「EXPO'70でつくられた太陽の塔が撤去されずに残った理由に関する一考察」の版間の差分
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2022年10月19日 (水) 22:41時点における版
- 竹中 ゆき奈/ 九州大学 大学院統合新領域学府
- Yukina Takenaka / Kyushu University
Keywords: 岡本太郎, 太陽の塔, 保存, 心のはたらき
- Abstract
- I think that various things in the world are not going well. What should I do to live with a feeling of bursting, excitement, and fulfillment from the bottom of my heart? This study focused on the "Tower of the Sun" by artist Taro Okamoto (1911-96), which was created for the 1970 Japan World Exposition. Based on the minutes of the meeting and related records, as well as primary materials such as videos and statements by those involved, we will examine the reasons why the tower survived from the perspective of various stakeholders.
背景と目的
2025年に大阪で日本万国博覧会が開催される。開催に伴い、1970年の同府における万国博で建造された太陽の塔やその作者である芸術家岡本太郎(1911-96年)が様々な場面において話題になっている。例えば、大阪中之島美術館や東京都美術館、愛知県立美術館で開催されているもしくは開催予定の「展覧会 岡本太郎」回顧展、さらに、2022年7月27日に放送されたNHK「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」や、2022年7月19日から7月30日にかけて放送された同社の特撮テレビドラマ「岡本太郎式特撮活劇 TARO MAN」などがある。岡本太郎の代表作である太陽の塔に関する研究においては、美学、芸術学、美術史、民俗学、建築学といった多方面からの議論がなされている。太陽の塔は、様々な分野からのアプローチが可能であると考える。そこで、本研究では、感性学の分野から太陽の塔を取り上げる。
先行研究「太陽の塔の保存をめぐる研究」(春原2002)では、太陽の塔について「制作経緯や作品としての形式や内容はかなり論じられてきている。だが、特に《太陽の塔》について、それが後にどのような影響をもたらしているか、その存在により後に何が生まれたのか、そういった事後のこと -社会的過程としての芸術作品の一プロセス- について、美術史的にその詳細を考察したものはなかなか見られない。」1と論じられている。そこで、本研究においても、万国博終了後の太陽の塔に焦点を当てることとする。また、同先行研究においては、芸術学および美術史的観点から、「大衆の評価」に着目し、大衆からの評価が太陽の塔の保存に深く影響していることや、その背景には、レジャーブームや、野外彫刻の盛り上がりが関連していると述べている。しかしながら、最終的に保存を決定する立場にある万国博関係者が、なぜ塔を保存することにしたのか、その局面にあたる会議で何があったのかという、運営者側の視点や人の心の働きという側面からは、まだ議論がなされていない。
本研究では、運営者側を含む様々なステークホルダーの視点から、塔の保存に至るまでの経緯、および、保存の決定に至った人の心の働きに着目し、太陽の塔が万国博終了後も撤去されずに残った理由について、多面的に考察することを目的とする。
研究の方法
文献による調査 当時の議事録および関係記録資料、さらに映像や関係者による言説などの一次資料に基づき、様々なステークホルダーの視点から塔が残った理由について多面的に考察する。
ステークホルダーについては、主に次の万国博関係者に注目した。
① 万国博の運営者側
日本万国博覧会協会(日本万国博覧会記念協会)役員・専門委員
政府
大阪府
大阪市
吹田市
② 制作者側
岡本太郎(テーマ展示プロデューサー)
丹下健三(建築家。1913-2005年)(基幹施設プロデューサー)
高山英華(都市計画家、建築家。1910-1999年)(建設顧問)
③ 市民(万国博の参加者)
結果
万国博の建造物は、本来、万国博終了後に撤去することが前提であった。会場跡地や施設に関する会議が行われる中、1970年8月17日に行われた日本万国博覧会後処理委員会の幹事会および、二日後の8月19日に行われた第二回日本万国博覧会後処理委員会において、太陽の塔(大屋根、お祭り広場、エキスポランド含む)は撤去でも存置でもない検討対象外という位置付けになった。その理由は、撤去か保存かの意見がまとまらなかったためである(1970年8月19日朝日新聞朝刊)。その論点の一つが、万国博終了後においても利用価値があるかどうかや、撤去費や維持費に関する内容であった。 しかしながら、1970年3月3日に行われた第7回万国博覧会跡地利用懇談会では、その議事録から、岡本太郎や丹下健三の発言により、太陽の塔(大屋根含む)は何とかして残そうという方向になったことが分かる。それにも関わらず、その後、1972年に報告された高山英華らによる万国博覧会記念公園基本計画報告書では、太陽の塔と大屋根は撤去する方向で計画されていた。しかし、1974年12月4日に発足された、撤去か保存かを決める最終会合である万国博施設処理委員会における、第三回目の会合(1975年1月23日)では、太陽の塔は永久保存の決定がなされた。大屋根は、劣化が進んでいること、改修に莫大な費用がかかること、技術上の都合から撤去されることになった。
岡本太郎と丹下健三の発言により太陽の塔は保存する方向になったものの、それ以前の会議において、検討対象外という位置付けになった理由について、経済的な理由だけではない、何か塔の壊しにくさのようなものがあったのではないかと考える。1974年12月17日毎日新聞夕刊の記事には「「太陽の塔」や大屋根など、いわゆるお祭り広場一帯の処理は、撤去費が膨大なこと、芸術作品であることなどから敬遠されてきた。」という内容が記載されている。このことからも、太陽の塔は、何となく直視したくないような、関わりたくないような、敬遠してしまうような要素があったのではないか。その要素について、次の3点を挙げる。
①太陽の塔は祭神としてつくられたものである点
②太陽の塔はよく分からないものである点
③土臭い、人間臭い、原始的な、一見稚拙そうな、時代遅れのような古い昔のものに対する、人の恥じらいやコンプレックス
①②は岡本自身が語っている(テーマ委員会および関係記録資料)。③については、お祭り広場を手がけた建築家の磯崎新(1931年-)が当時のことを振り返り、「僕はあのときまで、モダニズムしかないと思っていましたからね。太郎さんの塔は、パンドラの箱じゃないけれど、日本の昔の、本当は見たくないものがふたを開けたら現れた(笑)。僕なんかは最初の印象はそうでしたよ。」2と語っている。
考察
議事録の岡本太郎の発言におけるページ数の多さや、会議後の新聞による報道(1975年1月24日毎日新聞朝刊)から、発言にはかなりの熱意がこもっていたことが分かる。その熱意や発言は、その内容から岡本太郎の一貫した思想や人生哲学、生き方そのものからくるものであると考える。
岡本太郎の熱意と発言によって、会議に参加していた関係が心を動かされたことにより、太陽の塔は保存されることが決定したと考える。さらに、保存に至る過程において、次のような要素も塔の存続に関係していると考える。その根拠は現在整理中である。
①万国博開催前から太陽の塔や大屋根を残したいという関係者の意向
②構造的理由
③経済的理由
④保存を求める市民の運動
⑤撤去を敬遠する雰囲気
結論
本研究の目的は、岡本太郎の太陽の塔が、撤去されずに残った理由を明らかにすることであった。上記の調査結果と考察に基づき、太陽の塔は、万国博覧会跡地利用懇談会(小委員会を含む)および、万国博施設処理委員会における、岡本太郎の熱意や発言に、参加者が心を動かされたことにより保存することになった。また、そこに至るまでの過程において、万国博開催前から太陽の塔や大屋根を残したいという関係者の意向、太陽の塔の構造的理由、経済的理由、保存を求める市民の運動、撤去を敬遠する雰囲気があったことが関係しているということが明らかにできた。
脚注
1 椹木野衣, 2003, 黒い太陽と赤いカニ 岡本太郎の日本 p.199, 中央公論新社
参考文献・参考サイト
- 日本万国博覧会 公式ガイド(1970)日本万国博覧会協会
- 「岡本太郎・EXPO’70・太陽の塔からのメッセージ」展(2000) 川崎市岡本太郎美術館
- EXPO’70 世紀の祭典 日本万国博覧会50周年記念公式ガイド(2021) 大阪府日本万国博覧会記念公園事務所
- News クローズアップ:「太陽の塔」が3月公開(2018) 日経アーキテクチュア
- 前田昭夫「千里への道―日本万国博7年の歩みー」 (1970) 万国博グラフ社
- 岡本太郎「今日の芸術 時代を創造するものは誰か」(2011) 光文社
- 岡本太郎「 日本の伝統 」(2011) 光文社
- 岡本太郎「岡本太郎の本 5 宇宙を翔ぶ眼」(2010) みすず書房