草間彌生の《ナルシスの庭》におけるデザイン性について
- 草間彌生の《ナルシスの庭》を事例として -
- 陳瑞連/ 神戸大学 人文学研究科
- Ruilian Chen/ KOBE UNIVERSITY GRADUATE SCHOOL OF HUMANITIES
Keywords: KUSAMA YAYOI,Narcissus Garden,Design
- Abstract
- This presentation will focus on "Narcissus Garden" to analyze the design elements in Yayoi Kusama's works. By discussing the functionality of "Narcissus Garden, Kusama" based on two signs that read "Narcissus Garden, Kusama" and "your narcissim for sale," we demonstrates the design aspect of the "Narcissus Garden."
背景と目的
草間彌生は前衛芸術家、小説家である。1929年に長野県に生まれる。幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚、幻聴を題材に、網目模様や水玉をモチーフにした絵画を制作した。57年に渡米し、画面全体に目を描いたモノクローム絵画やソフト、スカルプチュアで高い評価を得た。60年代から草間の作品は平面から立体に変わり、鏡の使った作品が多く見られるようになった。鏡を用いられた作品の中では、特に《ナルシスの庭》、《愛はとこしえ》、《ナルシス・シー》、《無限の鏡の間》四つの作品は注目されている。 本発表では、この中の《ナルシスの庭》を題材として、草間彌生の作品の中に見られるデザイン性について分析を行う。
研究の方法
草間彌生の作品《ナルシスの庭》から、1960年代の芸術史とともに、彼女自身の歴史と人物像、作品の変化を検証し、第33回ヴェネツィア・ビエンナーレ(1966)の展覧会から日本における《ナルシスの庭》の展示の変化を考察する。《ナルシスの庭》の中にデザイン性が存在すると考え、既往研究をもとに比較対照し研究を進める。
《ナルシスの庭》概要
《ナルシスの庭》は第33回ヴェネツィア・ビエンナーレ(1966)に出展された作品である。メイン会場であるカステロ公園内(イタリア館前)の芝生の上に約1500個のミラーボール(ビニール製、直径28cm)が敷き詰められ、黄金色の着物を身に纏った草間がそれを1個1200リラ(当時の価格では約2ドル)で観客に販売するというパフォーマンスが行われた[1]。このナルシスの庭に近づいた人々は、ミーラ・ボールのひとつひとつに自分の姿が映し出された。草間の傍らには「Narcissus Garden、 Kusama」と「your narcissim for sale」と書かれた2つの看板が立てられていた。
《ナルシスの庭》という作品名は、ギリシア神話の中に美の化身とされる美少年ナルキッソスでの物語に由来する。ナルキッソスは自分の姿を見なければ長生きできると預言された。多くの女性やニンフたちに求愛されたが、すべてにべもなくはねつけた。失恋したニンフの一人エコーが、憔悴してただ声だけの存在になってしまったため、ナルキッソスはついに神々の怒りを買い、復讐の女神ネメシスの罰を受けて、泉に映った自分の姿に恋し、その場を離れられなくなった。
ナルキッソスの物語の本文に「ある處に、銀色に澄み渡った湛えた泉にあった」とある[2]。この銀色の泉の水面に顔を映る描写と草間のミーラ・ボールで人々の表情を表す芸術の類似性から、草間の《ナルシスの庭》とナルキッソスの物語に関連性があるのは明らかである。「ナルシス」は水仙の英語名(narcissus,daffodil)で、その花言葉は「自惚れ、自己愛」である。とくに黄色の水仙の花言葉は「もう一度愛してほしい、私のもとへ帰って」であり、これは草間が《ナルシスの庭》には自身の「自己愛が強い」側面が大きく反映されていると説明している[3]こと、そして「その先に回帰するの、永遠への回帰、輪廻転生ね」と発言している[4]ことに繋がっていると考えられる。
《ナルシスの庭》におけるデザイン性
「Narcissus Garden, Kusama」と「your narcissim for sale」と書かれた2つの看板に基づき、《ナルシスの庭》の機能性を議論することによって、そのデザイン性を示す。
まず、《ナルシスの庭》においてミラーボールを販売する目的は「your narcissim for sale」とあるように自己愛や自惚れを購入者(ユーザー)に持ち帰ってもらうことである。ミラーボールを購入したユーザーは、そのミラーボールを自宅に持ち帰り、その表面に部屋の中にいる自らの姿を写す。その際、ミラーボールを覗き込むユーザーは、常にミラーボールの中心に映し出され、それ以外の要素は背後に小さく後退する。こうしたミラーボールを覗き込むという行為を通して、自己中心的な像をユーザーに示すことで、ユーザー部屋はもう一つの《ナルシスの庭》となるのである。
すなわち、《ナルシスの庭》の機能は、《ナルシスの庭》そのものを自宅の中に複製することであり、さらには草間の持つ自己愛的傾向を、ミラーボールを購入したユーザーの内面にも複製させることである。こうしたことは、《ナルシスの庭》を会場で売ることによって初めて可能となり、そして、ユーザーの自宅を《ナルシスの庭》と化すことを通して、自己愛や自惚れをユーザーに意識させることで作品として完結する。ここに、自己愛や自惚れを購入者(ユーザー)に持ち帰ってもらうという目的が達成されるのである。
《ナルシスの庭》は、一般的にいえばアート作品であることは疑いようはない。しかし、このようにあらかじめ目的を示し、その目的がユーザーによるその作品の使用によって達成されるという図式は、まさに《ナルシスの庭》がデザインされたものであることを示していると考えられる。
まとめ
本発表では、《ナルシスの庭》におけるデザイン性について説明した。ミラーボールを買った上で購入者(ユーザー)は自宅にも《ナルシスの庭》の自己愛や自惚れを味わうことを通じ、ミラーボールの機能性と目的について考察した。《ナルシスの庭》の目的がユーザーによって達成されるという図式を示すことでそのデザイン性を明らかした。
脚注
- ↑ 谷川渥(1993)「増殖の幻魔」『美術手帖』.66頁.
- ↑ 呉茂一(1994)『ギリシア神話』、新潮社.325頁.
- ↑ 松井 みどり(2001)インタビュー 草間彌生--前衛から救済へ--60年代と今とをつなぐ《ナルシスの庭》.(特集 横浜トリエンナーレ 2001の歩き方)ー(60s NOW!-art.beyond-ヨコハマカラ60年代が見エル)『美術手帖』第53巻.811号.10月発行.91頁.
- ↑ 松井 みどり(2001)インタビュー 草間彌生--前衛から救済へ--60年代と今とをつなぐ《ナルシスの庭》.(特集 横浜トリエンナーレ 2001の歩き方)ー(60s NOW!-art.beyond-ヨコハマカラ60年代が見エル)『美術手帖』第53巻.811号.10月発行.93頁.
参考文献・参考サイト
- 草間彌生(2002)『無限の網 草間彌生自伝』作品社出版..
- ペン編集部(2011)『やっぱりすきだ! 草間彌生。We love yayoi Kusama』.阪急コミュニケーションズ出版社.
- 谷川渥(1993)「増殖の幻魔」『美術手帖』6月1日発行.671号.美術出版社.
- 呉茂一(1994)『ギリシア神話』、新潮社.
- 松井 みどり(2001)インタビュー 草間彌生--前衛から救済へ--60年代と今とをつなぐ《ナルシスの庭》.(特集 横浜トリエンナーレ 2001の歩き方)ー(60s NOW!-art.beyond-ヨコハマカラ60年代が見エル)『美術手帖』第53巻.811号.10月発行.90−93頁.
- Sullivan, M. R. (2015). Reflective Acts and Mirrored Images: Yayoi Kusama’s Narcissus Garden. History of Photography. 39(4), 405-423.