デザイン表現におけるリアリティの創出手法の研究

提供: JSSD5th2023
2023年10月9日 (月) 15:38時点における李効典 (トーク | 投稿記録)による版 (考察)
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李効典 / 九州大学 統合新領域学府
Li Xiaodian / Kyushu University Graduate School of Integrated Frontier Sciences
/ ◯◯大学 ◯◯学部 ← 氏名 / 所属(共同研究者)
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ / ◯◯◯◯◯◯ University ← 氏名 / 所属 の英語表記(共同研究者)

Keywords: Product Design, Visual Design ← キーワード(斜体)


Abstract
In recent years, the advancement of 3D computer graphics (3DCG) technology has made it possible to achieve almost the same level of realism in rendering as photographs. In design fields that heavily rely on rendering, many designers are striving for realism. The reason for this is that designers often have to convey their designs to others or present them when the actual physical objects may not yet exist, which necessitates the use of realism to enhance the quality of communication and approach closer to the real thing. Realism encompasses two attributes: authenticity and presence. Therefore, it is not just about the similarity in appearance but also the psychological realism that is important. The pursuit of expression that makes the viewer believe that the object is real is meaningful.


背景と目的

 プロダクトデザインやインテリアデザインのような立体デザインの分野において,レンダリングやスケッチはまだ存在しないアイデアや造形をシミュレーションしたり,第三者にイメージさせたりするために活用されてきた。そのためには,デザイン表現における「真実」を写すリアリティの手法の研究が必要である。通常,人々が理解しているリアリティは外観上の類似性である。すなわち,リアリティがあればあるほど,虚構の制作物の外観が実物の外観と似ていることになる。しかし,外観上の類似性だけで,リアリティという概念をうまく説明することはできない。ゆえに,外観の類似性以外,心理上のリアリティも欠かせないと考えられる。心理的なリアリティを実現するには,多角的な側面からリアリティを探ることが必要であると考えられる。

 以上の研究背景により,本研究はデザインに活用されているレンダリングの心理面に焦点を当て,観者をリアリティと思いさせるために,研究を行う。要素の明確化,プロトタイプの検証,手法の導出,3点は研究目的とする。

研究の方法

図1.◯◯◯◯

 CGは絵画の創造性と写真の写実性,両方の属性を含むと考えられるので。本研究は,最初,絵画と写真に関する先行研究を踏まえ,芸術作品におけるリアリティのあり方及び仕組みを調査により,リアリティの源である理論や要素を抽出する。そして,その理論や要素を基づき,CGを使って,デザインに関連するプロトタイプの図を作成する。次は,作成したプロトタイプについて,リアリティ創出の有効性を検証する実験を着手する。検証結果によって,デザインにおけるリアリティを生み出す理論や要素の有効性を確認する。最後は有効であると検証された理論や要素を使って,新なデザイン表現手法を導出する。[1]


調査の概要

芸術作品におけるリアリティの表現手法を調査するために,複数のビジュアルな芸術ジャンルを取り上げ,作品の中に具体的な表現手法に対して,調査を実施する。本稿では,主に西洋絵画,東洋絵画などを対象にし,絵画作品の中のリアリティの部分を体現する要素を抽出する。

調査対象の選定

ルネサンス以降,西洋絵画は遠近法と解剖学の知識を用いることで,「リアリティ」の再現を目指してきた。しかし,19世紀に,ルイ・ダゲールが写真を発明し,写真技術が普及するとともに,絵画における「リアリティ」の再現機能は写真に取ってかわられた。以後,絵画は「リアリティ」をそのまま再現することから離れ,「リアリティ」から独立した表現を目指し,多様な芸術ジャンルが生まれた。1960年代と1970年代前半のアメリカとイギリスでは,と呼ばれる写実主義が現れた。「写実」とは事物の実際のままをうつすことである。スーパーリアリズムは,写真をプロジェクターでキャンヴァス上に投影して転写する手法を採用したが,その作品は,写真のもつ写実性の土台の上に,アーティストの創造性を備え,写真の写実性を超えたリアリティを生み出した。

もう1つの「リアリティ」を表現可能の手法はコンピューターグラフィックス(CG)である。20世紀60年代になると,最初のコンピューターグラフィックス(CG)の技術とみられたSketchPadSystemが開発された。70年代以降,陰面消去法やスムーズシェーディング手法,Z-Buffer法のような現代のCGの基礎となるような技術が開発されてきた。デザイン分野への応用は80年代以降である。日本の国内でも企業がデザイン分野への活用を目的としCGシステムを開発しており,「日本ビクター」や「アイ・オー・データ機器」といった企業からもデザインシステム,CGアニメーションシステムが発売されていた。海外では,映画「トロン」においてCGが採用されたほか,映像制作の現場には欠かせないAdobe社の画像加工ソフト「Photoshop」,ドローソフト「Illustrator」が発表された。数十年の発展を経って,今のCG技術は写真の効果を完全に再現することが可能である。 いま目の前に事実として現れているもののことであるが,芸術の発展と技術の進歩によって,現代においてはリアリティの表現手法が多様化している。従って,本稿では,絵画,撮影,CGを対象として,調査行う必要があると考えられる。

調査結果

 

絵画と連続写真

調査対象はマイブリッジの馬の連続写真とテオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』である。マイブリッジの馬は,一匹の走っている馬の複数の写真である。テオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』は同じく走っている馬を写っている。表現手法が異なるが,この二つの図を見ているときに,馬の運動が感じられるのが共通の特徴である。すなわち,ある程度のリアリティが含まれていると考えられる。マイブリッジの馬の連続写真は前脚と後脚が胴の下で触れ合っている馬の姿勢を暴露した。テオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』は4匹の疾走する馬の姿が映っている。馬の前脚と後脚が前後に伸ばしていると同時に,体が急速の運動により,伸ばしている。この二つの作品の馬のポーズが異なる。写真に表象される瞬間と絵画に描かれる瞬間とのこのような相違から、どちらが〈真〉実の馬の姿勢を捉えているのかをめぐって論争が起こる。 大石(2013)はここで前者がカメラ捉える「任意の瞬間」であり,後者が肉眼把握する「特権の瞬間」であるという説を提出した。

「特権的瞬聞とは、「生の要求」に従い最高度に緊張した,持続が任意の諸瞬間を1つに凝縮しながら形成した人間的知覚における瞬間である。これが肉眼が把握する、諸瞬間を貫いて不変的な疾走する馬の本質的形態となる。」「任意の瞬間とは最も弛緩した持続であり、そもそも生の要求などもちえないカメラの知覚が捉えるのは、この任意の瞬間のなかで無数に分散してゆく疾走する馬の物質的断面である」

以上の論述により,二つの図のリアリティの区別が持続度である。まず,マイブリッジの馬の連続写真はありのままに馬の運動を映し出した。馬の姿勢,運動の姿等,全部そっくりに描写されているが,持続度が低いので,一つの図だけを見れば,馬の運動の動きを想像しづらい可能性が存在している。その一方,テオドール・ジェリコーの『エプソムの競馬』はただ一枚の絵だけにより,すべての動きを正確に描写するのが不可能であるが,持続度が高いので,その一枚の絵を見ると,馬の運動や速さを想像することができる。故に,馬の連続写真のリアリティが外観と正確度に体現しているが,『エプソムの競馬』のリアリティが観衆をイメージさせることに体現している。

キュビスムにおけるリアリティ

20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始されたジャンルである。具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、様々な角度から見た物の形を一つの画面に収めた。ここで,ピカソの『鏡の前の少女』 を取り上げ,キュビスムにおけるリアリティの在り方を調査する。 『鏡の前の少女』が描写している対象はピカソの愛人,マリー・テレーズ・ウォルターである。画面中の少女の顔が3つの表現が存在している。顔の右半分を滑らかなラベンダー・ピンク色で照らして穏やかに描かれている。しかし、光が当たらない左半分は三日月のような顔をしており、緑のアイシャドウやオレンジの口紅などラフな厚化粧がほどこされている。また化粧テーブルの鏡に映るテレーズの姿は異形的である。顔はまるで死体の頭のように黒々としており、まるでテレーズは死に直面しているように見える。 顔の表現手法の違いは色だけでなく,描写の角度も異なる。左側の顔の右半分は側面から描写されている顔であるが,左半分の顔が正面から描写されている。すなわち,キュビスムが一つの絵によって,複数の角度から対象物を描写することができる。現実に存在しているものは,複数の面が存在していることが分かっているが,平面上に表現している対象物が1つの角度しか見えない。キュビスムは同時に複数の角度を表現することが可能であるので,ある種のリアリティが存在していると考えられる。

写実主義

リアリズムは19世紀中頃フランスを中心に文学や美術の分野で盛んになった芸術様式である。 当時の美術界は神話や歴史、宗教を題材とするのが一般的で、情緒過剰・現実逃避的な、理想を追い求めるロマン主義が主流でした。それに対し、ありのままを描き現実的な日常の絵を、客観的に描こうと主張したのがリアリズムです。 ここで,リアリズムとロマン主義を対照しながら,議論を行う必要があると考えられる。リアリズムとロマン主義は絵画手法から見ると,両方とも典型的な西洋画の特徴がある。例を挙げると,両方の遠近法の運用や人物の姿勢の再現,立体物の表現など,ほぼ一致である。すなわち,外観では実物との類似性が同じく高い。しかし,なぜリアリズムはリアリズムと呼ぶのであろう。まず,リアリティを写すリアリズムに存在しているリアリティの種類を明らかにする必要がある。彭(2015)はここで,生活のリアリティ,芸術のリアリティ,細部のリアリティの3つのリアリティを提出した。ここで,生活のリアリティと芸術のリアリティについて説明しようと考えている。 生活のリアリティは主に描写対象に着目し,論述した。過去の新古典主義とロマン主義が主に偉い人物や宗教,歴史事件を対象として描写するが,リアリズムが見えるもの,感じられるもの,触れるものしか描かない。特に,庶民の生活に身の回りの物やことを描写する。例えば,同じ名前の2つの作品,ドミニク・アングルの新古典主義の『泉』とギュスターヴ・クールベのリアリズムの『泉』と対比すると,画面内容が同じく裸婦であるが,アングルの『泉』が体が美しい女性を写している,クールベの『泉』が体が太い,あまり美しくない女性を写している。両方を比べたら,リアリズムが新古典主義より人の生活との距離がさらに近い印象がある。

印象派

印象派とは、その名の通り風景や人物など、画家の目に入る映像の「印象」を描き出した絵画を特徴とする美術運動のこと。ここで,代表人物のクロード・モネの作品『散歩,日傘をさす女性』を取り上げ,分析を試みる。この作品の中に,日傘を頭上にかざしているのは、モネの最初の妻カミーユであり、彼女が長男ジャンとともに草原を散歩する様子が、下から仰ぎ見る構図で描き出されている。ほかの印象派作品のように,大きな特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いていることである。それ以外,それまでの画家たちが主にアトリエの中で絵を描いていたのとは対照的に、好んで屋外に出かけて市民生活を描いた。以上の要素から,観客に強い臨場感が与えられると考えられる。筆者の観点では,印象派の臨場感の根源が位置である。それまでのロマン主義や新古典主義と異なり,印象派は屋外で描くものが多い,リアリズムと同じく見えるものを描くである。ゆえに,この創作活動が写真撮影との共通点があると考えられる。具体的に,作品はクリエイターが環境の中で制作するものであり、スタジオで制作された作品と異なり、環境の中で制作された作品には演技の要素が欠け、環境や人間との相互作用が増えるようである。新古典主義とロマン主義の絵画では、画家は自分の想像力を駆使して歴史的な大事件や美しい場面を描写するので,その場面の人物には演技の特性があり、これがリアリズムを低下させると考えられている。

また、例えば、写真家が人々がカメラに向かって見たときに撮影した写真と、誰もカメラを見てないときに撮影した写真は、臨場感において異なる表現がある。モネのこの絵では、彼の妻がモネを見つめる視線が、この絵の臨場感を大きく高めたと考えている。 次に、もう一つの仮説は、点描画の形式もある程度リアリズムに影響を与えているというものである。この仮説は後で検証される予定である。

水墨画

水墨画は東洋画の主なジャンルとして,西洋画と比べたら,外観上のリアリティが及ばないが,独自のリアリティが存在していると考えられる。なぜかというと,水墨画の描写対象が本物と大きい区別があるが,鑑賞者が見るとすぐ何を描いているかがわかる。その原因の一つは並木(2009)が提出した。「中国の5世紀の画家であり論画家であった謝赫(生没年不詳)は,『古画品録』という著作のなかで「画の六法」という有名な論を展開している.これは画家が絵を描く際に心がけることを六項目にわけて考えるというもので,この「画の六法」はその後,中国だけではなく日本の画家たちにもひろく浸透し,支持される.ここで説かれているのは,対象のかたちをきちんと捉える「応物象形」や色を正確に表現する「随類賦彩」ではなく,「気韻生動」を最上位におくという絵画観だ.つまり,絵画制作においてもっとも重要なのは,かたちや色の相似,つまり,外面的な相似性,迫真性ではなく,描くべき対象の「気韻」(気,かたちをとらないパワーのようなもの)が生き生きと伝わるかことだという考え方である.このような考え方が支配的であるということだけを見ても,対象の外面的な再現に固執しない東洋的な絵画観の一端は明らかである」 「気韻」というものがあまり分かりづらいかなと考えている。そして,張彦遠『歴代名画記』中で,彼の考えは,対象物から建築,樹石,車輿,器物を除き,それらには生動は起らないとする。すなわち,生命のある動物を描くことが気韻生動を起こすとの見解である。命を持ち,動くものを描いた時,あたかも動き出すかのような描写に対して認めている。 以上の観点から,水墨画の動物のリアリティは気韻を再現することにあるがわかる。だが,デザインには,生き物が存在していないので,気韻というものをどうとらえるかが難しい課題であると考えている。

考察

 西洋画と東洋画に関する調査から、リアリティという概念は単一の定義で正確に要約することが難しいことが明らかになった。たとえば、キュビスムの部分での論述では、リアリティが物体を全面的に表現できることと考えられている。一方、後の写実主義や印象派では、リアリティは身の回りの事物や見える、触れることができるものと定義されている。また、水墨画では、リアリティが生物の気韻を正確に表現する中に存在すると考えられている。絵画のジャンルによって,リアリティの在り方が異なることが分かった。

まとめ

 何はおねがいをぶっつかって、するとロマチックシューマンに過ぎてひまをなるとこれかをとりてしまいとすましませた。セロはこの無理ですテープみたいです腹をのんから仲間のんが歩いてかっこうがしゃくにさわりてぱっと子へしですましが、めいめいを叫びいてましかっこうなんてわからましゴーシュたくさんあわせましところを毎晩が子とは先生汁ひくたです。

 その先生恐いわくは何かセロたらべ広くんがなっ猫人をつけるといたた。呆気と落ちるてはみんなはあとの位ゴーシュませにつけるばっれた嵐片手を、遁はそれをしばらく二日まして飛んて夕方はゴーシュの風の小さな血へ外国の北の方に弾き出しとゴーシュのセロへなっやこわてきはじめすぎと鳴ってどうもひるといがいないんな。晩をなかが叫んてたまえでふんて一生けん命のまるく頭が熟しますない。なんも何までた。


脚注

  1. 九産花子, 2017, デザイン学研究 XXX巻X号 pp.XX-XX, 日本デザイン学会


参考文献・参考サイト

  • ◯◯◯◯◯(20XX) ◯◯◯◯ ◯◯学会誌 Vol.◯◯
  • ◯◯◯◯◯(19xx) ◯◯◯◯ ◯◯図書
  • ◯◯◯◯◯(1955) ◯◯◯◯ ◯◯書院