The History of Information Sharing
ー Study on information sharing for social design ( I )
芸術工学会誌 85号 / 発表梗概 令和4年11月
本研究は、芸術工学(哲学)としてのソーシャルデザインの観点から「人類にとっての情報共有とは何か」、「情報共有はどのように始まって、どこへ向かうのか」を考察するものである。
本発表では、その序説として考察の枠組みを示すとともに、情報共有の歴史的変遷を、人類社会の発展段階と関係づけながら整理し、現代社会が抱える問題を提起する。
情報共有という言葉は、文字通り「情報」と「共有」という語から成る。これを俯瞰的に考察するには、それぞれの言葉の位置付けを明確にする必要があろう。本稿では「情報」と対比される概念として「物質・エネルギー」、「共有」と対比される概念として「占有」を置いて全体を俯瞰する。
1) 物質・エネルギー・情報
我々の世界は、物質・エネルギー・情報という3つの枠組で整理することができる。またここでは、情報というものを「物質・エネルギーが存在する様態、すなわち時間的・空間的なパターン」*1と定義するとともに、以下のような特質があることを確認しておきたい。
① 情報は「情報媒体」という物質・エネルギーを基盤として存在するが、書籍・絵画・写真のような物質的存在と、音楽・映像・ソフトウエアのような電磁気的存在とでは、移動や複製に関わる遊動性と社会における振る舞いが異なる。
② 情報は、その生産・移動・複製において物質・エネルギー資源をほとんど必要としない(限界費用 0)。
③ 結果、情報は廃棄物を出さない(エントロピーとは無縁*2。
2) 占有と共有
社会の経済体制によって異なるが、我々をとりまく物質・エネルギー・情報は、いずれも「占有」と「共有」の両極間に位置付けられる。現在大半の国家が採用している資本主義経済体制では、「囲い込み」が可能な物質・エネルギー資源は富として占有されるとともに、貨幣という情報体を介した商品交換の対象となっている。同様に情報も法的権利にもとづく囲い込みによって、知的財産として占有・交換されている。一方で、大気・水・自然エネルギーなどの囲い込みに適さない資源や、占有権が主張されない情報は、コモンズとして共有されている。
人類の発展段階は、多くの文明評論家や歴史・人類学者によって提唱されてきた。例えば A.トフラーは、第一の波を農業革命、第二の波を産業革命、そして第三の波を脱産業社会とし、情報のもたらす変化に注目した*3。また、西田正規は遊動から定住への移行を大きな転換点と捉えた*4。さらに、Y.N.ハラリは、認知革命、農業革命、科学革命の時代区分とともに、認知革命における「虚構の共有」に注目した*5。以下、そうした歴史観を参考に時代区分を設定し、情報共有の歴史を俯瞰してみたい。
1) 遊動社会
ハラリによれば「虚構を構築し、集団でそれを共有する」社会が7万年前ごろに誕生する。無限の情報構築を可能にする二重分節型の言語の誕生により、以後我々は「言語=文化」によってフィルタリングされた「疑似現実世界」に生きる存在となる。この時代はバンド規模の集団を基盤として*6、食料・生活資材・知識・技術、そして「精霊の物語」を共有して暮らしていたと推察される。
2) 定住社会
縄文の1万年を典型として、農耕なき定住社会は中緯度帯に多く存在した。集落規模の集団を基盤として、土地の占有と冬に備えた食料備蓄がはじまるが、文明社会に見られるような「富の蓄積」ななく、多くは共有されたと推察される。一般にこの社会は文字を持たず、情報の蓄積や占有がないことから、情報格差に起因する社会的格差も存在しない。
3) 農業社会
農業革命は都市規模の文明を誕生させた。土地・作物等の蓄積・占有がはじまるとともに、それを管理するための文字や交換を媒介する貨幣(情報体)が誕生する。エネルギーに関しては再生可能なもの(水力・風力等)が共有されたが、富の蓄積と占有は集団内に格差を生むと同時に、集団間の争いをも誘発する。結果として争いの調整と集団規模の拡大を目指して、集団間の交流と情報共有がはじまる。
4) 工業社会
産業革命以後、国家規模での集団の拡大・発展を前提に、再生不可能な化石エネルギー、生産設備・輸送に関わる鉄道や車両を含むあらゆるものが「商品」として占有(交換)の対象となる。労働力という商品の価値を高めるべく近代教育がはじまるとともに、人間は生産者と消費者に分断された。
生産活動の拡大に伴う大量の情報交換を目的に、郵便・電信・電話またマスメディアが登場し、物質媒体に蓄積された情報は、工業製品同様に大量に複製・生産されるようになる。情報そのものにもCopyrightの発想が適用され、「著作者」にその権利が占有されるようになる。
5) 情報社会
経済体制は工業社会の延長上にあるが、情報のデジタル化とインターネットの登場により、物質・エネルギーの一部が「◯◯シェアリング」として共有されるようになり、情報についても機密性の推進の一方で、Copyleft(オープンソース)の発想が登場し、地球規模での「知の共有」が進行しつつある。同時に、関心事を共有する小規模集団が地理的制約を超えて棲み分けを行うことも可能となった。
6) 仮想社会
いわゆる「物語世界」という意味での仮想空間は認知革命とともに誕生したが、実在する人間が直接関与する仮想社会は情報革命以後に登場する。そこは物質・エネルギーの制約から解放された規模感不定の社会で、時空間や生死を超越した「もう一人の私」が、アカウント登録によって自我を形成する。
現実社会には(神を除けば)「オーナー」は存在しないが、仮想社会には明らかに「オーナー」が存在する。占有を是とする発想は工業社会のまま、データを資産として占有・交換すべく、NFT等の技術が導入されつつある。
各時代の社会は、情報共有を縦軸、物質・エネルギーの共有を横軸とすると、右図のように配置できる。なお仮想社会では、物質・エネルギーへの 依存はなく、情報の扱いは「オーナー」の考え方次第で決まる。
人類の歴史を遡れば小規模集団で物質・エネルギー・情報を共有する社会から、集団規模を拡大しつつそれらを占有する社会へと急激に移行したように見える。
我々はわずか 250 年程度の歴史しか持たない「占有を是とする社会」に洗脳されて、本来あるべき姿を見失っているのではないだろうか。現代社会はあらゆるものを囲い込んで商品化する一方で、囲い込めない資源を放置し、環境を汚染し続けている。人々の孤立や社会的共通資本(循環系)*7 の 機能失調といった今日の社会問題の根幹には、「共有の喪失」という共通の問題が潜んでいるように思われる。
他の生物と同様に、人間社会にも「共有を是」とする小規模集団があって、それらが「棲み分け」による多様性を維持しつつ、自律分散協調的に全体を形成するというのが持続可能な社会の姿ではないだろうか。
本発表は、概念枠組みの整理と歴史の俯瞰から見えてきた問題の提起に止まるが、筆者はこの問題解決の糸口が、情報社会に芽生えたインターネットが持つ自律分散協調型の仕組みと、それが育むオープンな思想にあると考えている。その可能性を探ることを今後の課題としたい。