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中心と周縁 のバックアップ(No.2)


中心と周縁

人間社会を説明するモデル

はじめに

文化人類学者の山口昌男は、その著書「文化と両義性」の中で、「中心と周縁」という二項対立的思考の枠組みを提唱しました。
 あらゆるレベルの社会構造は「中心」と「周縁」の有機的な組織化の上に成り立っています。「中心」は秩序、「周縁」はそれを動的に再生産する力です。 人間社会の中心部は、ともすると惰性化・硬直化する傾向にあります。それをゆさぶり、組み替えを促すのはいつも「周縁的な存在」です。それは空間的には、村はずれ、川向こう、峠の向こうにいます。また時間軸で考えれば、夕暮れ時(逢魔時)、夜、そして祝祭日(日常の価値が逆転する日)にあります。
 日本の昔話をいくつか思い出して下さい。多くのお話は、この中心と周縁の交流を描いたものであることに気づくはずです。

正規分布における中心と周縁

中心と周縁.png

正規分布を立体的な「山」に例えて、それを上から眺めると右図のような同心円上の形になります。見たまんまですが、真ん中が「中心」そして外側が「周縁」です。


中心:マジョリティー

周縁:マイノリティー


境界領域 Boundary Region

APPENDIX

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全体を見通す視点に立つこと

我々は一般に集団の内部にいて、集団を内側から見ています。外国旅行をすると日本を相対化して見ることができますが、それでも自らが置かれた社会の常識を俯瞰するのは難しいものです。

組織の問題は内側から変えられない・・。問題の本質がどこにあるのか、それを俯瞰で捉えるには、デザイナーは、常に世界を「引き」で見ることが必要です。

差別やいじめの問題は・・・

差別やいじめは、中心と周縁の間に境界を設けようとする心理によって生まれます。中心がその秩序の維持のに最も簡単な方法は、周縁という対立項を「見える化」することです。人間は「分ける」=「わかる」ことに喜びを感じる生き物で、「対比」や「区別」といったものと根元を同じくする差別やいじめは、人間社会に必然的に生じてしまうのです。

しかし、全体を見通す視点をもつ人は、そのことを知っているので、差別やいじめに加担することはなくなります。「差別される人の気持ちになって考えましょう」というレベルの話はでは視点が低い。「そもそも人はなぜを差別するのか」という視点に立てる人を増やすことが重要です。


差別の起源

生物本来の知性を残している幼児は、遺伝的に異なる性質を持った友達に対して、どうして「◯◯くんは△△なの?」という純粋な疑問をいだく。それを聞いた母親が「そんなこと言うものではありません」といって口をふさぐ。この時、子供は「大人になる」と同時に「異質なものを下に見る」という差別感情の芽生えがおこる。
 人間社会ではこれがマジョリティーの大人化のパターンであるが、疑問を投げかけた子供に対しては、別の説明もできる。「そうだよ、みんなそれぞれ違うんだよ。あなただって他のみんなより眉毛濃いでしょ・・」。多様性の承認とはそういうことかと・・

世界が共通言語をもつことは危険

すでに述べたように、「母国語」はそれを使う社会を洗脳しています。生物に多様性が必要であるのと同様、人類の「共同幻想」にも多様性が必要です。社会が「静止」することなく、うごめき続けるには、常に自身を相対化する必要があります。洗脳にゆさぶりをかけることができるのは「他言語の存在」と「芸術」です。それぞれの民族が、独自の言語を絶やすことなく持ちつづけることは非常に重要です。

強いものが生き残るのではありません。変化し続けるものが生き残るのです。