SocialDesign|Identity
アイデンティティー(identity)とは直訳すると「同一性」ですが、日本人としてのアイデンティティー、企業のアイデンティティーなど、一般に「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」を意味する言葉として用いられます。
アイデンティティー(集団への帰属意識)は、集団秩序の安定と、そこに所属する個人の自我の安定に重要な役割を果たしていて、例えば、国旗、ユニフォーム、CI(ロゴマーク)などは、それを視覚的に見える化するものと言えます。
アイデンティティーを生み出すアイテムのデザインはソーシャルデザインの重要なテーマと一つとなります。
しかしそうしたアイテムも活用の仕方によっては、集団間の対立を助長したり、個人のアイデンティティーを侵害するなど、負の側面を持つことも事実です。
集団組織は、大きくツリー型(中央集権型)とセミラティス型(自律分散協調型)に分けることができますが、負の側面が出てくるのは、ツリー型組織がアイデンティティー強化のために、ユニフォーム等のツールの利用をメンバーに強制する場合です。集団のアイデンティティーに関わるアイテムをデザインする際は、集団をセミラティスとして捉え、個々のメンバーが自信のアイデンティティーを保ちつつ、同時に集団の一員としてのアイデンティティーを持てるような発想が望まれます。
主語(私)のない表現が可能な日本語文化圏(日本社会)では、個人よりも集団の方が上位にあって、アイデンティティー強化のためのツールが受け入れられやすく、それを受け入れない個人を排除することで対向的(ネガティブ)に組織を強化する傾向があるのですが、そのような体質は、無意識のうちに集団の暴走(他の集団との争い)や、マイノリティーの排除を助長してしまう危険があります。過去の失敗を反省し、問題を生まないデザインの方法が求められます。
アイデンティティーを活性化するためのアイテムデザインは、メンバーへの強制を前提とするのではなく、メンバーが自発的に「それを利用したい」と感じるようになされるべきだと思います。
オルテガ・イ・ガセットはその著書『大衆の反逆』の中で、烏合の衆と化した人々(マジョリティー)を痛烈に批判しました。
みずからを、特別な理由によって − よいとも悪いとも − 評価しようとせず、 自分が「みんなと同じ」だと感じることに、苦痛を感じることもなく、 むしろ、他人と自分が同一であると感じていい気持ちになっている・・ 凡俗な魂が、その権利を大胆に主張し、それを相手構わず押し付ける
そんな烏合の衆の「同調圧力」が現代社会には蔓延しています。
ヒトは「自己家畜化」する生き物である・・と言われることがあります。日本語の「家畜」という言葉は、「社畜」と同様にあまり良い意味では用いられないものですが、本来の Domesitication は「グループに馴染ませる」といった柔らかい意味で、協調・協働・共生といった社会に必要なことでもあります。
ただ、これが強制的に行われたり、極端な選択と集中につながると「多様性が失われる」という問題に発展します。
社会の拡大とその効率化のために、生活様式や価値観は一元的になりがちで、現在の人類は、一元化された安全な環境のもとでしか生きられなくなっています。拡大一元化する文明という人工的な環境へのヒト自身の「自己家畜化(Self Domestication)」は、人類を絶滅の危機にさらします。つまり、特定の環境に適応しすぎた生物は(多様性を欠いた生物は)、環境変動やウイルスによって絶滅する可能性があるのです。
グローバル化は、文明の必然として生じていますが、だからこそ「多様性」は尊重されなくてはならないと思います。