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Society

社会

Society

社会という語は、日本古来の大和言葉にはなく、明治期(1877年ごろ)に西周(にしあまね)等が society の翻訳語として使いはじめたものと言われます。伝統的日本語では「世間」という言葉が近く、「世間の荒波」や「社会に出ると・・」などのように、一般に日本人は社会というものを近親集団の「外部」としてイメージすることが多いようですが、後述のとおり「社会」にはいくつかの存立様態の違いがあり、それらを俯瞰する視点が必要です。

CONTENTS




基本用語概説

社会(Society)とは  参考:デジタル大辞泉

社会制度(Social Institutions)とは

ページを独立させました。> SocialInstitutions

社会学(Sociologie)とは

社会科学(Social Science)とは

社会についての科学的な認識活動およびその活動によって生み出された知識の体系。「自然科学」、「人文科学」とともに学問領域の大きな3区分のひとつに位置付けられる。社会科学に分類される学問領域は、経済学、法学、教育学、政治学、社会学、国際、コミュニケーションなど。

社会関係資本(Social Capital)とは

人々の信頼関係や人間関係(社会的ネットワーク)のこと。

社会的共通資本(Social Overhead Capital)とは

すべての人の共通資産として社会的に管理・運営されるべきものを「社会的共通資本」といいます。経済学者宇沢弘文氏はこれを「広い意味での環境」として、以下の3つに分類しています。

付記:世間

日本には、個人でも社会でもない「世間」という言葉があって、「世間の目」(一種の同調圧力)がモラルを維持する役割を担っています。感染拡大下に「自粛」だけである程度の制御ができる日本は、世界の中でも珍しい存在・・

付記:文明と文化

異文化という言葉はありますが、異文明という言葉はありません。つまり、文化には多様性が想定されていますが、文明はグローバルな一元化が前提となっているのです。文明のホメオスタシスは「拡大・成長」しつづけます。歯止めのない成長は癌細胞と同様に、最後には自分自身を滅ぼします。
文明と文化



社会の存立の4形式

以下、社会の様態をわかりやすく説明する図式として、見田宗介氏による「社会学入門」に掲載されている図を紹介します。

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2軸上の用語

共同体 community

集列体 seriality

連合体 association

交響体 symphonicity

バイナリーコード

社会学では、社会類型や集団類型を2つ(バイナリー)に整理するキーワードが多く存在します。いずれも、1) 自然発生的に生じた基礎的なもの、2) 何らかの目的に沿って人為的に形成されたもの・・と説明することができます。





経済体制

生産、所得、消費に関する意思決定と、その意思決定実施のためのメカニズムと諸制度の組合せを「経済体制」といいます。一般に経済体制の違いは、資本主義社会主義共産主義など、◯◯主義という言い方で区別されます。

◯◯主義を標榜する国家や政党の印象がまとわりついていることで、多くの誤解があるようですが、◯◯主義というのは、どんな社会を理想とするかという価値観の違いであって、対象とする「社会」の規模や時代との適性もあるので、それ自体に「良し悪し」や「成功・失敗」があるわけではありません。

実際の社会は、それぞれの抱える問題を解消すべく、様々な方策がとられていて、単純な線引きができるものではありません。例えば、自由競争を基本とする資本主義の社会でも、資本主義が生み出す貧困から人々を救うべく、その多くが「社会保障」という社会主義的な制度を導入しています。


経済体制を特徴づける指標

資本主義(古典的資本主義)社会主義(集権的社会主義)
私的所有国有
分権集権
市場計画
物質的誘因物質的および精神的刺激

ちなみに「民主主義」という言葉は「政治体制」に関わる言葉で、別の話です。

資本主義 Capitalism

資本主義とは、個人や企業が利益を追求する「自由競争」のもとで、社会全体の利益も増大すると考える体制です。世界的には産業革命以後、日本では明治維新以後に導入されました。

封建制度に次いで現れ、産業革命によって確立された経済体制。生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。生産活動は利潤追求を原動力とする市場メカニズムによって運営される。キャピタリズム。

デジタル大辞泉

社会主義 Socialism

資本は国のもので、国がそれらを管理して平等にする体制。

1. 生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。空想的社会主義・共産主義・社会民主主義など。

2. マルクス主義で、資本主義から共産主義へと続く第一段階としての社会体制。各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる。1917年のロシア革命により、1922年に世界初の社会主義国家としてソビエト社会主義共和国連邦が成立したが、硬直化した官僚体制への不満などから1991年に崩壊した。

デジタル大辞泉

共産主義 Communism

資本や財産などをすべて国のものして共有する平等な社会体制。

1. 財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。古くはプラトンなどにもみられるが、現代では主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたマルクス主義思想をさす。

2. マルクス主義で、プロレタリア革命によって実現される人類史の発展の最終段階としての社会体制。そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされる。

デジタル大辞泉

社会主義と共産主義
社会主義では、企業が得た利益を国が管理し、国民の給料も国が管理して分配しますが、共産主義では、すべての利益をみんなで共有するという考え方で、国が管理する制度自体も不要・・という発想をとります。

経済体制は良い悪いの問題ではなく、価値観の違いによって選ばれるものです。現代では結果的に多くの国が資本主義を主軸に採用しています。



資本主義と成長の限界

私たちが暮らす日本の経済体制は(国民皆保険制度のような社会主義的要素を含む)「資本主義」です。

自由な経済活動ができる。モノの価格が市場競争によって変動する。好きな職業に就くことができる。労働に応じた報酬。成功すれば多くの富を手にし、失敗すれば貧困。人々の間に貧富の差がある・・など、それが私たちの「あたりまえ」になっているために、これまで資本主義そのものを自覚することはあまりなかったかもしれませんが・・

世界の事実上の標準である「資本主義」に触れた書物は多く存在します。みんなが納得のいくように社会を調整するというのは非常に難しいのですが、ひとまず、自分たちの社会を相対化して、その問題を自覚しておくことは大切です。

付記

市場社会は主として西ヨーロッパを中心に現れた特別な社会に過ぎないし、
・・江戸時代初期の恐るべき人口上昇に示されるように、
日本にも独自な形で発生したものと考えられる。
  :
しかし、それ以外のほとんどすべての人類社会にとって、
そのような市場社会への歴史的志向というものは存在しなかった。
  :
日本とヨーロッパは大なり小なり世界の先進的な経済圏を
形成することになったが、これはいわばガンにかかって活性化した細胞が、
ガンにかかっていない細胞を支配するといった手合のものである。

栗本慎一郎, 「市場社会への迷い道」『幻想としての経済』, 角川文庫


格差拡大

生産手段を持つ人が資本家、生産手段を持たず労働を売る人が労働者(経済奴隷)。格差拡大は資本主義の構造上の宿命です。資本の自己増殖によって、資本家と労働者との間には貧富の差が極限まで拡大します。

現代人の多くは、例えば「住宅ローン」の返済のために、奴隷制の時代よりも過酷な長時間労働にさらされている状況にありますが、富裕層はごく少数で見えにくいので、自分の状況を疑問に思う人が少ない・・というのが実情です。

奴隷の最大の特徴は「自分自身が奴隷であることに気付いていないこと」


民主主義を後退させるリスク

資本主義はそれ自体が強権と独占を生む性質を潜在的に備えています。富や既得権益の独占は、場合によっては産業構造や社会環境、さらには人々の生活様式まで無条件に変えてしまう力を持ち得る点で危険です。

社会が複雑化する中で、進歩を優先すると「優秀な独裁者の出現」を期待するようになってしまいます。しかしこれが失敗することは歴史を見れば明らかです。

民主主義はもともと非常に効率の悪いものだ・・という認識は重要です。

様々な価値観がぶつかると物事は決まりません。しかし「目の前の問題に対処すべく物事がスピーディーに決まる」ことよりも、「取り返しのつかない愚かな決断を先送りすることができる」という点に、民主主義の価値はあるのではないかと思います。

掠奪・成長 > 環境破壊・破綻

資本主義社会では、強者が弱者から掠奪することで「成長しつづける」のが前提となっているため、資源の掠奪が加速し、最終的には地球環境を破滅させてしまいます。今も、北半球に住む私たちの食料のために、南半球の土地が再起不能なまでに酷使されています。

科学技術の進歩が、資源の問題を解決する・・という楽観論もあるようですが、現実には技術の進歩によって効率が上がった分だけ、贅沢するので(燃費が良くなって車が安くなれば、同じ金を払って大きな高級車を買うので)、環境破壊は止まりません。

共有財産(コモンズ)が消えていく

競争によってより良いものを作ろうとする資本主義の考え方は、あらゆる公的な事業の「民営化」を進めます。結果、もともとタダであった共有財産(社会的共通資本)も、お金がなければ手に入らない・・という状態へとシフトしていきます。生きていく上で必要なもの(住まい、水、電気、医療、教育・・)も、お金がなければ手に入らない。市場の原理で民営化が進むことで、貧困問題はより一層大きくなっています。

資本主義社会では、お金があれば自由に財産(土地・生産力)を買うことができるので、地域が保有する「みんなの共有財産」も、お金で「私物化・希少化」する方向へ物事がシフトします。みんなの共有財産であったとしても、目の前にお金を出されたら「手放すことに合意がなされる」というのが現実です。

家族・親族・地域での「助け合い」という共有財産も、そのままではお金が動かないので、そうした関係を切って、お金で解決させる方向へと、物事がシフトします。介護ビジネスも「家族による助け合い」を「お金による解決」へシフトする発想によって成り立っています。

再生可能なもの・オープンなものが有効活用できない

水、地熱、太陽光などを地域の共有財産として、共同で発電に使えば、お金がなくても電気を使える生活ができるのですが、水、地熱、太陽光など、排他的に管理できないもの(つまり占有できないもの)は、「私物化・希少化」しにくいという点で、資本主義のしくみに馴染みません。結果、資本主義の発想を前提とする限り、再生可能エネルギーへの移行はなかなか進みません。



問題は本質はどこにあるのか

多くの社会が資本主義経済体制で動いている中で、それを根本から変えるのは無理かな・・と。どのような経済体制にもメリット・デメリットがあるわけで、採用された体制の中で、それが抱える問題の本質を見出し、その影響をいかに最小化するか・・。現状の経済体制をいかにアップデートするか、その検討が必要なのかなと思います。

成長神話

最も大きな論点は、資本主義が抱え込んだ「成長を前提とする」という仕組み。幸福を目的とした成長であればまだましですが、成長自体を目標にすると、必要のないものを生産し、希少性で価格をつりあげて販売し、その利益でさらに不要なものを作り続ける・・という成長の急加速が生じてしまいます。「成長」という言葉自体には悪いイメージがないので、それを疑う人が少ないのですが、生物一般に成長・拡大はキャリング・キャパシティの範囲にとどまるものだし、成長しつづける細胞は「ガン」と呼ばれます。

近年「脱・成長」というワードが登場し、成長それ自体を目的・目標とするような発想を変えようという動きが出てきていますが、資本主義と成長はセットなので、脱成長というと反・資本主義みたいな感じになって、意見は猛烈に対立するとともに混沌としています。> Google:脱成長 賛否

ちなみに「成長」は資本主義と同時にはじまったのではなく、人類が農耕に着手し、生息域を拡大しはじめたときから、そのポジティブ・フィードバックが効いています。原罪は「農耕」にあった・・という話もあるぐらいです。

富裕層の行動

もうひとつ大きな問題といえば、資本主義に便乗して必要以上に富を得ようとする人たちの存在。「世界の富の半分以上を、1%の富裕層が占める」的なデータがあちこちにありますが、金の動きは資源・エネルギーの動き、また温室効果ガスの排出量とも強く相関するもので、今日の環境問題の大半は、この人たちが引き起こしていると言っても過言ではありません。

さて、人間はみな利己的で、後先考えずに資源を食い尽くすのでしょうか。

2014年にハーバード大学とイエール大学のチームが「人は限りある資源を将来世代と共有しようとするか・・」について「世代間商財ゲーム(IGG)」を使って調べた研究では、ざっくり言うと以下のような結果が得られています。
Oliver P. Hauser 他, Cooperating with the future, 2014, Nature

世界の悲惨な現状が人類の総意に基づいて進行しているとすれば、このゲームでは、多くのプレーヤーが目先の利益のために資源を食い尽くすと想像されるのですが、実際には逆で、多くの人が持続可能な選択をするという結果です。

要するに、今世界が持続不可能な状況になろうとしているのは、資本主義そのものの問題というより、資本主義の仕組みに便乗して好き勝手するタイプの人間が一定数いて、それが民主的ではないやりかたで世界を動かしているからだと想像できます。実際、現在の政治体制は、表向きは民主主義ですが、人々の考え方が反映されるというより、特権的富裕層の意向が反映されている・・。本来の意味で民主的な政治が実現されれば、現状は変わる・・ということかと思います。

ちなみに、生態学者が「定常経済」と呼ぶのは、

で、これ、昔も今も、自然と共に暮らす人々が普通に考えていることで、これに反すれば神様が怒る・・・とてもシンプルで賢いと思います。

資源という言葉

欧米由来の近代教育を受けた現代人は、「資源」という言葉を何の違和感もなく使っていますが、そもそも人間と自然を分けて、人間が自然をコントロールできるとする発想自体に無理があります。自然界は人間のための資源ではありません。「自然の恵をいただく」という表現ならまだしも、「資源の配分」みたいな表現になった時点で、思い上がりを反省する必要があります。

狩猟採集の暮らしを持続させている人々は、昔も今も、人間と自然を分けるという発想はなく、生き物も器物もみな、そこに精霊を宿した仲間です。

そこにあるのは、人間が自然を利用するという発想ではなく、人間と自然との間で交換が行われているという発想です。よって「与えられた以上に取ってはならない。そして返礼をしなければならない」というのが、自然に育まれるモラル・・ということになります。

害獣・害虫・バイ菌といった言葉

生物はすべて生態系に関わっているので、人間の都合で駆除すれば、必ずバチがあたります。最近やたらと「除菌」という言葉を耳にしますが、人間は腸内細菌や皮膚常在菌と共生しているわけだし、もっと言えば、わたしたちの細胞には、太古の昔に寄生したミトコンドリアという、私たちとは異なるDNAをもった生き物がいて、酸素からエネルギーをつくってくれています。私の体ひとつとっても、それ自体が大自然なわけで、私の意志によってコントロールできるものではないということを自覚する必要があるでしょう。

付記:希望へのヒントは「島暮らし」にある

これは、今から数千年前、アジア大陸から太平洋の島々へと移り住んだオーストロネシア人の歴史から得られた知見ですが、彼らが大陸で身につけた農耕文明の発想を島に持ち込んだところ、多くが立ち行かなくなったと言われています。
> 参考:Google:イースター島の悲劇 森林破壊Google:森林 漁業

大陸には広大な土地があって、その資源を多少多めに採取しても、その影響がすぐに出ないために気づかないのですが、島のような小さな空間では、過剰な開発をすればすぐに生態系が破綻します。島々を移り住みながら「必要以上に採取しすぎてはいけない」ことを肌で学んだ人々だけが、持続可能な暮らしを実現したというのが現状です(ただし、今また文明の波が開発・破壊を進行・・)。

一方で、世界経済を動かしている先進国(私たち日本人も)、特に大陸に住む人たちは、開発がもたらす影響を肌で感じることがあまりありません。そもそもその開発は自国の国土ではなく、南半球(グローバルサウス)で行われているのでなおさらです。

地球上の大陸も、サイズに限りのある大きな島です。小さな島で起こることは、やがて地球全体で起こります。

インターネットによる情報共有が進んだおかげで、俗に経済的先進国と呼ばれる国の人たちも、地球で何がおきているのかを知る機会は増えましたが、何の罪悪感もなく牛肉を食べている現状をみると、何もわかっていない人が圧倒的に多いと言わざるを得ません。
> 参考:Google:放牧 森林破壊Google:牛のゲップ 温室効果ガス

つまり、地球規模で物事が動いていると、生態系の危機に気づかない。逆に、島のような小さな環境に暮らしていると、資源の採取や廃棄に関する限界が肌感としてわかるので、持続可能な暮らしに関する知恵が育まれるわけです。
>参考:https://www.brh.co.jp/publication/journal/061/talk_index

その意味では日本も島国なので、大陸ベースの国に比べると、生態系を破壊しない生き方に関しては、賢い知恵を育んだはず。おそらく小さな島ほど、賢い暮らしをしている可能性が高く、そこに社会の在り方を考え直すヒントがあるのではないかと思います。日本語に「Mottainai」という言葉があることを考えると、賢者の知恵は目の前にころがっているのかもしれません。



経済に関わる新たなキーワード

従来型の経済システムが立ち行かなくなる状況の中で、近年新たな概念として、循環型経済や共有経済などが注目されるようになりました。

循環型経済

循環型経済(Circular Economy)とは、再生し続ける経済環境を指す概念で、製品・部品・資源を最大限に活用し、可能な限り永続的に再生・再利用し続ける経済システムです。

従来の Take(資源採掘)> Make(生産)> Waste(廃棄)という「直線型経済システム」ではなく、稼働していないモノや空間、ゴミと思われているもの資源として循環させる経済の実現を目指すものです。

循環型経済において新たな「富」を生み出すと期待されるのは、廃棄物だけではなく、会議室(空間)・自動車(移動体)・日用品など、「稼働していない」「使われていない」資産や天然資源も含まれます。インターネットを活用した情報の共有により、効率的な資源の活用を目指す発想で、次に紹介する「共有経済」の考え方とも重なる部分が多くあります。

共有経済

共有経済(Sharing Economy)とは、人、モノ、場所などの使われていない資産を、インターネットを介して必要とする人につなぐ、あるいは、1つの資産を多くの人たちと共同で利用する仕組みのことです(オープンソースプロジェクトはその代表と言えます)。 企業が対価をとってサービスやモノを提供するのではなく、個人間で様々な資産を交換することが基本。このアイデアは双方にとって経済合理性が高く、共有経済は急速に拡大しています。

共有経済の特徴は、限界費用が極限まで0に近づくということです。ジェレミー・リフキンは「限界費用ゼロ社会」の中で、社会経済における財やサービスの多くが限界費用0に向かって進行し「利益」が枯渇する様を説明しています。資本主義が目指した生産効率が極限まで上昇した結果、言い方を変えれば資本主義が成功した結果、それ自身が終焉を迎えつつあるのかもしれません。



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Last-modified: 2020-02-21 (金) 14:43:16