私たちを取り巻く環境要素のひとつに「情報」があります。それは現実空間・仮想空間に関わらず、何らかの「情報媒体」を通して私たちの「脳」に届いています。この講義では「私」と「環境」との様々な関わり方を見極めるとともに、情報環境が抱える問題と、それを解決するデザインの方法について考えます。
情報とは、何らかの媒体を通じて発信者から、受信者に伝達される意味内容のことです。人間同士の会話、紙に記された文字、モニターに表示される映像、音楽、さらには、ネットワークを行き交う信号など、様々な様態があります。
物質・エネルギー・情報という3大抽象概念のうち、「情報」は科学の対象としては歴史的に最も新しい概念です。
物質(紀元前) > エネルギー(16世紀) > 情報(19世紀)
哲学者 吉田民人は、数学者 (N.ウイナー)にならって、広義の情報の概念を以下のように定義しています。
物質・エネルギーの 時間的 − 空間的、また定性的 − 定量的なパタン
吉田民人 , 情報・情報処理・自己組織性 , 組織科学 , Vol23 No.4, 1990
情報環境は、以下のように整理することができます。
情報媒体(物質・エネルギー)+ 情報(時間的・空間的パターン)
物質として存在する情報媒体は空間に拘束されるとともに、時間の流れに逆らうことができませんが、情報は、空間・時間を超越した存在です(詳細は後述)。
私の身体に対する外部、屋内空間に対する屋外、地域共同体とその外部、国家に対する世界、世界に対する地球環境。環境は「内部」に対する「外部」として、同心円状にイメージすることができます。
私たちには「環境」がちゃんと見えているわけではありません。私たちが見ている世界は言語によって再構築された「共同幻想(擬似現実)」です。
はじめにモノがあってそれに名前がついた(素朴実在論)わけではなく、言葉の「存在喚起能力」によって、対象はそれとして認識されています。
参考:サピア=ウォーフの仮説(言語的相対論)
ヒトは、感覚器が捉えた連続的な外界刺激を、離散的な言葉に置き換えて捉えています。例えば連続分布する電磁波を、赤 / 橙 / 黄 / 緑・・と色名に区切る(離散化する)のは「恣意的」な行為であって、どこで区切るかは言語圏(文化圏)によって異なります。これは抽象的な概念でも同じで、例えば「もったいない」という言葉は、他の言語圏には該当する語が存在せず "Mottainai" という綴りで広まりました*1。つまり私たちが認識しているのは言語化された「擬似現実」であって、世界の見え方は使っている言語によって異なるのです(完全な翻訳というのはもともと不可能です)。
そもそも、どんな生物も自身の持つ感覚器官を通してしか外界を捉えることができません。例えばヒトの視覚が捉える電磁波は 380nm 〜 780nm の範囲のに過ぎず、ガンマ線、X線、紫外線、また赤外線、通信用の電波は環境中に存在しても見えません。さらに言えば、今日までの科学では捉え切れていない物理的な存在の可能性もあります(電磁波の発見も19世紀)。要するに、あらゆる生物にとって「環境」とは、それが捉えうる範囲のものに過ぎないということです。
環境(世界)を制御できると思っているのはホモ・サピエンスだけです。生の自然を言語化(情報化)しつくすことはできず、したがって自然を制御しようとする「技術」には限界があります。「危機管理」という言葉がありますが、危機は想定外のところからやってくるものなので、管理できるという前提で行う準備には限界があります。人間は自然環境に対してもっと謙虚になるべきでしょう。
現代社会では、土地を含む多くのモノ・コトが市場経済の原理にもとづいて売買され、私的(排他的)に所有されていますが、すべての人の共通資産として社会的に管理・運営されるべきものものもあります。そうしたものを「社会的共通資本」といいます。経済学者宇沢弘文氏はこれを「広い意味での環境」として、以下の3つに分類しています。
右の図は生物のホメオスタシス(恒常性)を説明する概念図です。内部環境と外部環境を「膜」で隔てたシンブルな概念モデルですが、生物個体から生物群、地域社会、地球環境まで、様々な「定常開放系」の理解に役立ちます。
一般に「内部」は「外部」から資源・エネルギーを取り込み、不要になったものを「外部」に廃棄することによって、その恒常性(ホメオスタシス)を保っています。個体レベルでは「食事と排泄」、人間社会では「エネルギー資源の取り込みとゴミの廃棄」です。生命体・建築・都市・地球・・、規模は異なりますが、外部環境との交換を前提とする内部は、いずれも同様のシステム=定常開放系と考えることができます。
内部にあるものは、外部(環境)に押し出されたとたんにゴミ(忌避されるもの)になります。環境問題を考えるときは、今は内部にあるものでも、時間が経過すれはゴミになる・・ということを意識する必要があります。
内部環境が恒常的に維持されている状態が「生」、内外の区別がなくなる状態を「死」と考えます。死は「膜」が破壊されるか、あるいは、内部の拡大によって外部がなくなる場合に訪れます。
ちなみに内部は「異物」を排除するだけでなく、それを取り込むことによって変化(進化・多様化)を促す仕組みを持っています。
異文化という言葉はありますが、異文明という言葉はありません。つまり、文化には多様性が想定されていますが、文明はグローバルな標準化が前提となっています。文明的な環境は「拡大・成長」しつづけます。歯止めのない成長は癌細胞と同様に、最後には自分自身を滅ぼすということを忘れてはなりません。
人類はヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、イヌ、ネコなど*2多くの動物を家畜化してきましたが、家畜(domestic animals)に共通の現象は、丸く・柔らかく・色が薄いことで、それは、外敵や厳しい気候から身を守る厚い皮革や色素が無用になったことを意味します。そして、それは人類自身の特徴でもあります。
孤立して生きるより、グループで共生する方が生き延びやすいことから、ヒトは集団・組織に「合わせる」=「自己家畜化(Self Domestication)*3」という戦略をとっています。
しかしその結果、人類は拡大・一元化した安全な環境のもとでしか生きられなくなっています。特定の環境に適応しすぎた生物は(多様性を欠いた生物は)、環境変動やウイルスによって絶滅する可能性がある・・。人工的環境へのヒト自身の自己家畜化は、人類を絶滅の危機にさらしているとも言えます。
各所でグローバル化が推進されていますが、グローバル化に対応するということは、文化の多様性が失われることにもつながる・・ということを意識する必要があります。
情報環境という言葉の定義は様々ですが、ここでは、物質環境と対峙する言葉として、つまり「我々の周囲にあって、情報システム(入力・処理・出力+記憶)としての人間(の脳)が関わるものごとの総体」と考えています。
今日のテクノロジーは、物質環境の形成から情報環境の形成へ、「形のないものに形を与える ー まさに文字通り IN・FORMATION 」(岡田 晋, 1984)の活動へと軸足を移動させていると言えます。
情報環境はリアルな物質によって構成される「現実空間(フィジカル空間)」と情報のみで構成される「仮想空間(サイバー空間)」、そしてそれらを融合した中間的な空間である「拡張現実空間」に分類できます。
リアルな物質環境の中にリアルな身体を持った「私」が存在する空間
付記:現実空間における「私」
現実空間において、周囲の環境と対峙する中心的な存在が「私」という存在で、「私の身体」を囲む「環境」は、衣服>居住空間>都市空間 というふうに同心円状に拡大していきます。
「私」は「他者」との関係調整において「自我(あるいはセルフイメージ)」を形成しますが、他者からの「承認の供給不足*4」の状態にある今日、「私」という存在は不安定なものになり、結果「環境」との境界もあいまいになり、「環境」というものの存在を相対化できなくなる・・という状況になりつつあります。ちなみに、多くの動物は「私」を意識化することなく環境と一体となって生きています。
リアルな環境の中にリアルな「私」が存在するとともに、スマートフォンやスマートグラス等の端末上の視聴覚情報が拡張的に「上書き」された空間
仮想環境の中に身体をもたない別人格としての「私」が存在する空間
付記:仮想空間における「私」
仮想空間においても「私」は「アバター」や「アカウント」として自我を持っていて、仮想空間内における他者とのコミュニケーションによって、現実空間とは別の「私」が形成されます。仮想空間における「私」の最大の特徴は、死んでも蘇ることができる・・ということです。
ネット上での誹謗中傷など、仮想空間内で生じている新たな問題は、仮想空間における「別人格としての私」と他者との関係に起因する問題です。
都市空間では「安全・便利」を実現すべく、ここはどこか、◯◯へ行くにはどうすればいいか がわかりやすくデザインされていることが必要です。
付記:屋外広告について
空間を利用する人が Pullする情報以外に、空間を利用する人に向けて Pushされる情報もあります。「屋外広告」がそれに該当します。
屋内空間は「快適・便利」を実現すべく、様々な情報との接点が体系的に整理されることが重要です。
付記:断捨離について
何を置くかではなく何を捨てるかを考える。室内も定常開放系です。資源・エネルギーを使って秩序をつくることだけでなく、室内に蓄積するエントロピーを捨てること(それ以前に「溜め込みの抑制」を検討すること)が重要です。
現実空間における情報は、物質的な基盤の存在を前提としたものが多いのが現状ですが、資源・エネルギーを使って標識やサインといった構造物やモノを作る行為は、結果的に廃棄物を生み出すことになります。資源・エネルギーの活用から、電子的な情報(ゴミを出さない)の活用による環境デザインへのシフトが求められます。その意味では、現実空間に電子的な情報を上書きするARの手法には大きな可能性があると言えるでしょう。
仮想空間への「入り口」は現実空間の中に存在します。歴史的に最も古いものから並べると、絵画(洞窟壁画)、文字(物語)、写真、音声電話、映画、ラジオ、テレビ、ビデオ、携帯ゲーム機、携帯音楽プレーヤ、パーソナルコンピュータ、家庭用ゲーム機、携帯電話、スマートフォン・・
現実空間との最大の違いは「距離」を超越するということ、また「時間」を超越するということです。「私」は、映画、テレビ、ゲーム、Web、小説等、様々な情報コンテンツが描きだす「時空間」に没入するかたちで環境を体験します。
今日、仮想空間には情報が氾濫していて、私たちの多くはそれにうまく対応できずに混乱しています。その意味で、仮想空間の情報環境デザインにおける大きな課題は「情報洪水対策」であると言えます。以下、情報洪水対策に関わるいくつかのキーワードを紹介します。
・Web上に掲載して、そのURLをメールで知らせる。 ・ファイルサーバーに置いて、その場所をメールで知らせる。 ・荷物を直接相手に届けるのではなく 「北浜305倉庫、B列45番、暗唱番号は2112」などと伝える。アドレス渡しの場合、情報が未整理であっても、事前に相手に情報の所在を渡すことができます(リンク先の情報は事後修正が可能です)。つまり印刷物の仕事につきものの「締め切り」という縛りから解放されます。
情報環境はいかにあるべきか・・
情報を遠隔・非同期的に複製されやすい状態にすること
「情報体」の立場になって考えればわかることですが、生命の情報(DNA・RNA)からWeb上の情報まで、あらゆる情報体は複製(シェア・拡散)されることを望んでいます。20世紀という時代は「複製するな!複製するなら金払え」という考え方が横行した時代でしたが、今、世の中の情報基盤にあるのは「コピーレフト」を前提としたオープンソース・ソフトウエアであり、その根底にあるのはデータとプログラム(プロパティとメソッド)をパックにした移植性の高い小さな「オブジェクト」です。また、それらは「文字」の性質を生かした「遠隔・非同期」的なコミュニケーションによって生み出されています。
産業革命以後の常識に洗脳された思考を大きく転換する必要性