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AI_vs_God のバックアップ(No.5)


AI は神になるのか?


はじめに議論の前提を確認します。私は人間という存在を「本能が壊れた生き物」であり、本能に替わるものとして「言語によって構造化された擬似現実(共同幻想)」を共有することで、自然界に適応している・・と考えています*1

神々の物語(フィクション)は、世界各地で同時多発的に進化した言語ととにあるもので、人間が、異なる言語(文化)で分断されている以上、その世界認識の違いや価値観の違いがもたらす揉め事を 0 にすることはできません。

重要なことは、一つの言語、一つの共同幻想で世界を統一することではなく、異なる言語、異なる共同幻想、異なる価値観の存在を、お互いに認めあうということ。「わかりあえるはずだ」という前提に立つのではなく、「わかりあえない」ことを前提に、言葉を交わしながら共有部分を広げるとともに、お互いの価値観の違いを認め合うしかありません。世界中のみんなが、自らを相対化し、多様性を認めるというメタレベルの思考ができるようになることが、重要であると考えています。

神は人類最初の発明

神々の物語というフィクションをみんなが共有するという「認知革命」以後、人類は「神の言葉」によって世界を捉え、物事を判断していました(現代における「科学」は最も信者の多い「宗教」とも言えます)。

神の存在を措定して、神の教えに従って社会を統治することは、法を整備するよりもシンプルかつ効率的。自分たちが神の監視下にあると感じる社会では、人々のモラルは自発的に維持されます。

悪いことすると罰があたりますよ。天国に行けませんよ。

例えば、身の回りのいたるところに神様がいて(八百万の神)、悪いことをすれば罰があたる・・という感覚を多くの人が共有していることが、日本人のモラルの根底にあるのではないでしょうか*2

しかし異なる神を崇拝する集団間が対峙した場合、「こちらの神」が「あちらの悪魔」とみなされる場合があります。歴史を見れば明らかなとおり、宗教と戦争とは無関係ではなく、神と悪魔は同時に誕生します*3

神のようにふるまいはじめた AI

現代社会では、サイエンス、テクノロジーという名のグローバルな「原理」が、私たちの思考を洗脳しています。

私たちは、大量のデータ(根拠)にもとづく、収益の最大化や、効率アップを目指して、AI の判断を仰ぐようになっています。

AI の提案にもとづく経営判断、AIの提案にもとづく採用人事、AIの提案にもとづく医療行為、AIの提案にもとづく教育(学習)・・、より具体的には「AIの提案にもとづいて犯罪が起こりそうな場所をパトロールする」などの仕組みが、すでに運用されています。

あらゆる商品の宣伝文句として「AI搭載」がまかりとおる状況は、すでに人類が「自分で考えるよりAIに任せた方がいい」という思考停止状態になっていることを示しています。

神(信仰)への依存は、思考停止を加速する

「罰があたりそうだからやめておこう」という程度のものであれば、人間は考えることを止めませんが、それが体系化されてテキストとなり、「それに従う方が楽だ」となると、人間は思考停止状態になってしまいます。

例えそれが科学的な知見によって裏打ちされたテクノロジーであっても同じ。それを無条件に信用する社会は、かつての「宗教」に支えられた社会と同じ問題を孕むことになります。

神と悪魔は同時に誕生する

AI を「神」として無条件に受け入れる社会には、同時に「悪魔」の AI が誕生します*4。異なる「神」を崇拝する者同志が争うのと同様、異なるシステムに依存する者同士は争うことになります。

居眠りする人間よりも AI 自動運転の方が事故は少ない。AI よりも「ヤバイ人間」の方がよほどタチが悪い・・だから AI を人間のコントロー下には置かず、AI を神として位置付ける方が安全だ・・という議論もありますが、私は「神と悪魔は同時に誕生する」と考えるので、AI の起動・停止だけは、人間のコントロール下に置くべきであるという立場をとります。

AI が自分自身をアップデートしはじめる(シンギュラリティーの一種)前に、AI が暴走する前に、生じうる様々な問題を想像して、それに備える必要があるでしょう(生命倫理の問題と同様、利害が衝突することは容易に想像できるので、実際にはかなり困難なことだと思われますが・・・)。

AI をどのような存在として、この社会に組み入れるか・・技術の進歩の方が早過ぎて、社会的な合意形成ができていない状況を重く受け止めて、みんなが知見を深める場を設けていくことが必要です。



APPENDIX

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参考文献