ソーシャルデザインとは、人と社会が抱える様々な問題に「気づき」、「伝え」、そしてその解決策を持続可能な方法をもって「提案する」活動です。
まずは半径10m。自分が暮らす身近なところから世界を変えていく…。
21世紀を迎え、社会と学術の接点がますます広がっている。 学術の成果が社会を変え,変わった社会が学術の新しい在り方を求める という,ダイナミックな変化が起こりつつある。 そのプロセスは、一方では人類にますます快適な生活を保障するものの、 他方では環境問題を深刻化させ、人類の未来に暗い影を投げかけている。 「持続可能な発展」を実現することは、地球が有限であるという認識が 行き渡ったことから生まれた未来への手詰まり感を克服するため、 国際的に広く合意された課題である。 この困難な課題を達成するためには、あらゆる学術を動員すること、 またそれが効果的に行われるためには 「Science for Science(知の営みとしての科学)」と並んで 「Science for Society(社会のための科学)」を 認識評価するという学術研究者の意識改革が必要である・・。
17世紀に誕生した近代科学は、人間が立てた目的や求める価値を 知の営みから切り離し、純粋に客観的な立場から 自然を探求する立場を取った。 この立場は知の合理性を高めることに大きく寄与し、 自然科学だけではなく法学、経済学、社会学など 人文・社会科学系の分野にも受け継がれた。 「あるものの探究」は知のひとつの基本範型となった。 一方で人類は、近代科学の誕生以前から、その知的能力を用いて 農耕技術、建築術、医術などさまざまな実践的な技術を獲得し、 自らの生活や社会を向上させてきた。 技術は目的や価値を実現するための、「あるべきものの探求」であり、 近代科学によって合理的な基盤を与えられはしたが、 知の営みとしては一段と低い地位に置かれた。 「実学」という呼称はこのことを象徴している。 しかし、人類が直面する深刻な課題を解決するためには、 「あるものの探究」である科学と「あるべきものの探求」である技術が 統合されなければならない。それこそが学術の真の姿である。
山路を登りながら、こう考えた。 知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。 どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。 やはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人である。 ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。 あれば人でなしの国へ行くばかりだ。 人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。 越すことのならぬ世が住みにくければ、 住みにくい所をどれほどか、くつろげて、 束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。 ここに詩人という天職できて、ここに画家という使命が降る。 あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、 人の心を豊かにするがゆえに尊い。
私たちは数千年前まで小規模なバンド集団で「狩猟採集生活」をして暮らしていました。ホモ・サピエンスの30万年の歴史を遡れば、定住も農耕もつい最近のことといえます。
集団の形成原理は生物によって様々ですが、我々ホモ・サピエンスは、家族という血縁集団と、それが複数集まった共同体との二重構造を採用した特殊な生き物です。一般に社会性のある動物の脳のサイズは集団規模と正の相関を持ちますが、他の動物の脳のサイズと比較すると、人間の脳のサイズは狩猟採集社会の集団規模である 数十人から最大でも150人(ダンバー数)に対応します。
農耕文明以後の人類は、文字や画像といった外部記憶装置を持ったことで、脳のサイズを変えることなく集団の規模を急拡大させていますが、生物としての身体と心は、その後の世代交代(マイナーな進化)程度の期間ではそれに追随できるものではありません。狩猟採集生活において形成された集団の規模と構造、そこで育まれた共感・相互扶助・利他的行動といった社会的な原理は、生物種としての人類にとっては、今もなお適正なものだと感じます。
しかし近代になって、核化した家族が大都市に集合することで、共同体の機能は失われました。さらに現代では、情報端末の普及と、商業的戦略としての個室・個電・個食の拡大など、1人でも生きていける(引きこもることができる)環境が整いつつあることで、家族の存在感も希薄になっています。わずか数世代という短期間に、私たちを支えていた集団の原理は崩壊しつつあるといえるでしょう。もちろん、インターネット上につくられるバーチャルなコミュニティに新たな可能性を期待することもできますが、視覚と聴覚のみで形成される(身体性に乏しい)コミュニティに、生物としての人類が適応するには相当の時間を要するようにに思います。現状を見る限り、人は孤立し、心と身体を病む状況になっているのではないでしょうか。
インターネットの登場からわずか20年程度で、ヒトはその社会性における大きな環境の変化を体験しています。私たちはそれがもたらす影響の大きさに気づき、社会のあり方を リ・デザインする必要があります。
ダンバー数(Dunbar's Number)とは、人類学者ロビン・ダンバーが見出した「互いに親密な関係を築ける集団構成員の上限」のことで、その数は 150 とされています。これは人間のみならず他の動物も同様であると言われます。
集団の人数がダンバー数を超えなければ、構成員が自律的に行動しても秩序は保たれます。相互扶助が自然に機能する集団では、ルールを明示的に決める必要もなく、問題が生じれば随時対応・・という暮らしが可能です。
しかし、それを超える数になると、グループの団結と安定を維持するために、より拘束性のあるルールやノルマが必要になると考えられています*1。