デザイン表現におけるリアリティの創出手法の研究

提供: JSSD5th2023
2023年10月9日 (月) 15:10時点における李効典 (トーク | 投稿記録)による版 (キュビスムにおけるリアリティ=)
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李効典 / 九州大学 統合新領域学府
Li Xiaodian / Kyushu University Graduate School of Integrated Frontier Sciences
/ ◯◯大学 ◯◯学部 ← 氏名 / 所属(共同研究者)
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ / ◯◯◯◯◯◯ University ← 氏名 / 所属 の英語表記(共同研究者)

Keywords: Product Design, Visual Design ← キーワード(斜体)


Abstract
In recent years, the advancement of 3D computer graphics (3DCG) technology has made it possible to achieve almost the same level of realism in rendering as photographs. In design fields that heavily rely on rendering, many designers are striving for realism. The reason for this is that designers often have to convey their designs to others or present them when the actual physical objects may not yet exist, which necessitates the use of realism to enhance the quality of communication and approach closer to the real thing. Realism encompasses two attributes: authenticity and presence. Therefore, it is not just about the similarity in appearance but also the psychological realism that is important. The pursuit of expression that makes the viewer believe that the object is real is meaningful.


背景と目的

 プロダクトデザインやインテリアデザインのような立体デザインの分野において,レンダリングやスケッチはまだ存在しないアイデアや造形をシミュレーションしたり,第三者にイメージさせたりするために活用されてきた。そのためには,デザイン表現における「真実」を写すリアリティの手法の研究が必要である。通常,人々が理解しているリアリティは外観上の類似性である。すなわち,リアリティがあればあるほど,虚構の制作物の外観が実物の外観と似ていることになる。しかし,外観上の類似性だけで,リアリティという概念をうまく説明することはできない。ゆえに,外観の類似性以外,心理上のリアリティも欠かせないと考えられる。心理的なリアリティを実現するには,多角的な側面からリアリティを探ることが必要であると考えられる。

 以上の研究背景により,本研究はデザインに活用されているレンダリングの心理面に焦点を当て,観者をリアリティと思いさせるために,研究を行う。要素の明確化,プロトタイプの検証,手法の導出,3点は研究目的とする。

研究の方法

図1.◯◯◯◯

 CGは絵画の創造性と写真の写実性,両方の属性を含むと考えられるので。本研究は,最初,絵画と写真に関する先行研究を踏まえ,芸術作品におけるリアリティのあり方及び仕組みを調査により,リアリティの源である理論や要素を抽出する。そして,その理論や要素を基づき,CGを使って,デザインに関連するプロトタイプの図を作成する。次は,作成したプロトタイプについて,リアリティ創出の有効性を検証する実験を着手する。検証結果によって,デザインにおけるリアリティを生み出す理論や要素の有効性を確認する。最後は有効であると検証された理論や要素を使って,新なデザイン表現手法を導出する。[1]


調査の概要

芸術作品におけるリアリティの表現手法を調査するために,複数のビジュアルな芸術ジャンルを取り上げ,作品の中に具体的な表現手法に対して,調査を実施する。本稿では,主に西洋絵画,東洋絵画などを対象にし,絵画作品の中のリアリティの部分を体現する要素を抽出する。

調査対象の選定

ルネサンス以降,西洋絵画は遠近法と解剖学の知識を用いることで,「リアリティ」の再現を目指してきた。しかし,19世紀に,ルイ・ダゲールが写真を発明し,写真技術が普及するとともに,絵画における「リアリティ」の再現機能は写真に取ってかわられた。以後,絵画は「リアリティ」をそのまま再現することから離れ,「リアリティ」から独立した表現を目指し,多様な芸術ジャンルが生まれた。1960年代と1970年代前半のアメリカとイギリスでは,と呼ばれる写実主義が現れた。「写実」とは事物の実際のままをうつすことである。スーパーリアリズムは,写真をプロジェクターでキャンヴァス上に投影して転写する手法を採用したが,その作品は,写真のもつ写実性の土台の上に,アーティストの創造性を備え,写真の写実性を超えたリアリティを生み出した。

もう1つの「リアリティ」を表現可能の手法はコンピューターグラフィックス(CG)である。20世紀60年代になると,最初のコンピューターグラフィックス(CG)の技術とみられたSketchPadSystemが開発された。70年代以降,陰面消去法やスムーズシェーディング手法,Z-Buffer法のような現代のCGの基礎となるような技術が開発されてきた。デザイン分野への応用は80年代以降である。日本の国内でも企業がデザイン分野への活用を目的としCGシステムを開発しており,「日本ビクター」や「アイ・オー・データ機器」といった企業からもデザインシステム,CGアニメーションシステムが発売されていた。海外では,映画「トロン」においてCGが採用されたほか,映像制作の現場には欠かせないAdobe社の画像加工ソフト「Photoshop」,ドローソフト「Illustrator」が発表された。数十年の発展を経って,今のCG技術は写真の効果を完全に再現することが可能である。 いま目の前に事実として現れているもののことであるが,芸術の発展と技術の進歩によって,現代においてはリアリティの表現手法が多様化している。従って,本稿では,絵画,撮影,CGを対象として,調査行う必要があると考えられる。

調査結果

 

絵画と連続写真

マイブリッジの馬.jpg
エブソムの競馬.jpg
 調査対象はマイブリッジの馬の連続写真とテオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』である。マイブリッジの馬は,一匹の走っている馬の複数の写真である。テオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』は同じく走っている馬を写っている。表現手法が異なるが,この二つの図を見ているときに,馬の運動が感じられるのが共通の特徴である。すなわち,ある程度のリアリティが含まれていると考えられる。マイブリッジの馬の連続写真は前脚と後脚が胴の下で触れ合っている馬の姿勢を暴露した。テオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』は4匹の疾走する馬の姿が映っている。馬の前脚と後脚が前後に伸ばしていると同時に,体が急速の運動により,伸ばしている。この二つの作品の馬のポーズが異なる。写真に表象される瞬間と絵画に描かれる瞬間とのこのような相違から、どちらが〈真〉実の馬の姿勢を捉えているのかをめぐって論争が起こる。 大石(2013)はここで前者がカメラ捉える「任意の瞬間」であり,後者が肉眼把握する「特権の瞬間」であるという説を提出した。
 「特権的瞬聞とは、「生の要求」に従い最高度に緊張した,持続が任意の諸瞬間を1つに凝縮しながら形成した人間的知覚における瞬間である。これが肉眼が把握する、諸瞬間を貫いて不変的な疾走する馬の本質的形態となる。」「任意の瞬間とは最も弛緩した持続であり、そもそも生の要求などもちえないカメラの知覚が捉えるのは、この任意の瞬間のなかで無数に分散してゆく疾走する馬の物質的断面である」 
 以上の論述により,二つの図のリアリティの区別が持続度である。まず,マイブリッジの馬の連続写真はありのままに馬の運動を映し出した。馬の姿勢,運動の姿等,全部そっくりに描写されているが,持続度が低いので,一つの図だけを見れば,馬の運動の動きを想像しづらい可能性が存在している。その一方,テオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』はただ一枚の絵だけにより,すべての動きを正確に描写するのが不可能であるが,持続度が高いので,その一枚の絵を見ると,馬の運動や速さを想像することができる。故に,馬の連続写真のリアリティが外観と正確度に体現しているが,『エプソムの競馬』のリアリティが観衆をイメージさせることに体現している。

キュビスムにおけるリアリティ=

20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始されたジャンルである。具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、様々な角度から見た物の形を一つの画面に収めた。ここで,ピカソの『鏡の前の少女』

鏡の前の少女.jpg

を取り上げ,キュビスムにおけるリアリティの在り方を調査する。 『鏡の前の少女』が描写している対象はピカソの愛人,マリー・テレーズ・ウォルターである。画面中の少女の顔が3つの表現が存在している。顔の右半分を滑らかなラベンダー・ピンク色で照らして穏やかに描かれている。しかし、光が当たらない左半分は三日月のような顔をしており、緑のアイシャドウやオレンジの口紅などラフな厚化粧がほどこされている。また化粧テーブルの鏡に映るテレーズの姿は異形的である。顔はまるで死体の頭のように黒々としており、まるでテレーズは死に直面しているように見える。 顔の表現手法の違いは色だけでなく,描写の角度も異なる。左側の顔の右半分は側面から描写されている顔であるが,左半分の顔が正面から描写されている。すなわち,キュビスムが一つの絵によって,複数の角度から対象物を描写することができる。現実に存在しているものは,複数の面が存在していることが分かっているが,平面上に表現している対象物が1つの角度しか見えない。キュビスムは同時に複数の角度を表現することが可能であるので,ある種のリアリティが存在していると考えられる。

写実主義

印象派

水墨画

考察

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まとめ

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脚注

  1. 九産花子, 2017, デザイン学研究 XXX巻X号 pp.XX-XX, 日本デザイン学会


参考文献・参考サイト

  • ◯◯◯◯◯(20XX) ◯◯◯◯ ◯◯学会誌 Vol.◯◯
  • ◯◯◯◯◯(19xx) ◯◯◯◯ ◯◯図書
  • ◯◯◯◯◯(1955) ◯◯◯◯ ◯◯書院