「編集」が生み出す価値
〜映像編集に学ぶソーシャルデザイン〜
日本映像学会西部支部|2018.12.22 口頭発表
我々の世界認識は、連続的な視聴覚刺激を
言語化可能な離散的要素に分解・再構成ことで成立しています。
空間を枠で区切ること。時間を区切ってつなぐこと。
本発表では、映像学におけるこの「編集」の概念と
社会学としての「ソーシャルデザイン」の方法を関連づけ、
そこに共通する思考の枠組みについて考察します。
Fig. Draw.io
CONTENTS
はじめに
考察の背景
- 日本人のイメージ構造, 画像文化史(講義) 岡田 晋 おかだ・すすむ
- 制度とゲネシス, 実験映像論(講義) 松本俊夫 まつもと・としお
- 映画芸術への招待 杉山平一 すぎやま・へいいち
- 言葉とは何か, 文化のフェティシズム 丸山圭三郎 まるやま・けいざぶろう
- 寝ながら学べる構造主義, 街場のメディア論 内田 樹 うちだたつる
- 文化と両義性 山口昌男 やまぐち・まさお
- ものぐさ精神分析, 希望の原理 岸田 秀 きしだ・しゅう
- 共同幻想論 吉本隆明 よしもと・たかあき
- 異人論 小松和彦 こまつ・かずひこ
- 穢れの構造, 文化人類学(講義) 波平恵美子 なみひらえみこ
- 排除の構造 今村仁司 いまむら・ひとし
- いきの構造 九鬼周造 くき・しゅうぞう
- 美学入門 中井正一 なかい・まさかず
- 複製芸術論, 遊びと日本人・・ 多田道太郎 ただ・みちたろう
- 唯脳論 養老孟司 ようろう・たけし
- 脳科学講座 澤口俊之 さわぐち・としゆき
- 神に迫るサイエンス 瀬名秀明 せな・ひであき
- 動的平衡, 生物と無生物のあいだ 福岡伸一 ふくおか・しんいち
- 文明の生態史観 梅棹忠夫 うめさお・ただお
- 人類史のなかの定住革命 西田正規 にしだ・まさき
- ヒトと文明 尾本恵一 おもと・けいいち
- ヒトー異端のサルの一億年 島 泰三 &(しま・たいぞう);
- 縄文人に学ぶ 上田 篤 うえだあつし
- グレート・ジャーニー(TV番組) 関野吉晴 せきの・よしはる
- 情報理論, 脳を考える脳 甘利俊一 あまり・しゅんいち
- 芸術・記号・情報 川野 洋 かわの・ひろし
- 知の編集工学 松岡正剛 まつおか・せいごう
わかる = 分ける
- ホモ・サピエンスの特徴は、無駄に発達した脳(前頭前野)にある
- 我々の脳は分ける(わかる)ことで喜ぶようにできている
わかる瞬間(脳内の再編) = 報酬系の刺激(ドーパミン)
- 我々の記憶や学習にはシナプスの可塑性が関わっている
シナプス可塑性とは、神経回路が物理的・生理的に、 その性質を変化させる事のできる能力。 ・アポトーシスによるニューロンの減少 ・発芽によるシナプス接合部の増加という物理的な変化 ・長期増強(Long Term Potentiation)による導通の生理的な変化
言語
- 世界認識の基本原理は視覚と聴覚の2つのアスペクトを持つ「言語」は、視覚(空間)と聴覚(時間)が連合する脳領域で成立した。
自然界で音(弾性波)と光(電磁波)が連合することはあまりない。 両者が異質であったからからこそ、光と音に対する受容器、 すなわち目と耳は独立に発生し、進化した。・・中略・・ (視覚と聴覚の)連合がうまく成立するに至ったことが、 言語の成立とほとんど同義だと私は考えている。
唯脳論, 養老孟司
- ヒトは本能(自然)を排除し、言葉が作り出した「共同幻想(バーチャル・ランタイム・システム)」上に生きる存在となった。言葉の違いは世界認識の違い、文化の違いに通じる。
本能がこわれてしまった人類は、それまで本能によって保証されていた 自然的現実との密接な関係を失い、幻想の世界に住むようになった。 現実を見失ったのだから、幻想しかもち得ないわけである。 人類の努力は、この幻想を、何とかして見失った現実に近づけることに 傾けられた。幻想の共同化としての擬似現実の創設がこれである。 この擬似現実は一般に文化と呼ばれる。
史的唯物論批判|続・ものぐさ精神分析, 岸田 秀
- 先にものがあって、後からそれに名前をつけたのではない
言葉が存在を喚起したのである言葉は「ものの名前」ではない
一般言語学講義, F.ソシュール
空間を分ける
映像(イメージ)における空間的な枠
- 人類がその初期において描いていたイメージには「枠」がない(洞窟壁画)
- 「枠」の起源は、聖なる存在と俗なる世界を区分けすること
- 「パースペクティブ」の起源は、自他区分、自我の芽生えにある
- 視点(カメラポジション)を変えると枠の中で重なった対象が分離される
- 枠内の対象が視覚的に立ち上がるとともに、枠外への想像力が起動する
事例:朝倉三連水車
- 映像は枠の外の力によってそのあり方を制限されている
中心と周縁(ウチとソト)
我々は通常、我々を取り巻く世界を、 友好的なものと敵対的なものに分割する思考に馴れている。
文化と両義性 山口昌男
- 中心:ある時期・場所において機能している「秩序」
- 周縁:その外縁に位置する「反秩序・非秩序」
- その境界にはトリックスター(敵・味方不明)がいる
- 物語(昔話)の基本構造は中心と周縁との交流
- 妖怪は空間的な境界領域に出る:辻、河原・・
- 芸術・芸能は周縁(境界)で誕生:能、歌舞伎・・
社会的空間のダイナミズム
- 中心は何者かを外部へ排除すると同時にそれに支配されるという構造をもつ
- 排除された外部は、内部の秩序を維持するための「力」として機能する
>いじめの対象がいなくなると、いじめグループの秩序は崩壊する
>仮想敵国がいなくなると国際社会を「連合」させる力が弱まる - 日本の歴史は、排除したものの怨霊に支配されている
>早良親王の怨霊:長岡京→平安京 菅原道真、平将門、崇徳天皇の怨霊も同様 - 対象の機能を剥奪して交換財にすると、結果、それに支配される
>貨幣、トランプのジョーカー、野球のボール
時間を分ける
映像における時間的枠
- 初期人類のイメージ(壁画)では時間が重なりあっている
- 音楽の誕生は、日常の時間と非日常の時間を分けた
- 物語の誕生は、現実の時間から架空の時間を分離した
- 映画の誕生も、日常の時間と映画の時間を分離した
今語っている主体は認めるはずである。 自分は映画館から出るのが好きだということを。・・中略・・ 要するに、彼は明らかに催眠術から覚めつつあるのだ。
映画館から出て「第三の意味」, ロラン・バルト
- 映画館という暗い箱の中で、テレビを前にして、スマホの画面を前にして、我々は不可逆に流れる現実の時間から解放され、過去・現在・未来を自由に行き来する幻想としての時間構造の中を生きる人となる
- カメラはその1ショットで特定の時間を切り取る。ショット内の出来事が、ショットの前後への想像力を起動する。
男が振り返った > 何を見た?
すなわち、映像は撮影時に切り捨てた「取り返しのつかない時間」によって、間接的に支配されている。
生と死 / 昼と夜 / 過去・現在・未来 / ケとハレ
- 生と死
墓をつくって「死」を見える化したことが、生と死の概念の誕生
墓は「定住革命」の契機(人はもともと移動生活をしていた)
- 昼と夜
昼は狩をする時間、夜は物語りをする時間
魔物に出会うのは > 逢魔時(昼と夜の境界)
- 過去・現在・未来
時間の概念は不可逆な時間の流れ、「過去」を意識するときに生まれるすべての欲望が満たされ続ける(いくらでもやり直しができる) のであれば「時間」の概念は必要ない。 われわれは、満たされなかった欲望を「過去」として引き離すために、 欲望を満たすチャンスを失った時点としての現在との間に 「時間」を構成したのである。
時間と空間の起源 「ものぐさ精神分析」, 岸田秀
- ケとハレ
時間論をともなう日本人の伝統的な世界観で、ケ(褻)は「日常」、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」。柳田國男による概念。ハレの時間においては日常の価値が逆転する
社会的時間のダイナミズム
- 神の誕生
死者を埋める(排除する)=「超越者=祖先神」による支配
- 死と再生の通過儀礼
ハレの行事において、人は生まれ変わる
- マレビトの来訪が非日常の時間をつくる
異人(マレビト)は、円環的な時間周期の中で、ある決まった時期に集落(中心)に訪れる。それは「神」であったり、音曲・舞踏を生業とする「移動する民」であったりするが、その非日常を取り込み、様々な外部との交換を行うことで、社会は活性化した
編集|価値は所与のものではない
価値は探して見つかるものではない 価値は「編集」によって生み出される
映像の編集
- 言葉の持つ意味は編集によって変わる。俳句はまさに映画的である
ひとつ家に 遊女も寝たり 萩と月 / 朝顔に 釣瓶とられて もらい水
松尾芭蕉|寛文〜元禄 / 加賀千代女|元禄〜安永
- 意味(価値)は作者ではなく、読者において生成する
俳句は凝縮された印象派のスケッチである。・・ これらのものはモンタージュ成句である。ショットのリストである。 具象的な二、三の細部の簡単な組み合わせが、 別な ー 心理的な ー 種類のものの完成された描写を生み出すのである・・ 俳句の不完全を完全な芸術にするのは読者だ・・
映画の原理と日本文化, S.M.エイゼンシュテイン
- 枠で切り取られた時空間要素は、架空の世界へと再構築される
要素の組み合わせ方によって(文脈によって)、それらは異なる意味を担う
ショットのもつ意味は、他のショットとの関係で決まる。
幸福のデザイン
自我(Self Image)を安定させる人間関係のデザイン
私とは、他者との関係において成立する Self Image ≡ 幻想 である 自我(Self Image)の安定が、人の幸福感の根底にある 逆にあらゆる精神的な苦痛は、自我(Self Image)の危機に起因する
- 自己像(Self Image)を調整するストレスから解放される場のデザイン
人から見られずに、見ることができる場所 > 車の中、簾の利用
- 他の生物との共生(ヒト以外のいきものとの関係構築)
例えば、犬は受刑者の更正プログラムにも活用されている
- 「神」の存在を措定する(超越者との関係構築)
「生きている」という発想ではなく「生かされている」という発想へ
- ヒトの価値は所与のものではない。それは他との関係において生成されるものであって、「選択」や「評価」の対象とすべきではない
「選ぶ」ことに人を駆り立てるビジネスが、ヒトを不幸にしている
社会システムのデザイン
異質なものを歓待して、内部を更新するような仕組みをつくる
人間の作り出す社会システムはすべて、 同一状態にとどまらないように構造化されている
野生の思考, クロード・レヴィ=ストロース
生命とは動的状態にある流れである。 秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない ( Rudolph Schoenheimer )
生物と無生物のあいだ, 福岡伸一, 2007
- コミュニケーションを喚起するタブーの設定
すべての民族に共通するインセスト・タブーは、独占を禁止して交換を発動するためのルールである。「排他的所有」から「交換・共有」へ・・総じてコミュニケーションとは「価値」を創出するための営みである
街場のメディア論, 内田樹, 2010情報はひとりではいられない
知の編集工学, 松岡正剛
- Copyright から CopyLeft へ オープンソース・フリーソフトウエア
この本(「生きのびるためのデザイン」)は、 特許権と著作権のいまのシステムには基本的な誤りがある、 という見解で書かれている。・・・ 私の考えでは、アイデアはありあまるほどたくさんあり、そして安い。 他人の苦しみで金をもうけようとするのは間違いだろう。
生きのびるためのデザイン, V.パパネック
- 財を所有する(貯め込む)という現代社会の常識の功罪
「家」はもともと個人の所有物ではなく、神の住まいである
縄文に学ぶ, 上田篤
- ハレの空間(非日常の空間)の設定 歩行者天国・・
- ハレの時間(非日常の時間)の設定 イベント, ライブ・・
- 通過儀礼的時間(死と再生)の設定 成人式・・
- 「まれびと」を歓待する 巡業, 講演会・・
- 「神」の存在を措定する 神社の数はコンビニより多い・・
名付ける
世界でいちばん小さなデザインの方法は「区分けして名づける」ということ
言い換えれば「情報(に)デザインする」ということ
Designの語源はラテン語の designare = 印を付ける、区分して描く Designate = 示す、指示する、任命する、名付ける、呼ぶ
- 価値生成の原動力は「言葉」のもつ存在喚起能力である
風、愛、時間、0、神・・ 見えないものの存在を喚起したのは言葉である
UFOが世界各所で次々に目撃されるようになったのは、Flying Saucer(空飛ぶ円盤)という言葉が新聞に登場した1947年以後
まとめ
空間や時間を「枠」で区切って「名」を与える 枠の外へ排除されたものが、名付けられた世界の秩序を下支えしつつ それを動的に更新しつづける原動力になる 価値を生み出すのは、「分ける」ことによって発動する 言語的な「編集」である
ご静聴ありがとうございました。