色に関する正しい知識の認知度向上にむけた研究

提供: JSSD5th2021
2021年10月25日 (月) 11:00時点における辻清佳 (トーク | 投稿記録)による版
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◯◯◯◯ / 九州大学 芸術工学府 ← 辻清佳 / デザインストラテジー専攻
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ / Kyushu University ← Kiyoka Tsuji / Department of Design strategy
◯◯◯◯ / 九州大学 芸術工学府 ← 清須美匡洋 / デザインストラテジー専攻(共同研究者)
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ / Kyushu University ← Kiyosumi Masahiro / Department of Design strategy
◯◯◯◯ / 九州大学 芸術工学府 ← 須長正治 / デザイン人間科学部門(共同研究者)
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ / Kyushu University ← Kiyosumi Masahiro / Department of Human science
◯◯◯◯ / 九州大学 芸術工学府 ← 村谷つかさ / デザイン人間科学部門(共同研究者)
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ / Kyushu University ← Tsukasa Muraya / Department of Human science

Keywords: Product Design, Visual Design ← キーワード(斜体)


Abstract
The purpose of this study was to investigate what knowledges of color and color vision people have and how they interpret them prior to design for spreading correct knowledges of color and color vision. The investigation was conducted through a Google Forms questionnaire. Answers from 91 respondents were taken. The results show that 36% of respondents do not know the diversity of color vision and that 33% of respondents had not only the correct knowledge of color but also the wrong one.


1.背景と目的

 色は人の脳内で生じる感覚の一つに過ぎず,同じ物体を見ていても,他の人と見えている色が同じとは限らない.色を見る仕組み,すなわち,色覚には多様性があることが知られており,大多数の色覚特性とは異なる「色覚異常(2色覚)」と呼ばれる少数派の色覚特性が存在する.「色覚異常」を持つ人は,色の見えの違いから,大多数の人と異なる色名を言ったり,色使いをしたりすることがあり,その色使いが小学校などの図画工作や美術の授業で揶揄された経験もあると報告されている[1].さらに,辻らは,「色覚異常」を持つ人へのアンケートおよびインタビュー調査結果から,「色覚異常」を持つ人が自由にアートに関われる状況にはないことを明らかにし,このような状況を改善するためには,色は物理的に外の世界に存在せず,脳内で生じる主観的な感覚であるという正しい知識と「色覚異常」は「異常」ではなく,色覚特性のうちのひとつに過ぎないという色覚についての正しい認識を社会に広めること[2],さらに,「色覚異常」を持つ人が自由にアートに関われる仕組みを構築することが必要であると結論づけている[3].本研究では,色覚についての正しい知識や認識を社会に広めるための前段階として,アンケート調査により.現在,色や色覚について,どの程度の人たちが正しい知識を持っているのか,そして,どのように解釈しているのかを明らかにすることを目的とした.なお,本研究では,色についての科学的事実を知っていることを正しい知識といい,その知識を正しく解釈していることを正しい認識と呼ぶことにする.

2. 調査

2.1 手法

アンケート調査は,職業や性別を問わず10代以上の人々を対象に,Googleフォームを用い,インターネットを介して2021年9月から同年10月まで実施された.主な質問内容は回答者のプロフィール,色覚多様性に関する認知度,少数派である色の見えに対する受容度および認識,色および色覚についての正しい知識の保有度,色覚異常に関わる言葉とその意味についての認知度に関するものであった[4].

2.2 調査結果および考察

アンケート回答者は10代が30名,20代が22名,30代から40代が26人,50代から60代が13名の計91名であった. 最初の質問として,”赤”の四角を呈示し,その色名を答えてもらった.さらに,回答者が答えた色名と全く異なる色名を答えた人がいた場合,それを「おかしいと思う」または「少しおかしいと思う」,「あまりおかしくないと思う」,「おかしいくないと思う」により回答してもらい,その理由についても回答してもらった.図1に回答結果を示す.自分とは異なる色名に対して「おかしい」と「少しおかしい」の回答を合わせると32%であった.少なからず「おかしい」と回答をした人は,色覚には多様性があることを知らないと見做すことができ,正しい知識を持ってないと判断できる.一方,残りの68%は,「あまりおかしくない」または「おかしいくない」と回答し,一見して色覚多様性を知っていると思われるが,その理由をみてみると,18%の人が「色覚異常」「色弱」「色盲」などを「おかしくない」理由として挙げており,このうち,4%の方が「色覚異常」が「病気」であると明示的に回答していた.すなわち,「色覚異常」という異なる色の見えをもたらす色覚特性があることを知っているはいるものの,それが「病気」であるという誤った認識を持っている人がいることも判明した.まとめると,色覚には多様性があるということを知らない人が32%,知っていても「病気」だからと明言した人が4%,合計36%の方が正しい知識を知らない,または,誤った認識をしているということができる.

図1.図1 異なる色名についての受容

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結果

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考察

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まとめ

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脚注

  1. 九産花子, 2017, デザイン学研究 XXX巻X号 pp.XX-XX, 日本デザイン学会


参考文献・参考サイト

  • ◯◯◯◯◯(20XX) ◯◯◯◯ ◯◯学会誌 Vol.◯◯
  • ◯◯◯◯◯(19xx) ◯◯◯◯ ◯◯図書
  • ◯◯◯◯◯(1955) ◯◯◯◯ ◯◯書院