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Photography/FilmVsDigital のバックアップ(No.7)


Film vs Digital

Photography


2000年代、写真はフィルムからデジタルへと大きく移行しました。デジタルネイティブの皆さんにとっては、フィルムカメラは歴史上の遺物かもしれませんが、現在でもその魅力に取り憑かれる人は少なくありません。

はじめに

はじめに、フィルムカメラの現状を確認しておきましょう。

フィルムとデジタルの違い

すみません、以下の大半は個人的な趣味により、フィルムカメラを持ち上げる書き方になっています(デジタル派の方、ごめんなさい)。

フィルムカメラは「Camera Obscura|暗い部屋」を意識させる

フィルムカメラはレンズとフィルムとの間に「フィルム室」という「Camera Obscura|暗い部屋」があって、裏蓋を開けて覗くと、シャッターを切った瞬間に光がフィルムに届く様子を目視確認することができます(一眼レフの場合は、シャッターが切れる瞬間にファインダーが暗転する様子も確認できます)。蓋の開け閉めができる(ファインダーとフィルム室の間にミラーの開閉がある)ということは、そこに「光漏れ」が発生する可能性もあるわけで、フィルムカメラを使う人はは、フィルム室をちゃんと「暗い部屋」にすべく、光の進路を意識する人になります。

もちろん、デジタルカメラにもレンズとイメージセンサーの間に暗黒の隙間が存在しますが、そこで何が起こっているのかを目視することはできません。デジタルカメラのその空間は、得体の知れないブラックボックスです。

フィルムカメラはホワイトボックス / デジタルカメラはブラックボックス

フィルムカメラは長寿 / デジカメは短命

機械式のフィルムカメラはホワイトボックスなので、情報さえあれば分解・修理が可能です。YouTube動画や、ブログ記事のおかげで、素人でもある程度の修理が可能になりました。シャッターが切れない、露光ムラ(uneven‑exposure)などのトラブルも、多くの場合は、清掃・注油・テンション調整などで解決します。丁寧に扱っていれば、人の一生より寿命は長くなります。

一方、デジタルカメラは、シャッター回数、バッテリーの劣化等、物理的な寿命が短く、プロ用機材でも 10年程度。特に内蔵時計用の電池(あるいはコンデンサ)の寿命がくるとメーカーに修理を依頼するしかない。メーカー対応も発売から5〜10年程度。進化(高性能化・低価格化)が速い(=すぐに陳腐化する)ので、長く使う気にもならない(実際、買い替え理由の大半が「上位品目の購入」)つまり、その多くは数年で産業廃棄物になってしまいます。

フィルムには選択肢が少ない / デジタルは選択肢が多い

フィルムは失敗から学ぶ / デジタルは失敗しないから無関心になる

フィルムカメラはシャッター音とともに、身体的な振動を感じる

デジタルでも、フォーカルプレーンのようなメカニカルシャッターを使っているものは物理的な音が発生しますが・・

光学ファインダーとLCD

光学ファインダーを使うフィルムカメラで撮られた写真の場合、鑑賞者は写真からの「逆投影」によって撮影者の視点に同一化します。写真を見るという行為は、撮影者と視点・視線を共有することだと言えます。

一方、デジタルカメラの場合、撮影者が見ているのは対象そのものではなく、LCDモニターに写し出された像です。出来上がった写真を介して鑑賞者と撮影者とが視線を共有することはありません。それは撮影者自身にとっても同様で、「私の視線」が戻ってこないデジタル写真では、自分が撮った写真でも、その時の記憶が戻ってこないことが多々あるように感じます。

アナログ / 物質 / 神

デジタルはどれだけ高画素化しても、究極的は「画素のその先」がない情報量有限の存在ですが、フィルムは物質を伴う点で無限の情報量を持ちます。物質のふるまいは謎に満ちていて、その究極は「神」の領域。カメラについても同様。デジタルカメラは、サポートがなくなると修理不能・・つまり企業(人間)の都合で使えなくなりますが、フィルムカメラは目に見える物質的部品でできているので、半永久的に修理が可能・・つまりモノ(神)を大切にすれば、その効力が失われることはありません。

フィルムの製造、露光、現像・・、そして気温や湿度に左右されるカメラの動作・・、物質のふるまいを100%制御することはできず、そこには常に「偶然」が関与します。写真を撮ることは、撮影者と「神様」との共同作業・・と言えなくもありません。



APPENDIX

デジタルネイティブの人の勘違い

デジタルカメラがフィルムカメラの仕様を真似る必要はないのでは?