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データサイエンス/14

第14回 総括|データサイエンスとAI

データサイエンス/2023?受講生一覧汎用シート

CONTENTS




はじめに

カテゴリを予測する AI の事例

統計処理の延長線上に AI がある・・ということを感覚的に理解してもらうためのサンプルです。以前行ったアンケートをもとに、性別を推定するNNモデルを作ってみました。

AI と共存する時代の学びについて

AI と人間

以下、私の学術経験にもとづく個人の見解です。批判的に聞いて下さい*1

絶対 vs 相対

機械が持つセンサーは、物理的な「絶対値」を得ることができます。例えば、重さや、長さの計測はもちろん、 GPSを使って地球上における自身の絶対座標を得ることができます。

一方人間は、重さや長さを正確に把握することはできないし、また、目隠しで放り出されると迷子になります。

人間の受容器は「相対的な関係」を把握することで「意味」を理解します。物事の意味や価値は所与のものではありません。文化や価値観の違いによって対象の捉え方や判断が変わる(善悪の判断すら変わります)・・これはデータが同じであれば同じ結論を出す機械とは異なる点です。


非身体性 vs 身体性

現在のAI 、ニューラルネットワークは、人間の脳をモデルにしていますが、言いかたを変えると、「脳だけ」をモデル化したものであって、そこには身体との連携が含まれてはいません。

機械は、外部との物質交換のない「閉鎖系」で、また、ハード(デバイス)とソフト(OS・アプリケーション)の分離・再構成も可能です。

一方、生物の身体は外部との交換を遮断できない「開放系」であるとともに、ハード(身体)とソフト(思考・記憶)が切り離せない関係になっています。脳という神経細胞のセットから思考回路や記憶だけを取り出して、他の個体に移植するといったことができない点で、生物は AIとは大きく異なります。

生物の脳は、身体から切り離すことはできず、自律分散的に協調する複数の細胞と関わっています。身体が発する痛み、消化器のはたらき、血液の循環状態、さらに言えば、身体を出入りする物質やエネルギーの作用も受けるのです。

非生命 vs 生命

AI は生命と言えません。理由は簡単。「死」が想定されていないからです。
「生」という言葉は「死」と対峙するかたちでその意味を担っています。

虚無 vs 意識(自己認識、自由意志)

そもそも「意識とは何か」ということ自体が「謎」なので、なんとも言えないのですが、AI が意識を持つか・・という点については個人的には懐疑的です。

AI に「意識があるかのような」振る舞いをさせることは可能で、それと対話する人間の側が「AIには意識がある」と感じることはあると思います。

非生命は、孤立系の中で静的に存在することが可能ですが、生命は定常開放系において動的に維持される身体をもつものであり、その意味で、意識も時間の流れの中においてのみ、動的な存在として立ち現れるものではないかと・・・

AI が人間と同じように意識を持つと仮定すると・・・

「いま・ここ」という身体性から切り離され、「死」のない世界(無時間的な世界)で動作する知能を「意識」とは呼ぶには違和感があります。


スゴイ vs 面白い(新奇性)

多くの人が「AIはスゴい!」と言います。でも人間が求めているのは「スゴい」の先にある「面白い!」です。お笑いタレントの過去の発言を収集して、受けそうなフレーズを作るといったレベルの「面白い!」であれば AI でも可能ですが、誰もやったことがない「新奇性」のあるコンテンツを作るのは難しい・・

AI は、過去のデータからニーズを汲み取る能力には長けていますが、未だかつて誰も見たことがないものは、ニーズを探っても出てきません。

顧客のニーズを探り、売上を向上させることが求められるビジネスの現場では、AI の活躍が期待できますが、こんなものがあったら面白いのではないか・・というヒラメキには、人間に特有の「おバカな思考回路」が必要です。

 Stay Hungry. Stay Foolish.    Steven Paul Jobs 1955-2011

Original:Stewart Brand, Whole Earth Catalog, 1974

付記:人間と機械のハイブリッド化

私たちはすでに、機械的なものによって身体を拡張しています。




AI は神になるのか?

AI が様々な場面で人間を超える能力を発揮するようになった今、AIは「人間を超越したもの」という点で「神」と同様の存在になりつつあります。人間にとって「超越者」とは何か。AI は神になるのか?

神は人類最初の発明

人間が発明したものの中で最もすぐれたものは「神」である

瀬名秀明(他),1998,「神」に迫るサイエンス, 角川書店

神の存在を措定して、その力によって社会を統治することは、法とその番人による統治よりもシンプルかつ効率的です。神の監視が効いている社会では、その秩序が自発的に維持されるという意味で、優れた発明と言えるかもしれません。

しかし異なる神を崇拝する集団間が対峙した場合、一方の神が他方にとっては邪悪な存在とみなされる場合があります。歴史を見れば明らかなとおり、宗教と戦争とは無関係ではなく、神の下に天使と悪魔は同時に誕生します*2

神のようにふるまう AI

現代社会では、サイエンス、テクノロジーという名のグローバルな「原理」が、私たちの思考を洗脳しています。多くの科学者自身が語っているように、科学は現代において最も多くの信者を集めている宗教とも言えます。

私たちは、大量のデータ(根拠)にもとづく、収益の最大化や、効率アップを目指して、AI の判断を仰ぐようになっています。

AI の提案にもとづく経営判断、AIの提案にもとづく採用人事、AIの提案にもとづく医療行為、AIの提案にもとづく教育(学習)・・、より具体的には「AIの提案にもとづいて犯罪が起こりそうな場所をパトロールする」などの仕組みが、すでに運用されています。

あらゆる商品で「AI搭載」が宣伝文句になり得るという状況は、すでに人類が「自分で考えるよりAIに任せた方がいい」という思考停止状態になっていることを示しています。

例えそれが科学によって裏打ちされたテクノロジーであっても、「それを無条件に信用する」社会は、「宗教」に支えられた社会と同じ問題を孕むことになります。異なる「神」を崇拝する者同志が争うのと同様、異なるシステムに依存する者同士は争うことになります。つまり AI を「神」として無条件に受け入れる社会には、同時に「悪魔」の AI が誕生します*3

居眠りする人間よりも AI 自動運転の方が事故は少ない。AI よりも「ヤバイ人間」の方がよほどタチが悪い・・だから AI を人間のコントロー下には置かず、AI を神として位置付ける方が安全だ・・という議論もありますが、私は「天使と悪魔は同時に誕生する」と考えるので、AI の起動・停止だけは、人間のコントロール下に置くべきであるという立場をとります。

AI が自分自身をアップデートしはじめる(シンギュラリティーの一種)前に、AI が暴走する前に、生じうる様々な問題を想像して、それに備える必要があるでしょう(生命倫理の問題と同様、利害が衝突することは容易に想像できるので、実際にはかなり困難なことだと思われますが・・・)。

AI をどのような存在として、この社会に組み入れるか・・技術の進歩の方が早過ぎて、社会的な合意形成ができていない状況を重く受け止めて、みんなが知見を深める場を設けていくことが必要です(この授業もその一環です)。



テクノロジーの外部費用

何かを作り出す際、その生産に直接関わる材料費や人件費以外に、それがもたらす副作用の処理に必要となる費用を外部費用といいます。一般に、テクノロジーの発展に伴って生じる外部費用は、テクノロジーによって生み出される利益よりも小さいと想定されているので、例えばそれが公害をもたらしたとしても、その処理にかかる費用は吸収できる・・と考えられています。短期的にはそうかもしれませんが、長期的には(持続可能かと言えば)そうではありません。

新たなテクノロジーが登場すれば、それがもたらす社会的な問題を解決するために、新たなインフラ、新たな法律とその番人が必要になる・・その負担は、テクノロジーの収益が社会にもたらす利益よりも結果的には大きくなります。

特殊なテクノロジーによって、副次的に惹き起こされた無秩序な状態は
別のテクノロジーを応用すれば一時的に解決がつくことはつく。
ところが、解決を得たのはいいとしても、それに必ず伴うのは
以前にもまして大きな無秩序の出現である。
再び、ジャック・エリュールの言葉を借りよう。
「技術が連続して生まれるのは、それ以前の技術が、
必然的に次の技術を生まざるを得ないように仕向けているからだ」
・・これこそ、(熱力学)の第2法則であり、それ以外の何ものでもない。

エントロピーの法則, ジェレミー・リフキン

テクノロジーは未来を開いている・・と思われていますが、テクノロジーは、自らが生み出す無秩序(高エントロピー)を処理するために、さらに新しいテクノロジーを生み出さざるを得ないのです。つまり文明は「成長」という名の負のスパイラルの中にあるのではないか・・という視点も必要です。



我々が学ぶべきこと

産業革命以後の価値観の見直し

現代社会における多くの経済活動は、市場の原理によって動いています。競争があることが当然とされ、その競争に勝ち残るべく、あらゆる物事の「効率化」が優先課題となっています。

企業でも、スポーツでも、学校教育でも、人よりも高い数値を出すことが「良いこと」とされていますが、それで人は幸せになったのでしょうか。

競争が激化する中で、効率を優先すると「優秀な独裁者の出現」を期待するようになってしまいます。しかしこれが失敗することは歴史を見れば明らかです。

民主主義はもともと非常に効率の悪いものだ・・という認識は重要です。

様々な価値観がぶつかると物事は決まりません。しかし「目の前の問題に対処すべく物事がスピーディーに決まる」ことよりも、「取り返しのつかない愚かな決断を先送りすることができる」という点に、民主主義の価値はあるのではないかと思います。

グローバル化、選択と集中・・そうしたビジネスの世界のワードが学問の世界をも覆い尽くそうとしている現状には、個人的は危惧を感じます。

自然界を見れば明らかなように、多くの無駄が多様性を作り出し、それが全体のバランス維持と持続可能性に寄与しています。

我々人間は、何よりもまずレアな自然から学ぶという、謙虚な姿勢が必要なのではないでしょうか。自然の道理に合わない取り組みが成功するとは思えません。

予見と計画(想像と創造)

人類の脳において生まれた言語は、「意味生成」「存在喚起能力」を持ち、「不在の現前」(そこに無いものを思い浮かべるという「意識」特有の現象)を可能にします。

AI がもたらす未来を予見するとともに、持続可能な社会を計画するには、「言葉を使って考える」という、当面 AI には実現できないであろう、しかし、人間にとっては自然な能力を健全に養うことが必要だと思います。

Education First.  マララ・ユスフザイ

残念ながら、日本の従来型教育は Education とは程遠く、Teaching, Training, Instruction, Indoctrination*4 が大半を占めます。つまり、大半は AI に代替可能なものです。

外部費用が嵩むとはいえ、現実にはテクノロジーの進歩を止めることはできず、私たちはこの先 AIとの共存関係を最適化すべく学び続けなければなりません。
みなさん個人の将来にとっても、AI に関する知見、AI を適正に活用する能力は必須のものとなります。

同時に、AI と人間とが、うまく協働できる社会の実現を目指すべく、自らを相対化し(「人間とは何か」についてメタレベルで思考し)、自らの動機で学び、知的に成熟して欲しいと願っています。



読書案内(再掲)

以下、極端に言えば、すべて考え方は異なります。何が正しいのか、そもそも正しい答えはあるのか、様々な考え方に触れて自分で考えるしかありません。

APPENDIX




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GUIDE

DATA


*1 というか、そもそも大学の講義というのは「教科書的な話(科学的な事実として認められていて、試験で問えるような話)」ではなく、研究者自身の仮説を含んだ個人の見解であるべきです。そうでなければ、世界一優秀な講師(ロボット)の動画を世界中の学生が見ればいい・・という話になってしまいます。それでは、学生自身が「自らの意思で考える」という、最も重要な学びの機会を奪ってしまうことになります。
*2 「宗教の対立が戦争の原因である」と言われることがよくありますが、戦争は非常に複雑な社会現象で、宗教だけに原因を求めるのは控えるべきでしょう。日本人の多くは「宗教」という言葉にアレルギーがあるようで、それを怪しいものと感じている方も多いようですが、超越的な存在を措定し、それを信仰することによって集団の秩序を維持するという発想は、人類に共通の普遍的なアイデアと言えます
*3 我々の思考は二項対立が基本で、「天使 / 悪魔」の概念は「生 / 死」と同様に、同時に生成されます
*4 Indoctrination という言葉は、教化と訳されますが、これは洗脳という言葉に近いものです。
*5 ORIGINは小説ですが、AIの現在(すでに実現されていること)と未来(それを目指して研究されていること)について、綿密な取材にもとづいて書かれたもので、未来を哲学したい人におすすめの一冊
Last-modified: 2023-12-25 (月) 11:17:54