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井上友子/ごまめのはぎしり

ごまめのはぎしり




2023.3.1

「おもひで」vol.3.
お久しぶりでございます。
皆さんお変わりありませんか?
ところで、昨今ゼミ生とわたくしは神事を記録するために香椎宮に毎週伺っております。
不謹慎ながら、権禰宜さんにカメラを向けているときに聞こえてくる和太鼓を打つ音でしばしば昔の記憶がフラッシュバックするのです。
5年前の夏、チェコの首都プラーク(Prague)のど真ん中を通るヴァーツェラフ通り沿いのコンドミニアムに着いた夜のことです。その日は中央ヨーロッパでもたった1週間ほどしかない30度超えの1日で、タクシードライバーからも「you're lucky」と言われたほどとても暑かったのを覚えています。日本の蒸し暑さから逃亡した我々にとっては「lucky」とは言えない環境だったのですが。。。。。
高級ホテルを除きエアコン(冷房)の設備がほとんどないヨーロッパでは、たった1週間とはいえ慣れない蒸し暑さにほとんどの家が全開の窓から「そよ」と吹く風に「涼」を得て、短い夏を楽しみます。
わたくしたち夫婦もその土地の風習に倣い窓を開けて休みました。
すると「ぽんぽこぽんぽこ…」という音が聞こえてきて耳に障ります。長時間の移動で疲労困憊していたので睡魔が襲うのですが、「ぽんぽこぽんぽこ」で覚醒し、窓を閉めると蒸し暑さがわたくしたちの安眠を妨害します。結局朝まで、「ぽんぽこぽんぽこ」と「蒸し暑さ」との闘いに明け暮れました。
翌日、寝不足の目をこじあけて隣のマーケットに食材を買いに行くと、エレヴェーターで二人の男性に出くわしました。エレヴェーターで見知らぬ男性と出会うと通常、降りてしまうのですが、その時は危険を感じなかったので、そのまま乗っていると、彼らのうちの一人が「あら?あなたもパレードに参加したの?」と優しく尋ねてきました。「いいえ」と答えたものの、質問の意味はわかりません。
しばらくすると、ヴァ―ツェラフ通りはレインボーの幟や旗が翻り、ひしめく人だかりと山車であふれ、パレードが始まりました。中には「ABBA」のプレートを掲げた4人の歌手が山車の上で見事はハーモニーを奏でながら移動しています。
しかし、見事なハーモーニーに酔いしれたのはほんの数秒でその後は「ぽんぽこ」どころか「ジャンジャン」「ゴンゴン」「ワーワー」「プープー」ど、様々な喧騒音が入り混じった状況に一変しました。
その時、昨夜の「ぽんぽこぽんぽこ」は、このパレード(Prague Pride)に参加する人がボンゴを練習する音だったのだと気づきました。
その後プラークには1週間ほどしか滞在しませんでしたが、厳しい市井で生きていかなければならない人々の日常を垣間見て、日本とも他のヨーロッパの都市とも異なる文化が継承されていることに地球の広さを感じました。

2022.9.8

「おもひで」vol.2.
サモエド犬に譬えられるとある大学院生さんからの勧めで学生時代の経験談を書いてみました。

わたくしが茨城県のつくば市というところにあるやたらと大きい大学に通っていた時のことです。
「放浪壁」のあるわたくしは夏休みになると一人で「ふら~~」とどこかに行きます。両親には「ちょっといなくなる」とだけ電話で告げ、両親は「またか。。。」という反応でした。
オランダでアメリカ人、カナダ人、オランダ育ちの日本人??と会い、意気投合。日にちを決めて「オーストリアで会おう」ということになりました。オーストリアでは大学のドミトリーに300円(/1日:当時の日本円換算)で宿泊し、あちこちふらつきました。最初にドミトリーについたわたくしは2段ベッドの下で休んでいると、飢えた「蚊」が栄養不良のわたくしに寄ってたかりました。30分ほど「オーストリアの蚊」と戦っていると、カナダ人の栄養満点の女子が現れ、わたくしは救われました。オーストリアではクラシック音楽三昧でした。その後4人でドイツに行き、わたくしを除く3人はビヤホールで浴びるほどビールを飲み、ザワークラウトとソーセージを食していました。そのころのわたくしは、今と違いお肉もお酒をいただかなかったので、一人でドミトリーに帰りました(ドイツでもドミトリーに宿泊していました)。そこで、なんと、とても怖い経験をしました。金髪中年の太った「おじさん」がいつも視界にいるのです。「はて??」と思い、ウィンドーショッピングをしたふりをしてガラス越しに背後を見るとやはりいます。恐怖を感じました。その瞬間、わたくしは「走った。走った!」。自慢ではありませんが、逃げ足は速いのです。あちこちより道をして、「おじさん」をまき、ドミトリーについて電気をつけずに窓の外をのぞくとちょっと離れたところで「きょろきょろ」していました。「あ~。危なかった」。そんな、無謀な経験は数知れずです。
皆さん、「逃げる」トレーニングを欠かさずに!!これ、教訓です。

ちなみに、旅行の話をしてもこの経験は両親には内緒でした。こんなことを言ったら、母は目を白くして卒倒したことが分かっていたからです。嘘も方便。

2022.8.26

「おもひで」vol.1.
寄る年波には勝てないものです。突然、むか~~~しのことを思い出しました。

わたくしが小学校2~3年次の頃、マニラという都市にいました。
白壁の家の外には長い銃を斜めに持った二人の青年が門の外を見張っています。
わたくしはいつも監視されていて、一人でふらふら出ようとすると、血相変えて人が追いかけてきます。
その町の衛生状態はあまりよくありませんでした。
ある日、家のすぐ前の道路で「ケンケンパ」をしていると、大きな洗面器ほどのサイズの「落としもの」を見つけました。
興味半分に踏んでみると、その物体は柔らかく、足が「ずぶずぶ」と入り込み、靴も靴下もひどい匂いです。
片足でぴょんぴょん飛びながら家に帰り、靴を脱ぐと「リナさん」(当時、家の面倒を見てくれたやさしい女性です)がわたくしの靴を洗ってくれました。
しゃがんでその光景を見ていたら、仕事から帰ってきた父が「自分で洗いなさい」と言います。
その時わたくしは「そっか、自分でしでかしたことは自分で始末しないと怒られちゃうんだ」と思いました。
なかなか、良い人生訓を学びました。

2022.8.12

「昨今の交通事情」
8月10日14:30頃のことです。二人の学生さんとお昼をすませ、とあるショッピングモール1階にある「☆b・・・s」で頭が痛くなるほどの「甘~~~い飲み物」をいただいていました。わたくしの向かい側に座り嬉しそうに「甘い~~い飲み物」を口に運んでいる181cmの男子大学院生の頭の右から左にかけて紺色のモノが一瞬通り過ぎました。何かの見間違いかとボー然としていると、反対方向から同じ現象が起こりました。「何!」と身を乗り出すと、前に座っていた二人の学生さんが彼らの背後を振り向きました。でも、そのときにはすでに日常のモールの通路になっています。

わたくしが見たのは確かです。「爆走する車いすの高齢者」

昨今のシッピングモールはのんびり歩いていられない場所になったことを改めて学びました。皆さんも予期せぬ交通事故に巻き込まれないようにお気を付けください。

2021.2.15

「さぶい」
「寒い」を意味する「さぶい」は「片付ける」を意味する「かたす」と同じいわゆる江戸弁で、井上家では日常使用の言葉でした。子供の頃「ひ」の発音を家庭生活の中で擦り込まれていない井上家の会話はまさしく落語のようで、おまけに家族中、短気なので人の話など聞いちゃいません。
さて言葉といえば、若い人の間で「お疲れ様」と言うのをよく耳にします。朝であっても、夕方であっても「お疲れ様」です。おそらく挨拶の代わりに使用しているのだろうなあ…と推察します。でも、、わたくしの浅薄な知識では、「お疲れ様」とは「仕事に没頭している人に向かってその労をねぎらう言葉」「大変な仕事をやり遂げた人の努力を称える言葉」という認識なので、朝の挨拶として軽く言われるととても違和感があります。
もちろん、言葉は「いきています」から、時代ごとに様相を変え、使用法を変えるのは当然です。ドイツとオーストリアで使用されるドイツ語が違うことを見れば、わかります。100年毎に言葉の概念を改定する国と近世以降あまり変えていない国との差は大きいのです。イギリスでも日常生活の中で中世英語をお話しする人にはあったことがありませんし、日本でも、平安時代や鎌倉時代の言葉で会話する人などいません。しかし、同じシテュエーションでも語源がわかっていて使用するのと、そうでない場合では自ずと選ぶ言葉が変わってきます。
デザインに関わっていると、インパクトのある言葉をキャッチフレーズに使用しようと考えたり、人の注意を引くために意図的に変えたりと様々な工夫をしながらコピーライトしていくので、あまり日常会話のことを深く考えることもないのかもしれません。
でも、4年間の高等教育を終了したらほとんどの学生さんは社会人になります。仕事によって、どんな人と会うのか想像もできませんが、「正しく美しい日本語」を使用していれば、皆さんの教養が自ずと証明されることは間違いありません。
是非是非、芸術学部ソーシャルデザイン学科で学んでいる間に「正しく美しい日本語」を習得して、いかなるTPOにも動じない自信をつけてください。

2018.9.18

理想と現実
わたくしの時計は1時間早く設定されていました。
どうりで「なんかおかしいなあ」…「なんかずれてるなあ」…と、このところひしと感じていたのは、ただただわたくしの勘違いで、勝手に1時間だけのサマータイムを実行していたのです。
ときどきジュエリーケースから引っ張り出すこの時計は、わたくしの祖父が母の18歳のお誕生日にプレゼントしたといういわれのもので、繊細なデザインの手巻きアンティークです。付けていた本人がもはやアンティークのような存在になり、「小さくて見えない」という理由から100m先からでも見えそうな文字盤のバカでかい無粋な柱時計と交換で、随分前に私の手元にやってきたのです。
わたくしは100年くらい前のものが大好きで、家の中もアンティークのテーブル、椅子などがありますが、正直申し上げて全く実用的ではありません。素材はマホガニー、脚は猫脚でとっても華奢です。問題が生じた際のメインテナンスは大変です。わたくしが腰掛けるのは全く問題ないのですが、我が家にいる超90kgのベター・ハーフは触ることさえ憚られたので、気の毒になり、日常使用としてミッドセンチュリーのどっしりとした家具に変えました。…ということから、わたくしの愛する華奢な家具はトランクルームに収まっています。
「愛する様式」と「利便優先のカタチ」。わたくしたちは、無意識にT.P.Oによってこれらを選択していますが、この2つの要素をうまく融合させた「モノ」に出会ったとき、「我が意を得たり」と感慨にふけるのでしょうね。。。。

2017.10.24

キミハナニヲオモウ
みなさんは黒い顔の羊を見たことがありますか?
わたくしは、夏休みに「イヤ」というほどこの黒い顔の羊さんをみました。
*ちなみに「吉田羊」ではありません。
草を食む羊さんの横に車を停めると、こちらを「ボヤ〜〜」と眺めてまたお食事に戻ります。ただただ、ひたすら口を動かします。背中はグリーン、ピンク、黄色、赤…と、とってもカラフルなヘアダイをしていて、どうやらオーナーさんが一目で分かるように工夫されているようです。
アニメのキャラクターにもなっている無口な羊さんですが、時々聞き慣れない言葉を発します。ゲール語なのか造語なのかわかりませんが、何とも愛らしい黒い顔はわたくしのカメラにたくさん記録されています。
同じように、わたくしのカメラには牛もたくさん記録されています。柵の向こう側で草を食んでいる牛に声をかけたら、5〜6頭近づいてきます。あまりにも大きな体に圧倒されて這々の体(…というほどでもありませんが)で逃げ出しました。むやみに知らないヒトに声をかけては行けないという教訓を学んだ夏休みです。
知らない人と言えば、ずいぶん昔に夜「赤坂」を歩いていたら、見たことのある人に遭遇しました。「あら!、この人知り合いだわ」と思ったのですが、何だが様子が違います。周りにたくさんの人が取り巻いていたり、物騒な感じで、なんだかただ事ではありません。安全を期して、声はかけませんでした。
数週間してスイッチのついていたTVを何となく見たら、赤坂で遭遇した人が出ていました。「あ〜。そういう人だったのか…」と合点がいき、声をかけなくてよかったと自らの判断力を誇らしく思ったものです。
数ヶ月して、その人の名前が「タチ…」なんとかという人で、刑事役を演じる人だとわかりました。どうりで、髪の毛がテカテカしていて、有名人のようだった、と無理矢理こじつけて納得しました。

2017.0601

さて、第2弾です。
年を取ると昔のことを良く思い出すようになります。
5月30日(火)のキャリア開発演習Aの授業にお招きした方の回想話しでわたくしも、とあることを思い出しました。
大学院に通っていた古のことです。わたくしはなぜか学群〜大学院まで、ず〜と留学生と1軒家を借りて住んでいました。これは本人が望んだ訳ではなく、世相に流され、気づけばそうなっていたのです。
出身国が違えば習慣、解釈、いろいろ違います。
ここでは、奈良のお水取りにフランス人の友人と行ったときの体験談です。
彼女の名はフローランス(わたくしはフローと呼んでいました)。物理の流体力学の博士を取得してから日本にやって来た変わり者です。日本の文化が大好きで、私はよく古寺巡礼につきあわされました。そのうちの一つが奈良の東大寺で行われる修二会で、1200年以上前から行われている法会です。かくもあろうことか、どう考えても由緒正しそうなその行事にわたくしの親友は「連れて行け」と言ったのでした。
新幹線のチケットは難なく取れました。宿は「梁山泊」という物好き研究者が宿泊するとってもマニアックなところを紹介していただき、「お風呂・お手洗い共同、雑魚寝」、すなわち格安料金で泊まらせていただいたのです。わたくしはこれだけでも参ってしまい、寝不足でしたが、フローの元気ぶりは絶好調です。彼女にとってまさしくこれが「ざ・にっぽん」だったのです。
3月12日深夜、いよいよ大木のお松明があがり始めました。彼女の興味は2月堂に集中し、どんどん前に進んで行きます。もうこうなったわたくしの声など耳に入らず、警備のおじさんのことも無視です。燈籠に足をかけ、木によじ上って落っこちそうになり、もうメチャクチャです(不信心きわまりなくて申し訳ない)。「そこの人、危ないから木から降りて!」という警備のおじさんの声に彼女が振り向くと、「だめだ、日本語がつうじんわ」とおじさんも混乱状態でした。わたくしは「警備のおじさんごめんなさい」と心の中でつぶやきながら、“他人です”」を決め込むしか、仕方がありませんでした。お松明11本目があがったクライマックス。フローはその真下にいて、お松明の明かりに照らされながらこちらを振り向き、「ニンマリ」とご満悦な表情です。
それから後の記憶はぷっつり…。帰りの新幹線の中の会話もフローが一方的におしゃべり。わたくしの頭の中は極細の糸が絡まったような状態で、意識が遠のいていました。
もう二度とできない希有な体験でした。

いのうえともこ


2017.0412

回想。
突然ですが、コラム復活です。
今から6〜7年ほど前にぼやきのような独り言をコラム化していたのですが、特別な理由もなくやめていました。
今回ソーシャル学科主任の井上貢一先生に「ページを準備します」とお誘いを受け、まんまとその手に乗ってしまったワケです。
ま、コトのいわれはともかくとして、久々の登場です。

さて、今回はとあることを思い出したので書いてみました。
きっかけは、自動車免許を取得する予定の4年次女子学生との会話です。
彼女に残されたハードルは「学科試験」のみ。そこで自動車試験場のエピソードを思い出した次第であります。


12〜3年前のこと。福岡の土地勘に疎いわたくしが無謀なことに自動車試験場での免許更新にバスで行こうと思いついたのが始まりです。乗客はどんどん減り、ついに私一人になりました。車窓からの景色を楽しんでいると、突然静寂を破るダミ声がしたのです。
「お客さんどこまで行くの?」…。これはバスのドライバーさんからのお声かけでした。「もう、終点で、車庫に入りますけど…」。
「あれ?自動車試験場には行かないんですか」とわたくしが質問すると、「試験場行きは別のバスです。ここで○○番のバスに乗り換えて○○停留所でおりたら、すぐにわかりますよ」
「はあ〜。○○番のバスに乗って、○○停留所で下車すれば、自動車試験場に行くことができるんですね。メモります」…。
「いや〜、違いますよ、間が抜けてる。私にメモを貸してください。書きますから」
「ありがとうございます。…ところで何時にバスは来ますか?」
「ここのルートはバスの本数が少ないから、だいぶ待つと思いますよ」
「はあ〜。そうですか…。タクシーは通りますか?」
「タクシーは殆ど通りません…」
「はあ〜」
「…」
わたくしがバスのステップをおりようとしたところ、ドライバーさんが自責の念に駆られたのか、「いいですよ、近くまで乗っていってください」と言ってくださいました。
「へ!あ、ありがとうございます」とまた、ずうずうしくも踵を返して一番前の席に座り込み目の前の銀色の横棒を握りしめ、親戚のおじさまを相手にするように世間話をしながら無事自動車免許試験場のそばまで行くことができました。
「あれですよ」と指差し確認までしてくださったドライバーさんに、「さすが、職業柄」と心の中で感心しながら丁重にお礼を申し上げ、「料金はおいくらですか?」とお尋ねしたところ、「いりません。ルートから外れてますから」とお答えになりました。
今は、お名前も覚えていないのですが、土地勘がない上に救いようのない方向音痴のわたくしに無料でバスの貸し切り使用までお申し出いただき、ワンポイント博多弁講座まで即席開設してくださったこのドライバーさんをわたくしは後光に照らされた神のごとくながめ、感謝と羨望のまなざして拝んだ記憶がよみがえってきました。
ちなみに、そのころお教えいただいた博多弁は、その後使うこともなく、記憶の坩堝に落ち込んでしまいました。

いのうえともこ



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Last-modified: 2023-03-01 (水) 23:59:13