路上観察 のバックアップ(No.3)
路上観察
超芸術トマソンを探そう
はじめに
- 路上観察とは、路上に隠れる建物(もしくはその一部)・看板・張り紙など、通常は景観とは見做されないものを観察・鑑賞すること。その中には、今日でも多くの愛好者を惹きつける「超芸術トマソン」も存在します。
- トマソンとは赤瀬川原平らによる芸術上の概念で、破壊と創造を繰り返す都市空間に「純粋な造形物」として存在する「無用の長物」*1を意味します。1972年、赤瀬川原平、南伸坊、松田哲夫が、東京・四谷の旅館・祥平館脇で「発見」した「四谷階段」がその第1号物件。作家よって意識的に作られたものではなく、それを「発見しカメラに収める人」たちによって鑑賞・共有されている「超芸術」です。
- 作る造形に対して「発見する造形」という思考は、マルセル・デュシャンの Ready Made の概念にも見られます。
路上観察と写真
発見する
- 言語というフィルタに汚染された我々の視覚は、物理的な世界を見ていない
- 言葉を覚えた大人は、世界を「名付けられたものの集合」として、半自動的に認識している(だから足元に注意しなくても歩くことができる)。
- カメラを持ち歩くようになると(写真に撮ることを意識しはじめると)、視覚はトップダウンからボトムアップへと重心を移動させ、普段気づかなかった現象や違和感を察知するようになる
- その最たるものは「影」や「映り込み」で、撮影経験を積むと、そうしたものが作り出す造形に目が行くようになる。
記録する
- 変化しつづける世界では、同じ風景には二度と出会うことができない
- 都市の記憶も、災害の記憶も、戦争の記憶も・・カメラによって記録されなければ、我々の記憶から徐々に消失してしまう。
共有する
- ホモサピエンスは「情報を共有する」という戦略によって生き延びた。
- 狩猟採集民は獲物をシェアする。現代人にとっては「排他的所有」が常識であるが、それは「囲い込み」にはじまる近代の物質・エネルギーの所有に端を発したものであり、
- 20世紀に書かれた写真論には「共有」の文字はほとんど見当たらないが、現代人は、写真の存在意義の重要な側面として「共有」を意識している。
- 被写体は、写真に撮られ共有されることによって、その価値が喚起される。
デジタルとフィルム
- 路上観察の発案者である赤瀬川原平氏は、大の「中古カメラ好き」でも有名であった(Wikipedia:ライカ同盟)。
- ボトムアップな視覚を活性化するには、はっきりと重さを感じる「写真機」を持つことが重要である。
- デジタルカメラやスマートフォンのイメージセンサーは、ビデオカメラのそれと同じもので、瞬間を切り取っているというより、動画の一部を切り出しているという方が近い。
参考情報|学生アンケート・学生作品他
APPENDIX
- トマソン 1972
- 路上観察学会 1986
- 路上観察学入門
赤瀬川原平、松田哲夫、南伸坊、飯村昭彦、鈴木剛、田中ちひろ、森伸之
藤森照信、林丈二、 一木努、荒俣宏、四方田犬彦、とり・みき、杉浦日向子
- 偽ライカ同盟
- 片岡義男(会長) 撮って、と被写体が囁く
- 田中長徳(特攻隊長)
- 坂崎幸之助(広報宣伝部代表代行)
- 東儀秀樹(偽ライカ同盟青年部代表)
- なぎら健壱
- 福田和也
- 黒田慶樹