SocialDesign|Majority & Minority
私たちが使う「みんな」という言葉は愉快であると同時に怖い言葉です。
みんなができるのに、何であなたはできないの?
こんな言葉に傷ついた経験のある方も多いのではないでしょうか。人はみなそれぞれ異なるキャラクターを持った存在です。みんなにできて自分にはできないことがあっても何ら不思議なことではありません。逆に、自分だけができてみんなにはできないことも存在するはずですが、みんなにできないことというのは、それが顕在化することがないので気づきにくい・・というだけの話です。
さて、「みんな」を理解するには「みんなの外部」が見えるところまで、視点を引いて俯瞰することが必要です。学問は「引きで見る」ことからはじまります。
文化人類学者の山口昌男は、その著書「文化と両義性」の中で、「中心と周縁」という思考の枠組みを提唱しました。
我々は通常、我々を取り巻く世界を、 友好的なものと敵対的なものに分割する思考に馴れている。 「文化と両義性」山口昌男
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社会の構造はあらゆるレベルで「中心」と「周縁」をモデルとして考えることができます。「中心」は秩序、「周縁」はそれを動的に再生産する力です。「周縁」は空間的には、村はずれ、川向こう、峠の向こうにいます。また時間軸で考えれば、夕暮れ時(逢魔時)、夜、そして祝祭日(日常の価値が逆転する日)にあります。日本の昔話をいくつか思い出して下さい。多くのお話は、この中心と周縁の交流を描いたものであることに気づくはずです。
周縁は「他界」と捉えることもできます。我々とは異なる「神」=超越的ものが存在する他界は、我々の「常世」の中心とも繋がっていて、周縁のその先は、中心につながる・・というクラインの壺(メビウスの輪)のような関係にあるとも言えます。
現代社会は、産業革命以後の資本主義社会、特に製造業の思考に適応した人たちの子孫がマジョリティを構成していると言える状況です。
社会はマジョリティに「最適化」されているので、マイノリティはそこで様々な「生きづらさ」を感じています。
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中心と周縁の空間的図式は ハレ / ケ / ケガレ という時間軸における循環構造を対応させることができます。「周縁の先が中心へと回帰する」という話はこの循環によっても説明できます。