ソーシャルデザインのための「情報共有」の研究 III
本稿は「ソーシャルデザインのための情報共有」に関する研究*1*2の総括として執筆するものである。我々の環境世界が「物質・エネルギー」から「情報」へと軸足を移動する中で、新たに生じる「環境問題」を整理するとともに、生き延びるために必要な意識改革の方向性を探ってみたい。
なお本稿では「情報」というものを「物質・エネルギーの 時間的−空間的、また定性的−定量的なパタン」( 吉田民人 )*3 と、広い意味で捉えて議論を進める。
筆者が情報環境という概念を意識するようになったのは、学生時代に師事していた岡田晋氏による「情報環境私論」*4と題した報告レジュメがきっかけであった。当時はアナログからデジタルへの過渡期であるとともに、情報基盤の拡大によって大量の情報があふれ出した時代であった。「環境問題」を理解するには、生理的・心理的レベルをも含む問題として、「環境化された情報」を新たな角度から見直さねばならないというのが岡田氏の問題意識であった。
議論の枠組を筆者なりの視点で整理したものを図1に示す。自然環境と人工環境を区別するとともに、物質・エネルギー環境と情報環境(仮想環境を含む)とを大別した。情報は、物質・エネルギーとして存在する「媒体」の上に、何らかのパターンとして存在し、我々の情報環境を構成している。
物質・エネルギーとの比較においてはじめに特筆すべき点は、情報がエントロピーの法則と無縁なことである。劣化・拡散するのは媒体の方であって、情報そのものではない。
物質・エネルギーが万物に等しく影響するのに対し、情報は「それを認識する主体においてのみ存在する」という点も重要な特徴である。例えば「太陽光」は万物に影響するが、そこから光と影のパターンを情報として読み取るか否かは、認識主体によって異なる。風の音や路上の小石も同様、我々は多くの物理刺激を「ノイズ」として無視している。
さらに、我々の情報環境には言葉(母国語)のフィルタがかかっているという点を強調しておきたい。我々は刺激の大半を言語化し、「意味」に切り分けて情報化している。情報環境は基本的に「共同幻想」として存在している。ちなみにAIが切り分けているのは物理的な文字列・音声パターンであり、人間が捉えるような「意味」レベルのものではない。AIは人間とは異なる情報環境において機能している。
自然環境がもたらす災害、物質・エネルギー環境の開発がもたらす公害と同様に、情報環境の規模拡大と高速化が新たな環境問題を生み出している。以下、列挙してみよう。
4.1. 情報の氾濫
インターネットの登場で、アクセス可能な情報の量が一挙に増え、同時に、すべての人に情報発信の機会が与えられた。その恩恵は計り知れないが、一方で武器や毒薬など製造技術、フェイク、誹謗中傷など、社会を脅かす情報が氾濫している。 思考停止した社会では、極端な少数意見が「みんなの意見」と誤解されるケースも多い。炎上を阻止すべく「迅速な対応」が迫られ、「危機管理対策マニュアル」通りの対応がさらなる混乱を招く。危機は事前に想定できるものではない。
4.2. 集団・組織の疲弊と危機リスクの増大
業務システムの乱立、マインドのズレがもたらす混乱など、情報環境の急激な変化が、業務上の負荷とリスクを増大させている。特に、情報セキュリティー対策には膨大なコストを要するが、漏洩の多くはシステムの問題ではなく人の問題である。高度なテクノロジーに共通して言えることだが、環境破壊は人間の指一本でできてしまう。
4.3. 孤立と自己肯定感の低下
自然災害における集落の孤立と同様に、情報環境における「孤立」も生じている。情報弱者が社会システムにアクセスできないという「孤立」もあれば、「引きこもる孤立」もある。「友達グループ」を可視化させたSNS、「デキる人」の能力を見せつける動画投稿サイト。そうしたサービスの存在にも人々の自己肯定感を下げ、孤立へと導く負の側面がある。
4.4.「私」の乖離
仮想環境では、アカウントの数だけ「もうひとりの私」を作り出すことができる。そこでは現実世界のような身体的・社会的拘束がなく、生と死(リセット)も含めて自由に振る舞うことができる。仮想環境は、その居心地の良さゆえに、「私」のアイデンティティを乖離させる危険を孕んでいる。
目まぐるしくアップデートする社会をどう生き延びるか、いくつかの視点で、情報環境に関する提言を試みたい。
5.1. ハードからソフトへ
物質・エネルギー環境の構成要素として生産されるハードウエアの大半は、最終的に環境を汚染する廃棄物となるが、情報環境を構成するソフトウエアは、どれだけアップデートを繰り返しても廃棄物は産まない。物質・エネルギー環境のデザインから、情報環境のデザインへと発想を変えていく必要がある。巨大な防波堤をつくるのではなく、海が「見える」景観を維持しつつ、情報共有システムをつくり、避難訓練を行う。ソフト的な問題解決を優先すべきではないだろうか。
5.2. デジタルとアナログの棲み分け
情報の量・質・利便性、情報環境のデジタル化には多くのメリットがあるが、アナログ媒体には長寿命・修理調整可能・インフラに依存しないなどのメリットがある。例えばラジオはWiFi環境が破壊されても機能するし、機械式のカメラは電源喪失下でも機能する。紙に書かれた文字は泥水で汚れても読める。アナログは危機的な状況に強いのである。
さらにアナログ媒体には、複製時の劣化を前提に「著作物の複製に関する縛りがゆるかった(過去)」という特徴もある。情報体は複製によって生き延びる存在である。「複製はダメ」と洗脳されつづけた人々は、情報の本質を見誤っている。
5.3. オンラインと対面の棲み分け
オンラインファーストの時代ではあるが、対面環境の意義は依然として大きい。言うまでもなく、それは身体性にある。オンライン環境には、通信量として算定可能な量の情報しか存在しないが、身体が属する生の自然環境には無限の情報量がある。そこは新たな知見を生み出す源泉である。
5.4. カテゴリーツリーからデータベースへ
図書館の配架のように「データを階層的に分類整理する」というのが、言語(再帰的二分木)を扱う人間の癖であるが、扱う情報の量と複雑さが増すと手に追えなくなる。そこで、データベースの存在を前提とした逆転の発想が必要になる。
カテゴリーツリーの枠組に「データを入れる」のではなく、データの方に属性情報を「タグづけする」のだ。人間が管理するには不便だが、コンピュータ利用を前提とすれば、その方が圧倒的に効率的である。現にWordPressなどのCMSの大半は「投稿にタグをつけてデータベースに格納する」という仕組みを採用している。利用者が閲覧したいのは「問合せの結果」であって、データベースそのものではない。
5.5. 栽培思考から野生の思考へ
予見と計画にもとづく栽培的思考(設計図にもとづく製造)ではなく、身近な事物の寄せ集めと試行錯誤による野生的なモノづくり(ブリコラージュ)。インターネットが可能にした「技術情報の共有」は、「誰もが作り手になれる」という希望をもたらした。歓迎すべきこととして明記したい。
5.6. 占有から共有へ
情報の排他的所有を主張する著作権。この存在によって、次世代の人々は自由な創造にブレーキをかけられている。V.パパネックが指摘するとおり*5、アイデアの排他的所有を主張する発想には違和感を覚える。そもそも情報には、偶然でもパクリでもなく、「必然性」によって特定のカタチに収斂するものもあるのだ。
5.7. 無視あるいは前提の変更
情報環境は、それを認識する「我々において」存在する。物質・エネルギーがもたらす災害と違って、情報災害に対しては「無視する」という対策が可能なケースもあることを忘れてはならないだろう。「個人情報」という造語が喚起した幻想(?)も、当事者が「オープンでいい」と言えば、面倒なセキュリティ対策は不要になる。
情報環境の変化は目まぐるしく、秩序維持のための「法」も、その整備が追いつかないばかりか、時代に合わない記述が社会の足枷となっている。環境の変化が極めてゆるやかな時代に生まれた秩序維持の方法=成文法。情報環境が孕む問題の発端は、人類が「文字」を使い始めたこと、またそれ以前に言葉の誕生(共同幻想を生きる存在になったこと)にある。
インターネットが世界規模の情報共有を可能にし、国籍に関係なく土地の売買もできる。戦争をするまでもなく、国家という共同幻想(情報環境)は崩壊しつつある。この状況を、若い世代は肌で感じているであろう。自戒の意味をこめて述べたい。生き延びるためのアップデートを邪魔しているのは「過去に洗脳された『大人』という情報環境の存在」である。不登校30万人という現実がそれを物語っている。
1. 井上貢一 , 情報共有の歴史 , 芸術工学会誌 No.85, 2022, pp.58 - 59
2. 井上貢一 , 情報共有と神 , 芸術工学会誌 No.87, 2023, pp14 -15
3. 吉田民人 , 情報・情報処理・自己組織性 , 組織科学 , Vol23 No.4, 1990, p.7
4. 岡田晋 , 情報環境私論 , 九州芸術工科大学 配布資料 , 1984
5. V. パパネック , 生きのびるためのデザイン , 1974, 晶文社 , P.11