伝統工芸の変化に対する葛藤の意義

提供: JSSD5th2019
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河合甫乃香 / 九州大学大学院芸術工学府
KAWAI, Honoka / Kyushu University 
池田美奈子 / 九州大学大学院芸術工学研究院
IKEDA, Minako/ Kyushu University

Keywords: Traditional crafts, Conflicts, Changes 


Abstract
Traditional crafts were difficult to update in the long history, but now people are starting to feel crisis. By clarifying the conflicts that traditional craftsmen or people involved have, I considered the significance of conflicts about changing traditional crafts. As a result, it was found that half of the conflict is related to the life in front of the craftsmen and sellers, and the existence of the traditional craft industry (which must be sold) is significant.



目的と背景

 ものづくりの歴史において、人々は常に新しい技術を用いながらその時代の需要に合わせた製品をつくってきた。産業革命では生産能力が飛躍的に上がり製品が広く普及したが、社会的に様々な問題を引き起こし、その反省としてイギリスでは1880年代からアーツ・アンド・クラフツ、日本では1926年から民藝運動がおこり、1974年には伝統的工芸品産業の振興に関する法律が施行された。しかしこうした近代へのアンチテーゼの動きの負の側面として、伝統工芸品は時代に合わせたアップデートがしにくい状況であり、近年は時代に取り残されつつある伝統工芸品産業とデザイナーやディレクターなどが協力し、生まれ変わらせようとする動きが各地で生まれている。 しかし、伝統工芸の職人やその関係者を訪れてみると、単に近代へのアンチテーゼによって変化しにくいだけでなく、様々な要因によって変化に対して葛藤があるようである。そこで本研究では、職人とその関係者の伝統工芸の変化に対する葛藤について整理し、伝統工芸に与える意義を考察するための葛藤モデルを作成することを目的とする。


研究の方法

まず、心理学における葛藤の構造を整理することで葛藤とその構造モデルを定義する。次に作り手やその関係者が葛藤を抱えているエピソードを今までに行ったインタビュー調査等の中から抜き出し、伝統工芸品について変化しない方向と変化する方向の欲望とその主体、その上で実際にとった行動、それがどういった葛藤であるか、最後にその葛藤の種類と構造モデルをあてはめる。そして、それらの分析をもとに伝統工芸産業に与える意義を考察する。




結果

葛藤の構造モデル.png

 心理学者のクルト・レヴィンによる葛藤の分類と、グラッサーによる「真の葛藤か見せかけの葛藤か」の分類をもとに、葛藤とは「①一つの主体に対して複数の欲望のベクトルが存在し、総和が0である状態、かつ②それらを引き起こしているのが外的な要因である」と定義する。構造モデルは、丸を主体とし欲望を矢印で表した4種類とする(右図)。

2017年9月から半年間行った南風原花織に関するインタビュー調査の中から4つの葛藤の事例を分析した。(南風原花織は明治時代から沖縄県那覇市で生産されてきた着物の生地であり、2017年3月に伝統工芸品指定された。このインタビュー調査では、南風原花織だけでなく広く沖縄系の織物の着物について、作り手や問屋、売り手などから話を伺った。)それぞれの事例からまず個々の欲望を抜き出し、それらが同一の主体でかつ逆方向のベクトルである場合を葛藤とした。そして、実際にとった行動と、それがどの欲望が強かった結果なのかを整理した結果を4つの事例ごとに以下に示す。 【Epi.1】大島紬の「龍郷柄」に関して、消費者の龍郷柄を織り続けてほしいという欲望が単独で見られ、一方作り手には、龍郷柄を織り続けないと技術自体が消えてしまう恐れがあるが、古臭く見える古典柄は織っても今はあまり売れないという葛藤が見られた。現在は、龍郷柄はほとんど研修生の練習として織られている。これは「工芸品そのものや技術の継承のための葛藤」とした。 【Epi.2 】琉球絣の高齢の作り手は、柄を入れる際にびっしりと入れないと売り物にならないという昔の価値観で作り続けていたが、柄が少ないほうが今の消費者には売れるのではという外部からのアドバイスで葛藤していた。柄を少なくすると手間が減り、生産コストを下げられるので少ない柄を織ってみたら思いの外売れたことで、昔の価値観が少し崩れた。これを「古い価値観に忠実であろうとする葛藤」とした。 【Epi.3】問屋が抱えている葛藤として、産地としてある程度量を織ってくれると低価格帯として扱いやすいが、沖縄の織物に関してはストーリー性を重視したほうが売れるのでできれば分業しないでほしいというものがある。すでに産地は分業で成り立つような構造であるのですぐに変えるのは難しいが、若い人には1人で一貫して作業できるような教育をはじめている。これは「量と質の葛藤」とする。 【Epi.4】百貨店側には、様々な芸術から刺激を受けて新しい作品に挑戦してほしいが、各作り手の個性を見失わないでほしい、また、消費者と会って声を直接聞いて刺激にしてほしいが、刺激を受けすぎて迷走してしまう人もいるという葛藤がある。今は上品会でテーマを設けて呉服以外の世界にも目を向けてもらい、将来的には若い作り手に向けて消費者と接する場を用意したいと、百貨店側は考えている。これを「良い品つくりのための作り手のアイデンティティと挑戦の葛藤」とする。


考察

 以上の結果を踏まえ、次の点について考察した。 ・作り手だけではなく、問屋など売る側のステークホルダーにも葛藤は存在する。この葛藤については、伝統工芸という産地または日本全体で担っていくべき文化だからというよりも、良い商品をつくって消費者に届けたいために抱えているという傾向があった。 ・葛藤の主体が作り手ではない場合、変わる方向に向かっている。これは上の点に関連しており、商品として良い品を作っていくためには外部からの刺激を受け入れて新しいものを生み出していくことが必須であるからだと考えられる。 ・一つのエピソードに対して、葛藤の他に欲望がある場合、実際の行動は単純に欲望のベクトルが強い方に向かっている。epi.2は作り手にとって1つの葛藤と、変わる方向へのメリットが1つあったので変わる方向への実際の行動が見られた。epi.1は消費者の要望だけが1つあったが、これが実際の行動と関連しているのかは不明である。 ・葛藤が均衡する場合、実際の行動として「すみわけ(≒折衷案)」をとることもある。この場合は作り手の世代ですみわけをしているが、工房ごとや個人の性質などでもすみわけは可能であると考えられる。 考察のまとめとして、伝統工芸は文化(情報)としての側面と産業としての側面が葛藤を引き起こしているものだと考えていたが、意外にも目の前の実質的な問題に対しての葛藤が半数を占めていた。伝統工芸という大きな流れも、職人や売り手が目の前の生活をしていくための選択が紡ぎ出したものであるという一面があることが明らかになった。また、造形や美学にかんしては作り手自身が求めるものだけでなく、売り手(消費者)が求めていることが作り手に影響を与えているという面も大いにあるということがわかる。


まとめ

 大きな歴史の流れの中で伝統工芸品はアップデートしにくい状況であったが、現在はそれに危機感を感じ始めている人たちが現れつつある。伝統工芸の作り手と関わる人たちの葛藤について明らかにすることで、伝統工芸への葛藤の意義を考察した。その結果、葛藤の半数は作り手や売り手の目の前の生活に関係することであり、伝統工芸の産業である(売らねばならない)という点の存在が大きいということがわかった。