路上観察
超芸術トマソンを探そう
はじめに
- 路上観察とは、路上に隠れる建物(もしくはその一部)・看板・張り紙など、通常は景観とは見做されないものを観察・鑑賞すること。その中には、今日でも多くの愛好者を惹きつける「超芸術トマソン」も存在します。
- トマソンとは赤瀬川原平らによる芸術上の概念で、破壊と創造を繰り返す都市空間に「純粋な造形物」として存在する「無用の長物」*1を意味します。1972年、赤瀬川原平、南伸坊、松田哲夫が、東京・四谷の旅館(祥平館)で「発見」した「四谷階段」がその第1号物件。作家よって意識的に作られたものではなく、それを「発見しカメラに収める人」たちによって鑑賞・共有されている「超芸術」です。
- 単なる遺構として放置されているのではなく、やがて消滅する運命にあるにもかかわらず、そこに手が加えられている。「設計」とは反対の「発生」的な造形はブリコラージュに通じるものでもあり、路上観察には、ヒトの自然な営みに想いを馳せる楽しみがあります。
- 「作る造形」に対して「発見する造形」という思考は、マルセル・デュシャンの Ready Made の概念にも見られます。
路上観察と写真
カメラによって、見ているつもりで見えていなかったものが
あらわれてくるのは、じつに気持ちのいいことなのである。
赤瀬川原平,『新・正体不明』,2004, 東京書籍
発見する
- 言語というフィルタに汚染された我々の視覚は、物理的な世界を見ていない
- 言葉を覚えた大人は、世界を「名付けられたものの集合」として、半自動的に認識している(だから足元に注意しなくても歩くことができる)。
- カメラを持ち歩くようになると(写真に撮ることを意識しはじめると)、視覚はトップダウンからボトムアップへとスタンスを変え、普段気づかなかった現象や違和感を察知するようになる
- その最たるものは「影」「痕跡」「映り込み」などで、ファインダーを覗くと、そうしたものが作り出す造形に目が行くようになる
- 絵画に影や映り込みが描かれるようになるのは、写真術の発明以後、印象派の時代からである
記録する
- 写真の存在意義・・その筆頭にあがるのは昔も今も「記録」である
- 変化しつづける世界では、同じ風景に二度と出会うことができない
- 都市の記憶も、災害の記憶も、戦争の記憶も・・カメラによって記録されなければ、我々の記憶から徐々に消失してしまう。
共有する
- ホモサピエンスは「情報を共有する」という戦略によって生き延びた
- 現代人にとっては「排他的所有」が常識であるが、狩猟採集民は獲物をシェアする。「囲い込み」にはじまる近代の物質・エネルギーの排他的所有に端を発した欲望は止まることがない。「共有地」の復興が必要である
- 20世紀に書かれた写真論には「共有」の文字がほとんど見当たらないが、現代人は、写真の存在意義の重要な側面として「共有」を意識している。
- 狩猟採集民が獲物を独占しないのと同様、現代人は写真をとおして貴重な情報を世界中にシェアしている
- 被写体は、写真に撮られ、共有されることによって、その価値が喚起される
フィルムカメラの可能性
参考情報|学生アンケート・学生作品他
APPENDIX
- 偽ライカ同盟
- 片岡義男(会長) 撮って、と被写体が囁く
- 田中長徳(特攻隊長)
- 坂崎幸之助(広報宣伝部代表代行)
- 東儀秀樹(偽ライカ同盟青年部代表)
- なぎら健壱
- 福田和也
- 黒田慶樹