カンボジアのプノンペンにおける美術教育に関する研究
- 「色彩」をテーマとした美術教材にかかる要件の抽出 -
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- 清水淳史 / 九州大学大学院統合新領域学府ユーザー感性学専攻
- ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ / ◯◯◯◯◯◯ University ← 氏名 / 所属 の英語表記
- Keywords: Product Design, Visual Design ← キーワード(斜体)
- Abstract
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目的と背景
一昨年前から「失われたクメール美術復活プロジェクト」に関わり、今年コンポンスプー州で大規模な美術の授業を実施した。古来から色は美術のみならず、染色技術やイデオロギーとしても現れ機能してきた。そうした色に対する精神性は17世紀の科学革命とともに、18世紀の植民地主義によってカンボジアを含む東南アジアに大きな影響を及ぼした。しかし色は光という物理現象であるとともに、人が作り出した文化でもある。特に発展途上国と言われる国において、その国の固有性を明らかにすることは、歴史、民族、精神性を守り、伝えていく上で重要である。本研究では、今後プロジェクトの中で美術教材として色を取り上げる上で必要な要件を抽出することを目的とする。
研究の方法
研究の方法は大きく2つに分かれる。文献調査では、アンコール王朝時代、フランス植民地時代、ポルポト政権時代、そして現代においてカンボジアで色がどのような意味を持ち、表現されてきたかを多文化との比較を通して分析する。小学生が描いた絵の画像分析では、色の使われ方を色分析が可能なウェブサービスを用いて分析する。これらの結果から科学的普遍性があると考えられる情報と、カンボジアの固有性と考えられる情報に大別する。その後、筆者が実際にカンボジアで撮影した写真や、インタビュー結果と照らし合わせることで、カンボジアにおける色を考察する。
文献調査
色彩という観点から国旗の変遷を辿ると、アンコール王朝時代にできたと考えられるペナント型の旗は、縁が緑で中央が広く黄色に塗られている。しかしその後フランス植民地時代には現代のカンボジアの国旗の原型となる赤と青の色彩の上にアンコール・ワットが描かれるようになった。西欧はキリストの誕生とともに成立し、そこに黃色に対する価値観の根源がある。イエス・キリストはキリスト教の始祖であるとされる人物だが、弟子の一人である「イスカリオテのユダ」がを裏切ったことで磔刑に処される。この際、ユダが着ていた衣の色が黄色であった。以来、ヨーロッパの広い地域で黃色に対する嫌悪感が現れている。一方東洋における黄色は、中国では皇帝の色として、インドでは仏教僧の袈裟の色であり、最も尊ばれた色である。
画像分析
2019年8月にカンボジアのコンポンスプー州の小学校で小学生が描いたアンコールワットの画像をカラー成分測定し、色を光とした時のスペクトル別に6色と無彩色の7つに分類し、そこで使われている色の割合を算出した。1年生50人、2年生27人、3年生40人、4年生45人、5年生38人、6年生40人の学年別割合及び全体の割合を算出したところ、3学年は橙色、残り3学年は黄色をもっとも多く使用していたという結果となった。
考察
日本色彩研究所が2010年にインドで行った調査によれば、若者の嫌いな色に黄色が含まれている理由として、当時インドで多発していたテロを例に上げ、彼らはヒンドゥー至上主義の右派団体であり、テーマカラーである黄色がこの時の印象調査に影響したと結論している。ここから、色はどの時代も極めて強いイデオロギーを表現するとともに、それらが人間の作り出した文化的なものであるということが言える。クメール王朝時代の国旗が緑と黄色から構成されていたにも関わらず、植民地主義の影響でその色は西洋から伝来した赤と青という色に塗り替えられた。その背景として、当時の西洋でゲーテが著した『色彩論』の中でも中心的な色として述べられており、それ以来赤と対等な関係をなす色としての地位を築いた。また、1970年代後半にポル・ポト政権が率いたクメール・ルージュはその偏った政治思想によって当時の人口が700万人ほどであったカンボジアで200万人ほどを虐殺した。クメール語でルージュは「赤」を意味するため、今回の画像分析では、赤と青という現在の国旗に採用されている色にも関わらず、それらの色には西洋がもたらした精神性がありながらも、虐殺の歴史がマイナスの力として働いていると考えられる。
まとめ
文献調査と画像分析、それらの考察からクメール王朝時代の黄色、西洋からもたらされた青色、そしてクメール・ルージュが標榜した赤色という各時代の色に対するイデオロギーの変遷が明らかになった。カンボジアは虐殺が起こったことによって東南アジアの中でも特に先進国の経済的支援を余儀なくされているが、それは同時にその国の色に対するイデオロギーも輸入することを意味する。今後も国としての成長を続けていく上で、経済の発展という文脈の外で、カンボジアが持つ固有性を明らかにすることは重要である。
脚注
参考文献・参考サイト
- ◯◯◯◯◯(20XX) ◯◯◯◯ ◯◯学会誌 Vol.◯◯
- ◯◯◯◯◯(19xx) ◯◯◯◯ ◯◯図書
- ◯◯◯◯◯(1955) ◯◯◯◯ ◯◯書院
- ◯◯◯◯◯ https://www.example.com (◯年◯月◯日 閲覧)