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音楽と映像の歴史

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音楽と映像はその誕生以来、どのように変遷してきたのでしょうか。そもそも音や画像はいつの時代から我々に身近な存在となったのでしょうか。

人類がチンパンジーと枝分かれした時代であれば約500万年前、現代人と同じDNAを持つホモ・サピエンスのはじまりという意味では約30万年前(諸説あり)です。しかしその年代の遺跡にはまだ絵画のようなものの痕跡はありません。現在までの調査では、石に刻まれた模様程度の痕跡が南アフリカのブロンボス洞窟で発見されていて、それが 約7万5千年前。壁画レベルになると、スペインのラパシエガ洞窟で発見された動物や手形などの線描が 6万5千年前(現生人類が欧州に現れる約4万5000年前なので、これはネアンデルターレンシスか?)、スペイン北部のエルカスティーヨ洞窟の壁画が 4万年前、フランスのショーベ洞窟の壁画が 3万2千年前です。

ラパシエガ洞窟の壁画がネアンデルターレンシスによるものであるという説は、2018年2月に米科学誌サイエンスに発表された。これまで一般に考えられてきた「壁画を描くことは現生人類、ホモ・サピエンスに特有のものである」という説は覆されました。

高度な言語と抽象的な思考で「予見と計画」を行い、外の世界に様々な情報の痕跡を残す「脳」、すなわち現生ホモ・サピエンスの「脳」の誕生をもって、音楽と映像の起源と考えるのが最も妥当なところだと考えられるのですが、いずれにせよ「石」か「DNA」に刻まれた情報にもとづく以外、推察のしようがない遠い過去の話です。したがって、ここからの考察の多くは推察の域を出ないものとなりますが、それでも現代のような便利なメディアが存在しない時代の精神活動を推察することは、創造の原点を考えるという意味でも重要なことです。そこに表現された内容、伝達の仕組み、さらに社会における位置づけについて、その歴史をおおまかに確認しておきましょう。

関連リンク

先史時代

ラスコー・アルタミラ・ショーベの洞窟に代表されるように、先史時代の生活は氷河期のピークということもあって洞窟の中を拠点としていました。

音に関して言えば、遺跡から石琴らしき石片のセットや、動物の骨に複数の穴を開けた笛のようなものが発見されており、音楽が何らかのかたちで奏でられていたことは、ほぼ確かです。「楽器」の存在から「音」は直接再現可能ですが、音律や音階のシステムについては推測の域を出ず、また「楽譜」に相当するものがないため、「音楽」は再現のしようがありません。

画像に関しては、その時代の洞窟遺跡から数々の壁画が見つかっており、約3万年前には、明らかに人間がイメージというものを操作していたことが想像できます。壁画に描かれているのは、自らの存在証明ともいえる「手形」(現代の子供たちの遊びにもそれとよく似た行為が観察されます)、スパゲッティ状の線や丸・三角などの抽象的な図形による幾何学模様、狩猟・食の対象であった動物(生命維持)、そして、通常「ヴィーナス」と呼ばれる裸婦像(種族保存)です。言ってみれば、自意識や抽象的思考の痕跡を外の世界に残すという人間の最大の特徴が、「生命維持」と「種族保存」という、生物としての2大条件と並んで遺されていることになります。

しかしこれらが、現代の画像が担っているような「情報の伝達」に関わったかという点に関しては、その基礎となる言語の様態も含めてわからないというのが現状です。洞窟の壁画でも、そこには「枠」や「順序」がなく、画像として独立した世界を構成するためのパースペクティブ(ものの見方)も存在しません。つまり「システム」が存在しないのです。通常、コミュニケーションを成立させるためには、要素間を関係づける「システム」が必要であり、その痕跡が希薄である以上それらはコミュニケーションのための画像というより、無意識的な遊びに近い行為として描かれたものと推測されます。

むしろ重要なのは、彼らの残した画像には、今日我々があまり意識しない意味が含まれている(らしい)ということです。一般に先史時代は、遊びも生産も呪術も「未分化」の時代で、絵を描くことも音を出すことも、遊びの行為であると同時に、呪術的な行為でもありました。彼らは、それを操ることで、外部に対する恐怖に抵抗し、外敵や超越的な存在をコントロールしようとしていたのではないでしょうか。その意味では、先史時代の画像や音とは、人と人との間のコミュニケーションの問題というより、もっぱら人と動物、あるいはアニミズム(汎霊説*1)的な意味での神々とのコミュニケーションのために存在したと考えられます。



エジプト文明

いわゆる4大文明の時代、紀元前4000年以降の話となると、現存する様々な遺産から当時の状況はある程度推察できます。なかでもエジプトに残された多くの遺産は、人間の関心が「生と死」、「天と地」、「神・人間・動物」に向けられていることを物語っており、あらゆるものが混沌としていた先史時代の精神からは大きな跳躍があったことがわかります。

「生と死」をテーマとする墓やミイラ、「天と地」をテーマとする巨大な建造物、神々の関係を表わす壁画(神の表現は半身獣)。これらはいずれも根源的な「象徴(シンボル)」であり、人々の心に「時間」と「空間」の概念が芽生えたこと、そして、それらを核とするシンボル操作で、人々が共有できる「世界観」が構築されていったことがうかがえます。

また、そのようなシンボルの誕生と同時に、それらによる情報の伝達という側面でも歴史上大きな飛躍が見られます。形に関する共通の理解と視覚コミュニケーションの成立を意味する象形文字と記録・伝達媒体パピルスの存在、そして、リズムや音階のシステムなど音楽コミュニケーションの成立を意味する数々の楽器(ナイルの象徴である葦でつくった葦笛、器を2枚重ねたシンバル状の打楽器や太鼓、ハープやギターのような形状の弦楽器など)の存在。エジプト文明期には明らかに情報の伝達に関わるハードとソフトが誕生していたのです。

特に象形文字は、先史時代のリアルな壁画と異なり、情報の記録・伝達を目的とした最初のものとして飛躍的な発明でした。また、その約6000の記号のうち、約800程度が音声を伴なうと言われ、この形と音声とが同時に結び付く言語こそが、視聴覚コミュニケーションの原点であり、おおげさに言えば音楽と映像の関係の原点でもあるのです。私たちは「言語」というものをあたりまえのものとしてなおざりにしがちですが、形と音声の両方を同時にもつメディアというのは考えてみれば不思議な存在なのです。養老孟司流に言えば、それは聴覚と視覚を結ぶ脳の連合野の状態を反映しています。

時間の概念・空間の概念・コミュニケーションシステムの成立そして聴覚と視覚の連合、音楽と映像が世界に大きく関わっていく準備がこの時代に整いました。

ギリシャ文明

紀元前1000年ごろからとされるギリシャの時代には、建築・彫刻・絵画といった空間芸術はもちろん、神話・演劇といった物語り的なもの、すなわち時間芸術も登場してきます。

この時期の特徴は、哲学に代表される「体系的思考」と神話に代表される「物語り」の登場ですが、これは、「人間」あるいは「主体」という概念の発生を意味するものです。エジプト文明が、神の視点からあらゆるものを形にしたのだとすれば、ギリシャ文明は、人間の目から見た主体的な世界観でそれらを表現しており、それが今日の芸術観に結び付く作品を生んだのだとも言えるでしょう。古代オリンピックの競技には芸術のオリンピックもあり(図書分類で「780スポーツ」が「700芸術」に含まれるように、本来は、芸術の方が上位概念)、今日我々が一般に「芸術」と呼ぶ、様々な領域の土台ができあがります。

音楽に関して補足すれば、この時代にピタゴラス音律(5度の周波数比が2:3という規則で楽器を調律する)が存在していたことがわかっていて、現在我々が一般に西洋音階として用いているドレミの音階でメロディーが奏でられていたと推察されます。

キリスト教文化

ギリシャ以後、今日に受け継がれる音楽・絵画の最も大きな流れは、ヨーロッパの大部分を支配したキリスト教文化の下で成熟します。時代が近代に至るまで、音楽も絵画もそのテーマ・内容は宗教とともにあり、今日で言う「芸術家」も、事実上は宗教のための、あるいは特権階級のための「お抱え職人」であったというのが実情です。

音楽の伝達と記録に関して言えば、その発展の過程でいくつかの系統立った音階(教会調という現在の我々に一番馴染み深い音階もその一つ)が定められたこと、複数の旋律を重ねる和声の技法が完成したこと、そして記譜法の原型が完成したことが、歴史的に大きな出来事です。音律に関しても、和声の響きをよくするために、ピタゴラス音律から純正律(3度の周波数比を4:5とする)そして中全音律へ、さらに転調における和声の濁りを解消するために、最終的な妥協点である平均律(すべての半音程の周波数比を一定)へと変遷します。ちなみにこの時代、音楽の発展に関わった主たる楽器は、キリストの生誕時にすでに存在していたと推察されているオルガンでした(我々に馴染みの深いピアノがほぼ現在の形に完成するのはベートーヴェンの時代すなわち18世紀後半です)。オルガンという楽器が多声部音楽と和声の技法を生み、それが音律の再構成を進め、それがまた楽器の構成を変えました。ハードウエアとソフトウエアは相互に影響し合いつつ、お互いを再構築するものであることを銘記しておきましょう。

絵画に関しても同様で、画家は宗教画を描くための職人(正式な画家には資格が必要とされた)であり、画像はその「文法・辞書」とも言える様式の決まり事に忠実に描かれることで、文盲の人々に宗教的な物語りを伝えるための重要な手段となっていました。図像学(Iconology)という言葉もあるほどで、この時代の絵画によるコミュニケーションは、今日の我々の絵画観とはかなり異なるシステマティックなものであったといえます。ダビンチの頃には透視遠近法も確立し、写実的な空間の描写がシステマティックに行われるようになります。視覚コミュニケーションは一つのパラダイムで安定期をむかえていました。

さて補足になりますが、歴史を振り返るという場合、記録として残る資料の豊富さと今日への影響力の大きさから、我々は一般にキリスト教文化圏の歴史を中心に考えることが多いようです。しかし、それとは異なるスタイルの芸術が「野蛮なもの」「劣ったもの」というわけではありません。例えば音楽の場合でも、西洋音楽以外にも様々な民族の様々な旋法による音楽があり、それぞれに優れた側面が存在するのです。

「文化」に優劣はありません。「慣れ」が異文化に対する違和感を作り出しているだけです。

複製と大衆芸術の幕開け

時代は前後しますが、15世紀、グーテンベルクの活版印刷術の発明によって文字や楽譜、図版の大量複製が可能になると、社会には様々な変化がおこりはじめました。複製が大量に作られるようになると、文字が身近になり、それを読みたいという欲望が芽生え、文盲率が減り、社会のコミュニケーション体制が変わります。そして文字の代役も兼ねていた絵画は、それ自身の目的へと解放されました。多種大量な情報の流通は、人々の知識を豊富にするだけでなく、表現形式と思想の一般化・標準化を促進し、さらに印刷媒体特有の表現スタイルと思想を生みます。印刷物という情報の伝達媒体が、人間の思考回路と社会の構造を変えるという、おそらくこれが最初のメディア革命だったといえるでしょう。メディアは単なる伝達手段ではなく、それに関わる人間の思考回路や社会の構造に影響し、また表現の内容そのものにも影響するものなのです。万年筆をワープロに変えることで、できあがる文章の表情が変わるように、メディアの違いはその時代を生きる人々の「脳の状態」と密に関係します。

アナログメディア時代

第2のメディア革命は19世紀中頃の写真術の発明からです。写実を売り物にした多くの職業画家は職を失い、あるいは写真家という職を生み、あるいは抽象芸術家を生みます。ここでもメディアが人と社会を変えていくということが、当然のごとく起こるのです。

19世紀末には映画の技術、さらに20世紀のはじめに蓄音技術、そして1930年代に映画がトーキー化されて、原始以来別々にしか記録することができなかった音楽と映像は、ここではじめて共同作業を始めるようになります。同じころラジオ放送も開始されており(NHK,1925)、1950年代にはテレビも登場しました(NHK,1953)。

もちろんこの時代になると、規制のかかる一時期を除いては、表現の内容は自由で多種多様なものとなります。アナログ電波によるマスメディアの時代が到来し、出来事はリアルタイムに伝えられ、地球上のあちこちから異文化が紹介されます。時間と空間のボーダーがあいまいになる世界で、音楽と映像も、ごく日常的なものとして存在するようになりました。

さて、アナログメディアの時代(全盛期という意味で)は、つい最近までの約150年ですが(といっても、デジタルメディアが完全にそれに取って代わるとも思えませんが)、その150年を一つの時代として片付けるには、あまりにも出来事が多すぎます。その様子を一言でまとめれば、「新たなメディアが登場しては、人と社会をかき回して、消えていく」そんな時代であったといえるでしょう。ラジオ・テレビの放送に加え、様々な規格のフィルム・レコード・オーディオテープ・ビデオテープ・レーザディスク(機器はデジタルだが扱っているデータはアナログ)など、実に多くのメディアが登場し、そして(事実上)消えていきました。地上波放送もデジタル化された今日、アナログメディアの原点である「写真」の形式、すなわち(途中のプロセスはデジタルになりましたが)最終的にプリントという形で紙の上に定着する形式のメディアだけが、相変わらず大きな勢力を誇っています。

さて、ここで付け加えておきたいのは、このアナログメディアの象徴である写真(プリント)が、生き残る理由です。それは「身につけることができる」という点にあるのではないでしょうか。絵画や映画は室内で鑑賞するもので、普通、外に持ち出すことはありません。テレビは携帯用のそれを持ち出すにしても、「イメージを身につける」と言うより「機械を持ち歩く」と言ったほうが近いでしょう。しかし写真だけは、「イメージを身につける」という感覚で、行動を共にすることが可能なのです。アイドルの写真、恋人の写真、家族の写真、日常的に画像を身につけている人は多く存在します。これはおそらくイメージのありかたとして非常に原初的なものであり、イメージと人間の距離に関する最終目標なのかもしれません。1979年の発売当時、あって当然の録音機能を排して、音楽を「身につける」ことに徹したウオークマン(携帯音楽プレーヤー)も、登場すべくして登場したメディアであり、アナログメディア時代の一つの結論であったともいえるでしょう。

デジタルメディア時代

1990年代後半からは、パーソナルコンピュータの高性能化ともあいまって、音も映像もデジタルメディアの管理下に入ります。

情報の内容に関して、アナログのメディアと比較すれば、まずアナログの限界であった情報劣化がなく、また編集加工が100%自由にできるようになった(プロとアマのボーダーも消滅)というのがその特徴で、現代は「音楽や映像の表現において不可能がなくなった時代」だといえます。

さらに重大な変化として、音楽や映像の時間展開にインタラクティブに関わることができるようになったという事も挙げられます。アナログの時代は音楽にせよ映像にせよ制作者の意図にそって一方的に展開するものでしたが、例えば家庭用のゲームに代表されるように、我々は映像の進行に関わり、その結末を自分で決めることができるのです。もちろんそれは「作品」の可動範囲内でのことではありますが、音と映像のヴァーチャルな体験ができるというのは、それ以前にはないことであり、時間展開に関して決定権を失った「作者」の立場からすれば、大幅な発想の転換がせまられている時代になったといえるでしょう。

伝達媒体に関して言えば、媒体の物理的種類と扱われる情報のタイプとが無関係である(言葉も音楽も映像も同質のデータとなる)というのがデジタルの特徴で、記録形式さえそれぞれの標準的なフォーマットに従えば、情報の記録・再生・転送・複写が様々な媒体間で簡単にできてしまいます。

表現に関するあらゆる制約からの解放、そして情報の内容に関与しない非個性的な記録・転送媒体、「あとは容量とスピードの問題だけである」ということを考えれば、これがメディアの最終形態だと考えることもできます。






MEMO

「火」の存在

原始の時代、落雷や火山の噴火、あるいはガスの自然発火でもないかぎり、火は自然現象としては身近なものではありませんでした。むしろそれは、「人がつけて、人が見守っている」ものであり、風や水とは違った意味で「人を安心させる音」であったと考えられます。焚き火の経験があればわかるでしょう。その音と光と匂いと暖かさはとても心地よいものです。

能力:メディアと人間

メディアの性能と人間の能力については、どちらがどちらを規定したかについて述べることは難しいものです。すなわち、聴覚の分解能が楽器の音程ステップ幅を決めたのか、それとも楽器の音程間隔が人間の聴覚の音程分解能を規定したのか、そのいずれの向きも考えられます。
 この問題は「人間は寒さゆえに衣服を身につけたのか、それとも衣服を身にまとったために寒さを感じるようになったのか」という問いとも似ています。生物としてのヒトの欠損が文化という松葉杖を必要としたのか(岸田秀)、それとも過剰としての文化が人間の内なる自然を破壊したのか(丸山圭三郎)。とりあえずここでは「物事の因果関係には常に逆の発想も可能であり、そうした逆転の発想が視界を明るくすることもある」ということを強調しておきたいと思います。メディアをつくったのは人間ですが、そのメディアによって人間が現在のかたちにつくられたと考えると見通しがよくなることも多くあります。

炎:囲炉裏とテレビ

人が管理するものとしての炎は、また別の意味でも映像の起源として興味深いものです。例えば、囲炉裏。その炎は夜間の居住空間の照明として、そして空間の「中心」としてそこに集う人々のまなざしを集める機能をもちます。それは言ってみれば1960年代以降のテレビであり、「空間の力関係を決定づける」という映像メディアの一つの側面の起源と言えるでしょう。

鏡の存在はまた別の意味でも重要です。J・ラカン(1936)流に言えば、人としての出発点はこの鏡像に同一化することであり、この自分自信の鏡像こそが人間にとって最も関心のあるイメージであることはまちがいありません。

霊的な力

例えば、ボディーペインティングというものも、それを画像と考えれば、その起源は装飾品と同様、壁画より古いことが想像されます。それは、例えばアマゾンの源流域に暮らす人々の暮らしからも想像できるのですが、彼らの暮らしの中では、特に祭事において「精霊の姿を真似る」あるいは「精霊が宿る」といった意味づけでボディーペインティングが行われています。それは遊びであると同時に呪術的な行為なのです。また、アメリカ先住民が描く砂絵「蟻男」なども、雨乞い神事に関わるなど、極めて呪術的な画像です。「描く」という行為にはそうした霊的な存在が関わるという心象がつきまとっているようです。

幻覚

ペンフィールド(1952)による側頭葉の電極刺激実験もそうですが、外界からの電磁気的な刺激によって、「光」のみならず「鮮明なイメージ」が浮かぶことがあることが近年の脳研究でも確認されています。ちなみに、心霊スポットと言われる場所が地質的に磁場の変動が大きい場所であるということも最近よく知られるようになりました。脳科学による種明かしが進んでしまうと、世の中若干味気なくなります。

氷河期

現在壁画が見つかっている先史時代の遺跡は氷河期がピークを迎えていた約2万年前(その当時を氷期、現在は間氷期と言われる)頃のものが多く、その代表的なものは、東アフリカ(我々ホモ・サピエンスが発祥した場所)からそう遠くないフランス・スペイン・南アフリカのものです。
 アメリカ大陸ではその当時の人類痕跡がないことから、我々の祖先がベーリンジア(おそらく地続きであったベーリング海峡)を越えてアメリカ大陸へと拡散したのは、氷期の終わり、「北の回廊」と呼ばれる氷河の裂け目が北アメリカに生じて以降のことと考えられています。
 我々は優れた言語能力に基づく予見と計画によって、極寒の時期を乗り越えました。肌の色は様々ですが、人類拡散のルートを遡れば、同じDNAをもった生物に行き当たります。

未分化

今日我々は、様々な物事を科学的に区分けして考えていますが、現代人の意識下にもそうした未分化な原始的心象が存在することは否定できない事実です。現に子どもたちの会話にも「言魂の発想」(声に出された言葉が超現実的な力をもって他に影響を及ぼすといった発想)が見てとれます。

神・メディア・人

今日、私たちが「芸術」としてとらえている音楽や画像、それらは、いずれも人類の起源にまで遡れば、非日常的に神々の世界と交感するための媒体(メディア)としての意味あいが強く含まれるといえます。 日本の芸能で言う「道」の概念も、それを究めることによって、「神」の域に到達することを目指しています。

時間と空間

時間と空間の概念については、哲学・現象学といった領域に限らず、自然科学・社会科学の領域でも様々な議論がありますが、一つ簡潔に言えることは、それが人間の聴覚と視覚に関わる概念だということです。人の脳の情報処理系ではこの2大派閥が大きくその思考に関与しており、いわゆる垂直思考・通時的思考・機能主義などの時間を基軸とした思考は「聴覚主義」的であり、水平思考・共時的思考・構造主義など物事を空間的に捉える思考は「視覚主義」的であると言えます。

「芸術」について

「芸術」という用語は、定義が難しい語です。ここではとりあえず「美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品」という一般的・辞書的な意味で用いていますが、深く掘り下げたい読者は、模倣論・均斉論・表出論・現象論・異化論といったキーワードで資料を探してみるとよいでしょう。

5度の音程

例えばドとソの音程間隔です。この2:3という比率は、ドの3倍音とソの2倍音が同じ周波数の音になるということを意味します。音程が調和する(俗に言うハモる)のは周波数がそういう単純な整数比になる場合に限られます。
 現代の楽器が主に用いている平均律は、1オクターブ(周波数比で2倍)の間を等比的に12等分して得られるもので、ギターの1フレット分(ピアノで言えば白鍵と黒鍵の間)は約 1:1.06 という周波数比になっています。この音律でもドとソの間隔はほぼ2:3 になります。

様々な音階

一般に音楽のシステムとしての音階には5音階のものが多くあります。身近な例では、ロックなどが用いるペンタトニックスケール(文字通り5つ)や、四七ヌキ音階と言われる演歌の音階(ドレミソラ)、また二六ヌキの沖縄音階(ドミファソシ)など、西洋音階の7音階とは異なるシステムは身近なところにたくさんあります。

トリックスター

「トリックスター」は文化人類学等でよく用いられる語で、「あちらの世界」と「こちらの世界」の境界を行ったり来たりして事件をおこす「いたずら者」という意味です。トランプゲームにおけるジョーカーのように「あるときは有益な存在ですが、あるきっかけで危険な存在にもなる」という両義的な存在のことを言います。





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*1 生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。
Last-modified: 2020-05-13 (水) 10:41:15