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VisualPsychology

視覚の心理


私たちは、世界の認知の大半を「視覚」に依存しています。自然環境という意味での外部世界はもちろん、人間社会における大半の情報が、文字・図形・静止画像・動画像という形式で視覚に訴えてきます。さらに言えば、「人」特有の「シンボル化能力(イメージ喚起能力)」というものも、「不在の現前」すなわち、目の前に無いものを頭の中にイメージ(視覚化)する能力のことであり、頭の中の「視覚像」が世界の認知に果たす役割は非常に大きいといえます。人間の「視覚」について、あるいは「イメージ」について考えるということは、「人」そのものについて哲学することでもあります。

CONTENTS





眼球の構造

はじめに

生物の体には感光細胞というものがあります。文字通り、光を感じる細胞のことで、初期の生物の場合は体表にそれが分布していますが、進化の過程で感光細胞の集合は窪みの中に入り込みます(例えばオウム貝の眼はこの段階のもので、ピンホールカメラと同様の仕組みで視覚像を形成しています)。さらにそれが進化すると、その窪みへ入る光量の調節機能をもったり、透明な膜によって覆われたりしてきます。

人の眼球では、窪みの中の感光細胞の集合が網膜であり、光量の調節をするのが虹彩であり、透明な膜が角膜です。また水晶体は角膜の派生として、硝子体は窪み内部の空間を外圧から護るために発生したと考えられています。ちなみに眼球は発生学的には脳の一部です。
 

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画像出典:脳科学辞典 Mammal eye.png / Tmatsuyama(CC-BY-NC)
 

虹彩

虹彩は外部からの光量を調節する機構で、強い光によって感光細胞が破壊されないようにするのが本来の目的ですが、カメラの絞りと同様に被写界深度の調節機能を副産物として与えてくれます。すなわち、虹彩が大きく(瞳孔が大きく)なればレンズの使用面積が大きくなるため、ピントの合う範囲が狭くなり(対象の前後がボケる)、逆に小さく絞られるとピントの合う範囲は広くなります(対象の前後もくっきりと見える)。

曇り空の下ではぼんやり見える風景が、明るい日差しの下ではすっきり見えるのというも、日差しによるコントラストの問題だけではありません。眼鏡をかけている方は、それをはずして時計のベルトの穴越しに風景を見てみて下さい。採光面積を絞ることで(像は相対的に暗くなりますが)ピントが合いやすくなるという事実が確認できるでしょう。ピンホールカメラのようにレンズを使わず結像するものは、原理的にはボケとは無縁であり、すべての距離にある対象がシャープの結像します。

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水晶体

水晶体はカメラのレンズに相当するもので、それを支える毛様体筋の弛緩・収縮によって厚みを変えることで、焦点距離を調節し、網膜上にピントを合わせます。通常のレンズの理屈と同様で、遠方を見ている場合は薄く、近くを見る場合は厚くなります。

網膜

網膜はカメラでいうフィルム面に相当し、感光素子の2次元的な配列で像をとらえるようにできています。網膜に倒立像が写っていることを最初に考えたのはケプラー(1604)と言われており、その事実はシャイナー(1625)によって(牛の眼球で)確認されています。

網膜上の各感光細胞は、それぞれに入ってくる光の量や波長に応じて化学物質を放出し、それが視神系の細胞へ伝わります。このとき、網膜の中心付近では感光細胞と視神経細胞の連結が1対1、周辺部では多対1となっていて、中心部の像が重要であることを物語っています。

ちなみに、人の網膜を「画素数」で例えると、視神経の数から、ほぼ 1,000 × 1,000 画素程度であると考えられます。ただ機械的な撮像素子とは違って、分布は均一ではなく中心部が高解像度になります。


「脳」における視覚像

ここで、大脳の視覚領に関する脳科学の知見を補足紹介しておきましょう。

網膜が捉えた像は、ほぼそのままのイメージ配列を保って大脳に向かうのですが(V1野からV3野までは、ほぼ網膜の配列がそのまま)、大脳には視覚に関わる複数の領野があって、領野ごとにかなり明確な役割分担があります。

例えば、V1野(第一次視覚野)では初期的な情報の処理と振り分け、V3野では方向・線すなわち「形」の検出、V4野では「色彩」の検出、MT野では「運動」の検出など、それぞれタイプの異なる処理が異なる視覚領野で行われています。

また、その処理の流れにも分担があって、例えば、右視野の像が左脳へ左視野の像が右脳へと分岐していること、「空間視」に関わる情報と「形態視」に関わる情報がそれぞれ大脳の背側と腹側に分岐していることなど、大脳は、かなり複雑に機能分化しているといえます。もちろん、それらがどのように連合されるのかといった複雑な問題は未解決ですが、このような視覚に関わる領野が少なくとも30以上あって、大脳皮質の60%以上が視覚情報処理に関わっているという事実は銘記しておくべきでしょう(ちなみに霊長類は皆「視覚動物」です)。

さて、今の段階で確認されている非常に重要な知見は、「視る」ことにも「想像する」ことにも、ともに側頭葉連合野の連想記憶ニューロンの活性化(すなわちイメージ表象の活性化)が関わっているということです。

目からのボトムアップ信号(視覚)、そして前頭葉からのトップダウン信号(想像)、この2つのタイプの信号は、同様のふるまいで我々のイメージ表象を活性化しています。すでにサルトルは「想像力の問題」の中でこのことを哲学的に考察していましたが、我々の視覚と想像が、脳の中でおこる「イメージ喚起」のプロセスを共有しているという知見は、特に「映像」に関する領域では、あらゆる考察の根幹をなすものとして注目すべきものです。

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像は倒立している?

眼球もカメラと同様、像は「倒立」しています。すると当然、ひとつの素朴な疑問が湧いてきます。「我々が見ている世界はさかさまなのか?」という疑問です。 答えは、網膜上の物理的事実としては YES です。

カメラにおけるフィルム面と同様で、網膜上には「倒立」像が写っています。しかし、私たちはそのように認知することはありません。

この問題について、レンズやプリズムによる網膜像の逆転実験を行ったストラットン(1896)の報告によると、「逆さ眼鏡」をかけはじめて3日目ほどで違和感がうすれ、1週間ほどで以前と同様の視覚が確立して、重力方向や触覚、聴覚との矛盾がなくなるということです。

また生まれてすぐのネコに「逆さ眼鏡」をかけさせるという実験でも、ネコの成長過程ではなんら有意な現象は見られなかったといいます。

要するに重要なのは「脳の中で網膜像と体性感覚がどう関連づけられるか」であって、網膜上で正立か倒立かはどちらでもよいのです。もともと我々には、(自分自身の手足も含めて)自分の眼に入った世界しか見えていないわけで、網膜像が世界のすべてです。したがって「手の見えているところに手の感覚のある場所が結びつき、足が見えている方向と重力を感じる方向が結びつく」ようになれば、我々は矛盾を感じずにすむのです。

脳の中で視覚像と体勢感覚が同一化していれば問題はない。感覚的には理解しにくい事実ですが、我々の世界認知にとって視覚像がいかに優位な立場にあるかということを示す重要な事実だといえるでしょう。



色と光

可視光

色という心理現象は、光という物理現象によって引き起こされます。人の視覚がとらえることのできる光は、波長約 380nm から760nm の範囲の電磁波です。ちなみにその外の領域は、波長の短い方は紫外線(UV)、長い方は赤外線(IR)です。

ガンマ線 < X線 < 紫外線  |可視光|赤外線 < 無線通信電磁波領域

我々はその波長の違いを「色」という現象としてとらえており、波長の長い方から「赤 橙 黄 緑 青 藍 紫 」というふうに対応づけることができます。もちろん「色」は物理的に存在するものではなく、我々一人一人の頭の中で生じている心理現象であって、また「色名」も本来連続的に分布するものを言葉で区切ったものにすぎないため、「赤と橙の境界は?」と問われてもその答えは定まりません。

感光細胞

「人」が見ている「色」をさらに詳しく理解するためには、錐体(Cone)と桿体(Rod)という2種の視細胞の存在を知る必要があります。それぞれの特徴を簡単に言うと、錐体は感度は悪いが色彩を感じる能力があり、桿体は逆に高感度であるが明暗しか感じることができない、というものです。「人」の網膜上には中心部(黄斑部とも言う。凝視点の像ができる部分で、視角で言うと10度以内)に錐体が多く分布し、一方周辺部には桿体が多く分布しています。我々が「色」を感じて読み取ることができるのは、まなざしを向けている限られた範囲ということになります。

では錐体はどのようにして色を見分けるのでしょうか。錐体には R(611nm)・G(529nm)・B(462nm)に感受性のピークをもつ3種類の細胞があり、入射光の波長により生じるそれぞれの反応の割合で、色を感じていると言われます。

画像を表示するディスプレイは RGB の3原色によってすべての色をつくっていますが、本来3種類の波長の光をまぜて単一の波長の光にするというのは物理的には無理な話で、これはすなわち「我々の錐体が RGB の組み合わせで反応しているために、本来の単一の波長と、3種の波長のまざったものの区別ができない」ということを物語っています。
この3原色説は、ヤング(1801)・ヘルムホルツ(1860)によって提唱されていたものです。



色と心理

心理現象としての「色」には、色彩嗜好・感情効果・対比効果・誘目性・演色性・色彩調和など、視覚情報のデザインの際に考慮すべき問題が多く存在します。以下にそれらを簡単に列挙しておきましょう。

色彩嗜好

好まれる色は、感覚的、情緒的、経験的に好ましい色で、「明るい・健康的・上品・自然・新しい」など様々に形容されるものですが、その好みも性・年齢・時代・民族などによって異なるものであり、その「人」個人の関わる文化の問題であるといえます。ただし総体的に紫系や暗濁色は敬遠されがちです。

感情効果

我々は色彩によって感情を刺激されるが、色彩と感情の対応関係は一般にいくつかのの軸で示される。すなわち、「暖色⇔寒色」・「動的色⇔静的色」・「重い色⇔軽い色」「強い色⇔弱い色」・「硬い色⇔柔らかい色」・「好きな色⇔嫌いな色」・「心地よい色⇔不快な色」などです。

しかしこれらの軸の上で、寒暖・静動・重い軽い以外はその色彩の位置付けに個人差が大きく標準的な関係付けは困難だといわれています。

対比・同化効果

色同士が影響しあってその差異が強調されて見えることを色の対比といい、逆に色同士が誘導によってまとまって見えることを色の同化といいます。一般に「図」の色に注目した場合は対比が、「地」の色に注目した場合は同化がおこりやすいことがわかっています。

人は「図」に注目するのが普通ですから、対比効果は特に顕著で、例えば、白に囲まれたグレーはより黒く見え、黒に囲まれたグレーは明るく見えるなど、周囲の色の影響で「図」の色は実際の色からずれて見えているということに注意が必要です。

誘目性

より明度の高いもの、より彩度の高いものが人の目を引き付けやすく、色相に関しては青系よりも赤・黄系が有効です。しかし実際的には周囲の色との対比、特に明度の対比効果が問題で、同じ黄色でも黒と組み合わされた場合が最も誘目性は高くなります。黄色と青というふうに色相の上での反対色も効果的ですが、赤と緑のように明度が近くなるとギラギラして見づらくなります(リープマン効果)。

視認性

対象の存在の認められやすさを意味する語で、明視性(形の認知)可読性(文字や数字の認知)を含みます。以下、事例。

識別性

識別性とは、区別のされやすさのことです。JIS規格に定められた「安全色彩」や「配管系の識別表示」は識別性を高めるための色彩の例です。
CIE(国際照明委員会)が推奨する識別性の高い色の組合せは以下のとおり。

色温度

特殊な照明(高速道路のトンネル内ネオンなど)を除けば、照明光は連続スペクトル(可視光の広い範囲の波長を連続的に含む)か、あるいは複数の線スペクトルから成る光で、その分布のかたよりによって赤みや青みを帯びています。

この照明の色みは、一般に色温度(単位は K:ケルビン)という概念で表わされるもので、この値が低いほど赤みを帯び、逆に高くなるほど青みを帯びてきます。例えば白熱球やろうそくなどは3,000K以下、太陽光は6,500K、国内用テレビは9,000Kなどとなります。

演色性

人間の視覚は、照明の色温度に対して自動的にホワイトバランスをとりなおしているため、その赤さや青さをあまり感じていませんが、フィルムで撮影すると、その差は歴然とします。色温度の異なる照明の下では同じ白でも異なるものとなり、当然物の見え方の印象などは変わってくることになります。

このような光源の性質を演色性と言い、様々な状況下で適切な色温度の照明を計画することが必要です。学習などの作業に向く照明と、食卓を照らす照明を使いわけるなど、日常的にも経験のあることでしょう。


色彩調和

複数の色面を組みあわせて画面を構成する場合、その配色が美しく調和して見えるかどうかが問題となります。このことについて一般的に次のような解決案が考えられます。

ただしこれはあくまで一般論であり、構成法や各色の面積比で様々な調和のさせかたが追及できるはずです。

ムーン&スペンサーの色彩調和理論

マンセル色相環をもとにした理論。
10の色相さらに10等分した計100の領域に分けられています。



視野

頭部を固定して1点を凝視した状態で見える範囲を視野といいますが、視野計による調査では、「人」の視野は左右約200度・上下約140度といわれます。 この場合左右については大差ありませんが、上下に関しては上60度・下80度と下の方が広く、経験からもわかるとおり、日常生活ではさらに下の方が優位になります。我々の身の回りの物は大部分眼の高さより下にあって、とりあえず注意を要するのは足元なのだから、これは当然のことですが、都市生活では「頭上注意」も常識であり、人の視野と生活環境とは決して無関係ではないことは銘記すべきでしょう。

さて、上に述べた視野は「見える範囲」ですが、このうち実際に情報の読みに関わる領域というのは、左右20度・上下10度の範囲で、これは網膜上で言うと錐体が集中的に分布する域にあたります。

この範囲の情報は意味あるものとして捉えられていて、例えば星座のように我々が「群化」させて見ているものも、ほぼこの視角内におさまっています。

視覚情報をデザインするという観点から言えば、この「見える範囲」「読む範囲」という二つの視野のもつ意味は重要で、例えば駅のホームから見える電照看板を計画するという場合でも、まず普通にホームに立った状態で、視認されうる範囲内に設置される必要があり、またそこから眺めた場合に、看板のデザイン全体がまとまって見える視角範囲におさまるかたちで判読されることが望ましいということになります(これを超える大きさのものでは、構図や配色といった画面内の設計が的はずれなものになってしまいます)。

視野と視角の問題は色彩や形態の知覚の問題に比べて忘れられがちですが、作業環境の計画、鉄道や自動車道路など交通システムにおける案内・標識の計画、公園や都市環境全般における景観の計画、あるいは又聴覚障害者のためのコミュニケーションシステムの設計など、我々の生活に関わる様々な場面で考慮されるべきものといえます。

補足的に他の動物との比較にも触れておきましょう。大半の動物は眼が顔面の両側にあって、各々の視野が独立するかたちでほぼ360度の視野をもつのに対し、「人」場合は両眼とも前方を向いていて、左右の眼の視野の共通領域が広くなっています。つまり両眼での全体の視野は狭いが、両眼視による奥行き知覚(後に詳しく述べる)が有利になるという点が特徴的です。

このことは、「人」以外の動物が障害物や外敵といった自然環境に関する情報を重視するのに対し、「人」はそうした情報よりも相手の表情やしぐさ、あるいは文字や画像情報といった同種のもの同士でのコミュニケーションに関わる情報を重視することを物語っています。



視点と視線

私(の自己意識)は「他者のまなざし」に起因するといわれます。
一般に、「人から見られずに見ることのできる環境」は快適で、「人から見られている(と感じつつ)、自分は相手を見ることができない環境」は不快なもの(緊張感が高い)となります。

見られずに見ることのできる環境

窓際 / すだれ / 車の中 / 仮面 / そして「映画」

見られているが見ることはできない環境

 監視カメラのある場所 / 試験会場 / パノプティコン / そして「競争社会」

補足



物理像と知覚像

図と地

figure and ground

形態の知覚について考える場合、まず「図と地」というキーワードの理解が必要です。「図と地」とは視覚心理学の用語で、「図」は「まとまり」をもって現出している対象、「地」はその「背景」を意味します。
Source:commons.wikimedia.org:Two_silhouette_profile_or_a_white_vase.jpg

一般に「図」として見えやすい傾向にあるのは、閉じた領域、面積の小さな領域、垂直・水平方向にそろった領域、上下で言えば下の方、幅が一定な領域、動いているもの、誘目性の高い色彩、輝度の高いもの、と言われています。

日常の視覚では、背景と視覚対象との関係は、ほぼ明白ですが、紙面やディスプレイといった2次元の視覚では教示のしかた次第でこの反転が生じやすくなります。「杯にも見えるし、向かい合う二人の顔にも見える」という有名な「ルビンの杯」なども、この図地の反転現象を応用した図形です。

特に視力が低下している場合、意識の構え方によっては、その逆転は簡単に生じるものです。 例えば、心霊スポットなどで 「出る出る」という意識で見ていると、背景の影のほうが図になりやすくなって、結果「何か」が見えてしまうことがあります。数人で同じ景色を見ていても、自分だけが、「何か」の影らしきものを見るということは十分にあり得ることなのです。

さて、「図」になるものとは、もともと物理的にひとつの独立した個体として存在するものに限られるのでしょうか。実はそればかりではありません。我々が通常ものを見る場合、 本来無関係のものでもそれらを「群化」させて見ている場合が多く、例えば「星座」はその典型的な例です。

創作という能動的な行為のみでなく、「ものを見る」という一見受動的な行為の場合にも、人は半ば自動的に物事を「秩序」立てて捉えているのです。

知覚の体制化(群化の要因)

物理的にはバラバラな視覚刺激を、我々の視覚がこちらの都合に合わせてまとめてしまう。このような性質を、心理学では「ゲシュタルトの法則」といいます。
ウェルトハイマー(1923)は、「バラバラなものがまとまって見えるための要因」を、近接・類同・閉合・よい連続・よい形・共通運命・客観的構え・過去経験の8つに分類して説明しています。

ウェルトハイマーのまとめた群化の要因は、様々な現象を説明できます。例えば、映画映像における群集(モブ)シーンでは、群衆の中で、走っている2人をカメラが対象をフォロー撮影すると、さらに主役が浮き立つ映像になります。この場合2人の役者とカメラとの3者が共通運命にあることになります。

我々の視覚は、その認知において情報量の経済効率を考えています。バラバラなままで記憶するより、要素の関係を見出して、その関係を記憶する方がはるかに効率的です。
例えば「◯◯◯◯◯◯◯」は「◯が7個」とすれば3文字分圧縮できます。また例えば、文章を読む場合も、一文字一文字を読むのではなく、文脈を頼りに、前後の関係から出現しやすい単語を予測しつつ「単語単位」でざっくり読んでいます。

情報量が少なくなるようにまとめて見る。要素ではなく要素間の関係を把握する。それが人間の知覚の基本方針と言えるでしょう。

知覚とは仮説を作り出すプロセスである  Gregory



幾何学的錯視と主観的輪郭

幾何学的錯視

Vertical–horizontal_illusion

幾何学的錯視(Geometrical Optical Illusion)とは、大きさ・形・方向などの幾何学的パラメータが実際の値とは異なって見える現象のことです。最も簡単な例は、「正方形が縦長の長方形に見える」というもので、我々の視覚では水平線より垂直線の方が長く見えます(垂直・水平錯視)。幾何学的錯視には様々なタイプのものがあり、はじめに発見・報告した学者の名で◯◯錯視などと呼ばれています。
Source:commons.wikimedia.org File:Vertical_horizontal_illusion.png / PublicDomain

一般に、錯視現象は「細く見せる」、「高く見せる」などの目的に応じて視覚情報のデザインに応用されています。

主観的輪郭

Kanizsa_triangle

物理的には描かれていないのに輪郭線が存在するように見える現象(主観的輪郭)や、物理的にも主観的にも見えていない存在が視覚情報処理に影響するという現象も、見る側の心理に大きく依存した現象です。
 特に後者は重要で、例えばレイアウトグリッドのような「不可視のガイドライン」は、無意識のうちに我々の視覚に捉えられて、それが全体の構図や秩序感を大きく左右しています。
 例えば、教室という空間の中でも、通常は机が「不可視のガイドライン」に沿ってならんおり、それからずれるものがあると、そのずれた机の輪郭線の延長にさらに新しい「不可視のガイドライン」が生じて、空間は雑然と見えてきます。描かれた線のみならず、図形の線の延長に感じられる「非在の線」も、画面全体の構図・秩序に大きく関与するものであることを銘記しておきましょう。
Source:commons.wikimedia.org:Kanizsa_triangle.svg



奥行き知覚

本来2次元である網膜像をもとに、我々は奥行きを含む3次元の世界を認知しています。第3の軸である、この奥行きを知る手がかりには絵画的要因・生理的要因・運動要因などがあります。

絵画的要因

絵画的要因とは、大きさ・上下・重なり・きめの勾配・色調・コントラスト・明暗・影のできかたなどで、配置や描きかたによって奥行きを知る手がかりが得られるというものです。

生理的要因

Allentown_PA

生理的要因には、水晶体の調節や視線の収斂といった筋肉の動きに関わるものと、両眼の網膜像のズレによるものとがあります、特に両眼視差(Binocular Parallax)はステレオグラムの基本原理でもあり、他の要因とは違う生々しい立体感を得ることができます。
Source:commons.wikimedia.org:1885_Allentown_PA.jpg / PublicDomain

運動要因

主として視点が移動している場合には運動要因が効いてきます。視点を移動しながら風景を眺めていると、近くの風景と遠くの風景とでは移動のスピードに差ができます。このことから感じられる遠近感を、運動視差 (Motion Parallax)といい、セルアニメーションなどの風景描写に応用されています。

付記:交差法立体視体験

立体写真-交差法 六角堂



運動知覚

運動の知覚には2種類の機構があると考えられており、それぞれ 像ー網膜システム眼―頭システムといいます。

我々は一般にこの2つの情報を関連づけながら処理することで、運動を知覚していると考えられます。

ただしこの運動も、実際に対象が運動している場合にのみ知覚されるとは限らず、「運動しているように見える」という仮現運動の場合もあります。
仮現運動には自由運動・誘導運動・運動残像・β運動・α運動・γ運動など様々なタイプのものがあるので、以下、簡単に説明しましょう。

自由運動

自由運動とは、暗い場所で一つの光点を凝視していると、ゆれて見えはじめる現象です。
「感覚遮断されると幻覚が見えはじめる」あるいは「入眠幻覚」などの現象とも似て、「人」は刺激情報が少ない場面では、物理的には存在しない架空の現象をつくりだす場合が多いようです。

誘導運動

誘導運動とは、静止した対象が、周囲のものの動きによってその逆向きに運動して見える現象をいいます。特に、自分の周囲のものの動きによって自分自身が動きだすように感じられる場合を自己誘導運動といい、「ビックリハウス」などに応用されています。
 運動残像は、滝の水の流れを見つめた後、静止した物体を眺めると物体が上に動き出すように見える現象で、回転する螺旋が止まった後など、運動が停止したあとその運動とは逆方向に感じられる動きはすべて運動残像です。

α運動・γ運動

α運動はミューラ・ライアの錯視図で2種の矢羽根の図を交互に提示すると、水平の線分が伸縮して見える現象をいい、光刺激が出現・消失する際にそれが膨張・収縮する運動に見える現象をγ運動といいます。

β運動

β運動は、我々にもっとも馴染み深い現象で、電光掲示板で文字が動く、映画やテレビで現実的な動きが再現される、といった運動の知覚がそれです。
これには「視野の持続性」と「ファイ現象」という2つの視覚の要因が作用しています。

前者は「光(像)の点滅が秒間30回以上まで速くなると、それは点滅ではなく持続して見える」というもので、視覚の情報伝達速度の限界から生じる現象であると考えられています。したがって映画では秒間24コマという画像素材を1コマにつき3回シャッターをあけるという形で秒間72コマにしており、テレビは秒間30コマという画像を1フレームにつき2回(2フィールド)走査するかたちでちらつきを防いでいます。

後者は「空間的に位置の異なる2つの光点を一定時間あけて見せると、光が動いて見える」というもので、これには刺激の強さ・刺激間の距離・時間間隔などが適切に計画された場合にきれいな運動に見えます。時間間隔のみに注目すれば、一般にそれは60ミリ秒程度と言われており、30ミリ秒を下回ると2つが同時に見えてしまうことなどがわかっています。

眼はもともと運動の発見器としてスタートしたとも言われ、外界の動くものを知覚するということは、生物一般にとってその生存に関わる重要な問題でした。しかし、現代の「人」にとってはそのような外界の運動知覚はもちろんですが、虚構の世界の運動知覚である「仮現運動」が大きなウエイトを占めています。

我々は日常において、多くのものの動きの情報を、現実の運動ではなく、仮現運動(動画)によって得ている・・という事実は明記すべきでしょう。



視覚のフレーム・オブ・リファレンス

日常的な視覚・文字・静止画・動画などに対して、見る意識の「構え」は様々に関与しており、それは視覚のフレーム・オブ・リファレンス(参照枠)として、その時々の視覚世界の構築と精巧な認知プロセスを手助けしています。



日常の視覚におけるフレーム・オブ・リファレンス

日常の視覚では聴覚の場合の話と同様、頭の中の単語の辞書と文法構造が最も大きなフレーム・オブ・リファレンスとして作用しており、すべてを言語的に了解しようとする「カテゴリー態度」が効いています。もちろん視界に「名付けようのないもの」が出現した場合には、このフレーム・オブ・リファレンスは効力を失い、緊張感や不快感が高まる状況が発生することになります。

日常の視覚におけるフレーム・オブ・リファレンスは、さらに様々な次元に存在します。「人の顔を見る」という状況を例にとると、我々は単にそれを「顔」とカテゴライズして見る以上に、表情の細かな読みが可能です。しかし顔全体がさかさまに見えている状態ではその判別が難しくなります。すなわち、この場合、顔の目鼻の正立した位置関係がひとつのフレーム・オブ・リファレンスであり、それが有効な場合には、表情の違いを敏感に読み取ることができるけれども、フレーム・オブ・リファレンスが無効になるさかさまの状態では読み取り能力が落ちることを意味します。

文字の知覚におけるフレーム・オブ・リファレンス

同じことは文字などにも言えることで、さかさまでも文章を読むことはできるが、内容が頭に入ってこない、あるいは誤字や左右反転した文字などを発見する能力が落ちるなど、全体的な情報処理能力は落ちるのです。

「さかさまでは読みにくいのはあたりまえ」だという感想もあるでしょうが、「機械」の視覚の場合に、像が正立であれ倒立であれ、その分析能力に差がないことを考えれば、「人」、あるいは「生物」に特有の現象と考えることができるでしょう。

画像・映像の知覚におけるフレーム・オブ・リファレンス

次に画像を見る場合についてですが、一般に「像」として与えられるものには、言語情報における「辞書」・「文法」といったものがないため、それに代わる「何か」が様々なレベルで数多く存在することが考えられます。

ここでは、人の造形的な思考を介して描かれた絵画・漫画と、カメラで自動的に記録された写真やテレビの映像との区別(前者が明らかに「様式」や「文化的な約束事」といった伝え方の枠組みを持つ)をふまえた上で、いくつかの事例を紹介しましょう。

例えば漫画を読む(見る)という場合について一つ例をあげると、(日本人の場合)右上から左下へ向かう「方向」が、ひとつのフレームオブリファレンスとしてその読みを拘束していて、右 → 左 は「順方向」で「行くもの」として読まれ、左 → 右は逆方向で「やってくるもの」として読まれる傾向があります(絵巻物などではそれは典型的である)。

これは「縦書き」という文字文化に由来するもので、西洋の場合では逆に左から右が順方向となります。

絵画・漫画表現にはこうした様式・約束事が多く存在し、それを読み慣れた者には、作家の意図がスムーズに伝わりやすいと考えられます。現に、いわゆる活字世代と漫画世代では、漫画を読む(見る)スピードや視線の配分に大きな差が見られます。

また、カメラがとらえた映像を見る場合には、例えば、その映像から逆投影的に読み取れるカメラの切り取った「ワク」・位置(視点)・角度(視線方向)といったものがフレームオブリファレンスとなって、我々の映像の読みに参画する。映画の理論が誕生して間もないころのアルンハイム(1933)やベラ・バラージュ(1949)もすでに指摘していたように、世界を「ワク」に切り取り、一定の視点から一定の方向を与えるということは、見る者に「世界の見方」というフレームを与えるものであり、そのこと自体がある意味をもつ、あるいは意味を生むものと考えられます。

これらの要素の重要性は、我々の日常的な映像体験からもわかる。例えば、「ワク」に関して言えば、「地面を這う演技が、岩山を登るように見える」などのトリックはその効果を利用しています。すなわち、我々は与えられた「ワク」を基準に世界を再構成して見ていることから、撮影時のカメラが90度倒れていてもそのことには気付かないのです(実際には、気付いてもそのようには見えにくい)。また、位置と角度についても、我々はそれがフレームとして機能しなくなると、どこからどう見て撮られたものかわからなくなり、なにが写っているのかすらつかめなくなってしまいます。
「ワク」・カメラの位置・角度、我々は通常それらを意識して感じてはいませんが、映像を見る場合に究めて重要な役割を果たしているのです。

描かれたものにせよ、カメラでとらえられたものにせよ、そこには(言語における辞書や文法のようなかたちで取り出すことはできませんが)様々なフレームオブリファレンスが存在して、見る者の読みを支えています。それは経験的に身についてくるものでしょうが、音楽における「音階スケール」のごとく、その修得に臨界期があるかどうかは定かではありません。

アウトサイド・インとインサイド・アウト

最後に慣性系に関わる特殊な問題にも触れておきましょう。世界に対する我々の関わり方には、アウトサイド・インとインサイド・アウトという2種類のフレーム・オブ・リファレンスがあると言われます。この問題は、航空機の操縦における視知覚を考察する場合によく引き合いにだされるものですが、アウトサイド・インとは「航空機の外の世界(地球)が基準座標であり、航空機(自分)はそれに対して傾いている」というように、フレーム・オブ・リファレンスを外部において視覚世界を捉えている状態を言い、インサイド・アウトとは「航空機の内部(自分)の上下左右が基準座標であり、外の世界が傾いている」というように、フレーム・オブ・リファレンスを内部において視覚世界を見ている状態を言います。一般に航空機の操縦では航空機自体が慣性系であるために、インサイド・アウトが有効なのですが、離陸や着陸時にはアウトサイド・インが有効にならざるをえません。この切り替わるタイミングが航空機の操縦で最も危険な瞬間であるとも言われます。自分が傾いているのか外が傾いているのかわからなくなる瞬間というのは、体勢感覚にも視覚にも違和感が生じてあらゆるコントロールに障害が発生しやすくなります。VRシステムでもこの問題には注意が必要です。



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補足:不在の現前
生後まもない乳児は、大人の指さし動作に対して「指先そのものを見る」という反応をしますが、言葉の獲得とほぼ平行して「指が指し示すものを見る」というふうに変わってきます。また「母親の不在に気づいたとたんに泣き出す」というのもほぼ同時期です。

指が指し示す方向に何かが「あるであろう」こと、さっきまでそこにあったものが「ない」ということ、このいずれもが、不在のものをイメージするという能力を必要とします。「ない」ことがわかるには「あった」ことがイメージできなければなりません。これは「目の前にあるものがすべて」である動物にはない能力であり、人間が予見と計画によって世界を切り開いていくきっかけとなった最も基本的な能力だといえます




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Last-modified: 2020-06-03 (水) 17:54:21