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#author("2019-11-01T15:48:11+09:00;2019-11-01T15:46:35+09:00","default:inoue.ko","inoue.ko")
*言語
コトバは存在を喚起する
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**言葉とは何か
「私たちが言葉に対して持っているいくつかの常識のなかには、実はとんでもない間違いがある・・その代表的なものが『言葉とは事物の名称のリストである』という考え方である。」

丸山圭三郎|[[言葉とは何か>http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E5%9C%AD%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4480091459]]
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世界には様々な事物が存在していて、人間がそのひとつひとつに名前を与えていった・・。大学に入学したばかりの多くの学生さんにこの誤解があります。言語学の知見をふまえると、それは逆転します。つまり、はじめに事物があってそれらに名前がつけられたのではなく、言葉の存在(差異)が環境や事物を区分けして、世界を立ち上がらせたのです。私たちが見ている世界は、言葉によって再構成された擬似的な現実([[共同幻想]])です。

例えば「虹は七色」という知識について。虹は連続スペクトルですから、物理的には色の境界は存在せず、色数は無限に存在します。しかし、赤橙黄緑青藍紫という7つの言葉を使う我々は虹を7色に分け、英米では6色、ドイツでは5色に分ける。つまり色についてどんな言葉を持つかで見える世界が変わるのです。

また例えば、私たちの顔のまんなかにある「鼻」とはどのような部分でしょうか。こう問われてはじめて、どこに境界があるのか、実はよくわかっていないということに気づきます。これも言語圏によって異なるのです。"nose"という単語は我々日本人がいう「鼻」とは違って、おでこのあたりまでを含みます。つまり"nose"の訳は「鼻」ではありません。完全な翻訳などはじめからできないのです((昨今、多くの大人が口をそろえて「これからは英語だ」と言っていますが、異文化間コミュニケーションというのは、文化的な背景の理解なしに置換ルールだけ学んでも意味がない。単に「nose は 鼻」といった置換だけなら人工知能にやらせればいい(すでにスマホのアプリで簡単にじ実現します)。直接的なコミュニケーションを楽しみたいという人にとっては語学学習はとても大事ですし、それをおおいに楽しむべきだと思いますが、興味のない人にまで強制するような話ではないと私は思います。多分こういう意見は少数派かもしれませんが・・))。英語圏の人が描く漫画の顔が、日本人の描くものと異なるのは、顔を部品に分解する際の境界線の位置が違う・・つまり、もともと顔の見え方が違うからです。

言語は単純に置き換え翻訳できるものではありません。それはそれぞれの民族の世界認識のありかたを規定するものであり、また「文化」そのものであるといえます。どんなに暮らしが欧米化しても、「日本語」を使う以上、私たち日本人にとっての世界は、欧米人に見える世界とは異なるのです。
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***身分け構造|言分け構造
人間という動物だけが「身分け / 言分け」の二重分節の中に生きています。
&small(丸山圭三郎|文化のフェティシズム p.71〜);

-''身分け構造''|種のゲシュタルト
ユクスキュル( j.von Uexküll) の<[[環境世界>Google:ユクスキュル 環境世界]]>の概念にほぼ対応する概念。私たち人間も動物の一種であるかぎり、その身体・カ感覚器官をもって外界の環境と関わっています。
>(身分け構造は)動物一般がもつ生の機能による種独自の外界のカテゴリー化であり(身体と心の分化以前の)身の出現とともに外界が地と図の意味分化を呈する環境世界である。

-''言分け構造''|コトバによるゲシュタルト
人間だけが「過剰なゲシュタルト」をもっている。それは「シンボル化能力とその活動」という広い意味での「コトバ(言語・音楽・絵画・・)」によるゲシュタルトであり、その過剰の誕生がすなわち「人間」の誕生だといえます。
>私たちは言語・所作・音楽・絵画・彫刻といったシンボル活動によって<過去>と<未来>、<背後のあそこ><前方のあそこ>を差異化・差延化する、つまり「今、ここ」という時間・空間を超えた延長を作り出し、<非在の現前>を可能にする。・・生物体としての人間には存在しなかった<意味=現象>を文字通りの身の延長である人工道具によって拡大生産する・・(そうした過剰として
あるのが「言分け構造」である。)
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***''生命と過剰''|覚書
&small(丸山圭三郎, 生命と過剰, p.225);
> 「実在とその表象」なる図式が成立するのは、すでにコトバによる分節が行われたあとに歴史的化石となった<特定共時的 idiosyncronique>文化現実においてのみなのであって、<汎時的 panchronique>視点から見た文化とは、それ自体が本能図式に存在しなかった過剰としてのコトバによって生み出されたもうひとつの過剰でしかない<シーニュの世界>(=共同幻想)である、ということだ。ソシュールとラカンに共通するものは、自存的・実体的な<意味>の否定であり、<意味>とはネガティブな辞項間の差異から析出されることにほかならない。

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***関連ページ
-[[構造主義>Structuralism]]
//-[[言語>Language]]
-[[唯幻論]]
-[[共同幻想]]
-[[存在と科学]]
-[[正規分布>note/NormalDistribution]]
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***参考LINK
-[[Wikiprdia:言語]]
-[[Wikipedia:言語の起源]]

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&aname(naming);
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**名|名称 について
はじめに事物があってそれに名前がつくのではなく、言葉をつくること、すなわち「名付け」によって切り取られた事物が私たちの世界に立ち現れる。言語学におけるこの知見は、「名」がいかに重要なものであるかを教えてくれます。名付けること、名を知ること、名を変えること、複数の名をもつこと、いずれも私たちの社会生活において、非常に大きな意味を持ちます。
-名付けること = この世にその存在を誕生させること
UFOが世界各所で次々に目撃されるようになったのは、Flying Saucer(空飛ぶ円盤)という言葉が新聞に登場した1947年以後です。Flying Saucer という言葉が、私たちの心の中にその存在を喚起したのです。
-名付けること = 見えないものの存在を喚起すること
「風」や「愛」といった言葉は、歌詞によく用いられるます。目に見えないものの存在が言葉によって喚起される。それらは、読むたびに、聴くたびに、その文脈において意味を変容させる魅力があります。
「机」や「椅子」は、実体として目に見えている点で、「風」や「愛」とは位相が異なりますが、例えば「机」というものも所与の実体ではありません。「箱の上に板をおいたもの」は、そのままでは「箱と板」ですが、誰かが「机です」と名付けてはじめて「机」として認知されるようになる。。「机」という言葉が、その存在を喚起するのです。
-存在を喚起するには「名付ける」という行為を行えばよい
その発想でできたのが、芸術学部の ArtSpace+50 です。ただのコンクリートの壁面に [[Art Space No.14>http://art.kyusan-u.ac.jp/artspace/index.php?ArtSpace%2F14]] という名前をつける。それだけで、新しいギャラリーが誕生するのです。
//人間の赤ちゃんは、名前が与えられて、公的機関に登録されることで社会の構成員として存在することになります。この登録がなされないと事実上「存在していない」ことになり、あらゆる社会的権利を失います。
-名を知ること = 相手を制御できるようになること
名前を知らない相手に命令はできません。相手の名前がわかっていてはじめて「◯◯さん、◯◯取って!」と命令することができるのです。
-名を教えること = 相手に制御を委ねること
和歌の世界では、女性に名前を尋ねる=求婚 を意味します。そして名前を教えることは、結婚の快諾を意味します。
-名を変えること = 自分の存在を社会的に消滅・新規登録する
文明社会においては、原則名前を勝手に変えることはできませんが、アマゾンのジャングルで1万年変わらない暮らしをしているヤノマミの村では、「今日からオレは◯◯◯だ」というふうに名前を変えることができるそうです。
-別の名を持つこと= もうひとりの私
ハンドルネームを持つこと、別名のアカウントを追加すること、バーチャルなネットワークの世界では、リアル社会における実名とは異なる名前で人と関わることができます。仮面と同様、そこにはまったく別の人格が存在します。

「この世で一番短い呪とは、名だ」といったのは、夢枕獏の小説「陰陽師」に登場する安倍晴明です。「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」です。
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余談ですが、
Designの語源はラテン語の designare = 印を付ける、区分して描く
また、Designate = 示す、指示する、任命する、''名付ける''、呼ぶ
つまり、Design には文化を創造する・・という意味もあるのです。
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**言語学のキーワード

***二重分節 マルティネ
人間が使う自然言語は、知的な意味を担う単語としてのモネーム(記号素)が、それ自身では意味をもたないフォネーム(音素)によって二重に構成されています。前者を第一次分節、後者を第二次分節といいます。 

私たちが使っている言葉は「[[二重分節>Google:二重分節]]」の仕組みをもっていて、有限の記号要素の組み合わせで無限の語彙を作り出しています。「イ・ネ」や「イ・ヌ」というシニフィアンは、それぞれ「稲」、「犬」というシニフィエに結びつけられていますが、このシニフィアンとシニフィエの結びつきは本来「[[恣意的>Google:恣意的]]」なものであるという認識がとても重要です。

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***シニフィアンとシニフィエ F.ソシュール
ソシュールによれば、言語とは、観念を表現する記号のシステムであり、身振り、文字、さまざまな象徴、道路標識や軍隊の信号など、意味を生み出す記号のシステムです。そして、それぞれの記号は他のすべての記号と「差異」と「対比の関係」によって結ばれながら「記号のシステム」を形成するといい、シニフィアンとシニフィエという2つの鍵概念を提唱しました。
-シニフィアン(signifiant)
能記。記号表現。意味するもの、表現するもの。
例:「鳩」という文字や、「ハト」という音声
-シニフィエ(signifier)
所記。記号内容。意味されるもの、表現されるもの。
例:鳩のイメージや、鳩という概念・その意味内容
-シニフィカシオン(signification)
意味作用。シニフィアンとシニフィエを結びつける過程で形成される。
-シニフィアンの連鎖
>ラカンのいう「シニフィアンの連鎖」とは、ソシュールの考えた「シニフィアンに媒介されるシーニュの連鎖」は下意識においてはるかに多いということの別の表現なのである。下意識において、知的類推よりも音的類推が優勢であることは、逆に表層意識においては「シニフィエに媒介されるシーニュの連鎖」が優勢であること・・を示してくれる。
&small(丸山圭三郎, 生命と過剰, p.222);

いわゆる音楽における「歌詞」は、表層の意識における「文法(Syntax)」や「意味(Semantics)」よりも、下意識における「音の連鎖」に重要な役割があると考えられます。ラップミュージックにおける「押韻(ライミング)」というのも、まさに音の連鎖による秩序構成を意味します。ヒトの特徴であるコトバの生成(Genesis) には、「音」が重要な役割を担っています。
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***ラングとパロール F.ソシュール
簡単に説明してしまうと、ラングとは「日本語」のような言語体系、パロールとはその日本語を使った具体的な発話です。前者は空間的な構造体系、後者は時間的な出来事です。
-ラング(langue):語彙や文法など、社会的に共有される「[[共時的>Google:共時 通時]]な差異の体系」(構造)
-パロール(parole):ラングを個人的に運用した「[[通時的>Google:共時 通時]]な発話の実態」(出来事)

文献:[[一般言語学講義>Google:一般言語学講義 ソシュール]] F.ソシュール
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***「連辞」と「連合」 F.ソシュール
-連辞:個々も語の意味と機能を決定する線的な関係(時系列)
-連合:時空間から解放された意識の中でおこる「連想」、並列的関係
※イエムスレウは連辞VS範列と言い、バルトは連辞VS体系と言った
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***デノテーションとコノテーション R.バルト
これはロラン・バルトによる概念区分で、簡単にいうと、デノテーションとは字義どおりの意味の伝達。コノテーションは、潜在的な、あるいは字義どおりの意味を超えたところにある意味の伝達のことです。
-デノテーション(denotation)
外示。言語記号の顕在的で明示的な意味
「ハト」→ 鳩
-コノテーション(conotation)
共示。言語記号の潜在的な意味
「鳩」→ 平和

文献:[[神話作用>Google:神話作用 バルト]] R.バルト
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***表意文字と表音文字
-表意文字(ideogram):個々の文字が意味を表しているもの
例:数字、''漢字''、絵文字、顔文字
-表音文字(phonogram):個々の文字が音素または音節を表すもの
例:アルファベット、''仮名''

ここで重要なことは、私たち日本人が、この2種類の文字が混在した文章に日常的に接している・・ということです。これは世界的にはめずらしいことです。文字それ自体が視覚と聴覚の両方に関わる特殊な情報体であると同時に、視覚優位の漢字と聴覚優位の仮名が混在するという点で、日本人の言語処理は視覚と聴覚の連携が非常に強いものになっている。マンガという日本独特のコンテンツの存在もそれを象徴しているといえます。

-養老孟司氏によればこの2つ、それを処理する脳の部位が異なります。
日本人の失読症の患者さんには「漢字だけよめない」とか「仮名だけ読めない」といった症例があるそうです。
--漢字:画像処理
--仮名:音声処理

-歴史的にも役割が異なります。
--漢字:中国から渡来したもの。別名「真名」。平安時代は男が使う文字
--仮名:真名の補助手段。平安時代は女が使う文字

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***統語論と意味論
-Syntax(統語論:統辞論, 構文論ともいう)
語・句・文・テクストといった記号列の「構成」について論じる
音韻論(音)、形態論(語の構成)などを含「文法」 の一部
-Semantics(意味論)
記号列が表す意味について論じる
--Reference(指示的意味)
記号が対象や状況に対して持つ関係
--Sense(内包的意味)
記号がほかの記号(特に概念と言われる心的記号)に対して持つ関係

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***参考:パースの記号論
ソシュールの記号学(Semiology)がスイス・フランスの思想界( [[構造主義>Google:構造主義]])に大きな影響を与えた一方、アメリカではパースの記号論(Semiotics)が注目されていました。それは、自然、文化、社会の事象を包括的に説明する基礎理論で、宇宙のあらゆる事象を無数の記号の「記号過程(semiosis)」と考え、以下のような3つのキーワードを提唱しました。
-類似性において結ばれた「図像」 icon
-指示関係によって結ばれた「指標」  index
-取り決めによって結びついた「象徽」 symbol
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&aname(yamatokotoba);
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**大和言葉
***大和言葉とは
太古より日本人が使い続けてきた言葉。日本語の文章の中の、漢語、外来語、また「〜する」という形の動詞''以外''のもの。つまり、大半の動詞、形容詞、助詞が大和言葉にあたります。例えば、訓読みする漢字とひらがなだけでできた文は、大和言葉の文です。
-万葉集、古今和歌集などに書かれた和歌
&size(12){万葉集は漢字で書かれていますが、読みは大半の部分が訓読みです。};
-枕の草子、徒然草、方丈記などの古典文学
-芭蕉の俳句
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***大和言葉ではないもの
一方、我々が今日、論理的な思考に用いる言語表現の多くは、音読みする漢字熟語が中心となっていて、これは大和言葉とは異なります。
-論文の文章 例えば、目的・方法・結果・考察・・すべて音読みです。
-大学、高校の名前
-明治以降に改名された多くの地名
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***敬語に現れる大和言葉の性質
丁寧語に「お」をつけるものと「ご」をつけるものがあります。
-一般に「お」がつくのは大和言葉です。> お手紙、お参り、お伝え・・
-一般に「ご」がつくのは音読みされる漢語です。>
-言葉が日本語として浸透すると「お」になる?
ご返信:最近の言葉 / お返事:十分に浸透した言葉
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***J-POP:歌詞の基本は大和言葉
好きな歌を口ずさんでもらえばわかると思いますが、歌詞の大半は大和言葉で書かれています。つまり、歌詞の中で漢字で表記される部分も「訓読み」になっていることが多い・・。

音読みの音(中国渡来の漢語)は、同じ音でも異なる意味のものが多数あります(かし:歌詞、菓子、可視、下肢、瑕疵)。音を聞いて、前後の文脈からこれだという「表意文字」を推測するというのは、音楽にとっては負担となります。

大和言葉の歌詞であれば、ひとつの発音が複数の意味を持つことはありませんから、音と同時に意味が伝わります。大和言葉=仮名=表音文字・・もともと日本人にとって言語とは、まず「音」なのです(だから「音読しなさい」といわれるのです)。

ちなみに、俳句も和歌も七五調。これは現代風に言えば8ビートです。
 |●●●●●・・・|・●●●●●●●|●●●●●・・・|
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***言霊(ことだま、言魂)
//言葉には、時空を超える力がある?
//時間や空間といった制約を超える何かがある?

この国(日本)には「言葉には霊的な力が宿る」という思想があります(残念ながら今日では、そのような感覚を持つ人は非常に少ないようです)。これを「言霊思想」といいますが、その世界観においては、声に出した言葉が現実の世界に影響を与えると考えられており、いい言葉を発すると良い事が起こり、逆にわるい言葉を発すると悪い事が起こるとされます。日本は言霊の力によって幸がもたらされる国なのです。
 敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ 柿本人麻呂

日本の言霊思想では、言葉は発せられた時点で目的が達成されるので、伝えるための論理構造は必要ない・・、つまり日本語は情報伝達の手段としては弱い・・といえるのかもしれません。歌の中にある「あなたの・・」といった表現も、あなたを前にして伝えているというよりは、「ひとりごと」として語っている。歌会は、意見交換会ではなく、みんなの「ひとりごと」を鑑賞する会です。

//日本の歌は「ひとりごと」。「あなた」と言う場合も、相手に対峙して伝えているわけではない。
//日本語(大和言葉)は伝えるための言葉ではない

''参考'':日本の映画・ドラマにおいて二人の関係(あなた)を描く時
・二人が敵対して言い合うとき、構図は対峙
・二人の関係が寄り添うとき、二人で同じ方向(海)を見ている

日本人はコミュニケーションが苦手だといわれます。現代国際社会においては、言葉はコミュニケーションの重要な手段のひとつであり、主語・述語を明確にして、情報をわかりやすく相手に伝えることが求められますが、日本語がこのような性質をもつ以上、コミュニケーションが苦手なのはあたりまえなのです。黙して語らない。少ない言葉数で、阿吽の呼吸で事を進める。そういうスタイルは国際社会では通用しませんが、でも、それが日本人の自然体なのではないでしょうか。
//必要とはわかっていても、国際化は疲れます。
 「俳句」を読むといつも感じることですが、素材を自由に切り・つなぎしてできる日本語表現のゆるさは、「映画」に近いのかもしれません。
 古池や 蛙飛びこむ 水の音
 一般に日本人は、欧米式の論理的な文章構成が苦手だといわれますが、それも「言葉がゆるくつながる」日本的思考に慣れているせいと言えるでしょう。西欧文化を模範とした明治以降の日本社会では、そのような言語表現のゆるさは悪しきものとされますが・・・個人的にはゆるいのが好きです。

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***作者の不在、解体する自我
うた(作品)は詠み人(作者)のものではなく、発したと同時に誰のものでもない万の霊となる。こうした言霊思想が背景にある日本では、西欧流の著作権の考え方はなじみません。本歌どり、浮世絵構図の定型パターン、二次創作。そういえば「作者の死」を語ったバルトは日本好きでした。
 自我のゆるさ、アンチパースペクティブ、視点の解体・・これらは、すべて共通しています。

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***和歌について
歌をコレクションする、またそれを教養のひとつとして大切にするという知的価値観は、日本人に特有のものです。

-和歌の前に平等
例えば、万葉集全20巻、約4,500首の作者は、天皇、大氏族の長から、兵士、農民、乞食者(ほかひひと)、遊女・・、また男女の差別もありません。まさに「国民的歌集」です。
「神の前に平等」は同じ宗教を信仰する人の集団内の平等、「法の下の平等」が当該法の適用される集団(国家)内の平等・・「和歌の前に平等」は大和言葉を話す日本人の平等を保障します。

-和歌の価値について
古今集などに掲載された和歌の選定には、今日の文学的、美的価値観とは異なる価値観が働いていたようです。それは「歌が結果としてどのような効果をもたらしたか」という観点です。その歌を詠んだことで、恋が成就したとか、天候が好転した、あるいはまた政治上の変化が起こったなど、言葉には世界を変える力があって、その「ご利益」が発現したとされる和歌が高く評価されたのです。まさに言霊思想の反映です(渡部昇一「日本語のこころ」)。
 古今和歌集の仮名序にあるとおり、「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むる」のが歌の価値なのです。
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-和歌の音程について
歌会の場で和歌を読み上げ「歌う」ことを披講(ひこう)といって、和歌披講には甲調・乙調・上甲調の三種の節回しがあるいわれますが、歌とはいっても、楽譜におこせるような定まったメロディーがあるわけではないようです。
--[[YouTube:和歌 披講]]
--披講を務める人を披講諸役(四役)といいます(以下)。発声が一人で歌う初句につづけて、第二句以下を講頌四人が加わって斉唱します。
---披講の進行役を「読師(どくじ)」 一名
---和歌を披露する「講師(こうじ)」 一名
---節をつけての吟誦(歌い)を先導する「発声(はっせい)」 一名
---発声に合わせて斉唱する「講頌(こうしょう)」 通常四名
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//-掛けことばについて
//(書きかけです)


-和歌三神
--住吉明神(大阪府大阪市 住吉大社)
--玉津島明神(和歌山県和歌山市 玉津島神社)
--柿本人麻呂(兵庫県明石市 月照寺、島根県益田市 高津柿本神社)

-参考事例 [[百人一首]]
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***参考:仮名序|古今和歌集
 やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。
 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、
 見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
 
 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、
 いづれか歌をよまざりける。
 
 力をも入れずして天地を動かし、
 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
 男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。
 
 紀貫之
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**付記
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***言葉が「存在」を喚起する
-神、妖精、悪魔、妖怪・・幻覚・妄想、昔の人は説明のつかない現象をそうした言葉を使って説明、納得してきました。

-「神」という言葉の発明は、当時の人々の社会の秩序維持に大きく貢献するものであったと言えます。

-しかし現代には、神や妖怪は無理がある。そこで登場したのが「宇宙人」です。1947年、Flying Saucer(空飛ぶ円盤) という言葉が発明された時代から、それは世界各地で目撃されるようになった・・というのは有名な話です。
 
''付記''
UFO Unricognized fliyng object には Object という言葉があり、それはそれが物体であるという前提をつくってしまいます。空に起こる不可解な現象を公平な立場で検証するには、PAN Phénomènes Aérospatiaux Non Identifiés ・・つまり「現象」という言葉を使って、対象を特定させないような工夫が必要。UFO ではなく、PAN と言いましょう・・というのが科学界の動きです。
http://www.cnes-geipan.fr/index.php?id=319&L=0
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***言葉は「識神」である
言葉とは識神のようなものです。それは、私に代わって人をコントロールすることができます。例えば、誰かのデスクにメモを残す。文字は、時空を超えて私の代理を務めてくれます。
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***言葉は人を幸せにする
 人間は言葉を通して世界を捉えているので、ある人にとっての世界とは、その人がもっている言葉そのものとも言えます。子供のころは、桜の花を見ても何とも思わなかったのに、桜の歌を知ると、桜の見え方が一変します。同様に、多くの文学と関わることが、世界をより豊かに見せてくれるのです。
 多くの賢者が「本を読みなさい」といっているのはそのためです。それは単に国語の成績が上がるといったレベルの話ではなく、人生そのものを豊かにするための重要なヒントなのです。
 お金でもない、名誉でもない、言葉が人を幸せにするのです。和歌において人が平等である。同様に言葉を使うことにおいて人は平等です。これだけは、誰にも妨害できるものではありません。
//言葉のボキャブラリーが豊富であれば自分の内面世界も落ち着きます。気持ちを救い出して相手に伝えることができる・・と同時に自分自身の気持ちの整理もつきます。でも、残念なことに言葉がうまく使えないと「うぜぇ」、「ムカつく」・・それ以外に感情を解放する手段がありません。本を読まない人はいつもイライラしているように見えます。
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***日本語と日本人の思考
日本語は外来語を「名詞」として取り込むことが得意な性質を持ちます。
-名詞+する > 動詞に
-名詞+ な > 形容詞に
-名詞+に > 副詞に
一般に文には名詞と動詞が必要で、名詞の修飾を形容詞が、動詞の修飾を副詞が行いますが、そう考えると、名詞として取り込んだ外来語だけでも文が作れてしまう。これが日本語というシステムの柔軟性です。外国の文化・技術を柔軟に取り込んでいく日本人の特質は、ここに理由があるのかもしれません。
&small(参考:加藤重広, 2019, 言語学講義, ちくま新書);

また、日本人は「宗教」を持たない…とよく言われます。
正月には神社、結婚式は教会、家には仏壇…。
確固たる信仰を持たない国民が、秩序とモラルを維持できたのはなぜなのか?
それは、世界の常識からみればとても不思議なことです。

日本人のモラルを支えているのは何か?
おそらくそれは、日本人の「美意識」、そしてその根底にある「日本語」ではないかと思います。

主語(私は)を使わない語り口、「もったいない」のような翻訳できない概念。日本語は、その文法においても語彙においても、私達の「考え方」を規定しています。

西洋音階(システム)が旋律やコード進行に一定の傾向をもたらすように、日本語は日本人の言葉のつなぎ方や思考パターンに一定の傾向を与えるのです。

日本の秩序とモラルを支えているのは、その日本語です。
だから、言葉を大切にしないと、この国の秩序は破綻してしまいます。
かつての美しい暮らしを取り戻すヒントは「日本語」の中にあるのです。

あなたの好きな言葉は何ですか?

ノートに書き写す、ツイートする、何でもかまいません。
言葉と言葉がきれいにつながると、脳内には快感物質が走ります。
その意味においても、言葉は人を幸せにします。
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