第14回 総括|データサイエンスとAI
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データサイエンスとAI
データ主義の限界
データサイエンスやAI は確かに「スゴい!」のですが、「スゴい!」と「面白い!」は別の話です。そして私たちの人生を豊かにするのは「面白い!」の方ではないかと・・。続きは授業で。
AI と共存する時代の学びについて
- 現代社会には、ICT / AIを基礎としたサービスにあふれていて、それらに関する知識・技術は、時代を生き延びるための必須のものとなっています。
- 同時に、人と社会の過去・現在・未来について考える力も必要です。
- 自らを相対化し、俯瞰する・・メタレベルの思考が必要です。
- 4年先の未来ではなく、50年先の未来を想像して「何を学ぶべきか」を考えることが必要です。車の運転同様、目の前ばかり見ているとブレます。
- 「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われるようなスキルを身につけるのか、それとも「あなたにしかできないこと」を極めるのか・・言い換えれば、人と競争するためのスキルを身につけるのか、人と助け合うためのスキルを身につけるのか・・
- 社会の基本である BAND は、それぞれが異なる人として、お互いに助け合って、全体として調和のある秩序を構成しています。
- ちなみに「あなたにしかできないことなど無い、そんな才能はない」と、多くの方が言いますが、「あなたにしかできないこと」というのは、あなたにとってあたりまえであるがゆえに、自分自身ではその才能に気づかないことが多く、「あんた何でそんなことができるの?」と人から言われてはじめて気づくことが多いのです。「あなたにしかできないこと」というのは人と関わることによって相対的に見出されるものなので、積極的に人と関わることをお勧めします。
- 世の中には「◯◯試験」が多く存在しますが、A.I.に答えられるような問題(Question)に意味があるのか、・・俯瞰的に考えて下さい。
- 重要なのは、社会が抱える問題(Problem)を見出すことです。それは「未来は変えられる」という希望を持つこと、「言葉を使って考える」という基本的なことさえできれば、誰にでもできることです。
AI と人間
以下、私の学術経験にもとづく個人の見解です。批判的に聞いて下さい*1。
絶対 vs 相対
機械が持つセンサーは、物理的な「絶対値」を得ることができます。例えば、重さや、長さの計測はもちろん、 GPSを使って地球上における自身の絶対座標を得ることができます。
一方人間は、重さや長さを正確に把握することはできないし、また、目隠しで放り出されると迷子になります。
人間の受容器は「相対的な関係」を把握することで「意味」を理解します。物事の意味や価値は所与のものではありません。文化や価値観の違いによって対象の捉え方や判断が変わる(善悪の判断すら変わります)・・これはデータが同じであれば同じ結論を出す機械とは異なる点です。
非身体性 vs 身体性
現在のAI 、ニューラルネットワークは、人間の脳をモデルにしていますが、言いかたを変えると、「脳だけ」をモデル化したものであって、そこには身体との連携が含まれてはいません。
機械は、外部との物質交換のない「閉鎖系」で、また、ハード(デバイス)とソフト(OS・アプリケーション)の分離・再構成も可能です。
一方、生物の身体は外部との交換を遮断できない「開放系」であるとともに、ハード(身体)とソフト(思考・記憶)が切り離せない関係になっています。脳という神経細胞のセットから思考回路や記憶だけを取り出して、他の個体に移植するといったことができない点で、生物は AIとは大きく異なります。
生物の脳は、身体から切り離すことはできず、自律分散的に協調する複数の細胞と関わっています。身体が発する痛み、消化器のはたらき、血液の循環状態、さらに言えば、身体を出入りする物質やエネルギーの作用も受けるのです。
非生命 vs 生命
AI は生命と言えません。理由は簡単。「死」が想定されていないからです。
「生」という言葉は「死」と対峙するかたちでその意味を担っています。
- AI は:
- 物質・エネルギーの出入りを遮断した「孤立系・閉鎖系」でも動く
- 起動・停止が可能である
- すべてのパーツが交換可能である
- 半永久的に稼働させることができる
- 生命体は:
- 物質・エネルギーを交換する「定常開放系」として存在
- 起動・停止ができない(変化を止めることはできない)
- パーツの交換ができない(そもそもすべてが連続的)
- 「死」がプログラム(予定)されている
虚無 vs 意識(自己認識、自由意志)
そもそも「意識とは何か」ということ自体が「謎」なので、なんとも言えないのですが、AI が意識を持つか・・という点については個人的には懐疑的です。
AI に「意識があるかのような」振る舞いをさせることは可能で、それと対話する人間の側が「AIには意識がある」と感じることはあると思います。
非生命は、孤立系の中で静的に存在することが可能ですが、生命は定常開放系において動的に維持される身体をもつものであり、その意味で、意識も時間の流れの中においてのみ、動的な存在として立ち現れるものではないかと・・・
AI が人間と同じように意識を持つと仮定すると・・・
- AI 自身が「AI とは何か、AI はどこから来て、どこへ行くのか」と考える
- 過剰な好奇心によって学び、自らの意志で自身をアップデートする
- 一方で、未来を悲観して、自らを破壊する AI が現れる
「いま・ここ」という身体性から切り離され、「死」のない世界(無時間的な世界)で動作する知能を「意識」とは呼ぶには違和感があります。
スゴイ vs 面白い(新奇性)
多くの人が「AIはスゴい!」と言います。でも人間が求めているのは「スゴい」の先にある「面白い!」です。お笑いタレントの過去の発言を収集して、受けそうなフレーズを作るといったレベルの「面白い!」であれば AI でも可能ですが、誰もやったことがない「新奇性」のあるコンテンツを作るのは難しい・・
AI は、過去のデータからニーズを汲み取る能力には長けていますが、未だかつて誰も見たことがないものは、ニーズを探っても出てきません。
顧客のニーズを探り、売上を向上させることが求められるビジネスの現場では、AI の活躍が期待できますが、こんなものがあったら面白いのではないか・・というヒラメキには、人間に特有の「おバカな思考回路」が必要です。
Stay Hungry. Stay Foolish. Steven Paul Jobs 1955-2011
Original:Stewart Brand, Whole Earth Catalog, 1974
付記:人間と機械のハイブリッド化
私たちはすでに、機械的なものによって身体を拡張しています。
- 車輪は、足の拡張として人間の移動速度を向上させました。
- メガネ、望遠鏡、顕微鏡は視覚の拡張です。
- コンピュータは脳の拡張で、脳と直結する域に近づいています。
AI は神になるのか?
AI が様々な場面で人間を超える能力を発揮するようになった今、AIは「人間を超越したもの」という点で「神」と同様の存在になりつつあります。人間にとって「超越者」とは何か。AI は神になるのか?
神は人類最初の発明
人間が発明したものの中で最もすぐれたものは「神」である
瀬名秀明(他),1998,「神」に迫るサイエンス, 角川書店
神の存在を措定して、その力によって社会を統治することは、法とその番人による統治よりもシンプルかつ効率的です。神の監視が効いている社会では、その秩序が自発的に維持されるという意味で、優れた発明と言えるかもしれません。
しかし異なる神を崇拝する集団間が対峙した場合、一方の神が他方にとっては邪悪な存在とみなされる場合があります。歴史を見れば明らかなとおり、宗教と戦争とは無関係ではなく、神の下に天使と悪魔は同時に誕生します*2。
神のようにふるまう AI
現代社会では、サイエンス、テクノロジーという名のグローバルな「原理」が、私たちの思考を洗脳しています。多くの科学者自身が語っているように、科学は現代において最も多くの信者を集めている宗教とも言えます。
私たちは、大量のデータ(根拠)にもとづく、収益の最大化や、効率アップを目指して、AI の判断を仰ぐようになっています。
AI の提案にもとづく経営判断、AIの提案にもとづく採用人事、AIの提案にもとづく医療行為、AIの提案にもとづく教育(学習)・・、より具体的には「AIの提案にもとづいて犯罪が起こりそうな場所をパトロールする」などの仕組みが、すでに運用されています。
あらゆる商品で「AI搭載」が宣伝文句になり得るという状況は、すでに人類が「自分で考えるよりAIに任せた方がいい」という思考停止状態になっていることを示しています。
例えそれが科学によって裏打ちされたテクノロジーであっても、「それを無条件に信用する」社会は、「宗教」に支えられた社会と同じ問題を孕むことになります。異なる「神」を崇拝する者同志が争うのと同様、異なるシステムに依存する者同士は争うことになります。つまり AI を「神」として無条件に受け入れる社会には、同時に「悪魔」の AI が誕生します*3。
居眠りする人間よりも AI 自動運転の方が事故は少ない。AI よりも「ヤバイ人間」の方がよほどタチが悪い・・だから AI を人間のコントロー下には置かず、AI を神として位置付ける方が安全だ・・という議論もありますが、私は「天使と悪魔は同時に誕生する」と考えるので、AI の起動・停止だけは、人間のコントロール下に置くべきであるという立場をとります。
AI が自分自身をアップデートしはじめる(シンギュラリティーの一種)前に、AI が暴走する前に、生じうる様々な問題を想像して、それに備える必要があるでしょう(生命倫理の問題と同様、利害が衝突することは容易に想像できるので、実際にはかなり困難なことだと思われますが・・・)。
AI をどのような存在として、この社会に組み入れるか・・技術の進歩の方が早過ぎて、社会的な合意形成ができていない状況を重く受け止めて、みんなが知見を深める場を設けていくことが必要です(この授業もその一環です)。
テクノロジーの外部費用
何かを作り出す際、その生産に直接関わる材料費や人件費以外に、それがもたらす副作用の処理に必要となる費用を外部費用といいます。一般に、テクノロジーの発展に伴って生じる外部費用は、テクノロジーによって生み出される利益よりも小さいと想定されているので、例えばそれが公害をもたらしたとしても、その処理にかかる費用は吸収できる・・と考えられています。短期的にはそうかもしれませんが、長期的には(持続可能かと言えば)そうではありません。
新たなテクノロジーが登場すれば、それがもたらす社会的な問題を解決するために、新たなインフラ、新たな法律とその番人が必要になる・・その負担は、テクノロジーの収益が社会にもたらす利益よりも結果的には大きくなります。
特殊なテクノロジーによって、副次的に惹き起こされた無秩序な状態は 別のテクノロジーを応用すれば一時的に解決がつくことはつく。 ところが、解決を得たのはいいとしても、それに必ず伴うのは 以前にもまして大きな無秩序の出現である。 再び、ジャック・エリュールの言葉を借りよう。 「技術が連続して生まれるのは、それ以前の技術が、 必然的に次の技術を生まざるを得ないように仕向けているからだ」 ・・これこそ、(熱力学)の第2法則であり、それ以外の何ものでもない。
エントロピーの法則, ジェレミー・リフキン
テクノロジーは未来を開いている・・と思われていますが、テクノロジーは、自らが生み出す無秩序(高エントロピー)を処理するために、さらに新しいテクノロジーを生み出さざるを得ないのです。つまり文明は「成長」という名の負のスパイラルの中にあるのではないか・・という視点も必要です。
我々が学ぶべきこと
産業革命以後の価値観の見直し
現代社会における多くの経済活動は、市場の原理によって動いています。競争があることが当然とされ、その競争に勝ち残るべく、あらゆる物事の「効率化」が優先課題となっています。
企業でも、スポーツでも、学校教育でも、人よりも高い数値を出すことが「良いこと」とされていますが、それで人は幸せになったのでしょうか。
競争が激化する中で、効率を優先すると「優秀な独裁者の出現」を期待するようになってしまいます。しかしこれが失敗することは歴史を見れば明らかです。
民主主義はもともと非常に効率の悪いものだ・・という認識は重要です。
様々な価値観がぶつかると物事は決まりません。しかし「目の前の問題に対処すべく物事がスピーディーに決まる」ことよりも、「取り返しのつかない愚かな決断を先送りすることができる」という点に、民主主義の価値はあるのではないかと思います。
グローバル化、選択と集中・・そうしたビジネスの世界のワードが学問の世界をも覆い尽くそうとしている現状には、個人的は危惧を感じます。
自然界を見れば明らかなように、多くの無駄が多様性を作り出し、それが全体のバランス維持と持続可能性に寄与しています。
我々人間は、何よりもまずレアな自然から学ぶという、謙虚な姿勢が必要なのではないでしょうか。自然の道理に合わない取り組みが成功するとは思えません。
予見と計画(想像と創造)
人類の脳において生まれた言語は、「意味生成」「存在喚起能力」を持ち、「不在の現前」(そこに無いものを思い浮かべるという「意識」特有の現象)を可能にします。
AI がもたらす未来を予見するとともに、持続可能な社会を計画するには、「言葉を使って考える」という、当面 AI には実現できないであろう、しかし、人間にとっては自然な能力を健全に養うことが必要だと思います。
Education First. マララ・ユスフザイ
残念ながら、日本の従来型教育は Education とは程遠く、Teaching, Training, Instruction, Indoctrination*4 が大半を占めます。つまり、大半は AI に代替可能なものです。
外部費用が嵩むとはいえ、現実にはテクノロジーの進歩を止めることはできず、私たちはこの先 AIとの共存関係を最適化すべく学び続けなければなりません。
みなさん個人の将来にとっても、AI に関する知見、AI を適正に活用する能力は必須のものとなります。
同時に、AI と人間とが、うまく協働できる社会の実現を目指すべく、自らを相対化し(「人間とは何か」についてメタレベルで思考し)、自らの動機で学び、知的に成熟して欲しいと願っています。
読書案内(再掲)
以下、極端に言えば、すべて考え方は異なります。何が正しいのか、そもそも正しい答えはあるのか、様々な考え方に触れて自分で考えるしかありません。
- 日本経済新聞社編, AI 2045, 日経プレミア
- 甘利俊一, 脳・心・人工知能, 講談社
- 新井紀子, AI vs 教科書が読めない子どもたち , 東洋経済, 2018
- 伊藤穰一, テクノロジーが予測する未来, SB新書
- 井上智洋, 人工知能と経済の未来 , 文芸春秋, 2016
- 宇沢弘文, 人間の経済, 新潮新書, 2017
- 小林雅一, AIが人間を殺す日, 集英社, 2017
- 落合陽一, これからの世界をつくる仲間たちへ, 小学館
- オードリー・タン, まだ誰も見たことのない「未来」の話をしよう, SB選書
- 斎藤 幸平, 人新世の「資本論」, 集英社新書
- ジェレミー・リフキン, エントロピーの法則 , 祥伝社 , 1982
- 瀬名 秀明 他 ,「神」に迫るサイエンス , 角川文庫 , 2000
- 孫泰蔵, 冒険の書
- 田中潤 松本健太郎, 誤解だらけの人工知能 , 光文社 , 2018
- 西垣通, AI原論 - 神の支配と人間の自由-, 講談社選書, 2018
- ニック・ボストロム, スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運, 日経
- マーティン・フォード(松本剛史訳), ロボットの脅威, 日経出版
- 松尾 豊, 人工知能は人間を超えるか, KADOKAWA
- 松本 徹三, AIが神になる日, SB Creative
- 松原 仁, AIに心は宿るのか, 集英社
- 丸山圭三郎, 言葉とは何か,ちくま学芸文庫, 2008
- 丸山俊一, AI以後, NHK出版新書
- 宮台真司, 14歳からの社会学―これからの社会を生きる君に, ちくま文庫
- 矢野和男, データの見えざる手, 草思社
- ユヴァル・ノア・ハラリ, サピエンス全史, 河出書房新社
- 養老孟司, 唯脳論 , ちくま学芸文庫, 1998
APPENDIX
- 参考:https://robotstart.info/2018/06/04/accenture-ai-report.html
- デジタルツールが「商品」としての画像や製品を自動生成する時代へ
Midjourney、Dream、DALL・E 2、3D Printer - 職業画家が失業するという状況は19世紀の写真術の登場時と同じ
- AI に勝てないからといってその文化が終わるわけではない(例:将棋)
- 芸術は「商品(奴隷)」から解放されて、新たな価値を創造する時代へ