ファインダーは、主にフィルムカメラで光学像を確認する場合に、その違いが重要になるもので、デジタルカメラの場合は、ファインダーというよりモニターという方が近いかもしれません。
ちなみに、光学機器におけるレンズには対物レンズと接眼レンズがありますが、カメラの場合、撮影対象の側にあるレンズが対物レンズ、覗き窓の入り口にあるレンズが接眼レンズ(一般にアイピースという)になります。
以下、現代のデジタルカメラの分類です。デジタルの場合は(光学ファインダーを除いて)どのように記録されるかがファインダーで確認できます。というか、デジタルネイティブ世代には、それがあたりまえですね。
光学ビューファインダー。レンズからの光を鏡とプリズムでフォーカシングスクリーンに投影して確認するタイプのもの(デジタル一眼レフ)と、2つのレンズからの二重像を合致させて距離を測るレンジファインダーの2つがあります。露出は反映されないので仕上がりの確認はできません。
電子ビューファインダー。イメージセンサーからのプレビュー情報を覗き窓から確認するもの。ミラーレス一眼がこのタイプで、ファインダーの中に撮影情報が表示されるので、リアルタイムで仕上がりの確認ができます。
液晶モニター。イメージセンサーからのプレビュー情報をモニターに映すもの。フレームを引き目で確認できるので、構図はつくりやすくなります。スマホと同様の確認方法です。
以下、フィルムカメラのファインダーを分類したものです。フィルムカメラのファインダーには、絞りやシャッタースピードの情報が確認できるものもありますが、露光の結果はわからないので、現像されるまでは仕上がりは確認できません。デジタルに比べると「思ってたんと違う(失敗・別の意味で感動)」ということが多くなります。
レフレックスファインダーのひとつで、撮影レンズからの光を、鏡とプリズムでフォーカシングスクリーン(ピントグラス)に投影したものを、覗き窓から確認するタイプのもの。
シャッターを切る瞬間は、ミラーがアップして光はフィルムの方へ行くので、写る瞬間の像を確認することはできません。
1885年にカルビン・レイ・スミスが発売した「パテント・モノキュラー・デュプレックス」が実用一眼レフカメラの原点と言われ、日本では、1952年に旭光学工業(後のPENTAX、現 RICOH)が発売したアサヒフレックスが最初。レンジファインダーではドイツが世界シェアをとっていましたが、この一眼レフの技術は日本のカメラメーカーが世界シェアを塗り替えるきっかけとなりました。
レフレックスファインダーのひとつ。同等のレンズが縦に2つ並んだもので、上のレンズが確認用、下のレンズが撮影用。上のレンズがフォーカシングスクリーン上につくる参考像で撮影範囲とピントを調節し、下のレンズからの光をフィルムにあてる仕組み。一眼レフと違って写る瞬間も像を見続けることができます。
レンズの位置が異なるので、近距離撮影では視差が大きくなります。
1928年にドイツのフランケ&ハイデッケ社が発表したローライフレックスが原点。日本では1950年代にリコーフレックスでブレイク。
左右2つのレンズで取り込んだ像を、距離計に連動して動く鏡で合成、二重像の合致をもって、対象にピントが合った・・と判断するもの。このファインダーを備えたカメラをレンジファインダーカメラ(距離計連動式カメラ)と言います。
一眼レフのように撮影レンズからの像を直接確認するわけではなく、その位置の違いから、近距離撮影では視差(ズレ)が大きくなります。
一眼レフよりも歴史は古いのですが「ピントをとるのではなく、距離を測る」という撮影哲学の違いから、こちらを愛する人も多数。
1932年、Leitz社のカメラ Leica II型(バルナック型)が最初で、その後一眼レフがブームになるまでは、ドイツ製のレンジファインダーが世界の主流でした(ライカMの"M" は Messsucher つまり距離計という意味です)。
ライカIcのようにデフォルトでファインダーの無いカメラ、あるいは、レンズの焦点距離に合わせて視野を確認するために付け替えるファインダーです。
二眼レフやレンジファインダーと同様に視差(ズレ)が生じます。
光学的に対象を見たい・・という人のために、現在のデジタルカメラ用の商品としても、外付けファインダーは存在します。
視線の方向に2つの枠を並べただけのものです。トンネル越しに被写体を覗く・・というタイプのものです。
ファインダーを見ずにフレームもピントも直感で撮影することを意味します。
街中でのスナップ撮影などでは、カメラを首から下げたまま胸元でシャッターを切ることで、自然な写りを期待することができます。
但し、人や車のナンバーが写り込んだ写真、公共空間ではない場所で撮影した写真を公開することについては、十分な配慮が必要です。
参考:Google:撮影罪 肖像権 表現の自由
ファインダーから見える像は撮影時のもので、鑑賞時の写真とは異なります。写真術の登場から今日にいたるまで、ファインダー内の視覚像をいかに仕上がりに近づけるかということが、技術開発の目指す方向でした。それは「失敗をなくす」ために必要なことであったといえるでしょう。結果、失敗が許されないプロの撮影現場は、デジタル一色になりました。
一方、失敗しないカメラを持ち歩くようになった私たちは、写真の面白さを体感できていないように思えてなりません。まず第一に現代人は、カメラの仕組みに興味を持たないようです。絞りやシャッタースピードといった概念がなくとも綺麗な写真がとれる以上、そこから何かを学ぼうという気にはならない(というかパーツが嵌め殺しでブラックボックス化したカメラでは、仕組みを知ろうにも分解すらできない)。失敗しない道具は、学ぶ楽しみを奪うのです。
結果、綺麗でうまい写真、おしゃれで高価なものと供にある自分を見せることに人々の関心がシフトしている。
我々は何故写真を撮るのか。今ココにある時間と空間を切り取って定着させるということに、何故多くの人が惹かれるのか。
街を歩いて写真を撮る(Shooting)行為は、太古の昔、人間が獲物や珍しいものをもとめて歩いていたころと同じ。よい結果が得られるようにさまざまな工夫をすることに本当の楽しみがあるのかもしれません。
工夫を必要としない、学ぶ楽しみがない。技術革新がもたらしたものが何だったのか、これを機に考えてみることをお勧めします。