器の水は、器に縁があることでその水位を維持している
ここでいうポテンシャルとは「位置」あるいは「状態のもつ潜在力」のような意味で、辞書では以下のように説明されています。
一般に、ポテンシャルが高いものは、その分大きなエネルギーを持っていますが、何らかのきっかけで、エネルギーを放出しつつ、低いところに落ち着きます。ポテンシャルの高いものは不安定、ポテンシャルの低いものは安定・・
水力発電は、まさに、この方法でエネルギーを取り出しています。
また例えば、燃料が燃えるという場合も同じです。燃料は化学的には不安定な状態で、高いポテンシャルを持ちます。着火というきっかけが与えられれば、周囲の酸素と結合し、熱エネルギーを放出しつつ、最終的には水と二酸化炭素という安定した物質へと変化します。
ポテンシャルの壁を簡単に説明すると、右の図のようなものです。ボールは基本的には高く不安定な場所から低く安定した場所へと転がるものですが、わずかな突起の存在でも、一定の高さに止まることがあります。この突起がポテンシャルの壁です。
これが持つ意味は非常に重要です。なぜならそれは、我々の身の回りにあるモノのポテンシャル(エネルギー)の維持に一役かっているからです。
私たちの周りには、ポテンシャルの壁がたくさんあって、壁がなくなればさらに低いところへの転がり落ちるようなものが多数あります。以下、いくつかの事例を紹介します。
エントロピーの増大則とは
外部とエネルギーや物質の交換がない孤立系ではエントロピーは増大する
エネルギーや物質は、使用可能なものから使用不可能なものへ、 秩序のある状態から、無秩序な状態へと変化する(覆水盆に返らず)
というものです。
例えば、外部とのエネルギーや物質の出入りのないコップの中では、
熱湯+氷 → 均一なぬるま湯(高エントロピー状態)
という変化はひとりでに起きますが、
均一なぬるま湯 → 熱湯+氷(低エントロピー状態)
という変化は起きません。
ここで重要なことは、エントロピーの増大は「エネルギーの質の劣化」を意味するということです。この世界には「エネルギー保存の法則(熱力学の第一法則)」すなわち「孤立系のエネルギーの総量は変化しない」というルールが効いているので、エントロピーが増大したとしても、最終的には熱エネルギーというかたちでそれが保存されています。しかし、熱が均一に拡散した状態では、そこから利用可能なエネルギーを取り出すことはできません。すべてが均一な熱エネルギーになってしまう・・それはエネルギーの「質の劣化」を意味します。
熱には「差」が存在しないとだめなのです。高温のお湯と低温の水があれば、そこからエネルギーを取り出すことができますが(温度差発電)、均一なぬるま湯からはエネルギーを取り出すことはできません。
モノ・コトは放置すれば、均一に散乱した状態へと、形がくずれて(差異がなくなって)いくのです。
逆に、孤立していない開かれた系を前提とすれば、たとえば生命現象のように「秩序が作り出される」ということが起こります。そこでは外部からのエネルギーを摂取することによって、カタチがつくられ、またそれが維持されます。
> Entropy
私たち人類は、エネルギーを使って様々なもののポテンシャルを持ち上げています。しかし、基本的にポテンシャルの高いものというのは、エネルギーを与える以前の状態と比べて不安定な状態にあるわけで、何かのきっかけで膨大な熱エネルギーを放出しつつ崩壊する危険があります。
多くの人に問うべきです。
その行為、本当に必要ですか?
必要もないのに モノをつくれば、使った分のエネルギーが、やがてどこかで破壊的なエネルギーとなって我々に襲いかかります。
余計なものを作らない。どうしても作る必要があるのであれば、ポテンシャルの壁が壊れない工夫を最大限する必要があります。ただし、一般にそのポテンシャルの壁をつくるのに、またエネルギーを使う・・という悪循環があることも忘れてはなりません。
let it be / less is more / small is beautiful / 足を知る
賢者の言葉は、そんなことを伝えているように思います。
ただし「余計なものは作らない方がいい」というのは、あくまで物理的な環境世界に関する話であって、生命現象における「秩序の生成」や、ヒトがその脳内で行う「知的な生産行為」にまで敷衍する話ではありません。
学問をすることで知的な秩序を成熟させること、思考のポテンシャルを向上させること、そういう意味での「秩序の構築」は積極的に行うべきことでしょう。
一般に、ハードウエアの製造と異なり、ソフトウエアの開発(知的生産)には、資源・エネルギーをほとんど必要としません。かかったとしてもわずかな電気代ぐらい。また、それは清掃する必要もないし、ゴミも生み出しません。維持といっても、たまに、間違いを修正する程度です。
知的な秩序構成(思考、知の蓄積)は、人間に与えられた唯一のサスティナブルな楽しみと言えるでしょう。