https://en.wikipedia.org/wiki/Carrying_capacity
キャリング・キャパシティ(Carrying Capacity) とは、ある環境において、そこに継続的に存在できる生物の最大量で、日本語では環境収容力。 特定の生物群の密度が飽和状態に達したときの個体数を意味します。
一般に生物は、他種による捕食・寄生、感染症、近隣種との資源獲得競争などがあって、キャパシティの上限に達することはほとんどなく、かなり下方に抑えられています。人類も農耕をはじめるまでは、50〜100人程度の「バンド」での移動生活が主で、他の野生動物同様に全体数はかなり少なく抑えられていたと言えます。
しかし人類は、農耕革命による食料の過剰生産で、キャリング・キャパシティそのものを持ち上げました。豊富な食料は人口を増やし、それが労働力となって、さらに食料は増産される。「成長」というポジティブ・フィードバックが、農耕によってはじまったのです(エントロピーの観点から言えば、負のスパイラルに突入したのです)。
そして、産業革命。地下から掘り出したエネルギー資源は、人類におけるキャリング・キャパシティを飛躍的に上昇させました。その意味では、現代人にとって「キャリング・キャパシティ = エネルギー資源の量」ということになります。エネルギーの確保を巡って争いが絶えないのも当然と言えるでしょう。
生物一般は、生息域については保守的で、キャリング・キャパシティの上限に近づくことがない限り、生息域を広げるという行為は稀にしかおこりません。
しかし、ホモ・サピエンスは、農耕による密度の急上昇以前、数回の出アフリカを試みています。人口密度の相対的上昇以外に何らかのストレス、あるいは好奇心、あるいは「認知革命(神・フィクションの発明)」が移動を促したのかもしれません。
ちなみに、人類以外の生物?で、自然体において自らの生息域を広げようとするのはウイルスだけかもしれません。つまり「情報体」が複製によって、拡散しようとする動きと同じです。
50〜100人程度のバンドで移動を続ける暮らしでは、人間特有の感染症問題が生じることはありません。天然痘などの人特有の感染症が登場するのは、人が農耕をはじめて、集団がある程度以上大きくなってからです。
農耕によりキャリング・キャパシティは上昇し、人口は増えましたが(第一段階)、一人当たりの産出量(所得)は増大していません。生産のための労働力として子供を増やしたからです。人類全体の生産量は上がっても、その分人が増えれば、結局一人当たりの所得は同じになってしまいます(マルサスの罠)。
第一段階 土地+労働 > 生産物 ・・
これが劇的に変わったのは、エネルギー資源を利用した産業革命。労働力をエネルギーが代替し、結果、生産量は増大しキャリングキャパシティはさらに上昇しました。その上昇は、人口増よりも大きかったことで、一人当たりの産出量(所得)は増大することになりました。
第2段階 機械(資本・生産設備)+労働 > 生産物(工業製品)> 投資 > 機械