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縄文社会 のバックアップ(No.3)


JOMON

縄文文化に関するメモ

縄文文化(文明ではない)は、現在の日本列島を中心に1万6千年前(諸説あり)から1万年以上続いた暮らしの中で育まれた文化です。世界史の上では、新石器時代に相当する時代ですが、成熟した社会を長期間にわたって維持した点で、注目に値します。

日本列島はその後、大陸から渡来した農耕文化を持った民族と混交して、弥生時代を迎えることとなりますが、縄文の文化は、私たち日本人の精神の古層に残るかたちで、今日に至っています。



特徴

農耕なき定住

一般に、霊長類も含めて大型哺乳類は遊動生活をするのが基本です。しかし人類はそれを放棄して「定住」という戦略を採用しました。世界史的には、農耕の起源は約1万年前(西アジアの肥沃な三日月地帯)で、定住の起源も農耕の起源と関連づけられるケースが多いのですが、縄文の定住はそれよりも数千年早く、農耕以外に、定住を促す原因があったと考えられます。

氷河期から後氷期へ、温暖化が進む中緯度の温帯では「大型の道具を使う漁労」、「冬に備えて秋の収穫物を蓄える」など、定住を促す諸事情が発生したと考えられ、縄文だけが例外的・・というわけではありません。

環状集落

縄文の集落は、先祖の眠る墓地を中心に同心円状に形成されていました。中心には石柱・柱など、神の存在を想像させるものが・・。神様の数を数える単位として「柱」を用いることと無関係ではないでしょう。

ちなみに、弥生は集落の外に墓をつくりました。死者を外部として集落の外へ排除する考え方は、縄文とは明らかに異なるタイプのものと思われます。

竪穴住居

縄文人の住居は、地面を円形や方形に数十センチメートル掘り下げ、そこに柱を立てて屋根を架けた半地下の住居で、その中心に炉(火の場)が設けられていることが特徴です。現代人には想像がつきにくい事実ですが、当時の人々にとって、世界を照らすのは太陽と炎のみ。集落の中心に神を措定するのと同様に、住居の中心に火を置く・・・。古くから日本の家にある「大黒柱」も神の依代、あるいは神そのもので、縄文人(その後の日本人)の精神文化は「神を中心に包み込む」という特徴があると言えそうです。

世界最古の土器

時代名の由来ともなった「縄目文様」を持つ土器が登場します。これは世界的に見ても最も古い土器です。

土器は煮炊き・貯蔵という実用的な役割もありましたが、縄文土器には、火焔土器のような装飾性の高いものや、土偶(広い意味での土器の一種)のような祭祀目的と思われるものも多くつくられていました。

狩猟・採集・漁労


現代日本人との遺伝的関係

現代日本人のDNAには、農耕によって人口を飛躍的に増加させた弥生時代以降の渡来人の遺伝子が色濃く反映されていますが、縄文人のDNAに関して言うと、本土では 10〜20%、琉球列島で30%、北海道(アイヌ)で70%、縄文人のゲノムを受け継いでいると言われます。

MEMO

人類史のなかの定住革命 西田正規

先住民族に学ぶ(月尾嘉男)

縄文と炭水化物 

雑記


参考