文明と文化
Civilization & Culture
はじめに
異文化という言葉は一般的でが、異文明という言葉はあまり使いません。つまり、文化はその多様性を前提としていますが、文明はグローバルな拡大一元化(標準化)が前提となっている・・ということです。
- 文明(Civilization)
- 生活環境とその管理システム
- 都市空間、交通システム、情報システム、法制度、政治システムなど、
- 文明は(効率化のために)多様性を捨てて拡大(標準化)していきます
- 文化(Culture)
- 生活様式と精神活動
- 言語・衣・食・住・技術・学問・芸術・道徳・宗教など
- 文化の多様性は相互に尊重されています
文明社会というものを、定常開放系とみなして、そのホメオスタシス(恒常性)を考えた場合、それが基本的に外部に負荷を与えつつ内部を拡大することでしか生きながらえることができない存在であることは、歴史を見れば明らかです。
つまり、文明社会は、自然界における定常開放系とは異なり、サスティナブルな存在としての体をなしていないということです。
ヒトに特有の「過剰」
文化も文明も、ヒト特有の無駄に発達した前頭葉が作り出す「過剰」の産物と言えます。生物として自然に適応する分には必要のない過剰性。これが他の動物にはない「共同幻想」、「生息域の拡大」、「環境収容力の拡大」、「個体数の爆発的増加」という現象を生み出したのです。
- 文明は過剰の産物です。祭礼目的で生み出された余剰な食料によって、環境収容力が上昇し、それが 人口増 > 生産増 という「成長のスパイラル」につながりました。しかしその社会は「成長し続けることでしか安定を保つことができない」というやっかいな存在で、地球という限られた環境の中では、やがて破綻するしかないという運命を抱えているように感じます。
- 文化も過剰の産物です。生命維持には不要な情報刺激で「脳」を動かして喜ぶ。これが、言葉・物語・音楽・絵画の起源です。しかし、こうした精神的な活動は資源・エネルギーを浪費することはなく、大量の廃棄物を作り出すこともありません。
自然(ピュシス)を支配・制御するために、資源・エネルギーを使って環境を変えていく「文明の過剰」は地球を破滅に導いてしまいます。人類が農耕革命、そして産業革命によって拡大し続けた時代の常識に No! を突きつけるとともに、ピュシスに寄り添う「文化の過剰」をもって喜びとする(足るを知る)生き方を模索する必要があるのではないでしょうか。
相関する対立概念
- 文明 - 文化
- 成長 - 成熟
- 一元化 - 多様化
- 日常 - 非日常 自動車専用道路 - 歩行者天国
- 禁忌の順守 - 禁忌の侵犯 人は歩いてはいけない - 人が自由に歩く
- 富の溜め込み(生産) - 富の蕩尽(消費) ドミノを並べる - 倒す
富とは蕩尽されるべく溜め込まれたもの。無くならないものは富にはなり得ない。例えば、複製によって永続性をもつ「情報」には富としての性質はない。 - 庶民 - 貴族
- ケ - ハレ(柳田国男)
- 中心 - 周縁(山口昌男)
- 俗 - 聖(エミール・デュルケーム、ミルチャ・エリアーデ)
- 市場交換(等価交換)- 再分配 - 贈与交換(贈与と返礼)
- 無縁化(孤立) - 有縁(絆)
- テクノロジー - デザイン - アート
- 実学 - リベラルアーツ
- プログラミング言語・実用言語 - 言葉 - 詩的言語・歌詞
詩的言語、歌詞とは、要するに国語のテストでは X となるような言葉の配列構成 - 音楽産業 - 音楽
音楽の商品化は、米・ビルボードによる「ヒットチャート 」にはじまる。ミュージシャンとレコード会社と契約が「悪魔との契約」として描かれるのは、音楽が商品と化したことに対するアーティストの怒りの現れ。 - 映画産業 - 映画
- 教育産業 - 教育
ハードとソフト
ハードにもソフトにも、文化の成熟と文明の成長に貢献する両面性があります。
- ハード
- 道具(和の道具)は人間の技量を成熟させる
- ハードウエア部品は効率化のために標準化する
- ソフト
- 言語は文化の成熟に貢献
- ソフトテクノロジーは効率化のために標準化する
文字の2面性
文明の成立には、文字による情報の蓄積と継承が大きく寄与しています。
文明と文化に関わる文字の2面性ついては以下のページへ転記
- 神はなぜ世界中の言語をバラバラにしたのか> 文化の多様性を維持する知恵
文明という「病」に関するMEMO
時間
神話や経典が伝える内容には、世界はどんどん悪くなり、やがて「終末」や「末法」を迎える・・というものが多くあります。それぞれを詳細にみれば、単に人類が破滅するという意味ではないようですが、いずれにしても、当時の人々にとっては、今私たちが感じているような「時間とともに社会は進歩する」とか「暮らしのレベルが成長する」という感覚はなかったのではないでしょうか。
農耕がはじまると、気候の周期性が意識され、時間感覚は「循環」に変わります。生活技術の進化も目に見えないほどゆっくりだったので、成長というより、同じことの繰り返し・・というイメージだったのかもしれません。
産業革命以後、テクノロジーの進化は体感できるほど速くなりました。私たちは現在「どんな問題も、テクノロジーの発達によっていつかは解決される」、「生活はどんどんよくなるはずだ」という世界観(誤解)の中で生きています。
しかし残念ながら、文明社会はますます複雑怪奇で制御不能な状況に陥りつつあるというのが現実です。将来の技術が問題を解決してくれるだろう・・と、後先考えずに見切り発車するような技術の導入が、結果的に処理できないゴミを地球上に溜めつつある事実を見れば、それは明らかでしょう。
それは「エントロピーの法則」つまり、
エネルギーや物質は、使用可能なものから使用不可能なものへ、 秩序のある状態から、無秩序な状態へと変化する(覆水盆に返らず)
という物理の絶対真理(その他の法則は暫定真理)によって説明されます。
物理現象には一般に対称性(+ と- のバランス)が存在しますが、時間は一方向にしか流れません(不可逆過程)。加速する成長がもたらすのは、処理できないゴミ、無秩序、混乱です。
テクノロジーの外部費用
Entropy のページから引用
何かを作り出す際、その生産に直接関わる材料費や人件費以外に、それがもたらす副作用の処理に必要となる費用を外部費用といいます。一般に、テクノロジーの発展に伴って生じる外部費用は、テクノロジーによって生み出される利益よりも小さいと想定されているので、例えばそれが公害をもたらしたとしても、その処理にかかる費用は吸収できる・・と考えられています。しかし現実はそうではありません。
テクノロジー(+資源・エネルギー)によって新たな製品や仕組みが作り出されるときには、それによって得られる秩序(低・エントロピー)よりも大きな無秩序(高・エントロピー)がもたらされます。
新たなメディアが登場すれば、それがもたらす社会的な問題を解決するために、新たな法律とその番人が必要になる・・その負担は、メディアの収益が社会にもたらす利益よりも大きいのです。
特殊なテクノロジーによって、副次的に惹き起こされた無秩序な状態は 別のテクノロジーを応用すれば一時的に解決がつくことはつく。 ところが、解決を得たのはいいとしても、それに必ず伴うのは 以前にもまして大きな無秩序の出現である。 再び、ジャック・エリュールの言葉を借りよう。 「技術が連続して生まれるのは、それ以前の技術が、 必然的に次の技術を生まざるを得ないように仕向けているからだ」 ・・これこそ、(熱力学)の第2法則であり、それ以外の何ものでもない。
エントロピーの法則, ジェレミー・リフキン
薪(バイオマス)では足りなくなり、石炭を活用する。それでも足りなくて石油を掘り出す。そして原子力。古い燃料よりも新しい燃料の方が、エネルギーの取り出しにかかる手間とエネルギーは大きく、それに伴う外部費用も大きくなります。人類が農耕をはじめて、その環境収容力を拡大しはじめたことが間違いのはじまりでした。テクノロジーは未来を開いている・・と思われていますが、テクノロジーは、自らが生み出す無秩序(高エントロピー)を処理するために、さらに新しいテクノロジーを生み出さざるを得ないのです。つまり文明は「成長」という名の負のスパイラルの中にあります。
狩猟採集民の争いと文明社会の戦争
狩猟採集社会にも争いはありましたが、それは食料資源の獲得にともなうもので、必要以上に近づき過ぎた場合や、気候変動で食料不足になった場合、すなわり争う本人自身に争いの動機がある場合に限られていたと考えられます。
一方で、農耕社会における争いは、支配者の「拡大欲望」にもとづく意思によって統率された集団同士の争い(支配者間の争い)であり、兵士自身に相手を殺す意思はありません。これは企業間競争でも同じで、争っているのはトップ同士であって、社員は、他社の社員を陥れたいとは思っていません。
付記:現代人の楽しみは狩猟採集時代と変わらない
獲物や珍しいものを追いかけて歩き回る楽しみ・・それは現代人にも共通
- 写真を撮る(Shooting)= 猟銃で撃つ・弓矢で射る(Shooting)
- 買い集める(Collection)= 採集する(Gatherin・Collection)