなどの映画手法を用いる。しかし、無思慮にナレーションを用いると、それらがうまく機能せず、作品中の演出を失敗する可能性がある。さらに、傍白と独白は映像の中において、ストーリーに対する性格が異なる。傍白は補足的な説明として使うことが多く、独白は人物の心象風景を表現することが多いため、視聴者に対して与える印象も異なる。その為、映像の演出上、傍白と独白を用いる場合、それぞれの性格と機能をよく理解した上で用いるべきであると考える。
- 今後の研究は現在の調査研究に基づいて、具体的な作品を作り、作品を用いた実証実験を行う。傍白だけの短編と独白だけの短編をそれぞれ作り、アンケートによる被験者調査を行い、傍白と独白が映像の世界観に与える影響について分析する。
脚注
- 1)夏衍.映画芸術詞典.北京:中国映画出版社,2005年版:205
- 2)Paul Wells. (1998) understanding animation. New York: Routledge, 97-98.